フレーベル少年合唱団第58回定期演奏会
2018年8月22日(水) 文京シビック 大ホール
開場 午後6時 / 開演 午後6時30分
全席指定2000円
キャラ立ちの強烈な中学1年生、あらゆる意味で全員めちゃくちゃカッコよく子役事務所が開けそうな美男ばかりの5・6年生…と、フレーベル少年合唱団S組を支える高学年の団員たち。その総数に匹敵する25名の下級生は全て昨定演の後、A組から上進してきた優秀でやんちゃな4年生である。実態は昨年までのA組をミラクル&マジカルな一大エンタテイメント集団へとのし上げていたバトル集団。ユースの出現ということもあり、プログラム裏表紙に印刷されている団員名を見て、昨年度定演時の団員構成とあまりにも変化していることに一見して驚かされる。4年生を送り出したクラスの先生方も、4年生を受け入れた側の先生方も、ポイントや観点の違いはあっても各々ご指導にとても苦労なさったはず。私は彼らの存在が、実はフレーベル少年合唱団の一つの時代の終わりの、目に見えぬ端緒になっているのではないかと推察している。
冒頭、合唱団はセレクトの歌声でアバンを打った。昨年は団長挨拶、指導陣の交替前はミュージックベルを鳴らしたり、団員代表の挨拶を入れていたこともある。
58回定演のアバンは、「魔笛」2幕16番三重唱(日本語版)をフォーマット通り1列横隊のショーアップで。レンガ色タキシード姿のS組セレクト9名。尺はコンプリート長。「魔笛」なので人員は3の倍数。8分の6拍子。歌詞は中間部分がかなり巧妙に充て変えられ、タミーノやパパゲーノの名を(客席の)「みなさま」に挿げ替えてオリジナル通り静粛を求める内容の小品に仕立てている。当夜の演目にはZauberflöteやアマデウス関連のものは見当たらないのに、なぜこの曲が冒頭で歌われたのか、毎年フレーベルの定演に来ている者に理由は明白なのだが、ここでは言わないようにしたい。聞かせるのが団員なら客席にいるのもその関係者だったりするのだから。
実際の上演でもユーモラスな場面に少年たちが男の子ぽい滑稽さで歌い上げる曲。施された「しーっ!しーっ!しずかにっ!」の演技も、多くのステージで見られるものだ。シカネーダの台本は古すぎで(18世紀末だ!)20世紀末からは当時指定された衣装で上演されることは少ない。少年たちのコスチュームも幽霊、サッカーユニフォーム、ストリートチルドレン、宇宙服、完全な普段着…と公演の設定に準じ、聴衆もそれを楽しみにやってくる。だからここでも彼らのレギュラー装束であるタキシードを着用したのだ。2015年夏には舞台設定をテレビゲームの世界とした宮本亜門演出のステージにTFBCが出演し、国営テレビでもオンエアされたため少しだけ話題になった。そうした数十年来の舞台をこれまで見続けてきた者がフレーベルの当夜の演唱を聞いた第一印象は、「女の子が歌っているみたい」というものだった。セレクトの9名はもっか合唱団の基幹にいるバリバリのボーイソプラノたち。アマデウスもこの曲をト音記号では書いていないが、今年の彼らが奏でているのは従来の魔笛の三童子にあったボーイズライクなメリハリの効いたカチンとした芯のある歌いではなく、ふんわりと柔らかくソフトでレガートな流れ(スコア上、1音節を表すための2音以上でのみスラーが付けられている)に終始する小首を傾げた少女たちのイメージなのだった。
団長挨拶を巧みにスペーサーへ活用し、S・Aの全隊60名で団歌を朗唱しパート1がリスタート。先のセレクトを早替えで隊列に戻し、今年は全隊統一で安心感のある見慣れたイートンのシルエットだ。ユースのメンバーを擁し、小学4年生メイン60名規模の隊伍の声は半世紀前の懐かしい歌声を思い起こさせる。あの頃、私たちはフレーベル少年合唱団の溌剌とした演奏にかすかな憧れのようなものを感じた。背後のホリゾントへフレーベルの赤い団章が燦めき、100名を超えるマリンブルーのユニフォームがびっしりと山台に並んだ姿は到来する至福のひと時を約束した。時を超える今、私たち観客は彼らの歌声になんと一喜一憂させられて定演の暫時を過ごすことだろう。今年の団歌はそうした意味で良く仕上がっていた。新A組諸君の彼ららしい声が響く一瞬が訪れ看取できたのは、今年の彼らの団員構成が半世紀前の「B組」に戻ってぴったりと重なったことであり、それ以上のクラスを為す歌声が50年の時を経たかつての「A組」へ生年的・年齢構成的に似たということなのだ(当時はS組というクラスは存在していなかった)。
あらゆることが次々と取り変わってゆく合唱団の事態はこれが2度目のこと。前回は「今、聞いてくれている人たちをどう驚かせ、喜ばせるか」というレーゾンデートルの15年間以上にも及ぶ長大な刷新だった。合唱団はステージ上のローマ君をして客席に向かい「どうぞ前へ来て、写真を撮ってください!」とさえ言わしめている。団歌の間奏・後奏をあっさりと削り去り、定演のステージにフレーベルの団章を引き下ろしさえしたが、ユニフォームを毎回・各ステージごとに着替え、隔週に一度は都内各所で30分レギュラーの一般公開の演奏会を開き、終演時のルーチンをびっくりするようなもので飾った。学校楽器などを上手に仕立てて合唱の合間に聞かせ、外部出演の報告をかなり頻繁に長期間にわたってライブステージで行ない歌ったりもした。それらは客席にいた私たちへの贈り物として受け取られ、このサイトの拙文の中へ大切に保存されている。彼らはそれを見たお客様が思わず「わぁ!すてきねぇ!」と声をあげ、手をたたいて喜ぶ姿を素直な気持ちで眺め、自身への評価とした。今日の客席のために、彼らは様々な変化を打ち続けていたのである。このお客様がたは、どう思うだろうか?が、その驚くべき変化の最大の行動指針だったように思える。
ここ数年、団員たちの出演後のばらしがやや後送りになった印象を受ける。かつて、演奏会終演後、客席でもたもたしていると、先ほどまで歌っていた団員たちがもう着替えてロビーにたまり、保護者の引き取りを待っているという状態だった。それでは現在の団員たちが何をしているか…出待ちをした保護者には我が子の表情をして明らかであろう。彼らはおそらく当日の演唱についてきちんと指導を受けているのだ。フレーベル少年合唱団の2度目の変化の波が、「これまでのお客様を喜ばせるための変化」から、だれを喜ばせるための大きな変化に遷移したか、この例でもはや明解だろう。1度目の変化の最後の10年間の渦中にいたワルトトイフェルくんが「S組アルトの低い声の方」ではなく彼らのための新しいクラスで歌いはじめたのはとても象徴的な出来事のように思える。
当夜のMCは徹頭徹尾昨定演以降多くの場面で活躍してきた団員たち。今年も開演MC担当の褐色王子くんは変声が先週始まったばかりのような状況で、1文を発するだけの職分だが彼の長いステージ人生を知る多くの観客へ思い出のアルバムのように声を投げた。おそらく、この団員がいなかったとしたら現在のフレーベル少年合唱団は気持ちの良いチームワークと心をここまで潤沢に客席へ届けることができなかったろう。MCの声はそういう彼の人柄と団員生活を爽やかに告げている。
チェコ、ハンガリーの調べ(part1)をスメタナのモルダウで歌い始めている。かつてのフレーベル少年合唱団らしい、聞き慣れた穏当なプログラムと出来栄え。8分の6拍子のアウフタクトを気持ちよさげに流して歌う少年らの航行は淀みなく、昨年度S組の基本カラーを遵守した声質が先ほどの褐色王子くんの声を思い起こさせて理運のひととき。一方で今年のチームらしいバランスの良さ、日本語の正確さ、耳の良さからくる柔和で細やかなコントロールなど聴きどころは多い。従来のフレーベルらしい、聴衆を喜ばせる親しみのある選曲だった。
だが、次に一転、「ミクロコスモス」からの3曲が歌われた。曲が合唱でコンサートプログラムに乗るのも、少年の声で供されるのもおそらくこれが日本で初めてのことであろう。実験である。
最初に極めて特徴的で代表的なハンガリー・リズムを用いた「狐の歌」。次が作曲者独特のステレオフォニックな対のイメージと徹底した5度の並行進行伴奏が白眉の「対話」。最後にハンガリー民謡へ極めてバルトーク的なバーバリーな伴奏を施した「新しいハンガリー民謡」(民謡原曲「Erdő, erdő, de magos a teteje」=少年たちも歌った初行がタイトルなのである)。曲集はこの順番では書かれておらず、また作曲年代は3曲とも1938年から39年の春までのほぼ同時期に行われているようだが、これ以外の選択は考えられないという要領を得た曲順で今回ステージに乗せられている。最初に原語歌詞で、続けて日本語で歌うという従来のフレーベル少年合唱団のフォーマットに戻して演奏した。曲間にはMCのタイトル紹介と担当チームのフォーメーションチェンジが挿入される。「新しいハンガリー民謡」のMC担当団員は昨年までA組でキュートかつ印象的な声を聞かせpartエンドの気分を鼓舞するようナレーションをまくしたてていたが今年はカッコよくアルトに落ち着いていた…びっくり!
3曲ともピアノ練習曲集のうちツェルニー30番クラスのものを選んでいる。1曲目は逆付点で後ろに強拍があるリズムを弾く(先行音にストレスが移る場合のシステムも学ぶ)練習曲。2曲目は5度並進行とDモードのレッスン(5度並進行はこの曲だとゆっくりすぎるので、他にリディア旋法のスゴくモダンでカッコいい55番と、巻末に17番練習曲が添えられている)。3曲目は連弾と「ふだんよく耳にする民謡をピアノで弾く」という課題。MCやプログラムにもあったようにピアノのハーモニーを楽しむべき演目だ。少年たちはこのため、巧妙にメンバーチェンジを繰り返しながらオリジナル譜通りユニゾンでピアノの邪魔をしないよう心がけて歌っていた。今年度のメンバーだから達成可能な「小学生っぽさ」と「ちびっこ仕事人ぽさ」の技を爽やかに止揚して完成させている。
1曲目・3曲目はバルトーク本人の採集譜ではないが北ハンガリーとバラトン湖付近で採集されたものと言われている。2曲目の「対話」だけ偶数番目の上行フレーズが、几帳面で理数系ド真ん中のバルトークらしくそれぞれ直前の下行句の正確な鏡映転回形となっているため、作曲家の書斎の机上で一音一語一句綿密に作られたことがわかる。このため、冒頭のフレーズエンドの歌詞
gereblyéd(ゲレビーd)
は、対となる第3フレーズの末尾の
mint tiéd(ミンティイーd)
とアキュートを含めきつく脚韻を踏んでいなくてはならない。少年たちは、これを「gerebl yé」と分けて読んでいた。ハンガリー語のlyはコダーイ(Kodaly)の綴りの末尾に見られるようにエルイプシロン単体の音価で「イー!」と発音する(後半はcsak!とmegfoglak!が正確にライムしていた)のだが、彼らの小さな身体が真夏のパプリカ畑をからからと吹く風に振れるイメージで可愛い。他にも冒頭のvan-e(ヴァ,ネ)を北欧言語ふうに「ヴォーヌ」と読んでいるのが比較言語学的に言ってお茶目で超ラブリーだ。
パート1最後のコダーイ・ゾルタンのAngyalok és pásztorok(アンギャロケシュパーストロク)邦題「天使と羊飼い」を聞いて、フレーベル少年合唱団もこんな曲を歌えるチームになったのだなぁと嬉しい驚きを隠せなかった。堂々の歌いきりは上の五線譜の頭一つ抜けたGから下は加線2本のGまでがユースクラスの寄与もあって7声(直前に最大8声)で、楽譜1ページまるまる「主イ・エ・ス!」「グローリアー!」という歌詞だけをじりじりソステヌートをかけながら現代ハンガリー合唱らしい倍音いっぱいの和声で叫び続ける。先導し天上へ駆り立てる天使チーム2声の鮮烈で精悍な立ち回り。身体ごとぶつかってくるような体温を感じる男の子らしい羊飼いチームの声の動き。見慣れた少年たちの体からその音像が発せられているのかと思うと、聴衆は自己と現世の同一性をあっさり喪失してしまう。天使チームの配置は声のバランスやラストシーンの物語に陶酔感を与えるためか、当夜は羊飼いチーム同列へ回された。七夕の日の六義園でのデモンストレーション(羊飼いチームには当日、まだガイドピアノが入っていてアカペラではなかった)では、4名の天使チームを前へ出し、スラスト・ベクタリングに長けた少年らしい凛々しいリードをエネルギーの減衰無く客席深く叩き込んだ。特にソプラノ最左翼、「小さい秋(あき)見つけた」君の成長した美麗な歌声は観客の心を深く打ち抜く。安定した彼の心身両面での伸びゆく姿に目を見張ったものである(ブレス収めに兄弟独特の味がある)。PRIDEのセンター君もパワーテイスト全開!アルトの天使チームもすでに野太いマジャール低声をものにしていた。PRIDE君以外は昨年までA組で歌っていたというのに!
パート冒頭の「魔笛~Seid uns zum zweiten mal willkommen」で聞かれた「少年のための歌なのに女の子のような」歌声の印象は、コダーイの少女たちのために作られたと思しきこの曲でもはや逆転し、男の子にしか出せない魅惑のエグ味を付与している。冒頭は13拍ものロングトーンをアルトがアカペラで啼ききるという超カッコいいファンファーレで始まり、この合唱団お得意の「追いかけっこ」の運びも最後まで堪能させてくれる。曲はアタッカで羊飼いの歌へ進むのだが、こちらの方が騎馬遊牧民で「羊飼い」そのものだったハンガリー人の味をよく出して、少年たちも強後打ちのリズム、3度5度と重なった泥臭いハーモニーの並進など、よくわかって気をつけ頑張ってくれている。最後の天使と羊飼いの邂逅はフェルマータで3つの場面に分かたれている。天使の役目はファンファーレに徹し、歌詞は羊飼いの少年たちが導かれるようにしてベツレヘムへ到着し、手を合わせ嬰児に謁見する直前で終わっている。ここから後はもうこの世の物語ではないからだ。目がつぶれるほどの千筋の光の照射、子供達の取り返しのつかない目眩と恍惚と喪心と卒倒。天使役の子供達と羊飼いたちが「グローリア!グローリア!」と唱和して幕を閉じる。映画の大スクリーンで見るような物語の臨場感と言葉を失う光束・光度・輝度の高さを男の子の声が今回再現していたのはすばらしかった。むしろ、男の子っぽい粗野な歌いがそれを可能にしたのではないか。これまで「天使と羊飼い」をおびただしい回数聞いてきているはずなのだが、最後の33小節をこんなにも強烈な閃光に射抜かれて体感したことは無い。ソプラノ側天使チームの「怖れるな!この曲は僕たちに任せろ!」的な面目躍如の大踏ん張りは勿論のこと、逆説的かもしれないがユースメンバーのハーモニクスの効きがその薬効の一つだったろう。また、今年の彼らがこの要求に応えようとがんばってきたことは、部外者の私にもステージの姿を通して感じられた。彼らはいくつかのフェルマータを観客に意識させ思考を切ってしまわないよう細心の注意でまたぎ超えている。また、全体的なデュナーミクの持って行き方にはどうしても体力的な限界を感じさせるが、各所のそれにはきちんと努力の跡が見られる。後半天使チームの入る直前の「…誰がする、うッ?」「…オオカミに、いッ?」の末尾のメゾ・アルトがかなり乱暴に八分音符を吐き足しているように聞こえるが、これは原詩のハンガリー語の特性に見合った妥当な歌いきりだ。同様に以降のアルトの天使チームは目立ってしまったが、寧ろそれでよかった。ハンガリー民謡の正しい語法なのだ。カッコよかった!私たち観客は彼らの歌い姿を以前からよく見知っているので安心して聞くことができ、何より驚くような成長の証が聴け、目立ってくれて大感激!だった。
2017年12月12日(火) 、フレーベル少年合唱団は読売日本交響楽団第573回定期演奏会に出演しマーラーの交響曲第3番5楽章を歌った。サントリーホール大ホールのソワレ。指揮コルネリウス・マイスターの読響で、コーラス席には新国立の女声とともにTFBCも着いていた。フレーベルは昨定演後、時機到来と上進したメンバーを擁す22名の団員を送り込み、新S組らしい甘美で爽快な声をヴィンヤードへ響かせた。良く練られたマーラー3番にふさわしい出来の合唱だったが、フレーベル少年合唱団を長年熱心に応援してきた者にとっては永久に忘れることのできない一夜になった。まず、彼らの指定位置は合唱席最奥上方の遠くにあり、ヒロミチのベストを着たあたま数で倍を少し欠くTFBCが見やすい前方の合唱席を占めていた(その事情は分からなくもないのだが口惜しかった)。だが、フレーベルの団員たちは、絵面合わせを言い開くかのように紺ベスト姿で無帽。両手を体側に下ろしたまま歌い通す。演奏は、日本テレビ(!)の番組「読響シンフォニックライブ」の公開収録だったため、翌2018年の1月18日木曜日に楽曲部分ノーカットでオンエアされ、同月28日土曜日にはBS日テレで全国放送されてしまう。楽章の冒頭、奇をてらった妙な演出で起立する様子も映し出された。2013年以降のTFBCの歌声にも諦観的なるものがあり、ここでは何も言わない。ただ、事実としてあるのは、創団以来長きに渡ってフレーベルがトレードマークにしてきた紺ベレーを、できる限り被らないというポリシーが生まれ、S組では手を後ろに組まず横に下ろすという行動指針の確立されたのが、この一夜だったということだ。今回の定期演奏会で歌うS組の姿を見て悄然としたOB、保護者OGやオールドファンは皆無とは言えなかったろう。だが、合唱団は定演での客席の反応を見て、S組だけでなく他のクラスへも「フレーベル少年合唱団は二度と手を後ろに組んで歌わない」というポリシーを1年間のうちにあっさり援用してしまった。(個人的な意見だが、手を横に下ろして歌っても彼らの歌声クオリティーに顕著な変化は見られないように感じる。外見上、手をぶらぶらされたり前で組まれたり半ズボンの裾を握られたりする様子をかなり頻繁に見せられる現在、私は昨年までのように手を後ろで組んで歌ってくれた方がよほど指導の手間がかからなくて良いと思うのだが…)
6年生を来春以降に卒団させるとフレーベル少年合唱団は「年に15名しか新団員を採用しない」というルーチンで厳しく選考されたメンバーだけが歌を紡ぐ精鋭集団になる。観客たちがおそらく意識していないところでもこの少年合唱団は決定的な変転の時を迎えようとしているのだ。
今回、外見的に最も昨年のイメージを継承していたのは年長さんと新1年生で構成されるB組だったのかもしれない。だが、昨定演、退場場面に到るまで徹底的にthis is Froebelなエンタテイメントの見せ場を供していたそのチームは今年一転してボーイソプラノ研修生のふるまいを公開する。堂々の「あんぱんまんたいそう」を前振り代わりに「ドレミファアンパンマン」へ繋げ2曲10分間のステージでキメた前回。今年はプログラムが3曲に増え、反比例するように演奏時間は昨年よりやや凝縮されたような印象を受ける。今回ステージマネージャー(監督)が変わったこともその要因の一つなのか、だが、客席の受け取った率直な印象はB組クルーのポイントとなるストリームが、選曲・指導とも1つ上のチョイスがなされたというものだ。こうした所感はまず登場・退場場面での彼らのアクションや、今年逆に構成年齢を抑えたイメージのA組のクオリティーとあまり差異を感じさせない曲紹介MC(後述するがA組の方が巧みに幼げな愛らしさで客席を魅了する)などで明らかになる。山中+湯浅ゴールデンコンビの「ほんとだよ」で冒頭から突然シャウトとソロをきりっとフィーチャーし、彼らのコ憎らしい妙味を聞かせる。私の耳には場内の拍手(カッコいい)と客席のもらす笑い声(かわいい)が確かに聞こえた。「カッコかわいい」と観客は直感的に高評価しているのである。また、この年齢の子たちがハッキリとした美しい日本語のソロとユニゾン(これはB組ステージを通じて評価されることだった)を繰り出していることも判る。6歳児的な音の落ち方なので記憶的にもハッキリしないのだが、年長さんの男の子にのっけからA#をポンと狙って出させようとした選曲に私は心底惚れた!乳歯の抜けた年長さんと小1プロブレム一切無縁の新1年生のちびボーイソプラノたちへ、定演の演目として「元気で優しくてわけがわからなくてちっともじっとしていない男の子っぽい魅力」と、数年後の未来、立派なS組団員になるため身につけさせたい音楽スキルとそれまでに心身へ刷りこんでおきたい音楽センスと音感とクリエイターへの思いを同時に定演のステージで実現させようとする選曲の審美眼は次の「クラリネットこわしちゃった」でも顕在する。ハンドサインはS組ステージのフィナーレを想起させ、また階名唱を入り口に聴音、楽典、ソルフェージュといったものが小さな男の子にもきちんと学ばれていることを推察させる。鍵盤ハーモニカの吹奏は彼らの日常の活動の充実を思わせる。クラリネットのレプリカを一生懸命「へたくそに吹いている演技」をする少年の仕草の愛らしさ、真剣さ、ひたすらな表情に今年も観客はあっさりノックダウンだ!こういうことがうまくいっていると、「このクラリネット、いったい誰が作ったんだろう?うふふふ」といったことにまで観客が思いを馳せてしまう。楽しいステージになるのである。
選曲の妙はパートフィナーレの「青い空にえをかこう」にも感じられる。上芝はじめという作曲者名はこの曲が小学1年生のために書かれたことを暗示している(JASRAC上の正式登録タイトルが「あおいそらにえをかこう」とひらがな書きになっているのはおそらくこのためだ)。曲の発表された1985年、小学校の音楽教育はまだ「学校音楽校門を出ず」と批判の矢面に立たされていた。小学1年担任をしていた全国の公立学校の教師たちは全放連傘下である無しを問わず音楽の時間の最初の15分間を使って子供たちにNHK教育テレビの番組を視聴させていた。子供たちは元気に振り付きで踊ったり行進したりしながら教室でこうした新1年生向けに特化された新しい挿入歌を歌い、楽しげに帰宅していく。番組名「ワンツー・どん」。85年以降どんくんとともにMCを担当した「リズムのおじさん」が作曲者上芝はじめだった。今回、フレーベルB組がパートの終わりにこの曲をチョイスしたのは、選曲者が目の前にいる1年生の子供たちの成長を的確な目で見据えて下した判断であったことがわかる。かつてこの合唱団の下位クラスの定演ステージでは小学4年生もいるA組のお兄さんたちが年少さんの演目につきあって発達段階に全くそぐわない歌を歌うことはあたりまえだった。当日ユースクラスで歌っていた団員の中にもそうしてS組に上がってきたメンバーはいるだろう。今回B組ステージで1年生向けに作られた曲を1年生たちが彼らの気概で歌いきり舞台を後にしたことも、フレーベル少年合唱団のかつての一時代があきらかに終わったことを象徴的に顕している。全体的にやや走り気味のテンポだったが、カデンツァ(もともとお姉さんやどんくんの独唱部分だが、今回は斉唱で通した)の後のアテンポが綺麗で調和している。「エイヤァ!」の呼号に望まれるのは歌詞と同じ比重で丁寧に、またオリジナルの放送年度によってグー出しを左右交互に混ぜる場合と右拳のみの場合はあるが、最後のポージングで「ヤー!」の声もしくは軍隊式敬礼を添えてみせる低学年担任もいる。
A組ステージのパート3はB組同様、昨年比2曲増量でこちらはタイミングを約5分間延長し20分間のステージだった。拙文冒頭に記した通りここ数年のフレーベル少年合唱団の動向がA組を中心に展開されていたことを再認識させられる非常に分かりやすい構成となっている。最後の8曲目「いま生きる子どもマーチ」はS組の賛助で歌い、昨年11月のTOPPAN HALL「湯山 昭 童謡トーク&フレーベル少年合唱団コンサート」の隠れた原動力が彼らにあったことを物語る。当時まだA組に所属していたこの応援メンバーたちの活躍は実は2016年には本格化していて、NHKホールの出演や点灯式を含むクリスマスのライブ、テレビ番組収録などをはじめ本来S組が担当すべき出演のほとんどでS・A混成もしくはA組単独という派出が日常的に行われていた。この年はとりわけ定演時期スライドの関係からA→Sの上進が半年以上遅れ、下位クラスの有効活用を余儀無くされるという状況に合唱団は置かれていたように思われる。昨年パート3ステージで歌われていた「歌のメリーゴーランド」をとしまえんカルーセルエルドラドの前で歌ったのも、TOPPAN HALLで「いま生きる子どもマーチ」や「あめふりくまのこ」をメインで歌ったのもこの団員たちだった。卑近の3年間、フレーベル少年合唱団のライブ出演はA組の子供達無しには立ち行かなくなっていたのである。そして彼らの八面六臂の大活躍は、57回定期演奏会の「いぬのおまわりさん」の2番のソリストたちが、消防少年団の訓練礼式にも負けないくらいカッコいいシャープなお辞儀をして隊列に戻り客席の私たちが思わず拍手した瞬間を頂点に収束していく。彼らはその後、正式なS組団員となり修練し続けたからである。21世紀初頭の小学生男子の発達段階としては穏当に、夏休みを終えてステージ上の4年生たちはもうおっかない表情のまま、母性本能をくすぐるようなキュートな表情は見せなくなり、「イケメン&美声」というキャッチフレーズが「美声」中心へ移行した。
