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九代目團十郎、五代目菊五郎の功績を顕彰するべく始められた團菊祭。
二幕目の「若き日の信長」は、大仏次郎が昭和27年に十一世團十郎のために書き下ろしたというもので、歌舞伎初心者の私にも分かりやすい。
「うつけ者」と呼ばれていた若き信長(團十郎)。父の三回忌法要にも出ない様子に責任を感じたお守役の平手中務政秀は、自分の死をもって信長を諫めようと自害。それを知って男泣きする信長の元に、今川方に寝返った者たちが攻めてくるとの報せが入る…
自害しようと遺書をしたためた中務の屋敷に、ひょっこりと狩り帰りの信長が訪ねて来るのです。
しかし中務は信長に会おうとせず、息子たちに相手を任せ、自分は奥の部屋でひっそり自害する。
これは今の日本人には、中々理解できないなあ…
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三幕目「音菊真秀若武者(おとにきくまことのわかむしゃ)は、尾上眞秀(おのえまほろ)君の初舞台でした。
10歳の真秀君の可愛らしいこと!祖父の尾上菊五郎(80歳)は、弓矢八幡役。
今は愛らしい女童役、凛々しい少年剣士役を力いっぱい声を張り上げて演じていたけれど、思春期、青年期になったらやっぱり壁にぶつかったりして悩むのだろうかと、息子を持つ母としては思ってしまう。
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この真秀君の祝幕は、レーザーカットされた直径12cmの丸いオーガンザ約8,900枚が並べられ、シャネルのサポートで作られたのですって。
“初代尾上眞秀丈江”の文字は、母親の寺島しのぶさんが書かれたそうです。
会場入り口には、しのぶさん、フランス人の御主人、富司純子さんがご挨拶に立たれていました。
見に行っていましたが、3年も行っていません。
まほろ君のステージが見られてよかったですね。
実は夫の謡曲仲間のOさんの孫は慶応に行っていて
まほろくんと幼稚舎からずっと一緒です。
参観日とかで寺島しのぶさんもフランス人の伴侶も
Oさんの息子さんは会うそうです。
先日、徹子の部屋で拝見しました。
血って、やっぱり凄いわ、と。
去年の11月、東銀座でランチして散策した時に前を通りました。
新しくなって初めてだったかな?
勿論、お着物で見物されたのかしら?
「成田屋!」などの声が盛んにかかっていました。
音羽屋はこれで安泰ですね。
眞秀君の初舞台、お歴々がそれを祝って盛り立てているという感じの舞台でした。
歌舞伎とは普段縁のない人間にも、その喜びが伝わって来ました。
そうした人間にもおめでたさが伝わってくるような初舞台でした。
それがね、昨日こちらは朝から雨だったので、着物あきらめました。
着付けの練習が中々できません。
私は今週末夜の部『達陀』が観たくて
チケットとりました。
眞秀君の初舞台お祝いの舞台は中々
ないですからまたいつもとは違う歌舞伎座
なんだろうなぁ~
成田屋さんは菊之助さんの息子の丑之助君も
滅茶滅茶お上手だから…将来安泰ですね。
なんだか喜びに溢れていましたよ。
歌舞伎のお歴々みんなで眞秀君を盛り立てよう、という感じで。
成田屋も音羽屋も安泰、という感じですね。
悲しいニュースが続いていましたから
これは嬉しいですよね。