「富嶽三十六景」など3万点以上の作品を描き残したといわれる葛飾北斎の生涯を、柳楽優弥と田中泯主演で映画化。
町人文化全盛の江戸、若手絵師の北斎(柳楽優弥)は無作法な素行で師匠に破門され、貧乏長屋で孤独に描いていた。
喜田川歌麿を世に送り出した版元の蔦屋重三郎(阿部寛)に才能を見出され、描いてみろと言われるが、作品を何度持って行っても、絵の本質を捉えていないと中々認めて貰えない。
焦り苦しむ中、東洲斎写楽という更なる若手が突然現れて、世の人気をさらう。
口惜しさにもがき、江戸を飛び出して自然の中を遮二無に彷徨う北斎。
海の中に入っていき、大波に呑まれる寸前に、あの波の絵の構図が浮かぶ…
町人文化全盛の江戸、若手絵師の北斎(柳楽優弥)は無作法な素行で師匠に破門され、貧乏長屋で孤独に描いていた。
喜田川歌麿を世に送り出した版元の蔦屋重三郎(阿部寛)に才能を見出され、描いてみろと言われるが、作品を何度持って行っても、絵の本質を捉えていないと中々認めて貰えない。
焦り苦しむ中、東洲斎写楽という更なる若手が突然現れて、世の人気をさらう。
口惜しさにもがき、江戸を飛び出して自然の中を遮二無に彷徨う北斎。
海の中に入っていき、大波に呑まれる寸前に、あの波の絵の構図が浮かぶ…
活気ある江戸の下町、吉原の艶やかな廓、波の先の壮大な富士山。
大画面が息を呑むほどに美しい。
町人文化が息づいていたとはいえ、幕府は風俗を乱すものと娯楽を敵視し、とりわけ歌舞伎と出版物を厳しく弾圧していた。
表現の自由を求めて描き続ける晩年の北斎を演じるのは、舞踏家の田中泯。
70歳を前に脳卒中で倒れ、半身が震える不自由な身となりながら、片足を引きずりそれでも一人旅に出る北斎。
人生50年の時代に「富嶽三十六景」を描いたのは、70歳を過ぎてからだったのですね。
あの「怒涛図」が描かれたのは、なんと85歳の時です。
北斎の人生の断面を幾つか切り取って繋いだという感じの作品です。
90回以上引越したというエピソードや、一人娘お栄との絡みをあまり取り上げなかったのは残念。
全体に淡々と描かれ、ものすごく感動するというものではありませんが、
「時代のせいにするな、己の”好き”を貫け!」という稀代の天才のメッセージは伝わりました。
日本文化にそれほど詳しいとも思えないような外国人が、Hokusaiのことはよく知っていて驚いたことが以前、何度もありました。
米LIFE誌“この1000年で偉大な功績を残した100人”に選ばれた、唯一の日本人でもあります。
(怒涛図)
いいなあ 私は結局DVD出たらになるかもです(仕事でどうにもいけない感じなので・・・)
柳楽優弥 さんと田中泯さんが好きなので観たいんですけどね
あの少年がこんなに大人になってと、勝手に母親目線で観ていました。
田中泯がまた、凄い迫力でしたよ。
「プルシアンブルー」と呼ばれる色があったからこそこの作品が生まれたと。
他の文献で見ると日本の和紙と出会ったこその発色なのだとか。
これだけの才能があるのは幸せかどうかとよく考えます。
時間が己の才能に対して足りないのではないかと。
家族だと最悪だろうな。
映画、また配信などが始まったら見ていたいです。
自分の体に浴びせて驚喜する場面がありました。
何の説明もありませんでしたが
後で解説を読んだら、それがベロ藍というものだったらしいです。
ベルリンの藍を略してベロ藍と呼ばれたのですって。
人生50年の時代に、北斎は70歳以前に描いた自分の絵はカスばかりだと嘆き、100歳まで生きれば素晴らしい画家になっているだろう、と言ったのですって。
こんな天才の家族はたまったものじゃなかったでしょうねえ。
映画館は空いていましたか。空いていたら
コロナの心配はないですね。
最下段の波の絵は、多分小布施にある屋台の
天井画かもしれませんが、
小布施で10年くらい前に見たと思います。
あるいは別の絵だったかもしれません。
北斎の生涯に興味を持つ人にはよいかと思います。
映画館は定員の半数以下にして、空いてますよ。
ええ、怒涛図は北斎が最晩年を過ごした小布施の屋台の天井画です。
男浪と女浪があるようですね。
「怒涛図」など波の絵に惹かれ、波の絵のおっかけをしたりして小布施等には2回もたて続きに行きました。
ドラマもやっていましたね。
日本一の画家だと思います。
家族は大変だったと思うのですがお栄さんは大したものですね。お栄さんがいなかったらあんなに傑作は残らなかったでしょう。