フレーベルA組は本来の「S組予科」の立ち位置へ回帰したと言える。だが、そこはお客様を喜ばせてナンボであり続けてきたA組、タダでは引き下がらない。彼らは今年、幼さや舌足らずの可愛さが戻ってきたことを逆手にとり、曲目やMC担当者にラブリーで愛くるしいキャラクターのある選択をしかけてきた。「しまうまのうた」から「やどかりさん」までの4曲はピッチホールド的に一般の低学年男子の手には余るチョイスで、それを「細く頼りなげに聞こえる」声質へ収斂し愛おしく聞かせる。曲の内容は未就学児向けのものばかり(歌詞を見るとそれがハッキリする。「すてきな山のようちえん」だ!)。だが、彼らはこれらの曲から実に多くを学んでいるのである。テンポの速いユニゾンを揃えて少年らしい頭声に持ち込む手腕。冒頭のファルセットのソロを受け取る幼少年たちの遠いメゾピアノがたまらなく良い味を出している。現代っ子らしくポップなリズムも鄙びたワルツもお手のもの。「湯山昭童謡の世界」と銘打ってはいるが、これはまさしく「フレーベル少年合唱団A組の世界」なのである。
続いて湯山作品の一つのキープレーヤーとして「ヨット」が歌われる。現在の文科省検定教科書には取り上げられていないが、本作は昭和時代の最後の改定まで東京書籍(!)と教育出版の小学校4年生用音楽科教科書の重要な教材だった(湯山が東書版音楽教科書「あたらしいおんがく(新しい音楽)」の著者代表だったのである)。昭和の最後の20年間に小学校教育を終えた日本人の多くが、この作品で「四分の三拍子」と「適切なブレスのタイミング」という重点事項を学んでいる。こうした演奏会で歌われることを想定して作られた曲ではないのだ。だが団員たちは徹頭徹尾ソフトボイスで冷たい旋律をストイックに運び、この「教材曲」を、タックでしぶいた潮がジブセールからしたたり落ちるヌヴェルバーグ映画ばりの曇天のホッパー・ヨットのワンシーンへと仕立ててしまった。実物のヤンチャな彼らを見ていると、この仕上がりの物凄さ、秀逸さに怖気付きそうになる。
続く「おはながわらった」は掛け合いのソロのリードで後半カノンへと発展する。フラワースマイルの慈愛とナイーブさは小学校低学年の男の子たちには望むべくも無いが、クオリティー的にはよく揃ってスタジオ録音にも耐える歌いを展開している。明るい声へ転向するメリハリがシッカリと把握されていて同じメロディーを執拗に繰り返しても飽きさせない。ただ、プログラム上あと2曲残っているのに最後の(?)MC君はA組最後の曲になりましたとハッキリ前置きして「あめふりくまのこ」を導いている。昨年のトッパンホールでのコンサートにも一押しで歌われたレパートリーだが、メンバーを入れ替えてなお非常に歌いこまれており、この小さい子達がソロ・オブリガートを含むディビジ3部のアゴーギクの効いたかなり背伸びしたトライアルを平然とこなしているのにはちょっとした憧れのようなものを感じた。彼らも翌月以降には中学生もいるS組に上進して歌うのであろう。そうした彼らの道行きをパート終曲「いま生きるこどもマーチ」でかつてのA組メンバーを擁して歌い、客席の人々の心を少年たちの成長に重ねて楽しませ、心から幸せな気分にさせた。多くのメインクルーを送り出して、技術的にも員数的にも振出しへ戻されてなおA組は「湯山昭の世界」の名を借りてフレーベル少年合唱団の最も素晴らしいひとときを届けてくれた。
服装についてはここ数年、S組のタキシードに下位クラスのイートンというルーチンを堅持し、2017年度からB組のみボウタイをやや浅い赤色のリボンタイ(10年前まで全隊で着用したベルベットの長いものではなく、幼保の制服などによく見られるタイプのリボンタイ)へ変更するにとどめている。58回定演ではアバンの出演団員9名のみタキシード着用で、直後に団長の挨拶MCを挿入して早替えをさせ、終演まで全クラスがイートンという演出をとっている。このちょっと「おや?」と思わせるプランはプログラムの団員名簿を見ると合点が行く。合唱団には4年生サイズのタキシードが明らかに不足しているのだ。彼らのダブルのイートンはボタンが足つきのキャンディボタンになっているだけで同じネイビーのものを大阪の公立の小学生も通学に着ている。だが、見るからに高価そうなタキシードをここ2-3年の定演のためだけにポンと気前よく作り足し以降デッドストックに吊るす余裕など普通無いだろう。今回全クラスが単一のユニフォームを着用して終始したことについて、15年前までのフレーベルのステージに感じられていた「何回幕が上がっても出てくる子供の格好は同じ」という閉塞感を頻繁なポジションチェンジや中学生に長パンツをあてるなどして軽減しようとしている。
休憩を挟んでpart4。「ユースクラス誕生」。登場するのはこの「きみらのうたよ」でも歌うさまに触れてきた人気のOBや先輩団員たち。彼らは長い期間、フレーベルのステージで休むことなく歌ってきた。S組の現役同級生と同じステージで歌って、たくさんのお客様に心からの声援を長いこと得続けていた薫くんの立ち姿を一眼見ることができて私は心底幸せだった。
人々はどう思うのだろう。その隊列に変声中のS組現役団員がいるということは、ユースクラスの練習が、S組練習の(おそらく)終了後などに、別立てで行われたことを意味する。カンタンなことでは無いのだ。
パートはMCによる紹介とインタビューを演奏で挟むようにして成立している。ワルトトイフェルくんが最後にマイクを向けられ、本当に良い表情で微笑んで言葉を切った。彼らはゆずり葉のように自覚してこのチームの成員へと進んだ。「ユースクラス」立ち上げの理由は誰の目にもあきらかだったろう。男声用にしつらえられた「ぼくらのうた」と「さびしいカシの木」の2曲が歌われた。「カシの木」の最終連を調べてみて欲しい。これは歳を経たワルト君たちが結局どうなったのかの結末を描いている。わたしもまた、ワルトくんと、歌詞の文句のように、ほほえみながら立ち尽くすのだった。
今年、あの低声系4人組はどうなったのだろう。
彼らは全員昨年定演の「流浪の民」で重要なポストを担い声を聞かせた。美白男子くんは曲紹介MCで彼らしい口上を述べて客席をわくわくさせ、PRIDEで黄色いモンスターズインクMシャツをキメたMくんは、ワルトトイフェルくんと組んで2重唱を聞かせた。歌声は彼の人柄を誠実に映し出す鏡のような篤厚な出来栄えだった。2人とも昨年度の終わりまで出演があったが、今定演のプログラム上に名前は無い。合唱団とはまた違った人生で真摯に素晴らしい少年時代を送っているのだろう。
あのカッコ可愛いはに丸くんにも穏やかな変声の兆候は見られるが、いずれにせよ彼のハンサムで水もしたたるイイ男然とした精悍な声は歌声・話し声とも全く変わることなくボーイアルト街道驀進中だ。褐色王子くんから引き継いだ会心の終演呼号も客席の人々の心へとチェクメイトを決めている。ボーイズ集団としてのフレーベル少年合唱団が、こうした秀逸なキャラクターの団員を育て続けてきたことは、他団や他の児童合唱のチームに誇るべき実績だと思う。彼もまた、数年後には合唱団と違った人生を素晴らしい心の篤さで生きてゆく。そう思いながら終演後の客席を立つ私たちは本当に幸せだ。
そして最後の一人はS組団員であり、なおかつユースクラスへの上進を決めているスタイリッシュなボーイアルト。
私は昨年のレポートで「様々な幸運と巡り合わせの良さでセンター位置上段やアルト最右翼の一番良いポジションで歌うことが多く、テレビや大規模ホールでの出演とDVD、CDなどの記録を通して常に歌い姿やMCを私たちに見せてくれたように思う。」と書いてすぐに反省した。「様々な幸運と巡り合わせの良さ」という失礼な言い草はなにごとであろう!現在もなお、必ず毎回のステージで心を尽くして歌い、日々の厳しい指導もあろうがへこたれずMCを繰り、「もういいか。頑張って歌ったよナ。俺はもともとこの程度だから。」というボーイアルト人生の終結を自己には決して許さず、腕が折れても声が変わり始めても彼は与えられた全ての出演に全身全霊で歌い続けてきた。たぶんあなたが来週コンサートを打つ興行主で、彼を慮って「大変だったら6年生は出なくてもいいんだよ。お家の方と相談してみたら?お休みしても怒らないから。歌える??」等々慰留してみたところで彼の返事は最初から1つに決まっている…「必ず出演して歌います。」だ。おそらく、毎週の練習にも家での練習にも手を抜くことは無いのだろう。声が落ち始め、身体に変化が見え始めてから1年間のステージでの姿を見てさすがの私も目が覚めた。これは「幸運と巡り合わせの良さ」などでは決して無い。彼のたゆまぬ地道な努力を周囲の人々が澄んだ目で真摯に確信を持って見遣り、敬意をもって評価しているからの非常に高い尊いポジションなのだ。たからといって壮絶な少年合唱団人生を期待してS組の下級生らに彼のことを尋ねてみてたところで、たぶん「優しいし、オモシロい先輩だよー!」としか言わないだろう。これが彼の魅力…おそらくそういう素敵な少年なのだ。
曲集「ゆずり葉の木の下で」は、ジェンダーを意識させる作品群であるようにも思える。「モン・パパ」で彼らは「ぼうやはもらう…」と歌い出し、「パパはもらううすっぺらな給料袋を」とかかり受ける。「あおいあおい」では「ぼくたちの心のあおが…」が結びの言葉だ。詞に出てくるのは男の子。母さん、父さん…という語彙も印象的に数カ所で用いられている。これは父と母とその息子の歌集なのだ。豊中少年少女と豊中混声の委嘱作は、子供の声部(ディビジ2部の単声、ソロあり)と混声合唱の構成が前提に作曲されている。少年合唱団とそのOBの合唱では狙われているジェンダーの趣向を正確に打ち出すことができない。それにもかかわらず彼らが「ゆずり葉」に寄せるバラードを2年にもわたって歌い続けていることを、聴衆がどう評価しているのか興味がある。
今回はコンプリートの5曲をステージに乗せた。児童合唱のパートはほぼユニゾンのまま、混声のソプラノとアルトをOB合唱団がテノールで手堅く鳴らし良い響きに持って行っている。例えば、1曲目「あおいあおい」の少年たちとOBの徹底した掛け合い(「対話」とでも言うべきもの)で魅力的なのはまずOBが四部でほわんと運んでいく和音の面白さ。子供達はその上に斉唱のまま清潔で純真なメロディーをレモン・シャーベット状に乗せてさっぱりと口どけさせている。100小節ほどの長さの中に、際立って大きなアゴーギクもディナーミクも存在しない適度な清涼感を保ち聴く人の目と心もを冴えわたらせてくれている。単声だけでここまでもってゆける最近のフレーベル少年合唱団の声作りと実力の高さに気づかされた。
2曲目はデ・ラ・メアの「深く澄んだ目が二つ」で、デ・ラ・メアらしいライトなグロテスクさが上手く書かれ、また歌われていた。前の曲でOB合唱のトッピングとして機能していたボーイソプラノは、ここでは大人の声と動物解剖学的な顔部器官数を唱えるカップルゲームを皮切りにモダニズム的和声を響かせあい駆け抜けてゆくというエキセントリックな聞かせ方をしている。曲集の中で、本曲はおそらくスケルッオに相当する位置づけなのだろうか。子供達の声が規則正しいピアノのリズムに乗せて2拍子、3拍子、4拍子の間で目まぐるしく遷移する中、ちょこまか動き回る。後半、頭部感覚器への処理命令が子供達の声であたかもコンピュータのコマンドのように繰り返され、最終的に「頭が心に」考えよと唱える場面ではこの作品唯一の童声ソロが「♪考えよ」と(たったひと声のキャスティングだが、これまでのフレーベル少年合唱団の人選の中でもベストマッチで群を抜いている)歌われ、曲はアンダンテ相当のピアニッシモで冒頭に回帰し幕を閉じる。S組の声質は昨年のものから4年生メインの鳴りに変わっていて、そこはかとないお茶目な響きがスケルッオにぴったり。跳躍力もしっかりとしているし、ピッチホールドも耳の良さも手慣れた歌の手腕も感じる。
3曲目「川」。キャストを入れ替え、歌うのはA組とメゾ客演の布施奈緒子だ。このメンバーチェンジがとても良い!彼らは昨年までB組ステージで「ドレミファあんぱんまん」を歌っていた幼少年たち。幼少年だが非常に優秀なメンバーであることは前述した。合唱団はここでもそれを実に巧妙に意図的に使い曲世界を説明している。ホ長調のワルツだが、曲が同主調にスライドした途端、指導者たちの目論見通り彼らは覚束なげな歌いになり、それを「少年合唱団」らしくシッカリと持ち直そうと頑張るケナゲさで私たち客席の者の心を奪う。彼らの実際の母親のコーホートより弱冠高めの印象で歌った布施のソロも歌詞に説得力を与えかなり効果的だ。だが、驚くべきことに(子供達の声部はほぼユニゾンであると前述したのだが)、なんと声質だけ幼いまま2部で暫く曲を運んでいくのはA組の彼らなのである。後半のリタルダントから美しく愛らしい男の子らのボカリーズが漏れたあと、客席で感極まって声をあげる女性客のなんと多かったことか!合唱団はこの後の2曲からアンコールの「アンパンマンのマーチ」までA組を加えたまま歌いきり、客席の声援に応えさせる。次の「モン・パパ」でも彼らの無邪気さがまた違ったテイストで発揮されるからだ。
4曲目の「モン・パパ」はS組とOBを呼び戻し、メトロノーム80台のヴィヴァーチェ的なかなり威勢の良いテンポから最終アプローチでの130以上のアジテートまで、子供達のほぼ全編マルカートな面白おかしい声が楽しめる。谷川俊太郎だ。「川」の詞があまり「痛快」な谷川では無かったのに比べ、本曲の歌詞は図に乗って言葉遊びの谷川俊太郎らしさをいかんなく発揮してくれる。男声はおそらく混声四部の下声部をトレースし、少年たちもディビジ2部で対抗する。5度ぐらいボコンと落ちる素っ頓狂な冒頭の歌い出しや、中間部へ唐突に出現する4分の1+5拍子の立ち上がりなど、「10歳ぐらいの男の子だからこそできる」ヘタウマなのか、「小学生の男の子も訓練次第で歌うことができる」技量なのか、客席へ「どっちだと思います?」と問いかけているお茶目なスタンスが腹を抱えるほど愉快で楽しい!だが、彼らの最近の実力をあらかた承知している者たちにとって、「モン・パパ」はフレーベル少年合唱団のカッコ良さ、凛々しさ、精悍さを味わう貴重な1曲になっていた。それはまず、ボーイソプラノが本来混声合唱の女声で歌うべきパートをいくつか(かなり?)あからさまに食っていること。しかも、ママさんコーラス的な鳴りではなくあくまでも少年の歌声で。もう一つは冒頭部分の結びの「♪薄っぺらな給料袋!」に聞きとれた彼らの耳の良さと心のきめ細かさ。少年たちは事前に厳しく指導されていたのだろうか、自分たちと声を合わせている男声が「定期演奏会に毎年やってくる大人の声で歌うどこかのおじさんたち」ではなく、自分たちの心も目も耳も先達としてよく知りぬいているフレーベル少年合唱団の先輩方であることを納得した上で、旋律を巧妙に煽っている。先輩方を心底信頼しているのだ。昨年、私はOB合唱団をして「損な役回り」と同情して書いた。だが、今年は一転、「こんな小さな頼もしい現役たちに完全に信頼され、安心して声を乗せてもらえる」幸福で果報者の男たち、と嫉妬心から記しておきたいと思う。
演奏会は「ゆずり葉」に寄せるバラードで幕を閉じる。
曲集はへ長調ではじまり、下属の「深く澄んだ…」から「川」で1個下の調に渡り、「モン・パパ」で変イ長調に飛んで、最後は主調へ回帰する。なんとなくドラマチックでライトシンフォニー的なカッコ良さを感じさせる構成だ。フレーベルのあの楽しく面白い少年たちがそれをペロリと歌い上げてしまうというところもオシャレ!大団円だが歌にはハッタリのようなものが無く、非常に穏当に仕上げられている。メンバーにはユースクラスを加え、合唱団は今年LIBERA(リベラ)ばりの派手なフォーメーションを組んだ。だが、S/Aの子供達がとても熱心に練習を積んでこの日に備えてきたことがわかる演奏で好感が持てた。アンコールに「リフレイン」と「アンパンマンのマーチ」を歌っている。
ママさんコーラスとともに、日本中の少年合唱もエンタテイメントという視点から近年明らかな結節点を迎えているのだろう。地味なドレスをまといどんぐりまなこで歌うママさんコーラスがもう国内のどこにも無いのと同じように、十年一日のボウタイ姿に直立不動のまま終演まで朴訥に歌う男の子の合唱団というのは国内からそろそろ姿を消そうとしているのかもしれない。それがいかなるベクトル変動によってもたらされたものなのか、客席やロビーを闊歩する人々や彼らの鑑賞を見て感覚的にせよ会釈できたように思える一夜だった。
合唱団が本拠を置く文京区の年少人口は21世紀に入って漸増を続けていたが(現在のS組が50人規模の隊列を維持してこれたのはこのためだ)2020年の近い将来、減少へ転ずる。問題なのは、文京の生産人口・老齢人口ともに2025年で頭打ちとなり以後ほぼ横ばいの推移を見せるという統計結果(RESASシステムによる)。ゆずり葉のような団塊の世代の退出がその主な要因と見られている。団塊人口の少年期は1950年代後期から60年代。フレーベル少年合唱団の誕生が1959年であることを知れば、それが何を意味するかもはや明確であろう。「観客を喜ばせる合唱の終焉」の夥しいひたむきな「観客」こそ、自身もまた少年少女時代、児童合唱を身近に聞きながら育ってきた団塊以降10年の人々なのである。だから、彼らは高度に音楽的で技巧的にもきちんとまとまった秀麗で確実な児童合唱を聴くよりは、ある程度子供らしい不器用さが残り、上手くいかなくても頑張って歌う健気な少年たちの合唱を聞き、歌い姿を眺めることの方がずっと大切なのである。それはとりもなおさず、自らの少年時代の大切な大切な思い出を、男所帯でやんちゃできかん坊そうでふとした時に仲間を守ってやったり無垢で優しげな眼差しを向けたりするフレーベルの子供たちの歌い姿へ見ているからに違いない。合唱団は5年後を見据えて早々とそうした観客を喜ばせる合唱から大きく舵を切った気がする。
フレーベル少年合唱団は団塊でも団塊ジュニアでも老人でもない聴衆にさえ、この長きにわたり心和ませる数多の至福を与え続けてくれた。だから、今日はT.フリードマンの安らかな美しい水を湛えた井泉のような言葉を彼らに贈り拙文を閉じておきたい。Thank you for being late…遅刻してくれて、ありがとう。
フレーベル少年合唱団第57回定期演奏会
2017年8月23日(水) 文京シビック 大ホール
開場 午後6時 / 開演 午後6時30分
全席指定2000円
「合唱界」東京音楽社1966年4月号(Vol.10 No.4)の表紙になったフレーベル少年合唱団A組
(1966年当時、少年合唱に特化された別巻「合唱界ヤング」は創刊の4年前だった)
写真は同年3月2日イイノホールで開催された「ろばの会特別公演/宇賀神光利をはげます会」のステージ。合唱団はこの日、ジュニア(のちのJ組)・B組・A組(現在のS組にあたる)を演奏会へ送り込んだ。1ヶ月後、写真の少年たちは、前年度から準レギュラーをつとめるNHKテレビの番組「歌のメリーゴーランド」への出演を続けつつ同局の日本少年少女音楽祭に出演しオンエアされる。
今の団員にも通っている子がいるらしい学校の1年生だったころ、私は先生から「イエスさまの話に出てくる『癒す』というのは病気を治すという意味ではありません。罪びとを許すことを『癒す』というのです。」と教わった(イエスの時代にはこれが神をも冒涜する極めて重篤なプロテストだったのである)。この話がにわかに我が身の出来事へと転じ、信憑性を帯びて落涙させられたのはフレーベル少年合唱団第57回定期演奏会パート3のA組『楽しい童謡を集めて』の「ちいさい秋みつけた」の3番のソロを聴き終えた瞬間だった。
歌っていたのはMCに構音などの点で努力し続けていると思われる団員で、このときも十分なブレスが採れているとは言い難い仕上がり。だが、実に澄みきった、苦しいほど甘く、薄皮の剥けたように美しい歌声だったのである。リキみや色のついた技巧からは永遠に程遠い。正しい聞き方ができなくなっていた私。欺瞞に満ちた誤った目と耳。その男の子の歌声が真の意味で私を「癒し」てくれたことに気づいた私は心から慚愧の念に苛まれた。この団員の、向こうに青空の透けるような鼈甲飴の歌声は私を静かに諭し許してくれたのだった。いったいどうしてこんなにも目の曇った一人の聴衆を静かに諭すように許してくれたのだろう?どういう心根を持つ子だけが人心を浄める歌を無心に歌うことができるのか、客席にあった人々なら看取できたにちがいない。プログラムの望月先生の文面にもある通り、サトウハチローが東大の裏手に住んでいた頃、自宅の庭の櫨(ハゼ)の木を見て書いたのがこの「ちいさい秋みつけた」なのだが、現在この木は文京区レキセン公園の、少年たちが毎年クリスマスで歌うメトロMと後楽園駅舎の前に移植され真っ赤な大樹へと成長している。つまり、本日の演奏会場の横にこの木は現在も植わっていて、彼らの歌声を聴いていたというわけなのである。TFBCでは1973年の初発のLP化(当時はVBC)から10年後の番組『天使のハーモニー:秋の歌を集めて』(この年の春はまだ半蔵門のFMセンターが落成していなかったので前半は太平スタジオなどで番組レコーディングを行っていた)を経て、ライブではアルト系のソリストたちの独壇場ともなっていた作品である。だが、2017年現在のTFBCにはかつてのひたすらで頑張り屋で、美しい日本語で織りなす心の震えるような「ちいさい秋みつけた」を歌う条件が揃っていない。選曲者に全くその意図が無いのはよくわかっているが、フレーベル少年合唱団のしかも年齢構成上は下位クラスという位置付けのA組の子供達が同じソロ入りでこの曲を美しい澄んだ天真爛漫さを感じさせる歌声で奏でている。彼らA組の歌声は、かほどに聴衆の心を和ませてくれた。同様の選曲傾向は実に前半パートへごく目立たないように織り込まれていて、パート1の「おお牧場はみどり」はTFBCの定期演奏会のオープニングナンバー(フレーベルの定演ならば『団歌』に相当する)であり、A組はパートエンドにFMのアンコール定番(フレーベルの『アンパンマンのマーチ』にあたる)の「気球に乗ってどこまでも」をご丁寧に同じハンドクラップ入りで歌っている。どれも定番の曲であるがゆえにTFBCがTFBCとして歌うチャームを留保しかけている作品たちであり、片やフレーベル少年合唱団の子供達はフレーベルらしい魅力をたっぷり見せつけながら歌声によって場内を席巻した。なかでもこのA組は数年前から非常に人気が高い。毎年、定演終演時に回収される観客へのアンケートの「各パートはいかがでしたか?」の問いに、A組単独出演の「パート3」の「良かった」へチェックを付した人は、ここ数年ダントツの多さだろう。「かっこかわいい」「うまキレイ」という日本の少年合唱特有の魅力を兼ね備えた大人気者集団である。昨年度まで頑張っていた超優秀&全員美男美声の団員たちがS組に上がった後、これまた注目株の才色兼備の子達(ビッグマンモスのノンノン君に似ている団員さんとか、大きな口を開けて歌っていた前歯の無かった子とか…)がB組から上進。春頃はまだゴタゴタしていたのだが、あっという間にチームのパワーは恢復した。A組のステージ上の人気の秘密は、実はソリストたちの歌い終わりの挙動を見るとよくわかる。4年前まで、フレーベル少年合唱団のすべての独唱者は、曲中、ソロパートを歌い終えるとすぐその場でお辞儀をして隊列に帰投していた。団員が頭を下げるものだから、お客様は曲の途中であるにも関わらず拍手をする。ジャズのソロ・フィーチャーのイメージがあって「嫌だ」という人もいた。合唱コンサートの習慣ではないのである。現在の指導陣になってから、フレーベルのS組はこれを通常の「1曲終わって、担当したソリストを前に出すか指揮者が指し示して客席の拍手を求める」というかたちに戻した。だが、A組はかつてのあの習慣を一部分だが残している。長いことフレーベル少年合唱団を聞いてきた観客を意識しているのだと思う。現在のTFBCが見舞われている在りようをフレーベル少年合唱団もかなり長いこと体験して今日に至っている。だがかつてのフレーベルにあって、ライバル合唱団が持っていないものは、この「長いこと聞いてきた観客を意識する」ことだと思う。現在のA組は定演レパートリー的にも安定志向が続き、お客様の好みを考えて、あれこれと極端に盛ることをしない。また、本定演の後に彼らが出演するとしまえんの「秋のアメリカンフェスティバル」やトッパンホールの「湯山 昭 童謡トーク&フレーベル少年合唱団コンサート」で演奏される演目を誠意をもってここで歌っている。
今年もA組演目の中心は「ろばの会」の時代の曲群で、「歌のメリーゴーラウンド」は、後半背後に並ぶOBの先輩方が出演していたNHKテレビの番組テーマソング(フレーベル少年合唱団は、1967年12月末の公開収録の最終回まで出演してこの歌を歌った。番組は当時既に録画編集での放送・再放送だったため、公式には翌年の春までオンエアされている。)。「青い地球は誰のもの」は「70年代われらの世界」のテーマ。「気球に乗ってどこまでも」は昨年の「夕日が背中を押してくる」に相当する1974年のNHK全国学校音楽コンクール課題曲のA組向けチョイスである。「歌のメリーゴーラウンド」のピアノ伴奏がかつての伴奏譜へ後奏まで忠実だったのが感動モノ!
今年の大当たりの一つは、このA組のアルトパートだった。パート5まで大活躍!たとえ出力にムラがあっても、彼らのチームはしっかり少年合唱団として機能しきっている。ソロのオンパレードだった57回定演…ソリストたちの起用は昨年のA組ステージが引き金になって巻き起こった嬉しい現象だと私は見ている。今回の定演でもA組のプチソリストたちは既に多くの観客から顔を知られているほどだろう…というか、ほぼ全員がソロを取れる実力の持ち主であることを私たちは再認識させられる。本定演中で一回だけ、アルトソロのスタンバイ時に立ち位置を後方修正する指示が出たのだが、真摯な彼はこれをパワーセーブの指示と曲解して歌っていた。小学生の男の子をソロで歌わせるという指導の難しさや苦労、それゆえに垣間見える子供の心の柔らかさを感じた微笑ましい美しい場面だった。定期演奏会を終えた団員たちが、大挙してS組へと上進してくる(そして、ベレーのかぶり方が現在に比べてどの子も格段にカッコ良くなる!)。彼らのパワー・マックスな歌いぶりと対峙する現S組の先輩方が、秋以降どんな立ち回りで一段階昂進を遂げるか今からとても楽しみだ!
パート冒頭にはお約束の「美男3人組のナレーション」で客席をドンっ!と沸かす。続く「犬のおまわりさん」は、ソロをかまし、小学校低学年の男の子が歌うにはかなり手の込んだアレンジ。「さっちゃん」は適所にリタルダントを効かせ、彼らにしか出せない魅惑のハーモニーを創出した。そして「気球に乗ってどこまでも」のA組アルトの安心感。今年もジャスト15分間の演奏時間が心憎い。プログラムの団員名紹介も添えられた掲載写真のイメージも、A組団員がフレーベル少年合唱団の基幹を占める員数である現状をさりげなく示している。
演奏会全体の構成は、前年・前前年のプログラムのいいとこ取りの折衷プランだ。まずインターミッション前の3パートは時間配当・演目の選択傾向も含めた昨年度の演目のデジャブ+プラスアルファで、後半の2パートは一昨年の構成パターンによっている。時間配当はパート4とパート5を合わせ、オーラスのアンコール「アンパンマンのマーチ」を含めずに60分間強という正確な数字をはじきだしていく。後半の1時間のうち、三分の一にあたる20分間は、野本先生のマイクでOB会長とゲスト信長氏とのトーク、先生方による「ゆずり葉の木」の朗読が占め、歌は歌われない。特にパート5は、本年度の全国学校音楽コンクール小学校の部の課題曲紹介番組といった趣のものになった。さらに、残りの三分の二にあたる40分間の中にはOB合唱のみの演目が2曲含まれるため、子供達が歌うのは30分間。「年間活動報告の演奏会」と銘打っているが、S組・A組・両チーム混成それぞれのパフォーマンスは後半、レギュラー営業の出演時間(例えば六義園の野外コンサートなど)と全く変わらないことがわかる。
SA組を配して聞かせた「団歌」の後、A組らしいシャープで迅速な撤収があり、S組がアカペラでムシデンを聞かせ、続いてウェルカムMCを流し込む。このあとアップテンポなイメージのナンバーの日本語版を3曲積んでいくという昨年、一昨年のフォーマットを踏襲した。「おお牧場はみどり」はソプラノ系オブリガートを明快に聞かせ、「歌の翼に」から「流浪の民」へ流す当日ここまでのS組(25名を僅かに割る人数なのだが)は、木漏れ日のようにブライトで軽快なタッチ。「団歌」に聞こえたA組低声のシャイニーな明るさ。ワルトトイフェルくんたちのこなれたアルト。どれも「少年合唱団のコンサートにやってきた!」という客席のワクワクの感を裏切らない。100点満点の設定であれば、250点を付けたいハマリ役のMCが後から後からマイクスタンドの前へとかっこいいユニフォームの姿を見せる。part1の短い15分間が、どうか永遠に永遠に続いてくれたら良いのにと、無理を夢裡へと頼む自分の理不尽さに気づく。「流浪の民」は2017年に入ってから基本のソロキャストをキープしつつ、様々な舞台で試行が繰り返された。大メインの「慣れし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり」を6年生と5年生の2名のソプラノ「トップソリスト」がステージごと毎回交替しながら競い合うように勤め、客席を魅了してきたのである。フレーベル少年合唱団は今年、4・5・6年と各学年に経験も研鑽も豊富な超弩級のボーイソプラノソリストを擁し、6年生ソプラノには今回の「流浪…」を歌い上げたドラマチックで豊満な声のソプラノソリストと、内面性の強い表現とコロラトゥーラな素材が一人の少年の中で鬩ぎ合うという絶妙な味を持つ昨年「美しく青きドナウ」の高声を担ったソプラノの2名の少年を配している。プログラム文面にもある通り、今回のpart1の目玉商品は彼らをはじめとするソロの横溢なのだ。「なかでも一番好きな団員たち全員のソロが聞けた」と休憩中思わず小躍りした観客もいたに違いない。ソプラノ6年の頂点にいるのは、6年前まで六義園などで観客としてお兄さんがたの歌声を聞いていたクリクリ天パーの男の子。…その後、優しく愛らしいMCの代表選手となり「客席の小さな男の子」はついにフレーベル少年合唱団を代表する色艶のついた気品のある声を繰る高評価のボーイソプラノ・ソリストとなった。長いことフレーベルを応援し続けてきた観客にとって、彼は客席の中からデビューし、様々な困苦と戦い、練習を重ね大輪の花を咲かせたわたしたちのスーパーヒーローくんなのである。
年長さんと小学1年生のB組のステージは昨年まで「練習の成果発表」を標榜する、彼らの日々の練習ぶりを見せるステージの位置付けだった。だが、今年のパート2にはそれをうたうキャッチフレーズが存在しない。いきなり「ぼくらのともだちアンパンマン!」と、株式会社フレーベル館を代表するエンターテイナーの格付けである。こなれたMCは昨年同様。今年のB組ステージは団員構成にもよるのだろうが、昨年までの2年間に積み上げたスキルを踏襲しつつ軽く凌駕して、客席を楽しませる舞台へとランクアップした。1曲めは「ドレミファアンパンマン」を使い階名唱のスキルを聞かせ、これにコダーイシステムのハンドサインを添えて客席を魅せる。彼らのうち、さらにレベルの高い子は手慣れたタッチメソッドで鍵盤ハーモニカを立奏した。しかも仲間の歌声を生かすため呼気をコントロールするという達人ぶりである。「練習の成果発表」というファクターは表には出てこないが、彼らの練習ぶりがわかる演目なのである。
B組の2曲目は「アンパンマンたいそう」。プログラム上は「フレーベル特別バージョン」とうたわれているが、驚くべきことにこれは2014年7月に東北大学川内萩ホールでS組の先輩方がNHK仙台少年少女合唱隊との合同演奏フィナーレで歌った「仙台演奏旅行」限定版なのである。基本的には、本定演の会場のチリ沈めで流されていた「やなせたかしのうた~アンパンマンのマーチ~」(日本コロムビア COCX-38573 2014年)に収められているドンカマで始まるピアノ伴奏バージョン…つまり「オーケストラバージョン」(もしくは「カラオケバージョン」と記載されているものもある)では無い方のトラックをベースにしたものだ。ディビジ2部合唱で、フレーズエンドにもたたみかけの声部がついている。途中に入るセリフを言い終えないうちに手の込んだスキャットへ歌い繋ぐという、ちょっと厄介な場面がコーダに控えている(横山潤子/池田規久編曲)。
冒頭の「アンパンマーン!」のシュプレヒコールの後、逆付点のハンドクラップ、あまり一般的でない無声破擦音のスキャットなどが矢継ぎ早に入り、コーダでもこれを繰り返して「ヤッ!」と叫んで終わるというポイントは同じだが、3番レフの後に団員たちが「アンパンチ!」という呼号をあげ、続いてpfに乗せ、「暴力チーム」「はみがきチーム」「てんどんまんチーム(てんどんまんは、テレビ版アンパンマンの記念すべき第一話登場キャラ。そのためか、当演出の初演でこのチームを担当したのはワルトトイフェルくんと豆ナレーターくん達だった)」などの組でセリフを叫び、アンパンマンの主要キャラクターを総ざらえして聞かせるという輝度の高い演出を仕掛けている。仙台ではNHK仙台少年少女のかわいい隊員たちの手を借りながら、文字どおりステージと客席が一体となった華やかなフィナーレへと導いていた。その後、定演の報告会でもこの編曲版は歌われず、筆者がもう2度と聞くことはないと諦めていた演目である。今回の演唱が仙台のものとハッキリ違っているのは、ばいきんまんに「はーひふーへほー!」と登場のセリフも叫ばせるなど、セリフを言わせっぱなしにせず、それぞれの言葉の前後に必ずB組団員たちの子供としての心の声でそれぞれのキャラクターの決まり文句を叫ばせるという趣向が盛り込まれた点。一例として、はみがきまんチームの本来の言葉は「みなさん!毎日歯を磨きましょう!」だが、周囲の団員らに「はーい!」と元気でやんちゃな返事をランダムにさせているのである。私の周囲の客たちはこのシーンの秀逸さ、湧きたつようなシズル感の高さに息を飲んでいた。一方で「ばいきんまんは…おまえだッ!!」という演出上の台詞を聞いて怯んでいた観客の存在を私は感じた…実は「お前!」というのは、ばいきんまんのお約束中のお約束のセリフであり(彼は基本的に人称代名詞としては「俺様」と「お前!」という語彙しか発しない)、今回新たに施されたこの演出が、アンパンマンの作品世界を誠意をもって忠実に再現したものであることがうかがい知れる。結果的に曲の尺は、4分間となった。通常、未就学児の男の子が隊列を整えたままdiv.合唱で歌いきれる曲の長さではない。仙台でこのバージョンの「アンパンマンたいそう」を歌った団員は現在7名ほど在籍中だが、いずれも6年生以上の少年たちだ。同じものを6歳の男の子20名が歌いきり、1000席へ埋まった観客を狂喜させる、しかも無条件にカッコかわいく愛らしい。客席は彼らの可愛さに発狂寸前、テンションマックスのまま完膚なきまでにノックアウトされる。ばいきんまんが目を回しながら空の高みへ吹き飛ばされるときのあの状態である。昨年定演でB組団員全員の上に見え隠れした、きつく締まった「教え込まれた」という感じを今年のパート2のステージから受けることは結局無かった。こんなに上手くいっている最年少クラスでさえ、昨年の出来栄えをさらに上まわる研鑽でエンタテイメントを仕掛けてくる…だから、今年も書かざるをえない…「おそるべし、フレーベル少年合唱団B組!」。
幕引きしたパート3のA組の背中をてんつきで見ながらカミ手袖より入場するS組は、飛んだり跳ねたりが可能な思い思いのスタイル。プログラムに掲載されていない(事前にチケッティングのフライヤーでも予告されていない)2017年9月27日にAAC一般音声配信が開始された「PRIDE(プライド)」(*)のダンシング・パフォーマンス(動画配信は同10月5日開始)が行われた。「ダンシング」と書いているのは、彼らがレコーディングに参加したオリジナルのPA音源をバックに踊ってくれたため。動画サイトでは口が動いているが、音声は編集もの。唯一とも言えるフレーベル少年合唱団だけの一般向け生演奏は17年6月24日の六義園ライブが貴重な機会であった。当日のS組出演団員は20名ちょっとのコンパクトな隊列だったが、メインストリームの少年たちが、トップソリストらの牽引するソプラノと出所の明確なアルト側の声で「PRIDE(プライド)」を歌ってくれた(当日の曲紹介のMCも、ますますカッコ良くなったはに丸くん!)。
57回定演で遭遇した驚愕の出来事の一つは、このダンシングのS組団員たちに私服を着せたこと。合唱団にはTFBCのような通団服が存在しないため、ステージを下りた出演団員たちを部外者が見分けることは難しい。日常の子供たちのイメージはまったく想像できないため、彼らの普段着姿は観客にとってビジュアル・センセーションに近いものだったのである。私の記憶では…少なくともこの四半世紀間、フレーベル少年合唱団のS組(旧A組)団員がおもいおもいの私服(TFBCが3年おきぐらいに定演で打つ私服ステージで着られているものは、一見してわかるように「かなり厳格な審査ルーチンで許可がおりた私服」だけである)で定期演奏会のステージに登場したことは一度も無かった。これは今春出演のオペラ『トゥーランドット』で茉莉花を歌ったときの「一人っ子政策の男子小学生たち」を思わせる(今回のトゥーランは改革開放路線以降の現代の北京を描いた設定だった)持ち込み普段着的な衣装を報告的にイメージさせる。企画を担当されたかたの頭の中にあったのは「制服で踊らせるわけにもいかないだろうから」ということだけだったと思うのだが、この企画は結局、合唱団の歴史を作った。定期演奏会で録音を利用したケースは、僅かながらあったと記憶するが、服装についてはド肝を抜く出来事だったのである。ただし、収録動画ではおそらくスポーツブランドのロゴなどが目立つ服を事前にセーブし避けているため、子供達はデイリーユースな本当に各自の肌色にフィットした服を着用しているとは言い難い。当然の判断なのだがちょっと残念である。
ステージの最前列センターに出て、キラキラと輝くように元気一杯踊っていた団員は、イントロダクションの嚆矢MCをブライトな口上で担当した少年だ。彼の立ち位置の周辺はパッと光明が差したような明るさだった。この子の踊りは溌剌としたシズル感と爽快感とに満ち、客席の私たちのもとへ元気と勇気と希望を届けてくれた。団員は昨年の定演の開幕MCへ、所属年限の長い団員の登壇と抱き合わせに「少しがんばって勉強してほしい子」の一人として指名されていた。実際にも言い澱みがあり、セリフの出来栄えは100点満点とは言い難かった。2016年の秋口まで、彼は子供臭い感じのする冷たい目をした小さな団員の一人に過ぎなかった。だが、何が起きたのだろう!?2016年12月24日のクリスマスイブ、私たちはテレビの画面の中へ、フレーベル少年合唱団の紺ベレーに手を後ろへ組み、楽しげに生きる歓びとばかり歌っている「見たこともない」素敵な一団員の姿を認めて仰天した。…「この子は誰?」という疑問が「これが、あの子なのか?」という驚きへと変わるのに少しだけ時間がかかった。別人のように輝いていたのである。番組はANIMAXクリスマスパーティー2016。彼はこの日、中間挿入された「アニメ・クリスマスソング・メドレー」のトリとなる名探偵コナンのWinter Bellsを出だしのシャープなソロできちんと牽引した。ソプラノ側へずらりと並んだベテラン5年生団員たちを差し置いて(かれらは週末にバレエ「くるみ割り人形」の出演を3ステージも控えていたのである…)、S組からの唯一のフィーチャー・ソリストである。私たちはこの日、少年合唱団を応援する者の歓びともいえる一人の少年の転生を見た。オペラ「トゥーランドット」の動きの多い演技でも彼の演唱は光っていた。57回定演で、この団員が最前センターを占めたダンスパフォーマンスを観客は忘れないだろう。定演を企画された方々が、当ステージを組んでくださったことに心から感謝する。彼は定演が終わった今もキラメキながら歌っているからである。こういうことを見てしまうと、私たちは団員の実力を絶対に値踏みしてはいけないと痛感させられる。公開動画(YouTube教育芸術社チャンネル「PRIDE(プライド) 振り付け動画」)で実際に歌っている参加メンバーはアッ!と驚く人選のわずか11名の顔ぶれだが、彼はここでもウエアをさっぱりと楽しげに着こなし良い表情で溌溂颯爽と踊っている。何よりも編集された動画中、唯一の寄りのソロ・ショットがこの団員のものだったことは嬉しい必定であった。
「流浪の民」のトリのソプラノ独唱をスタンドインで担当する5年生の団員くん。浅黒い顔で、ステージ上にシャープな表情と居住まいを見せる。それでいて、どこかお茶目ハンサムな雰囲気も漂わせ、女性ファンも多いようだ。この年代の団員たちは昨定演が終わってから一斉に眼鏡使用になった。ふっとした時にヤブ睨みを見せていた彼もその一人。もう一つは全力を放出すると、顎が上がってしまうこと。「PRIDE(プライド)」のステージは実に捨てがたく観客を満足させるものであったが、たった1点だけ後半の部に荷物を残した。S組メンバーの体力を少しだけ奪ったのである。お茶目ハンサムくんの顎は後半上がりっぱなしだった。(A組の弟君も全く同じように顎が上がるので、可愛いすぎて、お客さんたちメロメロです…)
今年のOB合唱はメンバー構成を維持しながら、声の構造を上手に利用して少年合唱団のOBらしい気品のある合唱に仕立てている。パート4のステージで披露されるOBのみの演唱は冒頭「風になりたい」と中間の「ふるさと」の計10分間弱。フレーベル少年合唱団の老功なOB合唱団は2年前から定演に曲数で挑まなくなった。良い歌ならばたとえ短くとも聴衆は十分満足し、息を呑むような感銘を受け家路についてくれることを確信したからだと思う。
今年はそのポリシーに従って「遥かな友に」をメインイベントに再選しS組に歌わせ、声を添えたが、悔しいことに現役へオイシイところを全部持って行かれた。現役S組がすごく良い子達で、指導陣の少年たちへの対峙に一分の隙も無かったからである。昨年は成人の半分にも満たないA組に。今年はS組に。…だからと言って小・中学生をチカラワザで組み伏せようものならあっさりと「大人気ない」の誹謗がくだる。現役時代はあんなにカッコかわいく(?)旧制服の着こなしもそつなく天真爛漫な少年たちだったのに…フレーベルのOB合唱団ってホントに損な役回りなのである(涙)。
おそらく定演を夏休み中に移動させたことで稼いだリハーサル時間の余裕を味方に、パート4以降のSA組は少なくとも今世紀に入って以降見たこともない派手なフォーメーションチェンジをステージ上に繰り広げた。ここ数年、日本の児童合唱団のライブステージは曲ごとのフォーメーションチェンジ・メンバーチェンジが野放しな大流行のトレンドとなっている。素材だけで(もちろん、徹底した指導とそれに呼応する少年たちの頑張りで)十分勝負できている彼らにとって、これが果たして流行追従ではなく、必然性を持つ有効な意味のある必要なターンオーバーであったかどうかはお客様がたからの妥協のない評価に委ねるとして、9月から最上位クラスの即戦力として進級するA組団員の諸君の実力を思い知らされた隊列配置だった。
後半パートの「群青」では今年も幸せなことに低声アルトの歌声が聞けた。
5年ほど前の私は、ワルトトイフェルくんをして真の意味での「日本一のボーイアルト」と書いた。当時、それは正しかったのかもしれないが、2017年夏の私は自省の意味を込めてこれを以下のように訂正する。相貌は合唱団のカッコいい兄たちとなったが、現在のワルトトイフェルくんこそが日本一のボーイアルトなのだ!と。フレーベル少年合唱団は昭和時代の半ばから今日にいたるまで中学生の団員を小学生と同じユニフォーム着用で、小学生混成の隊列のままステージに送り込むという長い長い伝統を持っている。定期テストの期間には『休んでも叱られないかな?』という特権(?)を除いて、彼らは小さな小学4年生と同じ部屋で全く同じ練習を受け、卒団まで同じクラスに所属する。彼らの役どころは「下級生の世話」ではなく、待遇もボーイソプラノの合唱団の普通の一団員というところにある。実はワルトくんのステージ衣装は本年4月から長パンツに切り替わったのだが、そのことで逆に見えてきたのは、中学生以上の団員が、自分の半分の背丈ほどしかない小学生と全く対等に同じステージに立ち自分の歌を伸ばしていくというフレーベルの愉快痛快な伝統が今もなお連綿と続いているということであった。ワルトトイフェルくんは辛そうだった過去を超えて今、その楽しい伝統の陣頭の第一線にいる。日本一のボーイアルトなのである。日本中の少年合唱団で歌う中学生以上の団員とは明らかに違う次元に彼と彼らはいる。
ワルトくんのこの声価を印象付けたのは、2016年9月14日にNHKホールで行われた「三山ひろしコンサート2016in NHKホール」のハイライト「貴方にありがとう」だった。
ソプラノ側が比較的経験の豊富な5年生以上中心のS組メンバーを揃えていたのに対し、ワルトトイフェルくん従えるアルト側ではS組団員が4年生以下の4名だけで、近傍の子らはもちろんのこと、あとはほぼA組9歳以下(!?)のクルーを従えて歌っていたのである。疑いようも無いド演歌だ。だが、この日のアルト側の少年たちは全員、号泣の中を歌いまくる三山ひろしを目前に、男も惚れる歌いっぷりをNHKホールに繰り広げた。老練の歌いのワルトくん、命の絶唱とばかり歌いあげる美白男子くん、幼美少年という形容がピッタリの小さい秋みつけたクン等々…当日、「三山ひろしコンサート2016」のアルト・チームを値踏みしたような愚か者は人間の皮をかぶった悪魔と断じてかまわないと私は本気で思っている。そしてA組アルトとも対等に全く同じ目線で一心不乱に歌っていたワルトくんの団員として生き様に私は今日も元気と勇気をもらうのである。
最後におなじみの団員たちの姿を見ていこう。
本年度のS組には上進の日を一日千秋の思いで待ったであろう特別な子供達がいる。昨年の晩秋の終わりにようやくS組入りを果たした少年たちだ。正直なところ、昨夏までA組の下積を延長中の彼らがステージ上に見せていた表情は、非常に固く冷ややかな、どこか諦観を感じさせるきびしいものだった。私たち観客も「この子たちって、しっかり歌えているはずなのにどうしてまだS組に上がれないの?」という目で見ていたのかもしれない。彼らを含めた以降の団員はあたらしい指導陣で「テストを受けて15名だけ入団審査に受かった」子供の一部隊。ご存知のようにそのA組にはソロを担うたくさんの後輩団員たちも群れていて、通常は4月に上のクラスへ上がるはずのオアズケ状態の彼らを下から押している状態だったのだ。これは、昨年度、定期演奏会の開催が夏に変更され、通例春先に実施される上進が秋の終わりへと後送りされたためであろう。今回、もうすっかりS組メンバーの顔つきになっていた彼らは、開幕の瞬間からきらきらと輝くような良い表情で歌い、私たちを心底安堵させた。もともとどういうわけか全員がもれなく「美男、美声でステージ姿もこなれている」このチームは、「流浪の民」のソロなどで早々に各自の顔見世を終え、実力を見せつけた。B組時代からMCの気持ちの良さで客席をメロメロにしていた少年たちでもある。長身のソプラノくんは、かつてのカルメンくん(栗原先輩)をイメージさせる声のポジション。小さい子たちを見下ろす彼の慈愛に満ちた柔和な表情は、確実に私たちをノックアウトする。また、PRIDE(プライド)の配信動画でも最高のポジションで記録されている(細かい振り付けがある「涙を流すたびに笑顔に変えてゆくよ…」の部分の動画は彼をセンター・メインにして編集されている)ほどの技量の高さだ。メゾのベルーガくんは心からハートウォーミングで人々を幸福にするような歌声を嗄声+口形のベストマッチで安定出力してくれている。歯切れの良いMCで活躍することの多い印象の彼も、歌の方はそれを数十倍も上回るヒップなクオリティー。歌っている姿も、ときおり見せる笑顔も屈託がなくて素敵。心の憂さや冷たく凝り固まった困苦を一瞬にして吹き飛ばす温和で至高のプレゼントとも言うべき彼の歌声は、おそらくフレーベル少年合唱団最高の宝物だろう。どの子も「半年も待たされたからこそ強く、くっきりと輝いた」と思わせるS組新団員たちである。彼らのショーアップは今回の定演の必聴ポイントの一つだと断言してよい。
さて、あの愉快な低声系4人の団員たちは、今年どうなったのだろう。隊列の右側にいることは変わりないが、2人はメゾのライト寄り、2人はアルト高声の最右翼に揃って肩を並べている。どの子も合唱団に無くてはならない少年たちで、高学年男子らしいカッコ良さと利発さを身につけた。一年を通じソロやMCで大活躍し4人ともすとんと声が落ちついた。はに丸くんが一番コンパクトに見えるが胸板があつく、引き締まった四肢に共鳴する声を持っている。「ハンサム」という語彙がぴったりの声質はでしゃばることなく、コーラスの中でリリックに響いている。だが、六義園などで間近に見る彼の姿はまだ十分に華奢で、可憐な少女のようだ。この身体からあの人々の心を射る「ありがとうございました!」の声が出ているのかと思うと感動する。昨年の「青きドナウ」の後、プロの舞台監督率いるスタッフが整音したはずのコンソールをあっさりとハウらせたはに丸くんの声の音圧は話題になった。ペアを組んだソプラノくんのバミリは当夜それでも微妙に前へ出してあり、二人の声はバランス良く客室へフィードバックされるハズだった。2人とも1学年半から2学年分体格に猶予があり、ライバルというよりは仲良しで利発そうな印象を受ける。当時のソプラノくんはポンと声が上がるとき、味のあるメリスマがかかり、ドイツ表現主義や新ウィーン楽派の少年の歌を歌うのに極めて適していた。
この2人は今年もガンガンにソロを歌えるコンディションで定演に臨んでいるが、今年の合唱団が「どの団員もソロが取れる」というスタンスの中でキャストを組んでいるため、昨年のようなヒーロー然とした佇まいを感じさせない。大人っぽいイイ感じのする表情でsoliやナレーションを受け持っている。実力を持った堅実な歌い手に成長したとみて良い。ソプラノくんには本定演を終えた9月以降、何十年もフレーベル少年合唱団を応援し続けてきた者ですら1度も見たことが無い仰天の至福のサプライズが待ち受けている。はに丸くんは本年度から定演の終演号令を引き継いだ。沖縄ステージでのヘーシなどたくさんの実績から先生方の正当な評価を受けているということが感じられる抜擢である。
一方、昨年までの終演の呼号を担当していたカッコいい声の褐色男子くんは今年、大トリから一転、コンサートの開幕MCを担当するようになった。フレーベルのキーマンであることは、本年度のメゾ系の声質が彼のカラーでしっくりとまとまっていることを聞くとはっきりする。周囲の思慮深い下級生たちがこの少年の声の独特なトーンを支持するようなカタチで2017年度のフレーベル少年合唱団はキリリと美しく仕上がっている。その出来栄えの良さ、歌の神々しさは、自分のもらった飴を弱い者、小さい者ほど多く分け与え、手の中に握らせるような優しい心根を持つ明るい少年にしかついてこない。彼の「ありがとうございました!」の担当期間は従来のこのポジションの少年に比べてかなり長く、こちらも先生方の信頼度や評価の高さをうかがわせる。だが、ステージ上の彼は小さいころ、MC中に笑ってしまったり、吹き出してしまったり、ドヤ顔でMCを締めたりと、相当なヤンチャぶりだった。私たちは彼が出てくると「…また、何かやっちゃうよ」と楽しみにしていたものである(頼れるリーダーとなった今でもステージ上の彼は合唱に、団に、きわめてくつろいで?!歌っている)。他の合唱団であれば排除されてしまうかもしれないこういう団員を客席が支持し楽しみに応援し、先生方が信頼のもとで彼の声質へと合唱団をまとめ、開演MCという最高の役へと止揚する。人々のこうしたプラス方向への審美眼の存在が現在のフレーベル少年合唱団のすばらしい到達点の一つとなっている。
はに丸くんを向かって左手に擁し、かつてステージで見た上級生のスマートな立ち姿によって私たちを楽しませてくれているのが2番目のアルトくん。様々な幸運と巡り合わせの良さでセンター位置上段やアルト最右翼の一番良いポジションで歌うことが多く、テレビや大規模ホールでの出演とDVD、CDなどの記録を通して常に歌い姿やMCを私たちに見せてくれたように思う。また、昨年度から六義園MCへ毎回起用される彼の挙動は次第にクールで素敵な既視感を強く伴うものになってきた。ただ、やっぱり男の子だから、今はフレーベル低声部の一翼を担う自分の存在の高さ、素晴らしさや真摯さ、周囲や客席で見守り、静かに応援する人たちがおそらくたくさんいることに気がついていないような印象を受ける。お客様を喜ばせている要因の一つは、やはり声質、立ち居振る舞いなどの外見と信頼度の高い既視感。もう一つは、腕にギプスをつってステージに上がるほどの頑張りを見せるなど彼自身が持っている数々の魅力。外目には見えにくいが、おそらくこれが彼の真の姿だろう。すらりと八頭身に近く足が長くどこから見てもカッコいい!だが、MCの声からは、どこか引っ込み思案でぼそりと何かをつぶやきそうなお茶目なたたずまいも感じさせる。このギャップがめちゃくちゃ楽しい!ボーイアルトはやっぱり楽しくなけりゃ!お客様がたはきっと彼が歌っている姿を見るだけで終始ご機嫌だろう。それらのことも含めこの団員が幸せな少年合唱団員生活を送ってくれている実り多い日々を私は周囲の客席に感じ、安堵させられる。
美白男子くんと必ず肩を並べているあのメゾソプラノくん。
彼の歌い姿を一言でいい切ろううとしたら、それは「思慮深い歌を歌う少年」である。彼の声はコンサートごと、周囲の仲間たち、先輩方に合わせ理路整然と冷静に計算され、全隊に収まっている。私は最初、その吸い付きぶりに彼の声が「小さい」のではないかと訝っていたほどだ。だが、彼のいるライブパフォーマンスやレコーディングで合唱団のつくるメゾ系の音色はしっかりと地に足がついた心地のよさがあり、爽快だ。これは、彼の思慮深さ、当日の合唱に対する読みの正確さ、再現力の高さ適切さがモノをいう「賢い少年」の技だ。低くなり始めた彼自身の声質は決して陳腐なものではなく、現在の合唱団のカラーで言うと褐色男子くんに似たステキな倍音の鳴るものになっている。フレーベル少年合唱団が実は彼のようなメゾに底支えされて鳴っていることをど程の人が分かって聞いているのだろう!大活躍して欲しい!
定演で聞かせてくれたMCのキリリとした折り目正しい声を聞いてもう明らかなように、美白男子くんの歌声はメゾソプラノの醍醐味ともいうべき100点満点のレベルに達していて完璧だが、歌声には爽快な少年独特のフラッターが存在する。こうした団員はかつて隊団員一人一人の素材を活かすボイトレをしていたTFBCには一定数存在していて、先生方は彼らのピッチが安定していないのを十分承知の上で出演・収録に重用し大切に育てていた。かつてのFMの先生方には何が少年の歌声の魅力であるかが明白だったのである。「過ぎ行く時と友達」のメインクルーで卒団後BSおかあさんといっしょの「うたのおにいさん」へと大成する日向理(ひなたおさむお兄さん)や、オペラ子役としていくつもの難演目の独唱やタイトルロールをこなしTFBC最初のLPやCDにソロ曲を持っている鈴木義一郎など、その抜擢と活躍ぶりは枚挙にいとまがない。美白男子くんが客席を睨みつけて歌うのは、少年合唱団員としての日々を自らに厳しく真摯に問うているからだ。よりハリのあるボーイソプラノへ自分の歌を高めようとしている彼には、その努力を緩めようとする瞬間がなく、私たちに本当の勇気というものを教えてくれる。2017年の秋シーズンは休場続きだが、いつかきっと戻ってきて欲しい団員くんである。「三山ひろしコンサート2016in NHKホール」でNHKホールのカメラマンさん&スイッチャーさんたちがセンターフィックスに選んだたった一人の少年は、美白男子くんだった。NHKホールのカメラマンさんがたを決して見縊ってはならない!時として国営放送の有名なディレクターさんたちに、「この子をセンターにしないで何で少年合唱団を映す意味があるのですか!」と平然とモノ申すようなタイプの非常におっかない人たちである。そのカメラマンさんがたが、主演三山ひろしの真ん前に重ねて映し出す少年として選んだたった一人の団員が美白男子くんだったのは、一般販売されているDVDを見れば一目瞭然。非常に厳しく的確なプロの目。私などはグーの音も出ないのである。
最近のフレーベルの子供達は、S組の上級生でもステージ上でキョロキョロするようになった…という話を聞くことがある。観客のこの観察は正確であり、ここ数年目立つようになったというのも正しい指摘だと思う。かつての一時代、フレーベルの団員たちは終演までしっかりと指揮者を注目し続け、大きな口を開けて歌わなくてはいけなかった。だが、現在の指導体制に変わってから、彼らは発声に相応しいミニマムな口型を保ちつつ客席の様子をよく観察するようになる。自分の声が客席にどう届いているか、人々が現在進行の自分たちの歌をどう評価しているか。共演している者が今、どういう状態で演唱しているか。オーディエンスを見て声の広がりとステージ状況を判断するプロの技術を彼らは学んでいるところなのである。上級クラスの子供ほどしっかりとそれを楽しみに見届けようとする。楽しもうとしている。おそらく、そう指導されるようになったからと思う。言われた通り歌いきれば、あとはどうでもよいという権威的な歌い方はフレーベル少年合唱団から姿を消しつつある。小さな彼らは観客の喜びを自分の喜びと糧にして今日も歌っている。だから私たちは色気もへったくれも無い、やんちゃでわけのわからんことばかりつぶやいていて「お母さんから無理やり合唱団に入れられた(怒)!」と毒づく、ナマイキばかり言う彼らがどういうわけか小さなヒーローや宝石に見え、その歌声から明日の美しい夢をもらうのだ。
定演プログラムのパンフレットは総頁8カラー中綴じA4版をキープ。印刷業界ワールドトップをほこるTOPPANグループの幼児用図書・教材の会社が運営する少年合唱団のプログラムである。イケメン揃い(?!)の団員たちを活写したステージ写真がセンスよく配され、グラフィックやレイアウトもこなれていて全くソツがない。チケットの半券を握りしめ客席に収まった人々の心を踊らせるのにふさわしい内容。かなりの文書量になる先生方・OB会長の解説文は一気に読ませる心憎さである。今回は特に昨定演から当月までの活動報告や今後のスケジュールが掲載され、ステージ中に団員MCでもその内容へ触れるようになった。ただ、SA両クラスとも引く手数多でスケジュールにまったく空きのない彼らのこと、「*その他、CM録音、テレビ、映画挿入歌、多数出演」と小さく注記されているように、例えば定演翌々日にも放送があったWOWWOW/TOKYO MXのアニメ「バチカン奇跡調査官」などは合唱団のクレジットがバッちりオンエアされているのにもかかわらずここには掲載されていないし、フレーベル館が主催する公開のイルミネーション点灯式や、すでに駅頭広告まで打たれている2017年度のメトロMクリスマスコンサートなどは「活動予定」に載っていないのである。その他、非公開のものを含め全て掲載しきれないほどの出演頻度なのであろう。逆に1ヶ月後開始される団員募集についてはプログラムへの掲載を止め、フライヤーのみを継続するなどのスクラップアンドビルドも行なっている。
ユニフォームの選択はここ数年間の定演同様ストイックにまとまっている。ただ、今年のS組にはPRIDE(プライド)のダンシングが充てられており、この更衣に備えてソックスの指定が無かった。開演時、一見して感じられた上級生たちのバラバラ感はこれが原因のようだ。彼らはせっかく「採寸」していただいたパンツをあてがってもらっても、たちまちその裾は短くなって寸足らずになってしまう。初代指揮者磯部俶が「教えても教えてもすぐ声変わりしてしまう」と白旗をあげていたように今なお彼らは音楽をたくさん学びながらものすごいスピードでナカミもソトミも成長し続けている。普段はソックスが黒だから目立たないだけなのだ。彼らが黒パンツの隙間からちぐはぐな靴下を思い思いに覗かせて山台に立っている屈託のない姿を見て、私もまた磯部のように嬉しいような淋しいような気分で定演の時間を過ごすことができた。
もう一つは、似通った肌色の子が揃う地方の小学生男子の団体と違って、東京のしかも少年合唱団に通っている子供の肌の色はバラエティに富んでいて、輝くパールのような肌の子からカリフォルニアオレンジのような橙色、皮付き甘栗にベレー帽をかぶせたような男の子まで様々な顔色の子供が一通り所属してステージを彩り客席を楽しませている。制服には顔の色とのマッチングに応える色を指定してはいるが、せっかくの定演の機会なのだから途中で一度服色を変えてやる方が、お家の方々にもお客さまがたにもまた違った男の子の表情を見せるのにふさわしいのではないかと思った。
パート5をアンコール1曲めまで聞いてやはり「TFBCの近年の定演への近似」という胸騒ぎが追駆する。この拙文にもTFBCへの言及が目立つ。パート1・2・3+アルファとA組団員たちのフレーベル然とした歌いがかなりそれを軽減してくれている。アンコール2曲目、アンパンマンのマーチの前奏を聞いたときの安堵。はに丸くんの「気をつけっ!」の叫び声が揚がった時、正直なところ私はホッと胸をなでおろした。
昨年一年間、実に徹底して行われていた、「活躍の場を与えれれたら、そのうち一人は必ず《実力・経験の少ない団員》を優先枠として確保するという見えないルールは、結果的に今年の合唱団の実力をかなり底上げしている。そのために、歌えるはず、前に出られるはずのチャンスを最も立場の弱い者に譲らなくてはいけないヤリ手の少年たちの思いを私のような客席の一人ですら思ったことがある。また、進みの遅い子供に対応する先生方の心苦労や手間は並大抵のものではなかったはずだ。フレーベル少年合唱団は過去60年間にわたって、ドレミと歌わせてもド↘レ↘ミ↘と歌うことしかできない団員たち(磯部俶による)を袖待機にして歌わせないようなことをせず、諦めずどの子にも最善の指導を施してきたのである。こういう崇高なことができたのは、「子どもたちの健やかな育ちを支え、知と感性にあふれた豊かな価値を創造し、社会に貢献する」という保育・教育を支援する企業体だからこそ持ちあわせた合唱団の根本テーゼが途切れることなく生かされ続けてきたからに違いない。
*PRIDE(プライド)の動画、フレーベル少年合唱団を初めて見たという人々に尋ねてみたい…「いったい、どの少年が一番上手に踊っていますか?」。
「メゾ位置の右、グレーのプリントTに柄ドットの生成りのハーフパンツを履いた小柄でガチムチな色黒の男の子」と言い当ててくれでもしたら私は天にも昇る機嫌の良い一日だ。子供らしい詰めの甘さは皆無とは言えないが、力強く、腰が据わり、男らしい骨太のダンスを彼は踊っている。意外だという人も多分いるのだろう。通常、この団員は背丈の割にどういうわけかアルト側の後列にいることが多く、若干の構音の癖もあり、注意して曇りの無い目で見ていないと、そのカッコよさや少年らしいサラリとした艶や魅力になかなか気が付かない。ただ、今回の動画ではよく見ると右側の目立つ位置へさりげなく配されていることがわかる。
派手さ、華々しさとは無縁だが、フレーベル団員の素材としての魅力や人懐っこさを動画PRIDE(プライド)は私たちへ丁寧に見せてくれている。

フレーベル少年合唱団第56回定期演奏会
2016年8月24日(水) 文京シビック 大ホール
開場 午後6時 / 開演 午後6時30分
全席指定2000円
それはあたかも熱射に炙りあげられ、陽光と潮風とに寂れたやんばるの町外れの街路が盆のうくいの夜半、ヒッチャーに掻き混ぜられた手踊りのワラビンチャーの一群に突如席巻され、熱に浮かされ、法悦と興奮とに憑かれたままステージの上へ溢れるが如く実体化したような…。騒然、喧噪、きらびやかな少年たちとその声のとりかえしのつかない素晴らしい時間。
昨秋、ャXト3・11とNHK学コンを強く印象付ける癒しや勇気の合唱の数々で幕を閉じたフレーベル少年合唱団の定期演奏会はこの夏の終わりに一転、客席をカオスに叩き込む狂乱のステージパフォーマンスで大団円を迎えた。息が上がり、両の頬を紅潮させ、ヨハン=シュトラウスを歌っていた表情とはまるで別人に転生した少年たちの笑顔をボーダーライトのきらめきの中にはっきりと認めたとき、私たちは「歌う男の子」にしか求められないたくさんの魅力がまだ彼ら中にャeンシャルとして数多秘められていることを強く感じ、驚愕させられた。
ぴっかぴかのウラジロ、紅の大でーく!まんサージもキリリと眩しい新アンコール君+ワルトトイフェルくん。2人がウチナー・チョーデーばりのカッコ良さで「第2アルトと低い声の下級生」連合のぱーらんくーち隊を挟み、フィナーレのナンバー「とーしんどーい!」を煽り立てていく!てーくーち(太鼓隊)の少年らがステージの袖廊下からなだれ込んでくる圧巻の演出。
乱舞の渦中を横切る豆ナレーター君の黒い身体!少年らしい朴訥なバチさばきの少年たち!びんがたのウチカケ、シマ脚絆に地下たび履いて、囃子言葉に上気して。やがて始まる痺れるような指笛の挑発。生演奏のカチャーシー(唄/三線演奏:栗原厚裕)が持たらす躍動感と迫力とスピードと胸熱は、もはや観客にも団員たちにも何かを考えようとする隙すら与えない。
フレーベル少年合唱団はもう何十年もの長い間、「ステージ全面を効果的に使う」というパフォーマンスのノウハウを持っていなかった(彼らは慢性的な団員不足に喘いでいたのである)。一転、ステージ全面へ布陣されているのはA組本隊とS組の高声担当。身体の熟れかけていない高い声だけをレンジに持つ少年たちだ。襦袢代わりの白Tに合唱団ユニフォームのズボン、白クルーに白シューズ、きわめつけのビンガタの打鰍ヘ鮮やかな原色襟。グリーンが萌えるほどに美し過ぎて!文京を拠点とする合唱団所属の少年たちだからこそバシッ!とキマる着付けのカッコ良さ、オシャンティーさだ。A組アルトを頂点とする彼らの柔らかい、出し慣れた高声は実に美しい。昨定演のアンコールのフィナーレで行ってみせたこうした声の特化を今回の演奏会では冒頭のPart1から一貫して聞かせている。彼らは鈴のようにジウテーを鳴き続け、フレーベル少年合唱団が何十年も前から宝物のように持っていた涼やかで高調子の声質を響かせていった。小さい身体はステージ狭しと乱舞する。交錯するヘーシは「ハーイーヤ!ヒーヤーサーサ !」。ほとばしる無限で放埓なリフレイン。島んちゅの声とボーイソプラノとヘーシの嬌声が混じり合い、喪神し、三板(サンバ)三線のリズムを模したピアノが打楽器のごとく色を添える。
2008年3月のTOKYO FM少年合唱団第24回定期演奏会は陶冶された多くの団員らが各パートの適所に収まり終え、後のTFBCを支えて行くことになる予科生メンバーも出揃った感のある充実した演奏会だった。彼らは「ぼくらのレパートリー集」の中でも過去実力派の先輩方がソロの持ち歌にしていた作品群(「小さい秋みつけた」や「赤とんぼ」など)や力技の求められる「ほたるこい」「未知という名の船に乗り」、さらに当時のフレーベル少年合唱団の活躍を意識したとおぼしき「緑のそよ風」など、気持ちのよい明るい歌を彼ららしい明快な日本語で次々と繰り出し、客席を喜ばせている。このときのプログラムに、さりげなく、控え目に、しかし標準語訳の団員MCを添える丁寧さで「てぃんさぐぬ花」が配されていた。聴衆の評判は良かったらしく、TFBCは女声合唱版の沖縄音楽を翌年も続けて定演プログラムへ取り上げた。このシリーズの印象は「女声合唱版の軽やかさ」であり、TOKYO FM少年合唱団は結局、彼らの「沖縄の歌」をこのイメージから大きく逸脱させることは無かった。
フレーベル少年合唱団56回定演の目玉…「おきなわ~歌の国、舞の島~」。彼らが沖縄テーマの曲をとりあげたのは2003年の第43回定期演奏会でセレクト組とA組で歌った三線演奏(運天俊彦・鈴木勝己)入りの林光の「沖縄童歌<島こども歌1>」(全7曲)以来のこと(2010年度まで現在のS組はセレクト組、もしくはA組セレクトと呼ばれていた。ちなみに…翌2004年には「B組セレクト」という選抜もあった…)。最終ステージの開幕はハイ上がりでクオリティーの高いS組セレクト12名による「てぃんさぐぬ花」。だが、「島ん人ぬ宝」ではに丸くんたちが野太く鋭い少年の喉でヘーシを叫びあげ、次の「あかだすんどぅんち」でてーくーち隊の団員らがバチを牛皮に振り下ろした瞬間、文京シビック大ホールの音響設定は涼しげなボーイソプラノ向きの音場から、ドンシャリ系で湿気のあるねばっこい土着の空間へと突如変容を遂げたのだった!島尻の小夜の雨端から弱い白熱電球の灯りとともに漏れ聞こえるぺこぺことした三線の音が鮮やかに到来し辺りを席巻する。フレーベル少年合唱団は邦楽に限らず過去にも頻繁に定演へゲストプレーヤーを招聘し、太鼓など和楽器と共演のステージを持ったことがある。また、子どもたちに和装を施し古謡を歌わせた経験も持っている。今回、彼らがその穏当でボーイソプラノの演奏会然としたまとまりから一転、素晴らしい気持ちの良い逸脱を遂げたのは、彼らが昨年から客席に届いた音の変成や観客の心による声の受容を冷静に注意深く見取る力を得てきたこと、低音域のアルトパートが任ぜられ活躍したこと、選曲のャCントが昨年にも増して巧妙になってきたこと、長い間「S組予科」の地位に甘んじてきたA組が諸々の事情からステージコーアとしての魅力と実力を身につけてきたこと、そして2016年度の5年生チームがマックスの頭角をあらわしたことなど、第56回定期演奏会の随所各曲に見られる今年のフレーベル少年合唱団の見所とチャームャCントによるところが大きいとは考えられないだろうか。
本定演の見所・聴かせどころの一つである「A組がA組であること」の味わいは、チームの魅力と身の丈にあった選曲とによるところが大きい。Part5には沖縄に材をとった歌々が本島民謡からウチナーャbプ、手遊び歌、エイサーまで広範なバラエティーに富むジャンルをめぐって集められ、これをフレーベルの各チームがそれぞれの心身発達やチームカラーの魅力を効かせ歌っていくという新機軸を展開させている。
A組が単独で奏でたのは70年代ふうのテイストが濃厚にあらわれた「ゆいゆい(ゆいまーる)」だった。
この曲の出自は、プログラム4ページ目の懇切丁寧な曲紹介を読まずとも、A組のハッキリとした日本語の歌声を聞けば初めて耳にしたという観客ですらよくわかる。「♪一人でお仕事疲れるねー 二人でやるとー楽しいよー」という価値観の押し広げ方を聞いてビッグ・マンモスの歌う「火の玉ロック」や「ヒーローになれ!」の歌詞を思い出してしまった人は実は正しい。これはフジサンケイグループの子ども向け番組挿入歌の常套句なのである。この曲がゆいゆいシスターズの出演で発表された番組は、「マル・マル・モリ・モリ!」を歌う子役、鈴木福ほかの司会と歌で進行する現在の「Beャ刀v…20世紀終わりの番組名は「ひらけ!ャ塔Lッキ」。鈴木福の前代には清水優哉などハイ・キーのボーイソプラノという素材から紅白歌合戦で歌った経験も持つ子役がレギュラーをつとめていた。90年代にはTOKYO FM少年合唱団をバックコーラスに据える主題歌で放送されていた時期もある(ちなみに「きかんしゃトーマスのテーマ」はこの番組の挿入曲である)。兄弟番組の「ママとあそぼう!ピンャ塔pン」で、こうした教育効果を持つ曲を歌っていたのはビッグ・マンモスだった。A組団員たちが冒頭から叫ぶ「ハイヤ!ハイヤ!ハイヤ!ヒヤササ!」というあまりにもベタな囃子声にクスりとしてしまった観客は、それで良いのだ。低学年の少年たちが学校の休み時間に軽く口ずさんでモノを覚えるコミカルな歌なのだ。本定演で所狭しと唄い踊るA組の男の子たちを見て不覚にも(?)「かっこいいなぁ!」との想いを抱いてしまった少年合唱ファンの脳裏では、おそらくかつてのボーイソプラノのヒーロー集団…ビッグ・マンモスの姿が彼らと重なって見えたに違いない。「ゆいゆい(ゆいまーる)」の選曲のマジックと落とし所はこうした来歴にあると思う。

合唱団が開幕にドイツの名曲を聞かせたのは前述の第43回定期演奏会(2003年11月、イイノホール)以来13年ぶりのことだ。このときもオープニングの団歌をセレクト(現S組)とA組で歌いながら緞帳をあげて開演し、「ドイツの調べ」と題して7曲をセレクトだけで歌っている。今回のプログラムが、この定演の前半部分を下敷きにして編まれたことは想像に難くない。その定演を最後にフレーベル少年合唱団はあの懐かしい旧ユニフォームを脱ぎ捨ててしまったが、こんにちの合唱団に通じる道も見えた…スーパーナレーター君の記念すべきB組デビューのステージだったのである。
オープニングナンバーは「小鳥がきたよ!」。pfを休ませ、少年たちは無伴奏を味方に軽やかな声で柔和に歌っている…「♪Alle Vögel sind schon da, Alle Vögel, alle!」…「かすみかくもか」「春の訪れ」など、邦訳詞・邦題はその人々の曲に接した環境により違っていても、合唱団の子どもたちはドイツ語詞のみを歌った。アカペラの声…本年度のS組団員一人一人のカラーを小箱入りのプチガトーのように可憐なオーガンジー・リボンをかけ客席へ供した。アイキャッチなメンバー供覧なのである。
2点気づくところがあった。一つはフレーベル定演が最近あまり打っていなかったアバンの構成であること。近年の定演の開幕は団歌の後に年度リーダーの団員が口火を切るオープニングMCがあり(私は今年度の彼の本番MCが高度に安定したのを聞いて心底良い気分で開演のひとときを過ごした)、1曲目につなげるというパターンだったが、今年はそのルーチンを取らなかった。注目点は構成では無く、ここまでにかかった時間。歌い出された団歌は前奏からもったりとしてテンモェ遅く少年合唱団らしい闊達さに欠けた。さらに団歌の歌い終わりから1曲目の「小鳥がきたよ!」までは(拍手があったとしても)1分30秒間もMC無しの無為な時間が客席に流れた。昨年の定演では隊列と指揮者の整列完了が整然と行われ、歌い終わってからのA組の退場とS組の再整列、MCのマイク前スタンバイが同時。団員入場完了からMCの第一声までを今年の半分量である2分間以内に収めた手際の良さに舌を巻いた。バックステージに詰めているステージドアマンや誘導、ハンドルスタッフの優秀な仕事ぶりが窺えた。だが、今年、ステージで何か動きがあるたびに客席がしばらく待たされるという段取りの傾向は最終ステージまで一貫して散見された。観客は定期演奏会が今回少年たちの夏休み期間にあたる8月の開催に移ったことを知っていて、十分に余裕のある段取りのプローヴェが念入りに繰り返し行われた結果を期待しながら文京シビックのチケットゲートをくぐった。おそらく前日まで台風の上陸やその余波の影響で十分な段取り練習の時間ができなかったということなのだろう。
ワルトトイフェル君がもし、8年前の10月8日のステージで豆ナレーター君の隣に立っていなかったとしたら…、彼がその後長くの(少なくともステージ上では)辛苦に満ちた4年間の旅路の果てに真の意味での「日本一のボーイアルト」にならなかったとしたら…、その栄誉におぼれ「変声すればただのひと」で早々に団員人生へと幕を下ろしていたとしたら…。第56回定期演奏会のPart1に注目すべき低声アルトの隊列は無く、私たちは何も驚かず、フレーベル少年合唱団の深みを持った新味を聞くこともなく、これが旧態依然としたかつてのレパートリーの再演としか思わなかったろう。2つ目の看取は、合唱団が見抜いて与えたS組低声アルトへの血の通った評価だった。フレーベルはかねてから「今年の子どもたちを伸ばせば何ができるだろうか?」という「在団員のアビリティーに軸足を置いた指導」という傾向を持った合唱団だった。特にこの2年間、その性向は顕著であり、同時に「目に見えるカタチ」でステージ上に示されることが多い。中でも在籍メンバーの構成に味があり、あからさまに「イケメン+美声でないと配属されない」と評される痛快なキャラクター立ちのアルト(メゾソプラノ低声を含まない「アルト・アルト」)の隊列は昨年から惚れ惚れするくらいの人員配置のまま客席をも楽しませている。55回定演では美白男子君とスイッチヒッター君、新アンコール君たちというゴージャスなキャストを2枚岩でパートの境界に繰り込み、信頼の子たちをサンドイッチ状に配し、お茶目で濃さげな4人組を売りに、はに丸くんをメインへ据える超豪華で…「よくもまあ巧妙に考えたものだ…」と呆れるくらい感心させられるアルト隊が聴衆の前へ出現した!
本年度はこの路線をばっさりと整理し、隊列の中でも最高の信頼を置きたいアルトのメゾ結界にアルト4人組を縦配置。各パートへ分散されていた変声途上の6名を右翼上段のワルトトイフェルくん起点に上下へ結集させ、一見して低声を特化して効かせる特命チームを出現させた。彼らは高低の追っかけっこを丁寧に聞かせてゆくオープニングスピーチ以後の「おお、ひばり」までは徹頭徹尾2部合唱のアルトに一体化していて姿を表さない。簡易なカノンを含めた「追っかけっこ」や小津安二郎ばりの「高低パートの対話」が昨定演から続く聴かせどころの一つであることを彼らは熟知しているからだ。だが、曲がその挙動を抜けフェルマータのついた最後の8小節のコーダに差し鰍ゥると、ふんわり文京シビックの客席に低い声を響かせ始める。美白男子君(彼の気分爽快、正確明快なMCを本定演でもタップリと聞きたかった!かえすがえすも残念…)たちアルト高声の声を安定的に補完しているのである。
続いてウェルナーの「野ばら」が歌われた。「アカペラ」の逃げ口上と見せかけて、pfの吉田先生はホールの最後列でも聞き取れる、作為的と思わせるほど大きな「音合わせ」のキーをボン!と打ち込んだ。低声アルトの6人がその低い音をトレースした!驚きだった。一見の客にも漫然とドイツリートを楽しもうとしていた客にも、右翼端の隊列を見て「何をしようとしているのだろう?」と判じかねていた観客にとっても、これはまさに「本日のハイライト!」と呼ぶべき1音だった。観客へ故意に聴かせた「音合わせ」だったのである。歌うのはアウガルテン宮殿在住のエスタライヒなゼンガークナーベンや、カツン!と甲高い声に耳殻を擽られるパリ木の十字架少年合唱団であるにせよ、そのカッコイイ合唱を支えているのは体格の良い変声途上の団員たちが繰り出す頼もしい低声アルトとそのコントロールのアクティブさなのだ。だが、これは「フレーベル少年合唱団にも男声パートを作る!」という頭でっかちで融通の利かない「少年合唱ファン」の陥りがちな机上の計画ではなく、「ここに豆ナレーター君や新アンコール君たちがいて歌っているから彼らのために低声アルトのパートを作った」という、目の前の団員たちの歌い姿を愛情をもって見遣り、彼らの「1日でも長く楽しみ、楽しませたい」という団員生活を認め、彼らの心に寄り添った配員計画であると私は思っている。低声アルトの音圧が効いた近年のパリ木の合唱ばりの痛快なサウンドを観客が楽しめたのはとてもよかった。
Part1のラストはかっこいいMCをあしらった「美しく青きドナウ」のソロ入り日本語版。本曲の見所・聞き所は当夜の終演までを通底し一貫して鳴る「5年生チームのカッコよさ」に尽きる。MCの少年たちは在団歴の差こそあれ、それぞれ品のある高いクオリティーのナレーションを繰り出せるまでに成長した!観客の殆どは「僕達がこれから歌う『美しく青きドナウ』です」と口上を述べるこの2人がこの後どんな活躍をするか未だこの段階で知る由も無い。曲は40小節以上もある序奏>5つの小ワルツ>コーダからなる王道のウィンナワルツである。低声から攻めて行く第一ワルツ。泰然自若のアルトとマルカート気味で飛んだり跳ねたりのソプラノと…。調が五度圏を2つ反時計周りに上がってワルツ3にも達すれば所々に顔を覗かせるトリルや前打音やちょっと『?』なスラーなどのディテール。だが、歌はがさつな小・中学生男子一般の実像からは遠く、誠心誠意頑張っており男の子らしい闊達さだけが踊っている。そして第4ワルツの冒頭に進み出てきたのはあの2人。彼らはここで1オクターブ半超の飛び石跳躍をソロで2回やってのけるのだが(ソプラノ君の方の2回目がおそらくこの曲の最高音)、面白いこともあった。少年合唱の声は文京シビックでもさりげなくマイク収音され観客にわからないよう注意しながらPAで常時客室に戻している。担当のエンジニアさんはおそらくゲネプロまでを注意深く聞きながらギリギリ+αのところでUVを絞ってあるはずなのだが、はに丸くんの声は呆気なくこれを突き抜けていた。2人は確かに定められたバミリの位置にスタンバイし、おそらく問題なくリハーサルを終えている。あっぱれ、ホンバンに強いはに丸くんらしい高音圧・高音量だったのである。(お客さんがたはちょっとビックリしていた…)
団員たちは「三拍子」感をキープしながら走ったりせずコーダのつなぎまでをフォルテッシモで歌いきっていく。決して完璧なピッチでタップしていないが、ここ20年間のフレーベル少年合唱団の合唱には無かった満足のいく完成度の高い合唱を今回のチームは「美しく青きドナウ」の中に具現した。
聴き終わって高低両パートやトータルに響く声を引き連れているのが他でもない本年度の5年生チームの歌声であることに私たちは気付かされる。後奏の残響の中で、本曲からまさに当夜の演奏会が始まったことを知る。この驚愕と満足感は、当日のほんの序章に過ぎなかったのである。

Part2は「フレーベル少年合唱団の最年少グループ」B組のステージ。パートタイトルも「Bぐみ、せいかはっぴょう」となっていて、プログラムの田中先生の気持ちよい解説にもある通り、「音感をつける訓練」としての音楽体験を客席にもわかる形で提示している。
オープニングはpf伴奏付きの鍵盤ハーモニカでドイツ民謡の「かっこう」(おそらくPart1の演目へのリスペクトなのだ)。1番のみユニゾンの演奏だが、ソフトで抑制の利いた非常に堪能な演奏を聴かせ耳目を集める。子どもたちの顔色を引き立たせる白クロスのフォールディングテーブル列は今年、他パートのステージでも見られたアークのフォーメーションだが、よく見ると両側に立奏の団員たちが一人ずつ付いて、しかも鈴木楽器のまっすぐな立奏唄口を咥えるものだからタッチメソッドで弾いている!惚れた!カッコ良かった!子どもたちの陶冶が目に見える形で判ったからだ。
続く「うちゅうじんにあえたら」と「ドレミのうた」は、こちらもよくセーブの効いた歌声。5-6歳の男の子たちだからどんな声でもありの演奏だが、メロディオンの立奏同様にピッチ・リズム感とも正確で核となる団員らが、ふんわりと発達途上のメンバーの声を周囲にまとわせつつ歌っていて凛々しさを感じさせた。B組は今、ユニフォーム姿も中味も周囲の団員との関わり方も既に一人前のフレーベル少年合唱団員となった子どもたちを何人も擁しているようだ。
「うちゅうじんにあえたら」に挿入される「♪シュー!」というロケットの擬音とアクションは賑やかで音楽性を感じさせないように聴こえる(実際そうした軽い比重の歌を聴かせる合唱団も普通にあるのだが…)、日本の少年合唱団が本来魅力として身につけているはずの土着の短いメリスマやャ泣^メントを合唱に持ち込む初歩訓練の一つだったとみられた。それはA組ステージ冒頭に聞かれる「おなかのへるうた」の歌い出し他や、パート5ではに丸くんたちが叫びあげたヘーシの声のチャーミングさ、カッコよさを聞くと納得がいく。
今年は階名唱を披露する代わりにハマースタインの「ドレミの歌」を歌ってエンタテイメント性を添えステージを下りた。客席を楽しませながら、オリジナルの英語歌詞にも挑戦してB組の日常訓練の方向性を明らかにする一方、前奏が簡易でオブリガートを含まない編曲を採用するなど、観客の気にならないところで彼らの発達に寄り添う良心が見える!
Part2を通じ昨年度と大きく異なるのはMCチームの成長ぶり。彼らのナレーションは明らかに頼もしい変容を遂げている。今年、合唱団は定期演奏会前の六義園レギュラーのコンサートを2ヶ月以上も前の6月中旬に2回打った。もともと決まっていたブッキングだと思うが、B組にとっては異例のスケジュールが逆に功を奏したもよう。昨年度まで、この六義園ライブは定演の予行演習との位置付けで3週間ほど前に行われ、上級生団員たちはそれ以後反省のもとに追い込みをかける。だが、B組の子どもたちにとってはもはや「手遅れ」のことも多く、本番のMCも出たとこ勝負の感が否めなかった。前回までの省察からか合唱団最年少チームの彼らも今年は違っていた。6月の六義園コンサート撤収直後から、ナレーション・チームには念入りなご指導が入ったものと思われ、その後2ヶ月間をかけて当夜のような遜色のないレベルのMCにステップアップされたと考えらえる。恐るべしB組である。音楽監督が終演間際の客席に向け、こう話している…「ちょっと無理をさせたかもしれませんが…」「一番大切にしたいことは、子どもたちの可能性を大人たちが止めてしまわないこと」…具体的な例示は無かったが、今回のB組ナレーションはその好例ではないかと思っている。当日客席で聴いた正直な感想は、B組のMC集団がSABの各チームのナレーションの中で最もクリアかつ澱みなく、また幼少年の言葉の魅力も兼ね備えていて出色だったということだ。
このステージはスタンバイと楽器セッティングを含めて10分間、歌のみの計時で5分間の配当であったかと思われる。曲のコンパクトさを考えるともう1曲聞きたいと感じさせる時間の使い方だと言えはしないか。冒頭の「かっこう」の後に楽器の撤収、2曲目の「うちゅうじんにあえたら」の後はMCを挟むサンドイッチ構造。団員流し入れと楽器セッティングとMCの3点同時進行や、楽器の間から団員を吸い出して並ばせている間にMCをかぶせるといった段取りは丹念なプローヴェを経た彼らにはもはや可能なレベルのプランなのではないかと、その堪能なステージを見た後に思った。
出ハケのエスコートを担当する上級生たちは昨年の「母性本能突きまくり」のキューティーなメンバーからさらにパワーアップ!今回は上背のあるS組上段のメンバーから下はA組団員までという学年幅の広レンジ。確信犯的なのかカッコかわいい系の少年たちのうち最適任の子らがさらに厳選されているという贅沢さである。A組の子は、この直後に自身の本番も控えていたわけなのだから。羊飼いの少年のようにB組を引き連れる彼らの姿を見せつけられた客席はその至福の光景に再び大撃沈!B組のステージ経験組を拠り所としてか、今年はエスコート団員たちをテーブルグループごとに集約して配した。

Part3はA組のステージ「楽しい童謡をあつめて」。プログラムを一見して「童謡」というのが昭和30年代前後に作られた曲を中心とするいわゆる「こどものうた」であることに気づく。阪田寛夫、サトウハチロー、まど・みちおの作詞家陣。大中恩、中田喜直、山本直純といった日本人ならば誰でも知っている作曲家たち…。オープニングの「おなかのへるうた」をめぐる事情は昨定演のレメ[トの冒頭に記しておいた。スキルもカッコ良さも(そして多分、舞台裏での破壊力も)「新メンバーを加えてさらにパワーアップした(今年の定演フライヤー文面による)」A組…。冒頭、第2MCが「僕たちの先輩が50年ぐらい前にNHKのみんなのうたで歌いました。」とクールヴォイスでナレーションをかけると、客席内には呼応するようなニヒルな笑い声が漏れた。これは印象的な光景だった。現役団員のうち最も放埓で容赦なく腕白な低学年軍団の彼らにとって、50期も前の先輩方は一緒に「戦いごっこ」や蟻んコ潰しや無意味な下ネタを楽しんでくれたりしそうもない「得体の知れぬ半世紀も歳上のおじいちゃんたち」でしかないからだ。観客はそれを理解した上で笑んだのだ。実際、本年度のOB合唱は少年たちのこのスタンスや選曲やプログラム構成に少々手こずらされることになる。今年のアンコールのステージに、あわれなるかなOB合唱団の姿は…無かった。
彼等がこのステージで歌い上げた作品を編み出した大中恩も中田喜直も、フレーベル少年合唱団初代指揮者磯部俶の盟友「ろばの会」の同人たちであったことは当然選曲者の知るところだろう。彼らは「童謡」という言葉を注意深く避けて、創作を「こどものうた」と呼んでいた。だが、私はA組に向けたこの懐かしい一連の選曲が上記のような「おなかのへるうた」へのオマージュから来た机上の計画やどうでもいい誰かの経験を語るつまらないノスタルジーであるとは思っていない。歌を学ぶ少年たちの成長を心から願い、愛情をもって眺め、接してきた指導者たちが、A組全メンバーの柔らかく、体温のある、芯も通った心の本質を的確に見抜き、選びあげた「A組の心」とも言うべきノミネートなのである。いずれの作品も作曲者たちが巧みな技法やセンスを駆使して「何かを思いやる気持ち」や「少年時代にこそ在って欲しい安寧」を可憐でコンパクトな有節歌曲の中に再現しているのはこのためなのだ。
耳目を集めた「おなかのへるうた」に次ぐ2曲目の「夕方のおかあさん」と3曲目の「お月さんとぼうや」。サトウハチローと中田喜直が最強タッグチームを組む珠玉の名作である。少年たちは今年の「フレーベル少年合唱団A組」が持つきららかな明度の高い声質のカラーで歌っていた。「夕方のおかあさん」の最大の歌唱ャCントは「いったい誰が誰の何と同じなのか?」を子どもたち自身が心底理解できているかということだと思う。本曲の最高音であるd音の連桁で「♪ごはんだよぉー」と歌わせた後、中田はB群の少年たちへ「山彦のように」と指示しながらピアニッシモでリフレインさせる。2回目の「♪ごはんだよぉー」が誰の発した声であるかは、この「山彦」の最後の音がタイで次の小節にはみ出していることによってスペーサーの役割を果たし、引き取る音が1オクターブ下のd音であることから明らかである。…幸せそうな親子猫の夕餉を見つめる男の子は背後からかすかに聞こえた自分の母の「ごはんだよぉー」の声を聞く。意識がふっとこちら側の幸福な少年の日々に戻ってくる。「ぼくにもおいしいごはんを作って待ってるお母さんがいるんだ」と思う。だから、「やっぱり同じだ、同じだな」なのである。当夜のA組の子どもたちに「誰が誰の何と同じなのか?」は理解されていたのだろうか。中田が腐心してインサートした「山彦」の後のペダル記号のpfだけが響く間合いを子どもたちは十分すぎるほど待って再現できていただろうか。
「夕方のおかあさん」の前後に付された短二度で鳴くエキセントリックな連打は懐かしい「ひぐらし」のオノマトベーだが、パート冒頭の「おなかのへるうた」が60年代ふうのコミカルな「なーんちゃって」SEの不協和音で終えたことへのシャレた尻取り遊びにも聞こえた。不協和なこの響きは次の曲の冒頭に響く第2転回のちょっと物憂げな和音へとつながってゆく。A組ステージの選曲は今年も優れて巧みに良くできている。
「お月さんとぼうや」では曲の後半でホ短調から同主調へのほろ甘い転調が行われ、同じタイミングで美しいまっすぐな声のソリストたちが旋律をひきとって歌い収める。単声部ヨナ抜き音階の全く込み入ったところの無い小品だったが、私はこのソロのショーアップを見て、聞いて、定期演奏会プログラム裏面に掲載された団員名簿を思い起こさずにはおられなかった。リストには各クラスごとに団員名が並んでいる。1980年代以降、ここには長い間A・Bの2つの組の団員一覧があり、A組の団員数は多く、B組は多くてもその半分ちょっとといったところだった。20世紀に入ってSABの3クラス編成になり、一時入団順に氏名だけが冗長に並ぶ表になっていた時期もあったが、クラス名が表示されていればS>A>Bの順で団員数は少なくなっているのが普通だった。ところが2016年6月11日。六義園コンサートのA組の隊列を一見して、通常の年度であれば上進しているはずの優秀な3年生団員たちがA組にとどまり頑張っている姿を確認し興味を覚えた。事実、本定演のプログラムに掲載された所属団員の数はS組26名、A組27名(!)、B組25名で実際の出演団員の数もこれにほぼ準じている。合唱団の総団員数は78名で、入団テストと「決められた練習日に必ず出席できること。」という新しい在団条件が功を奏したのか各クラスほぼ25名前後の定員になっている。2016年現在、A組がフレーベル少年合唱団の中で最も所属団員数の多いコーアに成長していたのである。私がこれらを見て、団員たちの成長を感じて思ったことは、定期演奏会が8月にシフトしたことにより、上進のクラス編成が秋に行われるようになったのかもしれないということと、70年代のフレーベル少年合唱団がA・B・C・Jの4クラス編成を持っていた時期があり、現在のB組にあたるJ組(初期にはフレーベル・ジュニアと呼ばれていたことからこの名前が付いた。彼らJ組の特別ユニフォームはめっちゃ可愛い!!)を除くA・B・Cの3クラスがほぼ並列で陶冶されていたことだった。有名なウィーン少年合唱団が4つのコーアを維持しながらローテーションで公演とサーヴィスにあたっていることはよく知られている。フレーベルのA組の子どもたちも今、「お月さんとぼうや」に聞かれるクオリティーのソロをとれるほどに力を付けてきている。2016年は合唱団にとって記念すべき年になるのかもしれない。
続いて大中恩サウンド炸裂!のギャロップ・リズムの前奏に担われ「ドロップスのうた」が歌われた。リズムに撹乱されることはないA組コーラスも頼もしさが爆発。ャ泣^メントの美しい愛らしさ、合いの手の明瞭さと的確さ、フレーズの追いかけっこの幼獣チックな痛快さ、アルトの子どもたちの信頼の歌いぶり、年齢差3歳以内の声の均質さ。これらをガナり寸前のフルパワーと美麗な高声のいいとこどりの結節点の中で聴かせまくる。上進の日々を待ち望み、楽屋ではおそらく手加減のないギャングエイジ集団と化している彼らA組団員だからこそ、この歌の正しさと小気味の良さをものにしているにちがいない。タイミング的にはPart3のちょうど中間地点に歌われたこの作品は、最後の「たねのうた」とリズム的・聴かせどころ的に通底している。
昨年のA組ステージには第48回NHK全国学校音楽コンクール小学校の部課題曲「 未知という名の船に乗り」を選んでいた合唱団、今回の学コン課題曲は1985年第52回課題曲Bの「夕日が背中を押してくる」という学コンをあまり意識させないチョイスに留めている(本来は1968年の「みんなのうた」の挿入曲として書かれたもの)。彼らがここで聴かせているのはPart5まで一貫して鳴り続けるカッコかわいいA組アルト声部のキレの良さ。ただしアゴーギグをいなしたやや早めのテンモナ歌っている。「夕方のおかあさん」の処理でも気になったこの走りぶりは、おそらく15分間の配当時間に6曲と前中後3回8名のMCを聞かせ客席を楽しませるという善意から来るタイトさが災いしているようだ。全体量やプログラム構成を無視できるのであれば、Part3のこの時間配当は観客のためにもS組と同等の20分間でよかったのではないかとさえ思う(だが、「MCを半数に減員し、1曲削ればゆったりと歌いますよ」と先生方から提案を受けたとしたら、私は「いえ、このままでいいです」と即答するだろう)。
「たねのうた」…の唐突さを危惧するプログラムの解説文とは裏腹に、少年たちの歌声はPart3にマッチしていて楽しく、しかも低学年男子の匂いを強烈に放ち胸のすく思いだった。日本語はここでもハッキリとしており、歌詞の内容はすこぶるA組チックである。前奏の刻むリズムは「ドロップスのうた」を想起させ、冒頭から堪能できる彼ららしいユニゾンの声、喚声域を超えた声の温かさ、快活さ、フレッシュさ。ディナーミクをものともしない心だけで強弱を歌いわけていくひたすらさなど、客席でこれを聞けた私たちは最高にシアワセな気分になれた。さらにトリオ部分以降はアゴーギグを効かせて言葉の明瞭性を確保する一方、かけあい、惚れ惚れとさせられる信頼の低学年アルト、オブリガート的からみ、無造作なトランスメ[ズといった当夜の少年らのウリをきちんと織り込んでコーダまでを引っ張っていった。この曲を聴いてフレーベル少年合唱団A組の真のファンになった人も少なくはないだろう。「たねのうた」こそはまさに、A組の少年たちそのものを歌った作品なのだ。彼らの中味の濃い、底抜けに素敵な少年合唱団員人生をそのまま歌にしたものなのだ。暗い土の中に埋められ、眠り続け、だが最後には羨ましいほど愉快な花を咲かせ、聞く人々をこの上なく幸せで満たされた気分にする…いや、気分にさせるのではなく生まれ変わらせる。それが前奏のリズムから展開の構成から胸声すれすれのコーダの歌い上げまでの音楽に歌う喜びとして具現させている。A組団員たちの誰一人としてこれが自分らの団員生活を謳った曲だとは思っていないだろう。「たねってオモシロい!」「ぼくも楽しく歌いたい!」とだけ思っている。だからこそ、彼らの歌声は人々の心の結ぼれを解き、心から元気にさせ、勇気付けたのだ。小さいながら日本の少年合唱団ナンバーワンのチームの子たちだと我々に納得させたのだ。

現役団員たちの舞台裏での動きはおそらくこうだ。Part1を終えたS組は、マンサージなどの手の込んだ着付けや大デークをはじめとする楽器類の調整のためバックステージに入りPart5に向けて更衣を開始する。続いてPart2を終えたB組が最終ステージのプローヴェに差し支えないよう休憩時間までの余裕を持って撤収とバラしにかけられ、彼らをエスコートしたS組団員がフィナーレステージの準備に合流する。次にPart3を終えた比較的簡易な更衣のA組がバックステージで合流する。これはもともとインターミッション中の保護者のヘルプを見越しての設定だったはずである。彼ら(特にA組の団員たち)は20分間の休憩と5分間配当と思われる団長挨拶と実質歌唱時間10分のOBステージの計35分の間に、更衣、三線との最終調整、板付等のスタンバイをこなさなくてはならない。毎年新しい出演情報や企画の告知があって客席が心待ちにしている団長先生のごあいさつは今回インターミッション後のPart4開幕前に行われた。このタイミングになっているのは全体の配当時間のバランスと、おそらく時間調整の役割を帯びているからだと思う。
さて、昨秋の定演まで、現役団員たちのレパートリーの本歌取りでチョイスされた合唱曲集を積極的に歌ってきたOB合唱団は今年、フレーベル少年合唱団初代指揮者磯部俶の男声合唱曲集「七つの子供の歌」を採り上げた。2-3曲目に少年合唱団の最初のレコード『たのしい合唱<とっきゅうこだま>/フレーベル少年合唱団』(キングKH50:1959年)からの2曲が顔をのぞかせていることからも判る通り、この曲集は編集もので、その詳細は定演プログラムの太原会長の記述に詳しい。「のぼろうのぼろう」(1972年)を除く6曲は全て昭和30年代前中期の作品であり、曲集タイトルに「子供の歌」とあり、最後の「おさるのやきゅう」を編んだのが合唱団団歌を作ったまど・みちお+磯部俶のコンビであることを知っていると、OB諸兄がなぜこの曲集を選んだか…選曲と心支度の真意はもはや明らかであろう。
OB合唱団は現役チームの舞台裏の動きやコスチューム・プローヴェの都合で昨年のようなS組セレクトとの合同演奏が打ちづらかった(磯部も沖縄の歌を作ってはいるが、20世紀生まれの子どもたちは歌ったことがない)。また、配当時間は昨年の二分の一に切り詰められている。このため先輩方が寄り添ったのは自分たちの出番より前のPart3「楽しい童謡をあつめて」の方だったと考えられる。しかし頼みの綱、A組は昭和ノスタルジーを吹き飛ばすはっちゃけぶりでパワー全開のままステージを後にし、20分間のインターミッションが入り、今年は団長先生のごあいさつも挿入された。舞台袖にはビンガタの打鰍ワといパーランクーを握りしめた現役チームが今や遅しと50人もぎっしり詰めている…。OB合唱団がA組団員の歌声につなげようとした「郷愁のハーモニー」はPart4開幕時点で観客の頭の中へ既にほとんど残っていなかったろう。私は今年のOB合唱団が結果的に構成面で大変苦戦を強いられたことや、現役ステージのために辛い役回りを買って出たらしいことを推測する。このため本来「昭和ノスタルジー」の香ばしさを誘引するためにもともと曲中に仕込まれているギミック(例えば「大ずもう」に流れる『嵐を呼ぶ男』ばりのリズム…昭和時代中期にはこれを「ジャズ」や「ゴーゴー」のリズムと呼んでいた…や「とっきゅうこだま」のミュージックホンを模したハミングや、「うしがないた」に響く渋いBassの長閑さや、21世紀にはローカル局ですらオンエアしない東京六大学野球の仕鰍ッがやや楽屋オチの「おさるのやきゅう」のコーダといったもの)がOB諸兄にとっては心なしか遣る瀬なく響いたかもしれない。楽しくのびのびとした気持ちの良い演奏であったことは間違いないのだが、昨年のステージがS組セレクトを上手に巻き込んで超好印象だっただけに、企画構成を担当される方々の苦労がわかるような気がした。

昨年に準じ団員MCはインターミッション前に集約され、後半ステージでは音楽監督のマイク以外子どもの声でのMCは最後の挨拶号令まで一切入らなかった。Part5ではこうした構成上のハイセンスさが貫かれている。例えばほぼ緩急の曲配置が最後のアンコールまでチームカラーを縦糸に織り込んでリズムを刻み続けていること。Part冒頭の「てぃんさぐぬはな」は、13年前の定演で歌った林光(?!)編曲版を選ぶというちょっと(かなり?)のエキセントリックさ(伴奏)。「選ばれし12人」がャ潟tォニー状態でこれに合わせていくものだから、彼らの声は際立ってハッキリと鳴るのだった。A組軍団の破壊力が炸裂する「ゆいまーる」を挟んで、S組各パートのいいとこ取り…第2アルトもカッコよく声を聞かせる(これはクラッシックやジャズのカデンツァというべきではなく、ライブコンサートのステージでアーチストが演奏中途中、プレイヤーを紹介するのに似ている。さしずめそのライブなら「今年のアルト低声、…シブくてカッコいいこの面々ーン!」とでも紹介されるのだろうか…)「しまんちゅぬだから」は目の詰まったBEGINの歌詞を誠意をもって聞かせ、後半はに丸くん独壇場の惚れ惚れさせられるへーしがこれでもかと客席に投げつけられる。感涙を溢しつつ彼の声を腕の中へ抱き止める私たち…。シアワセである。一転、A組の秘めた心と声のリリシズムが手遊び動作とあいまって、訓練された男の子が鳴き続ける高声の肌触りの良さ、優しさ、柔らかさ、温かさ、吹き抜ける島風の清涼感がたっぷりと味わえる「あかたすんどぅんち」。肘、ウオノメ、耳…シーヤープーと唱えながら手遊びで彼らヤマトンチュの8月の白い肌を指差す仕草が、カラダの芯までカフェモカ色した沖縄の男の子の肌色と違っていて何だか妙に可笑しく可愛い。三線もテークーちも彼らの声を邪魔していないどころか共振させ、共鳴させているのは前述の通り。
フィナーレの「とうしんどーい」の爆発の後、アンコールには今回、「わらびがみ」のウチナーヤマトゥグチのバージョン(歌詞の最初の2行を標準語にした沖縄弁の構成バージョン)をフルコーラス、客席と声を合わせることを想定したのかスローテンモナほぼユニゾンのまま歌い終えた。ボカリーズのディビジ合唱でふんわりと収めた子どもたちの最後の声がホールの音場に消えると、お客様がたは大喜び!今年もここで指揮の音楽監督と少年たちのお約束のアイコンタクトがあり、「アンパンのマーチ」(ファンファーレの入らない高ピッチの版)で打ち上げ、全演目を終えている。お客様方は手拍子をしていて気付かないが、毎年歌われる本曲の今年のこの少年たちのトーンは、Part1の最初の声から一貫して不易のまま美しい。フレーベル少年合唱団の通史後半の中でも非常に高いクオリティに仕上がった豊作年のひとつだと思った。それは、開催時期や在団条件の改正などさまざまな好条件が重なったことと、子どもたちあっての少年合唱を構築できたことなど、多くのファクターの積み重ねによりもたらされた結果であるように思える。ここまでの一気呵成さと迫真の歌い上げは、アンコール部分のトータルタイム10分間という正確さをものにしている。曲の前に挿入された音楽監督の言葉は「トーク」というライトな感覚を持ちながら先の「子どもたちの可能性を大人たちが止めてしまわないこと」といった団員の歌い姿に裏打ちされた、聴衆の心に響く(どこの定演の指導者挨拶でも聞かれるようなイージーな文言ではない)印象的な言葉でまとめられている。真夏の開催で注目されていた少年たちのユニフォームは、後半沖縄ステージのものに更衣されるが、前半は驚くべきことにレンガ色のタキシードとAB組のイートン+ボウタイだった。
2015年10月28日(水) 文京シビックホール 大ホール
開場 午後6時 / 開演 午後6時30分
全席指定2000円

初のLP「フレーベル少年合唱団--ぼくらの演奏会から」(キングレコードSKK(H)-284)の1972年の雑誌広告
合唱団は結成から吹込の行われた1960年代後半までの5年ほどの間に大きな頼もしい変容を遂げた.70年代初頭のモノクロ・オフセット印刷のためユニフォームの詳細は見にくいが、手を後ろに組んだ独特の姿勢を見るだけで彼らがフレーベルの団員であることは一目瞭然
『みんなのうた』です。1曲目は、「おなかのへるうた」。歌は、フレーベル少年合唱団です!
2015年10月4日午後4時25分。NHK第2放送にチューニングされた全国のラジオから、15秒間もあるコミカルな前奏に続けて腕白そうな少年たちの楽しい歌声が流れてきた。従来聞くことのできたキング版10インチ・バイナルLP『たのしい合唱:とっきゅうこだま』に収録されていた45秒間の録音とは全く異なるフルバージョン。2009年ごろからNHKが押し進めている「みんなのうた発掘プロジェクト」で視聴者の家庭内録音として「埋もれ」ていたオンエアテープを局が「発掘」し、デジタルリマスターしたものだ。大中恩の童謡を特徴付けるひなびたアコースティックの伴奏。トリオの部分では35秒間に及ぶ大円舞曲風で次第にほろ苦く味覚の変わるちょっぴりお茶目な運びが挿入された。合唱団の1-3期生の先輩方はフルレングスの歌詞を「なんちゃってソナタ形式」のように2度歌い、ややおすまし気味…でもヤンチャなテイストが正直に漏れ出た痛快な歌声を披露した。半世紀以上もオンエアされず日の目を見なかった53年ぶりのこの放送は「明らかに変わったが、フレーベル少年合唱団であることはしっかりと守りぬいてきた」合唱団の2015年を象徴し応援するような出来事だったと思える。
変化は六義園レギュラーの秋のコンサートに並んだB組の隊列から既に顕著で明らかだった。昨年のB組とは明らかに大きく違う。1999年、abcホールのステージいっぱいに並んで炸裂したB組の再決起以来初めての大きな変化を2015年の合唱団は迎えた。「少年たち」と呼ぶには明らかに幼い未就学の子らが、居住まいはしめやかにご機嫌の表情で客席と正立し、可愛らしい声で定演当夜も歌った「ことりのうた」を聞かせる。ぶかぶかで板に付かないユニフォーム姿がまるで不釣り合いに見えるほど彼らの視線はしっかりと指揮を捉えていたし、全員がソロ予備軍と思える程すでに小さな「歌う人の姿」だった。一般の観衆にでさえ一目瞭然だったこのB組の変容は、楽屋に詰めた合唱団の関係者の間ではすでに瞭然たる事実であったに違いない。
開演。入場。午後6時30分。ステージ下手(しもて)ドアをくぐり、下級生全隊を引き連れたワルトトイフェル君が山台を蹴ってスマートに入場してくる。この時点で、合唱団の変容とワルト君自身の素晴らしい変化は決定的なものになった!この年の4月2日、きゅりあん小ホール、チャリティーのリハーサルで見たワルト君は自分の腰丈ほどのS組アルトの下級生たち(このときの構成は現在のS組アルトのメンバーとは全く違っていた)の退場を「ほら、ほら…」と苦笑いしながら促す、既に退きかけた人の姿だった。前年の定演では豆ナレーター君と共に一世一代の重要なMCを言いよどんだり噛んだりしている。夏に仙台の演奏旅行で見せたキラキラとした歌い姿は見られなくなっていた。日本一のボーイアルトと呼ばれ、これでもう大切な仕事はおおかた成し終えたという安堵や慢心が、徒らに伸びはじめた彼の上背に見え隠れしていた。
だが、記念すべき55回定演の開幕。ワルトトイフェル君の入場時の表情は、きりりと引き締まり、大人たち総ての聴衆の視線を全身全霊で受け止めるほど真摯なものに変化していた!合唱団最年長にまで昇りつめ「後は後輩たちに任せよう」という忽せな態度は彼のどこにも見当たらなかった。本定演以降、ワルトトイフェル君は殆どの演奏会で歌い続けている。もはや「下級生のお世話係」という印象を彼の姿から感じることは無い。たまたま周囲で歌っているのが自分より4学年ぐらい下の子たちというだけで、自分に課された歌をひたすら真剣に歌い続けているのだった。彼は再び少年合唱団員らしく弛まず変容しなおし、「日本一のボーイアルト」とはどう生きる人のことであるのかを私たちに教えている。かつての日々、A組B組の前列に立っていたずらっ子そうに怒鳴るが如く一人歌っていたあの男の子の姿をここに見ることは無い。人がどう学び続け、伸び続け、善に変わり続けるのかを今、私たちはワルト君の歌い姿に見る。
登壇してくるS組上級生の子どもたちの全員…昨年の定演で油断を見せた豆ナレーター君も、終始不機嫌そうな印象だった新アンコール君も、見違えるように「歌う人」のひたむきで誠実な表情に変貌を遂げ客席を見据え立っている。昨年までニコニコとして家族の姿や友人の姿をタクトが上がってもなお客席に調べ続けたあの可愛いS組上級生たちの姿は殆どそこに見られなかった。彼らは指揮者の入場までの数十秒間を、あきらかに各自のメンタルリハーサルやイメージトレーニングの反芻のために費やしているように見える。また、かつて指揮者と顔見知りの客人のみを見ながら歌っていたこの合唱団は、この日どのクラスの隊列でも客席全体にときおり視線をずらし注意深く、またあるときは感覚として聴衆の様子や反応を把握しようとする団員が増えた。特にA組ではこの傾向が顕著。すばらしいことである。
続いて、合唱団が永いこと堅持していた定演時の並び順と隊列の変化が明らかになった。フレーベル少年合唱団ではこれまで基本的にパートごと背の順の並びが隊列の鉄則で、あとは人間関係的にどうしても隣に置くべき(または、置けない)団員を抜き差しして整えるということが長く行われてきた。さらに、クラス単独の場合は2列横隊…クラス混合でSABが一度にステージへ乗る場合も合計3列横隊に留めるよう、クラスを横1列に並べて重ねることが慣行として行われてきた。これは1980年代後半から90年代にかけて団員激減の機をむかえていたとき、少ない団員数でもステージ上で見栄えがし、同時に当時の年齢構成がかなりいびつで背丈の低い団員の顔が極端に見えにくくなってしまうのを回避するための方策として行われていたルーチンの名残である。今回これをS組2列A組2列の4列横隊に改め、見栄え的にも響きとしても「かたまり」感のあるフォーメーションへと刷新。(※1)フレーベルS組にあたる「本科」団員数が2015年、偶然にもS組と互角であったFM少年合唱団がレギュラーステージの3列横隊に違和感を感じさせず歌ってきたことを考えると、今回の演奏会がいかに音楽へ寄り添いながら練り直された会であったかが分かる。SABの全隊について衣裳替えも一切無し(※2)。ワルトトイフェル君率いるアルトチームの後列全体があからさまに入繰りしているのは、彼や豆ナレーター君や新アンコール君たち上級生が修行中の下級生らに両側から寄り添い、「俺らがベストを尽くしておまえたちを守る」という歌を歌っているからだ。また、前列は美白男子君とスイッチヒッター君が、後列でも新アンコール君たちが2枚岩でメゾソプラノとの境界に立って頑張っているのは、この立ち位置が2部合唱3部合唱で正確なピッチを得るために大変重要なャWションにあたるため。今回のアルト陣容は彼ら一人一人の立場が目に見える形で的確に顕示されたものであり、同時に本年度アルトのアビリティの充実を表すものでもあった。
こうして今年も繰り出されたオープニング団歌『ぼくらの歌』の冒頭でたちどころに久年のファンの目を射抜いたのは、前2列に山台の麓を成したA組団員たちが繰り広げる「35年前のフレーベル少年合唱団が団歌にかけたアタックと姿勢」をストレートに想起させる光景だった!あたかもイイノホールのステージで歌うマリンブルーのユニフォームの彼らがタイムスリップしてここへ流し込まれ実体化して在るように、小さい彼らの歌い姿はブレスも成長途上の腹式呼吸も指揮者を見据える目も日本語も口形も何もかも、あのかつてのフレーベル少年合唱団そのものだったのだ。後列に歌うS組の特に左翼の上級生たちは、後半、この後輩の歌いに作用されながら大人びて心なしか抗っていたかのようにも見える。低声のキャパにはヘッドルームが感じられた。「古きを守りつつ新しいものへ漸進する」役割を負ったS組と、「変化を我がものとし良き段階へ早々に到達しようとする」姿勢を貫くA組…という両クラスの性状が最初の一曲であきらかになった。このことからA組の最初の役儀は全うされ、およそ15秒間の俊敏なフットワークで12名の小学1-2年生がステージから撤収する。入れ替わるようにしてソプラノ・メンバー主体のS組団員が、オープニングMCのショーアップのため左右のスタンドマイクへスタンバイする。これまでステージ上に2つのことがらを同時進行させることへ躊躇しているようにも見えたこの合唱団の変化のひとつの現れである。MC冒頭の発声は、かつてB組のステージで両手をユニフォームの腰に擦りつけながら遅れて登場したあの団員くん。彼は今、メンバーの誰よりも先にナレーションの口火を切る信頼の上級生へと達したのだった。このほかPart1前半の曲目紹介は、いずれも大舞台でのステージ経験・MC経験を複数回持っている団員たちが担当しているが、メンバーを交替させながら「…そして」「…そして」とたたみかけてゆく台詞の展開がリズミカルで楽しく、彼らの声のキャラも味わえて素敵だった。
全体のプログラム構成をS組について一言で記すと、インターミッションを挟んだ前半がフレーベル少年合唱団の古くからのレパートリーであるイタリア・ナンバー。フィナーレまでの後半が3・11以降を感じさせるNHK学コン課題曲を中心とした癒し系の児童合唱曲群。今年のフレーベルの傾向として、S組ソプラノ声部はピッチ・ホールドに呻吟しており、全隊は昨年度迄の合唱に顕著だった「ボリュームの凌駕」から、「響きへ耳と心を傾けた」ものにシフトし始めている。客席で聴いていても、昨年まで殆ど気にならなかった周囲の観客の咳ばらいやちょっとした物音が、今年はなぜか耳障りで不愉快に感じたほど、S組の歌声と耳と心はクリーンな「響き重視」の局面に向かい始めている。
S組のスターティングナンバー「フニクリ・フニクラ」。フレーベルが定演をはじめとするレパートリーに繰り返し採り上げてきた作品。大過去のOBたちも、近過去のOBたちにとっても現役時代の思い出の曲の一つとして口ずさめるだけでなく、観客にとってもキャッチーで馴染み深いものになっているようだ。また、ライバル(?)TOKYO FM少年合唱団のかつての代表的なレパートリー…高低のソロ入り、嬌声入りのコケティッシュな編曲。この曲のカッコいいボーイソプラノ・ソロを歌う「おかあさんといっしょ」のひなたおさむおにいさんの小学生時代の姿にあこがれ続けたファンもいる。だが、2013年を境に、TFBCは長きにわたり慣れ親しんだこれら「ぼくらのレパートリー集」のナンバーを敢えて一つずつ丹念にプログラムの俎上へ引きずりあげ、かつての歌いを辞んで「新しいFM合唱団」を誇示するのに余念がない。ここ数年の、日本語で何を歌っているのかハッキリしないだけでなく、変わった色や癖のついた「おなじみのナンバー」は、一定年齢以上のOBたちや何十年もFM合唱団を応援し続けてきた多くの人々の楽しみと憧憬を拭い、さぞ意気消沈させていることだろう。一方でフレーベル少年合唱団が今回Part5の3曲めまでを頑張って注意深く従来のレパートリーに沿わせ「変えられないものを冷静に受けとめ、変えられることを勇気を持って変え、これらを区別する賢い」プログラム構成に徹してきたことが、この冒頭の一曲で既に明らかになっているのだ。合唱団がかつて立たされてきた多くの辛酸の窮地や難局の中でも見限ることなく長年応援し続けてきてくれた聴衆の心に寄り添った変化だけが採用されたようにも感じる。
ユニゾンの部分ではオキニの団員一人一人の声を容易に聴きわけることが出来るだけでなく、出鼻から突然トップする声の統御、低声パートの少年たちのフィーチャー、エンディングのエールなど男の子の合唱ならではのウマ味を堪能できる。また、2拍子系(8分の6拍子)のリズムに乗って歌う彼らのカッコいい姿を思う存分鑑賞できるのも良い。曲は次の「サンタルチア」の三拍子(四分の三拍子)、続く「勝利の行進」の4分の4拍子というギミックを忍ばせ、一曲ごとに彼らがどう歌い分け、どう「歌い分けられない」のかを聴衆は嗅ぎ取ることができた。S組ソプラノは今、過去10年間の牽引役の先輩がたに比肩する団員が未定で産痛の段階にある。「登山電車」の左翼から聞こえるユニゾンの声はそれを物語るものだった。
続く「サンタルチア」の引きずるほどテヌートな歌いあげは、彼らの日頃の研鑽を思わせるものだったし、「勝利の行進」はリズミカルな歌い方と見せかけてスラーのごとく高音が断続的にあまねく響くよう統御しながら合唱を展開している。また、当夜様々な場面で発表会の歌いぶりとして適切だったいくつかのテクニックの中、ここでは「合いの手」の本当な処理が聴かれる。また、かつてのような、ぼそぼそとした「力強い」強引な歌声は、少年たちのいたずらっ子そうな歌い姿だけを残していつの間になりを潜めた。彼らは少なくともエフェクト的には劇場内へ「響き重視の音」を戻そうとしているはずである。三点吊とスタンドマイクが2本。かつてのようなブームスタンドは置かれずMC時はワイヤレスのホルダを上下に振って高さを調整する方式に簡素化された。
Part1の最後は、何と言ってもカンツォーネでしょ…というわけで「帰れソレントへ」と「オ・ソレ・ミオ」が続けて歌われた。20名規模のソプラノに対して15名編成のアルトが少年らしい尖った声で「♪輝ける陽は差し来ぬ」と弱音で漕ぎ出すモジュレーションのかっこよさ。小さく開いた口唇から鳴る標準語のクリアさと自然さ。一生懸命つけているャ泣^メントはとても朴訥で可愛く、曲想をなんとか工面して表出しようとするその表情を眺めているだけで幸せになれる。彼らなりのテンメEルバートが繰り広げられているのもラブリーだ。少年たちが一生懸命歌えば歌うほどキュートな味が沁みだして甘い香りが立つ。10年近く前、定期演奏会などのライブパフォーマンスで「オ・ソレ・ミオ」といったイタリア歌曲を歌っていたのは、「先生方のステージ」のすぐる先生だった。合唱団の子どもたちは陶冶されていず、最上級のクラスの子らでさえユニゾンで歌い通した一時期があった。フレーベル少年合唱団は明らかに良い道筋を辿って変容し、今ここにある。
この部分のMCは団員になってからの年限に負けず劣らず客席にちょこんと腰鰍ッて合唱団のお兄ちゃんたちの歌う様子を眺めていた年月の長かった印象の2名。ギミックの人選と言える。彼らはいつの間にパートエンドのナレーションを引き受けるような団員に成長したのである。そういうわけで、このPart1は「あっという間」の至福のひとときで、実際の演唱時間も15分弱のやや短尺の設定だった。ああ、S組ステージも終わっちゃった…と私たちが力抜けするのも束の間、続くB組オンステージの冒頭に驚くべき衝撃の幕開けが用意されていたのである!
Part2冒頭、引っ込んでいったはずのS組の少年たちのうち選ばれし子らがB組団員13名を客席側に引き連れシモ手ステージドアから再度姿をあらわす。フレーベル少年合唱団ではB組流し込みのシーンによく見られる「エスコート」入場。だが、今年は客席の人々の心を完膚なきまでになぎ唐キほど上級生たちは可愛かった!S組団員の中から、未就学児の手を引かせて可愛く見える団員だけが注意深く選びとられ、整列順までがおそらく計算しつくされ並べ替えられ、入退場へと的確に充てられている。むろん、連れる彼らは真剣そのもの。小さい子どもたちの肩に掌をあて定位置に立たせ、前を向かせ、中には緊張の姿を見かねて言葉をかけてやったり、「しゃべっては駄目だよ」と身振りで制したりしているお兄さん団員の姿もある。これには完全に激萌え。メロメロ。観客の母性本能突きまくりである。狡猾と言いたくなるほど良くできたこのさり気ない演出は日本中の他の少年合唱団の本科隊団員では蓋し実現不可能に違いない私たちへのスペシャルプレゼントだった。一年生の男の子の歌と見せかけて、実は「キミ!キミ!教室、覚えたかい?」と、その手を引く上級生の少年達の汲めども尽きぬ麗しい心を描く「一ねんせいくんおとうとくん」はフレーベル少年合唱団初代指揮者磯部俶の代表曲の一つである。21世紀の今も桜の頃、全国の小学校の教室や体育館で歌われるこの作品の世界をpart2のS組団員たちの姿に重ね合わせて見ることができたように思う。
外見は未就学児。B組の団員たちが横一列にステージやや前方へ置き残され、一見B組らしく客席に手を振ったり無邪気におしゃべりしたりして指揮者の右手の上がるのを待つ。だが、前述の通り彼らのたち戻るところは、目立ったメンバーの入れ替えも無く、昨年の大騒ぎのB組ステージが嘘だったかのような端然とした目付きだった。少なくとも彼らは「自分たちが一体何をするためにステージに呼ばれてきたのか」を把握し、「何を聞かせ、何を見せるべきであるのか」を理解し、応じようとしていることが見て取れた。フレーベル少年合唱団の定期演奏会に於けるB組のフィーチャーは長いこと、A組ステージの後半の数曲をシェアするかたちで催されてきた。幼稚園年少の男の子から(2015年現在の募集では年中さんから)所属するスターター・クラスの演唱としては実によく仕上がった演奏を聴かせていたのだが、位置付けは所詮「A組のオマケ」に過ぎず、フレーベル定演の持つ「活動報告会」としてのスタンスを活かし難いというきらいがあった。55回目の定期演奏会でAB組のステージ設定が「下位クラス」のコーナーとしてではなく、それぞれのメルクマールの設定と到達度の公開といったシラバス的なものに大きく変化したことがわかる。1曲目の「ことりのうた」で団員たちはユニゾンだが緩行のぴょんこ節をキープしつつ、なだらかで高めのピッチの山型旋律を3回たどってゆき、「♪ピチクリピ」と優しい声でさえずって終わる。最後の音は、冒頭の小節で一度登った本曲の最高音である。小学生のような頭声はまだ出ないが、彼らがそれを目指して練習をつんでいることは容易に聞き取れた。また、「♪ぴぴぴぴぴ、ちちちちち」の連桁八分音符が小さな団員たちの身体をスタッカートの唱法へ誘引していることなど、選曲が注意深くおこなわれているように感じた。しかも、「ろばの会」と同時期の1952年の童謡をとりあげている。ピアノ伴奏にモダニズム的なイメージを感じるのはこのため。当夜は全てのクラスのイントロMCが統一的にアバンの位置に置かれているので、B組でも1曲歌ってから「ぼくたちはB組です」のナレーションが入る。2人組のショーアップで行われたこの最初の短いMCは低い声で未就学児のイメージを覆すほど素っ気なく無愛嬌だったために客席からはストレートな笑い声がもれた。だが、本年度のB組団員たちの正立する姿を見る限り、これは彼らの偽らざる気持ちの表れだったようにも思えてくる。
続いての演奏は鍵盤ハーモニカを導入に配したベートーベンの「歓びの歌」。移動式のフォールディングテーブル4台に楽器を並べ、これをステハン4名の手を借りてステージ前方へ流し込み、少年たちは楽器をセッティング位置へ平置したまま卓奏パイプを使って立奏するというフォーマットを採用している。驚くべきことは、最初の一音から美しく揃った息の流量と呼気温度で安定していたこと。一方で「男の子」っぽいスピードで息を送っているため幼少年らしい茶目っ気もキープしている。また、片手(卓奏パイプを用いた鍵盤ハーモニカの奏法では、パイプのマウスピースを左手で軽く握って吹くスタイルが教育楽器としては標準で、右手だけで打鍵することは不自然なこととは言えない)だが一本指ではなく、どの子もきちんとした運指で演奏していたこと。このステージには「自由保育」の片鱗も、「小1プロブレム」のかすかな予兆も見られない。曲はpfのブリッジを挟んで、パイプを放ち、ドレミとラララのボカリーズに持ち込まれる。「幼稚園児に階名唱や固定ドは時期尚早で無意味だろう?」というのは最早過去の物語。この年齢の子どもたちにこそドレミで歌う機会を惜しみなく与え、楽しませ、我がものとさせることの大切さは今更ここで述べることではないだろう。フレーベル少年合唱団は未就学の少年団員たちにこのような教育プログラムを用意して施し、確実に身につけさせているということを顕示する説得力のあるアナウンスとデモンストレーションの場になっていた。事実、彼ら未就学児の歌声の少なくとも半分はしっかりとしたピッチホールド(音程)で展開する。歌は少年たちの第九メーキングのようにボカリーズへと持ち込まれ、やがてトゥッティ的に収斂され大団円をみる。
音楽監督は休憩後のステージMCの中でB組の演奏楽器を不用意に「ピアニカ」と言いかけ「鍵盤ハーモニカ」と訂正していた。保育図書の会社の主催する演奏会である。客席には幼保や小学1・2年担任などの教育・保育の現場で子どもたちに日々接している者が多少なりとも詰めている。遠目に見ても楽器の材質や色、パイプのジョイントの形状などからこれが、材質も重量もお値段も若干お高めなSUZUKIのソプラノ・メロディオン32鍵であることが分かる。このチョイスはさすが保育教材を扱う会社の少年合唱団なのだ。面白かったのは、少年たちのその歌口にどうやら団員名のシール(テプラ?)が貼られ、衛生上、混用を回避しているらしいのだが、唾液に触れずに済むジョイント部分ではなく、消えやすく剥がれやすく貼りにくい唄口にわざわざ貼られていたこと。未就学の男の子たちに自分の楽器を正しくピックアップさせるだけのことにも細やかな配慮の存在することが分かる。だが、小さい彼らは文京シビックの1800席規模プロセニアム可働の大舞台の上で、セッティングされた鍵盤ハーモニカの吹き口の氏名が整列順と齟齬していることを簡単に見分け、本番中、冷静に自分たちの立ち位置の方を楽器に合わせ入れ替えて演奏してしまう。その恐るべき泰然自若ぶりは、彼らの小さな脳ニューロンで働くドーパミン・トランスメ[ターの統御を強く感じさせた。おそらく、このことにより、退場時に再登壇する先ほどのS組エスコートのメンバーは、入場時と異なるパートナーが突然目の前に現れて狼狽し、動揺から撤収に混乱をきたした。ここがまたS組お兄さん団員たちの振る舞いの天然チックな可愛らしさをたっぷり堪能できた場面。お客様は、もはや撃沈である。わずか10分間ほどのB組ステージが無味乾燥な音楽教育実践報告の場だけで終わってしまわないよう、ファジーな要素がからみやすい可塑的な計画が組まれているのである。
S組団員たちより緊張しているB組の少年たちの顔色が後半非常に明るかったのは、鍵盤ハーモニカの置き台に鰍ッられた白いテーブルクロスのおかげ。白い布は目隠しではなく、レフ板の代わりをはたして、表面積が狭い小さな子どもたちの顔を生気に満ちて大きく堂々と輝かせていた。
日常生活を送っていても、小学2年生の男の子の頼もしさに計らずも惚れ惚れとさせられてしまうことがある。「僕はもう1年生じゃないんだ。」と彼ら自身も確信を持って思い、しかし誰も声にすること無くやがて「一人前の小学生」(?!)になってゆく。続くパート3のA組ステージで私が惚れ惚れとさせられたのはこの2年生然とした少年たちの歌のトータルな頼もしさと小1プロブレムど真ん中の「A組少年と呼ばれて」なおの1年生軍団のステージ上には見えにくいはじけぶりだった。合唱団のファンを30年以上もやっていると、舞台に出てきた子どもたちの着付けの状態やベレーから漏れる鬢と前髪やブレスの上がり方で彼らの楽屋やステージしも手袖での様子を何となく窺い知ることができたりするようになるのである。
低学年主体。だが、入退場はS組に比して非常に見栄えが良く、颯爽としていて気持ちが良い。特に後半のステージに見られた上手(かみて)側からの隊列の流し込みは秀逸。この手の訓練をみっちり受けているFMの予科生の入場と見まごうばかり。前方を見据え思い切りよく少年らしいストライドでバミ位置へと迅速に進み出てスタンバイを終える(退場時も同様!)。また、A組のMCスタッフは昨年度定演とほぼ同じメンバーで場馴れ手慣れの心地よさ。アルト最右翼のMCたちの頼もしさ!アルト・エッジから点対称移動組のソプラノ君は一昨年のB組時代のナレーションの態度が極めて好印象だったためか昨年度に続けて今定演でも演出MCとして登用されている。少年らしい上気を感じさせつつ2階席に視線を結び、客席の反応を冷静に見て言葉を発する沈着さと聡明さに私たちは舌を巻いた。よどみないセリフの見切りの良さと一曲目の前奏を背中で聞く身のこなしがその存在を印象付けている。
だが、団歌を歌って引けた後、再びこのPart3へ姿を見せたA組諸君のユニフォームの緩み方や汗だくの面差しを見る限り、「この子たちって、楽屋や舞台袖でいったい何をして過ごしているの?」と首をかしげずにはいられない。オープニングではそこそこキマっていたフレーベル少年合唱団らしいベレーのかぶり方は、S組の演唱の最中に舞台裏で何があったのか?(笑)、再登場の際、殆どの団員がブッ飛んで乱れており、客席の視線を釘付けにした。彼らの相手をしてきた楽屋・誘導のスタッフが目を回し舞台綱元にへたり込んでいる様子が目に浮かぶ。
実態的にもルックス的にもフレーベル史上、近年稀に見るヤンチャさ。昨年までの「S組予備隊」という性格を強く帯びたA組(とくにA組後列については)とはテイストが全く異なっている。パート冒頭のMCでも「今年のA組のメンバーは1年生と2年生です」と明言する。これはエクスキューズの意味合いから出た言葉ではないはずだが、演奏が始まったとたん「小学1-2年の男の子だけで、このクオリティの合唱が…いや、そもそも『合唱』と呼べるものがかくのごとく容易に出現しうるものなのだろうか?」と思わされてしまう。秘訣の一つはおそらく上記の通りの大嵐のようなはじけぶり。少年らはステージに上がった途端、楽屋や舞台袖で思いっきり発散していたであろう邪悪な(笑)パワーと破壊的なエネルギーと熱に浮かされたような衝動(!)とを全て無駄なく頼もしく適度に統御された合唱へとコンバートしてしまったように思える。もう一つは、入場場面の美しさに見られるような体格や成長過程の均質さという、指導上のメリット。かつてフレーベルのA組(プレーンA組)には、セレクトに漏れた…例えば高学年でも新入団員という子から、出来の良い年中さんでさすがにB組のまま原級留置できないという団員まで、広い年齢層の少年たちが雑居状態で隊列を作り一つの歌を仕上げていた。入卒団の垣根が低くメンバー構成の殆ど安定しないセレクト・チームへの団員補填のためプレーンA組は毎年虫食い状態で団員が交替し、いわゆる「ワンクッション」のような様相を呈していた時期もあったように見える。だが、時は流れ、おそらく「毎年15人の新入団員を採り、彼らを変声の歳まで揃って歌わせ、卒団させる」という新しい団員募集ルーチンが数年を経てようやく軌道に乗った最初の年に、このA組が成立したものと考えたい。
さて、こうしたA組ステージの最大の白眉は「選曲の妙」だと思う。1曲めの「夢の宇宙船」で、少年たちお得意の声域から明るい音色で歌い始め、シミュラーなリズムを繰り返しながら航宙路線上のトラブル回避に合わせ新たな歌の戦術を繰り出して対処。最後にフレーベル少年っぽい完全な頭声によってクライマックスを囀らせる。私が「1-2年生の男の子だけで、こんなことが出来るのだろうか?」と驚愕させられたマジックの仕鰍ッは、案外このような適切かつ丁寧な選曲が功を奏していると言えるのかもしれない。少なくともこの低学年軍団の半数は既に正しいピッチで頭声発声をものにし、S組上進を待っている子どもたちということになる。聞いていて爽快で気持ちの良い歌を歌える6-7歳の男の子が20人以上も目の前に並んでいるなんて!
2曲目には打って変わってマイナースケールのウェットなワルツというミッション。この子らの喉の実力が軽快でアップテンモネスペースシップ・シャンツだけでなく、しっとりとした作品でも楽しめるということ(習練を重ねているということ)が示される。男の子の合唱のコンサートではチョイスしにくいカラーのナンバーだが、トリオの冒頭から起きる鰍ッ合いやコーダに響いているアルトの中にいる鈍い響きが幼さの中でちょっとカッコよくて渋い。
続く「歌よひびけ」になると、この「鰍ッ合い」のスキルがリバースしながら展開され、観客にとってはお目当ての子の声がよりクリアに捕獲できるという趣向になっている。伴奏の裏打ちやベース音のランニングを頼りにリズムと拍をとらざるをえない彼らとっては「合唱ピアノ」を聴くという大切な訓練の場になっていたように思う。実際バックビートで微かにリズムをとって歌っていた団員が何人か見受けられた。この子たちも、間違いなく1年生や2年生なのである。(ただ、本曲にはちょっとムフフなギミックがあって、アルトが先行で歌い、ソプラノ君たちがさりげなくそれを追唱していたりする…!)
そして、Part3とA組の顔見世と前半の部のフィナーレを飾る選曲の決定打は昭和56年(1981年)第48回NHK全国音楽コンクール小学校の部の課題曲「未知という名の船に乗り」。この曲を歌って小学生時代を終えた当時全国1200校以上にのぼる参加校の卒業生は現在既に40歳代半ばをむかえている。それ以降に生まれ、学校の合唱コンクールや音楽集会などで「未知という名の船に乗り」を歌った経験のある人々は、当夜、文京シビック大ホールの客席の少なくとも半数を保護者・学級担任などの立場で占めていたに違いない。だからこそ「小学校低学年に『未知という名の船に乗り』なんか歌えるの?!」のセンセーショナル!「私たちが高学年で歌ってさんざん苦労した、あの曲を1年生男子が歌うわけ?」の驚き!ソプラノのMCボーイ君は念押しとばかり「難しかったのでたくさん練習しました。」と触れている。うぅ、カッコかわいくてズルすぎる!彼らは35年ほど前に彼らの大先輩がたや客席の人々が学校で難儀しながら歌ったこの作品のオリジナル通りの前奏に担われて、楽譜通りのユニゾンで歌い出すのである。1-2年生らしい駆け始め。フレーベルらしい頭声。21(17)小節以後をPart3に通底した「鰍ッ合い」「ジャンプ」「アルトパートのリード」といった覚えたての(?)手法を駆使して合唱に仕上げる。2番冒頭の「ホホー」の合いの手(全音符二つ弱の長さのロングトーンをアルトパートだけでキープする)などの割愛は一切無く、伴奏を含め全てフルバージョンでピッチ以外の誤謬無く最後の合唱スキャットまでを歌いきった。今世紀に入ってから、卒園式などの場を中心に、幼保の保育現場では年長さんへかなり難易度の高い合唱曲などを歌わせることがトレンドになってきている。保育図書のレジェンドである株式会社フレーベル館を代表する少年合唱団が、こうした動向へ真摯に対応しているとは考えられないだろうか。
団長挨拶は今年もインターミッションの前に行われている。飯田団長の就任が合唱団の革新の契機になっていることは疑いもない嬉しい事実。OB会との和合を感じさせるPart4のOBステージへの現役チームの共演。海外公演を射程に入れた練習継続などの話題が情報としてもたらされた。ただ、海外公演に関しては2016年度の開始時点ではまだ具体的計画は明らかにされていない。また、「日本の誇りとなるような少年合唱団に育てていきたい」との祈念は自らを戒める謙遜の言葉と受け取った。フレーベル少年合唱団は只今も紛うことなき「日本の誇り」と私は判じて疑わない。
Part4はOB会合唱団による男声合唱のためのメドレー『四季の風景』のダイジェスト版演奏。この組曲は、懐かしい唱歌を中心に10曲をピアノ伴奏、Solo入りの男声四部でメドレー化したもの。題名にもあるように、梅雨明けの頃から始まって春の訪れで終わる四季巡りの曲集だ。全10曲をつなげて演奏すれば15分間ほど。しかし、今回のOB合唱のように配当時間内へ収まるようナンバーをピックアップしても、単独で採り上げて歌っても良いという編曲になっている。客席は実際、一曲ごとに拍手をしていた。ここまでを読まれてピンと来られた方…、前年の仙台公演まで現役チームがレパートリーにしていた源田俊一郎編曲の混声・女声・男声合唱のための唱歌メドレー「ふるさとの四季」の後継企画的合唱曲集。もともと「わかば」で始まる組曲だがOB会は間の4曲を飛ばしSoli込みの「緑のそよ風」で歌い終えている。つまり、OB会のこの演目は、現役の少年たちのへの明らかなオマージュになっていたのだ!曲の途中でこれに気がついて聴いていくと、なるほど歳を経てすっかり上品な歌を歌うようになられたOB軍団の歌声が、その現役時代の初々しいイメージを湛えて流れているように思えてくる。メドレー向けの歌を6曲というチョイスは驚くほどの刹那のあっという間の出来事だ。だが、Part4のOBステージのトータルタイムは20分間。次のPart5のアンコール部分を別立てに見做せば55回定演の全ステージPart中、このOBステージの長さがダントツの時間だったということになる。これが一体何を意味しているのか、当夜客席に在って終演までを聞き終えた人々にとり明々白々だった筈である。
登場してきたのは「新任」の音楽監督。歌い終わって進み出てきたのはOB会長。2人は邂逅のごとくステージしも手コンサート・グランドの前に立ち、おそらく定められたシナリオに従って合同演奏「遥かな友に」へと至るインタビューをすすめる。出色なのは、そうした構成台本の存在を感じさせない自然な話の流れ。音楽監督が、OB会長の回顧を聞きながらフレーベル少年合唱団とOB合唱団のレーゾンデートルを知るという運びになっている。初めてこの合唱団の定期演奏会を聴きにやってきた観客たちに寄り添うような良心的なスクリプト。こうして私たちはフレーベルのありかを再び思う。
かくして、OB諸氏の隊列の前に、現役S組セレクトの12名が静かに進み入る。ソプラノ、アルト各6名の秀逸なコンフィギュレーション。「選ばれし者たちということにしておきましょうか」とのナレーションがかかる。一瞬ニコリとする団員もいるのだが、彼らはたちどころにひたむきな表情、あの面差しへ。メンタルリハーサル。入場直前までステージ袖で声を合わせ練習を繰り返していたかのごとく、頭蓋の中で曲を幾度も反芻しているように見える。日本人の少年合唱団員がステージに見せる最も秀麗な心惹かれる表情がそこに。演奏が始まると、少年らのこの表情に「細心の注意で客席に響く自らと自分たちと合唱全体のトーンを聞き取り差配し歌い進めようとする」者の清冽な面体が混じってくる。「この瞬間が、第55回定演の隠れた天辺なのかもしれない」と私たちは気付き、震撼しはじめる。会場入り口で渡されたアンケートの「本公演で良かった曲目は何ですか」の質問に迷わず「遥かな友に」と書きこんだ人は少なくなかったろう。
ネット上を浚うと「フレーベル少年合唱団はなぜ『遥かな友に』をレコーディングしないのか」というリクエストを目にすることがある。引き合いに出されているのはVBCが1976年のLP「ビューティフル・サンデー 天使のハーモニー(3)」で収録したオーケストラ伴奏の録音。ソロの入ったカスケードふうのストリングスをベースに、ハープのグリサンドやウィンドチャイムなどを多用したシーショア・セレナーデっぽい、ちょっと?なインスト。ベツモノの感もある印象に仕上がっている。「遥かな友に」の作られた津久井(「遥かな友に誕生の地」や「遥かな友に歌碑」の石碑が存在する)に合唱交歓のため演奏旅行で毎年通っていたのは晩期のVBCだが、彼らのその録音の白眉は丁寧にボイトレを受けたアルト声部が潜在的に鳴り続ける高安定性というところにあった。VBCの作品と今回の演奏の間には制作を誘起させるようなインタラクションがあるようには思えない。
フレーベル少年合唱団はこれまでもOB合唱団と声を合わせる経験をしてきている。毎回の定演のアンコール演目で。S組に関しては例えば50回定演のフィナーレでヘンデルの「ハレルヤ・コーラス」を「先輩方も歌った演目」との位置付けで四部合唱したりしている。今回の「遥かな友に」がこれらの演奏と明らかに違っていたのは、「せっかくの機会だからOBの皆さんも現役たちと歌いませんか?」といったオマケ的なオプションではなく、OB合唱団が現役チームをしっかりと引き寄せて歌い終えたこと。合唱団の側がおそらくそれを仕鰍ッたこと。演唱中の団員の目つきは「僕らは先輩方と最後の一秒まで一生懸命練習してここにいる」とどの子も言っていたし、14名の先輩方の前に1列で並んだ少年の立ち姿は、「タキシードをまとったOBらの数十年前のひたむきな姿」を1対1対応で目前に並べるという素晴らしい表象だった。右から4番目で一本気に歌う小さな(彼はこの隊列の中で背丈も団員歴も一番新しかった)はに丸くんの歌は、S組セレクトの中で一番頼もしく凛々しかった。なぜなら、このステージの彼は、もはやOB隊右から4番目に歌うOB会長の50年前の明らかな心像だったから。
本曲が作られた時の物語は比較的良く知られている。書かれたのは合宿所の薪小屋。時間は目をぱっちり開いた大学生たちが寝床の上で悶々(笑)としている夜更け。ピアノも譜面台もタクトも無いムサ苦しい場所であろう。この初演(?)を歌った早稲田グリーの学生達は下着同然の寝間着姿だったはずである。本定演での演奏は、この場面のみ指揮を音楽監督・pfを合唱団側の吉田先生にスイッチさせていて、当企画のハンドリングの詳細を窺い知ることができるのだが、合唱団での合宿練習経験を一切持たない現役組の少年たちがその「スマート野郎の子守歌」のイメージを壊すことなく、秘めたものを小出しにしながら3拍子の存在を感じさせないほどロングトーンで静謐に歌ってくれたのがぞくぞくするほど嬉しかった。最後に男声陣が良識をもって声を潜め、少年たちのフェルマータ付きの付点四分音符が文京シビックの2秒超の残響の中へ夜の帳のごとく消えゆくのを耳にした私たちは拍手することを忘れるほど悩殺されたのである。
続くPart5は「故郷」に始まり「ふるさと」で終わる最終ステージ。指揮者は総出演で2曲ずつを分担した。登場するのはS組セレクト。かつて「A組セレクト」という名前で呼ばれていた現在のS組本隊。A組とこれらの初等組み合わせ論的チーム配列。B組は登場しない。
B組が終演のステージに姿を見せなかったのは、おそらく今世紀になって初めての10年ぶり以上前のことと記憶する。年齢層の一番低いB組の楽屋待機時間が最も長時間に及ぶ昨年までの香盤を改め、先入れ可能なこのクラスをパート2で歌いきらせ、インターミッション中にバラす。入れ替わりに楽屋入りの一番遅くなるOB組を同じタイミングで現役S組セレクトに合流させたという穏当で常識的なスケージューリングに改められたのだ。さらに1-2年生で体力的にはほぼ限界のA組をPart5前半にフィーチャーしてから一旦休ませ、最後の力でアンコールを歌わせた。全体で30分間前後のクドさの感じられないあっさりとした印象のステージに仕上がっている。ここ迄のタイミングを見ても明らかなように、今回の定期演奏会は時間設定をはじめとして実に緻密に構成が練り上げられているのが分かる。アンコールでさえ、きっちり10分間で閉幕までを運んでいた。
その奥義と言えるのか定かではないのだが、当夜の後半の部には団員のMCが終演の号令まで一切入らない。マイクのハンドルは音楽監督だけで、曲目解説等は全て刷新されたプログラムの文面に一任されている。
合唱団は今年、1984年の第24回定期演奏会以来30年間も堅持し続けてきたB4版中折カード片面単色刷りのプログラムをゲリラ的に更新し、全ページ・フルカラーA4中綴じ8頁のデラックスな小冊子に差し替えた。トッパン・グループの一翼を担い、日本人であれば老若男女、すべての世代の人がいづれか手にしたことのある絵本を作り続けてきた会社がデザインしたパンフレットである。シンプルでソツなく、読みやすく楽しい。来場者全員に手渡されるプログラムの内容は、担当する先生方やOB会長の筆による各パートの懇切丁寧で気持ちの良い解説が4頁。続いて音楽監督のご挨拶と先生方、OB合唱団のプロフィールが読める。驚くべきなのは8頁目にあたる裏表紙の内容。仙台公演のプログラムを評して「こんなに鮮明でカッコいいビジュアルが作れるのならば55回目定演プログラムの端っこを飾ってくれていて良さそうなものを」と私はここに書いた。(??!)その演奏旅行の舞台スナップと54回定演のステージ写真が、合唱団の紹介文の下へ鮮明に刷り込まれている。仙台のものはアンパンマンこどもミュージアム&モール1階広場でアンパンマンテラス側から撮影されたもの。つまり、アルト側から撮影されたもの。(背後には場内パトロール中のアンパンマンとカレーぱんまんが写り込んでいる)。定演の写真はタキシードで歌うアメージング君から右側のS組のもの。どちらもS組アルトがメインの写真…もしや、「フレーベルのアルトにはイケメン&美声の子しか配属されない」というウワサは真実?!サプライズはそれだけではない。続いて掲載されている団員名簿はこちらも10年ぶりに入団順、クラス別の構成へ回帰。かつてはこれにパート別のカテゴライズが加味されていたが、2004年の定演プログラムで割り付け位置にミスがあったため、翌年からパートが表示されなくなった。当時、会場に来ていたTOKYO FMのアルト団員さんから開演前、プログラムを指して「フレーベル少年合唱団は、アルトがソプラノとメゾの間で歌っているの?」と真剣に尋ねられ閉口した思い出がある。
サプライズに溢れた55回定演のプログラム冊子だが、最後に掲載されていた「おしらせ」に度肝を抜かれた。次回定期演奏会は8月24日!夏休みの終わりから2番目の水曜日。おそらく合唱団創設以来初めての夏休み中の定期演奏会。この設定の意図は、もはや明白。現在のスケジュールでは団員の当日集合が平日、学校が引けてからの夕方になることから現役チームの十分なゲネプロの時間が割けないためだ。一時期日曜祝日のマチネで定演を打っていたフレーベルが「当時のあのくらいの時間的余裕が欲しい」と思ったのもうなづけるというもの。さらに夏休み中ということもあって前日まで散発的にプローヴェを組むことも可能。今年度、入退場や演唱中の客席状況目視、響きの把握など新しい戦果をものにし、今後はさらに出はけを含めたMCのスマートさや段取の迅速・確実さなどを課題として抱える彼らが1秒でも長いリハーサル時間を望んでいるのは確然たる事実なのである。
今回のプログラム冊子には「やなせたかしのうた」のCDの広報と、F館1階を新装して開いたフレーベルこどもプラザの両面カラー広告と定演アンケートと団員募集のびらが挟まれていた。事前に配布された55回定演のフライヤー(ちらし)は例年通りプログラムのデザインを流用したもので、団員募集の要項も兼ねていたが、そこに記されていない一文が正式な「団員募集」には存在した!「決められた練習日に必ず出席できること。」…応募条件筆頭へ加筆されていたのである。かつて「存亡の機」にもさらされたフレーベル少年合唱団にとって団員の所属は長いこと「席を置いててくれさえすれば歌えるときに来てくれたらいいよ」程度の立場の弱いものだったように感じる。彼らには「中学生になるまで、頑張って毎回の練習・出演に、他を置いてでも出席する」というメルクマールが希薄で、現在のOB合唱団がほぼそれ以前の在団員だけで構成されていることを見ても明らか。だが、今年の定演に肩を並べたS組の少年たちの引き締まった表情からは「練習をして、何としてでも定演の舞台に立たなければ」という意識改革が見て取れる。私はこの応募チラシの「応募条件」の加筆がフレーベル少年合唱団捲土重来の鍵になっているように思われた。
Part5の冒頭、コールド・オープンのごとく唐突に、先ほどシモ手袖へ下りたばかりのS組セレクト12名がそのまま再入場してくる。隊列の構成は全く変わらない。スイッチヒッターくんがアルトからソプラノへ。OBステージへの彼らの出演が、このオープニングのもってこいの流用だったことが判明する。今回の登場では、ソプラノ4名、メゾ4名、アルト4名を感じさせるイメージの隊列に見える。違っていたのは各高パート中間位置の2人の団員が1本ずつトーンチャイムを携えていたこと。マレット(ヘッド)の形状(色)の違いから、これが最低音に近い旧モデルの2本の拡張用トーンチャイムであることがわかる。ピアニストの登壇は無く、指揮者の両手が振れるとともに、2人の団員は魔笛の符牒のごとく楽器を両手で3回振り下ろす(片手で振っていないのは、これが拡張用の最大級のトーンチャイムの標準奏法だからだ。この演奏法は正しいのである)。アルミニウムとは思えない深いフューチュリスモな響きが低くステージ全体の音場に紛れ込む。だが、「音出し」と思われた楽器の使用は、2番以降4小節ごと(楽譜で言うと1段ごと)のオルゲルプンクトとして使われる。曲は「故郷」。少年たちは細心の注意でチャイムを振り、セレクトたちは全神経を集中してこの音をマーカーにアカペラで歌い置いて行く。12人という人数に助けられ、団員たち一人一人の声質がクリアに聞き取れる。一人一人の表情を堪能できる。かつての一時期、フレーベル少年合唱団は団員総数がこの人数と違わぬほどに減少した。切なく佗しいかつての団員たち、関係者たちの思いがこの隊列の背後にひっそりと分からぬ程に紛れ、ペーソスに満ちた涼しいボーイソプラノの響きの中で微かに微笑みながら鳴っていた。忘れがたきふるさと…と、彼らは歌っている。リピートを回し、トーンチャイムの持続低音を聞きながら歌い終える。
Part5には8つの曲が並んでいる。全て集合論的な帰属・包含関係を持って選ばれている。例えば冒頭の4曲はかつてフレーベルの定期演奏会で歌われた作品が選ばれている。うち2曲はやなせたかしの詞によるもの。2-3曲目と5曲目以降は番組テーマなどのNHK放送楽曲。5-6・8曲目はNHK学校音楽コンクールの課題曲。「手のひらを太陽に」はNHKみんなのうたの放送作品でやなせたかし作詞によるものだ。62年2月の初回放送で録音を担当したのはVBC(ビクター少年合唱隊が結成披露のプロモーション用ソノシートを配布し始めたのが1962年の4月なので、おそらくクレジットは「ビクター児童合唱団」の誤記であると思われる。発見された放送用音源を聞く限り、当時のVBCの歌声であるようには聞こえない)だが、「手のひらを太陽に」の50周年記念CDの童声を録音しているのはフレーベル少年合唱団だった。今回はおそらく準備のため退場したS組セレクトの後を追ってA組単隊がカミ手ステージドアからのイレギュラーな入場。繰り返すようだが、私はこの1-2年生男子チームの全てが小学校低学年男子にあるまじき頼もしさに満ちていると思う。お世辞にも出来上がっているとは言えない身体を押して出来る限りの頭声を運び、歌い納めの穂先を揃えようと頑張ってくれている。私は2015年度のこのA組のチームは「成功」だと思っている。
彼ら単独の演奏はこの1曲だけで、続く「Believe」からS組が背後に入場し、あの4列横隊の夢のような隊列イメージが再現される。フレーベルでは、ャsュラーな富澤裕セレクションではなく橋本詳路編曲版を使い、限りなく番組オリジナルに近い演奏(テンモセけは、最近やや速めにしているようだ)を再現。ワルトトイフェルくん・豆ナレーターくん率いる低声部がつとめて自然に存在感を発揮した。全隊の少年っぽいステキな日本語は言い淀みも無くきわめてクリアで、手話による歌詞の説明ももったいぶったMCも一切不要の明快な演奏だった。
続く木下牧子『愛する歌』の「地球の仲間」は、フレーベル初演時の歌に比べA組のフレキシビリティーをうまく使い、上級生たちがその上からブラーをかけるようにてん補。S組アルト前列の子たちが大活躍して良い声質で低声を押さえているため、全体にべちゃべちゃ感の無いヌケの良い合唱になった。
だが、A組の快進撃もここまで。学コン課題曲で彼らにとっての新譜にあたる平成27年度第82回全国学校音楽コンクール〔小学校の部〕課題曲「地球をつつむ歌声」でA組アルトたちは窮地に立たされる。おそらく声量の底上げを狙って投入された(?)彼らも「未知という名の船に乗り」から30年…21世紀15年目の課題曲は小学1-2年生がそこそこに歌えるほど容易なものではなかったようだ。音取りが明らかに未完成なのは、特にアルト声部の旋律が音高・リズムともソプラノのアーティキュレーションとは別に書かれ錯綜していて取りづらいため。さらに、走りながらパンチパスで後方の味方へボールを送る(敵にボールを奪われたり、気づかれたりしないように)行く旋律(歌詞)の「バックパス」が冒頭から登場。全体の調性がト長調⇔変ロ長調の繰り返しで移ろっていたり、ドシン!ドシン!と、四分の三拍子があたかもダイダラボッチの行進のように1小節1拍でラストスパートをかけたり…と、小さな彼らを困らせるファクターは数え上げればきりがない。この曲には、ペンデレンツキの合唱曲のように、エキセントリックな音を空間に放つためのクレバスのような休符が各所に口を開けている(最初のものは歌い始めの2小節目)。彼らはこれらを活かしきっていず、結局、音取りのできていないボーイソプラノがペンデレンツキ合唱曲ばりのトーン・クラスターチックに響くのを私たちは聞くことになる。
ここでA組はカミ手側へ撤収し、ラストの3曲は定石通りS組が担当した。
続く「信じる」も谷川俊太郎の詞になる学コンの課題曲だが、Part5の後半に並ぶ曲の中ではやや古い感じのする作品を選んできている。中学の課題曲らしく全体で100小節ほどの長さの気持ちの良い作品。彼らは当夜のS組の真骨頂だった「全音符2つ分のロングトーン」「ユニゾンのカッコよさ」「アルトのリード」「合いの手と追唱」「低い音での言葉の明瞭」「男の子ならではの喉ごしの良いボカリーズ」「少年っぽい内声・ャ潟tォニーのチャーミングさ」「切れの良い高音」など全ての課題をクリアしている。また、生徒が伴奏をすることを想定して書かれた曲と思しき「ピアノ協奏曲」っぽい伴奏や愛らしいブリッジが各所で大活躍!少年たちはそれに背中を押されたのか、曲を「音符の連なり」としてではなく「詞の流れ」として歌い上げている。小学生男子ながらあっぱれ。印象的な「地雷を踏んで…」の歌い出しの前に八分音符1つ分の溜めがあることで気づく本曲の声部は、実はアーフタクトで書かれているのだが、彼らは歌詞を大切に歌っているので、私たちにあまりそのことを意識させない。
同様の魅力は、次の「いのちの歌」でも全て感じられる。かつて、この合唱団が「瑠璃色の地球」を定演などで歌っていたとき、私たちはそれが歌謡曲であることへ俄かに考えの及ばないことがしばしばあった。だが、「いのちの歌」冒頭4小節のユニゾンの歌声は、マナカナ感満載で朝の食卓の匂いさえ思い起こさせる。少年たちはここでも歌詞とその世界を大切に歌っているのである。特にサビで聞かれるアルトのボカリーズとリードの受け取りがめちゃくちゃカッコ良くキレイ。この子たちの得意の声域も判ってとても幸せな気もちになれた。観客が彼らに惚れる瞬間である。
ここ数十年、私はフレーベル少年合唱団のステージ上のアルトに「歌う一匹狼の集団」という幼獣のようなニオイ(?)をきつく感じながら彼らの歌を聴き続けてきたのだが、ついに2015年度、アルト前列に(一人一人ではなく)「チームとしてなぜか魅かれる」というトーナルチェンジを見た。
S組アルト前列にスイッチヒッター君を挿し入れながら同じ背丈のS組初年度生4人のボーイアルトが揃う。美白男子君と、はに丸くんの間に2名のイケメンボーイズを挟み、2015年度組アルトの魅力ともいうべき前列ライトウイングを形成している。定演以外のライブパフォーマンスでもこの4人の配列はほぼ同じ。一人一人はどうということも無い、ギャングエイジの単なる歌う男の子。だが、クリスマスシーズンの合唱団のライブを至近で注意深く聴くうちに気づいた。周囲の団員も、本人らも、そしてもしかすると先生方も気づいていないのかもしれない…現在のフレーベルのアルト声部を下支えしているのはスイッチヒッターくんとこの4人。白手袋のような両掌を体側に伸ばしコンサートの度に繰り出す美白男子君の高安定で明瞭・端正・よどみない正確なナレーション!お隣は、動きの多い歌をさえずってはいても舞台を降りるまで集中力を保持し続けるイケメン君(彼の声質がおそらくこの4名のうち良い意味で最も低めかつハスキー気味)。続いて、まぶたの上に傷跡があるような男っぽい歌い方が「男の子のアルトってカッコいいな」と客席を納得させる声質そのものの二枚目くん(彼のブレスは現在のフレーベルS組の中で最も安定していて、歌っている最中も上体は殆ど静止し、無駄にブレたりしない。この点でも彼は一番男らしい歌を歌っている)。最後に控える、おっかない顔をして前を睨むように歌っているはに丸君は、実は客席から声のかかる人気者。瞬きしているうちに見逃すステージ上の彼の一瞬の微笑みを目撃できた人はきっと幸福になれる。当夜唯一のS組セレクトだったが、実はこの4人のうち最も在団歴が短い。ステージに立っても、まだ手を後ろに組むルーチンが身についていないほどで、タクトをあげる前の先生から「手は後ろ!」の指示が下りる。彼らの本当の魅力は歌以外のところを注視するとよくわかる。ステージに出てきた段階ですでに大汗、ボウタイは入り食って襟足から平ゴムの結び目がピョンと飛び出ている。ラフなベレーのかぶり方。ソックスはぐだぐだ。…本番ではキリリ引き締まった表情で客席を睥睨するカッコイイ少年たちも、おそらく舞台袖を出る直前までは「底抜けにお茶目なボーイズ4人組」?であることが透けて見える。1985年4月5日、TOKYO FMの合唱番組「天使のハーモニー/フレーベル少年合唱団第27回定期演奏会」ライブ収録開始直前のイイノホールの幕内、陣中見舞いに訪れた私の前で、アルト4年生ぐらいの団員たちが先生方の背後からさんざん冗談を仕鰍ッて私を笑わせようとする。放送された録音にその片鱗も聞き取るれことはなかったが、あきらかに30年前の「フレーベル少年合唱団のアルト」のチームとしての魅力をかたちづくり、聴く人々に心からの勇気と幸せな気分を醸していたのはあの陽気で天衣無縫の小さな団員たちだったのだ。2015年のS組アルト前列で歌う4人(去年の定演ステージで未だ「今度はボクたちA組が歌います」とナレーションしていた団員たち)の姿に先輩方のかつての歌いぶりが突然重なって見えた時、合唱団は永の年月をかけてここに帰着し、客席に詰めた人々を幸せにし続けていることを想わざるをえない。彼らを含めた現役の団員全員が中学2年の卒団の日までこのチームでずっと歌い続けてくれたら良いのに!
プログラムの最後を飾る曲は、NHK学校音楽コンクール記念すべき第80回の小学校の部の課題曲「ふるさと」。2013年(平成25年)の作品である。フレーベル少年合唱団はレパートリー的にフレーベルらしさを残しつつも「ャXト3・11」の選曲へようやく舵をきったと考えてよい。Part5後半に並んだ作品群はアンコールの幕切れに至るまで、ともに震災を体験した私たちへの「癒し」の恵投である。「故郷」から「ふるさと」へ…の構成は、合唱団自らが80年代以降くぐりぬけてきた苦闘の歴史を添わせることで、ドラマチックな物語に仕立てられている。冒頭「故郷」の前曲が、磯部先生時代の合唱団を象徴していることにも合点が行く。合唱団はこれをブキッチョで天然系?で、実はとても気持ちのよい2015年の少年たちに歌わせることで、当夜の観客たちにもまた「癒し」の涼風を当てることに成功している。
この曲で聞かれる彼らの歌声(同声二部)のャCントもまた、「全音符2つ分のロングトーン」「アルトのリード」「『そこにいる』『そこにある』それぞれの合いの手のたたみかけるジャニーズ楽曲っぽい面白さ」「低い音での言葉の明瞭」など、当Partの一連の曲とほぼ共通している。フレーズを「音符の連なり」としてではなく「詞の流れ」として歌い上げるテクニックも曲の冒頭から披露。アーフタクトの自然さも共通。小山薫堂の詩に付けられたメロディーラインの特徴は、ほとんどのフレーズエンドが高音に跳ねること。フレーベル少年合唱団らしい「切れの良い高音」。それ以外のフレーズ収めではアルトのリードで次の歌詞が打ち出されるわけなのだが、「地球をつつむ歌声」でA組が苦労していた歌詞のバックパス(低声で歌いだされた主旋律が、いつの間にかソプラノパート担当に移っている)は極めて自然に流れ、無意識に遂行されている。彼らはこれをサビの部分でさえさりげなく繰り返し行っている。これはあの、4人組とスイッチヒッターくんを中心とする「高音もトライしやすいアルト」を中心とした低声メンバーや、「ドラマよりも誠実」を信条としているようにも見える現在のソプラノの子どもたちの手になるもののようだ。
今回の定期演奏会の隊列でこのソプラノ最左翼エッジに立って歌い続けたのは、アルト最右翼の下段からこの位置に点対称で配置換された合唱団きっての天パー系美少年くん(A組でも、この位置に立っていたのは昨年までアルト左下の端で歌っていた団員さん。この配置換の傾向は面白い)。ソプラノ上段エッジというのは、フレーベルの場合、カルメンくん、アンコール君、ローマくんなど歴代のトップソリストたちの定位置だった。だが、ここ数年の彼の来歴はまるでちがう。ソプラノへ移されてからの彼は、パート内を転々とし、極端な場合、単独のコンサートの最中ですら立ち位置は上下左右に移遷されることがあった。ャWションが全く安定しなかったのである。フレーベルBCのファンであればこれが何を意味しているかは明白であろう。実際、演奏中の彼は集中が途切れて口が開かないこともあったし、ようやくMCが割りあてられたかと思うとシラブルの半分で他の子にセリフを持っていかれたりと、とても苦労しながら歌っていた。だが、本定演での彼はまるで違う。口形は何を歌っているか明瞭であり、美しい姿勢は維持され、眼力があり、集中は終演の瞬間まで一瞬たりとも途切れることは無かった。見違えるような、頼もしい姿で彼は歌っていたのである。彼は立つべくしてこのャWションに留まり、定演後の今も歌っている。私は、55回定演が成功裏に幕を閉じたのは、一方で彼のような団員たちの出現に鍵があると思っている。
また、つい1年前の定期演奏会の最後の一音まで、カルメンくんの後任を託されたと思しきK太君が一人必死の形相でソプラノを支えて歌っていたいびつな印象の曲群も既にここに無い。同じK太君は涼やかに鳴るボーイソプラノの光の波動をその身に共鳴させながらまた、このステージでは安心のまま歌い終えている。
こうしてア・テンレ縺Aあの印象的なスタカートpfのモチーフが弾き出され、曲は終わる。終幕part後半に顕著だったある種の「既視感」が、実は「NHKの番組音楽」というところよりも、「少年たちのテクニック・聴かせどころの共通」ということに、歌い終えた彼らの表情を見て気づかされる。一方、学コン課題曲が並んだということは音楽監督の就任と無関係だとは言えないだろう。
NHK学校音楽コンクールに関連する少年合唱団のレパートリーのインパクトはスタート当初前後のTFBCにも顕著だった。当時の主席指揮者、故北村協一氏が全国大会小学生の部の審査スタッフに名を連ねていたこともあり、再スタート時のFM合唱団は学コン課題曲を必ずレパートリーに据えて、コンサートのたびに歌っていた。FM東京少年合唱団が初めて放送電波に乗せて歌声を披露した実質的なデビュー曲が、実は「おお牧場はみどり」や「気球に乗ってどこまでも」などではなく「わりばしいっぽん」(第51回(昭和59年度)NHK全国学校音楽コンクール小学校の部:課題曲A)であったことをかなり意外に思われる方も多いに違いない。課題曲のレパートリー化はビクター時代の1981年、当年の課題曲「未知という名の船に乗り」から始まり1989年の「あたまの上に空」までの9年間続いていた。課題曲がAB二種類あった年度にはそのどちらも(例えば1988年度ならば「いつか」と「地球のこども」の2曲など)歌い、FM東京のラジオ番組内で歌声を聴くことさえできた。聴衆にとってその年の課題曲は毎年やってくる「お楽しみ」であり、年度チームメンバーの実力の試金石ともなっていた。音楽監督を擁したフレーベル少年合唱団が今後同様のレパートリー的充実をみることを心から望んでいる。
アンコールは、その音楽監督をステージに乗せたままMCを聴かせつつ、上下両サイドからOB隊、単隊列に束ねたA組と指導陣を迅速に流し入れる。B組を除くオールスターキャストで安田姉妹の「ソレアード- - 子供たちが生まれる時」をナレーション入りのフルバージョンで歌った。MC、Nrr.ともに指導者の声。Part5の徹底した団員ホストの省略が踏襲されている。
フレーベル少年合唱団の演奏会アンコール場面での「客席の参加」はこれまでも毎年のように行われてきた。だが、「プログラムに歌詞カードが挟まれています」という振り鰍ッ程度のアナウンスで、実際の客席は「手拍子はするが、周囲の誰も歌っていない」という程度のものであることが多かった。また、一般の演奏会でも「いっしょに歌ってください」と団員たちの声鰍ッはあるものの、演奏が始まってみたら団員たちは英語の歌詞で歌っていた…といった粗放な段取りが目立つ。
今回は監督先生のマイクが前もってボカリーズへの客席への参加を促し、pfによるフレーズのさわりを聞かせ、55小節目以降の合流場面でも丁寧な声かけが身振りとともに繰り返された。客席で楽しげに参加した多くの人々は、実はこれが次のオーラスのアンコールナンバー「アンパンマンのマーチ」をきららかで美麗に聞かせるための言葉巧みな誘導であることに誰も気づいていない。トリプレットや16分音符の弱起をかましたちょっと軽快な歌だが、「初めて曲を聞くお客様も必ず歌ってくれる。(ライブのステージでこの歌を歌っていただくが、お客様のノリが悪くて)困ったことは一度も無い。」と安田姉妹のお二人自身が不思議がるほどの名作だ。歌詞もナレーションも、生まれてくる子どもたちに安寧な明るい未来を託す内容。児童合唱のコンサート後半で歌われる作品として適している。63小節目以降は、突然伴奏が鳴り止み、少年たちのユニゾンの声(当夜、数々の演奏場面で聞かれた斉唱のトーンを回想させる…)が柔和に温かく私たち客席の歌声を引き連れる局面が訪れる。そのきらきらと輝きながらもカッコ可愛い美しさ!やがて、伴奏が楽しげに回帰して私たちは現実の演奏会場に引き戻され、惜しげもない拍手を送ることになる。
だが、どうだろう。突然ステージ上の大人の演者たちはあっさりと撤収を開始し、あっという間に姿を消してしまう。キョロキョロとしている団員たちはたちどころに最後の曲の何であるかに想到し、楽しげに居住まいを整え直す。かくして唐突に…しかし「フレーベル少年合唱団なんだから、この曲なんです!」とばかり最新版のあっさりとした前奏が弾き出され、反射的に少年たちが美しい高声で歌い出す。私が聴き詰めたこの10年間のうち、最も美しい「アンパンマンのマーチ」がこうして終演に歌われた。美しく聞こえたのは、昨年まで怒鳴るように歌っていたB組の子どもたちが今回参加していないからではない。つい数十秒ほど前まで彼らの周囲や客席で大人の歌を歌っていた人々がにわかにそこからはけ、鈴のような甲高い可愛い声が燦然と残ったのだ。鮮やかなコントラストの妙だった。
このように、今回のステージ構成から、少年たちの声を美しく聴かせるという技術は目覚ましく進歩した。ただ単にSABセレクトSの各チームを適当なバランスで出し入れするという机上で組み上げられたプランではなく、少年たちの声を上手い匙加減でプラスマイナスしながら聴衆の満腹感やオーディオセンセーションを掻き立てるという人の耳や感性に訴えるチーム配当にレベルアップしている。これは少年たちの合唱だけではなく、OBステージからスタッフ総出のアンコールと現役チームのみに収斂するフィナーレの「アンパンマンのマーチ」までの「インターミッション後」を貫通するサウンド設計として実に秀逸に練られたものだったと言える。観客はそれには全く意識させられないまま、一つの大きなステージのうねりを一気呵成に見せられ聞かされ気がついてみると終演の拍手をしているという心憎いマジックなのである。
この日、ホールロビーにはささやかな物販があり、開演前の客室にはCD「やなせたかしのうた~アンパンマンのマーチ~」がゴミ鎮めのために流されていた。だが、明らかにそこで聞き取れる天真爛漫、無邪気な近年のフレーベル少年合唱団のテイストが、引き締まった面持ちへ改まったステージ上の少年たちの上に顕れることは無かった。
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※1
フレーベル少年合唱団に於ける4列横隊の唯一の欠点。…同学年の団員を15人の上限で採っている経緯から、同じぐらいの背丈の少年が4列目まで重なり、お目当ての団員の顔がよく見えない。おそらく雛壇の箱足が平置きに近い寸法で咬まされているため?小さい団員への配慮だと思うのだが、B組は従来から山台へ上がることは無かったし、同じ1年生団員をソプラノ側左翼へ縦に配置するTFBCでは特に問題にならない(FMの予科の場合は、ステージピアノの筐体が1年生団員応援の妨げとなる方が問題。全席自由の定演では前方シモ手側の客席が最後に埋まる)ため、安全に留意しながら再考してもらいたい。その方が少年たちの見栄えも大きくカッコよくなることは、30年ぐらい前の合唱団のステージ写真を見れば明白なのだから。
※2
当夜、ステージを経るに従って複数の団員たちの阿弥陀被りのベレーから覗く両の鬢が次第に光りはじめたのがどうしても目に付いた。ふざかしをユニフォームの肩や山台に落としつつ歌う子もいる。汗を飛び散らせただ只管に歌う少年達の姿を見るのは確かに爽快で気持ち良いものではあるが、当夜着たきりだったこのイートンダブルのユニフォームのチョイスは活発な歌う男の子にとってやや厚着に近いものだったのではないだろうか。

2014年7月21日(祝・月) 東北大学 川内萩ホール
開場 午後4時15分 / 開演 午後5時
ゲスト出演=NHK仙台少年少女合唱隊
入場無料
フレーベル少年合唱団コンサート
2014年7月22日(火)
仙台アンパンマンこどもミュージアム&モール 1階アンパンマン広場
10時30分
無料エリア

※図はイメージです
コンサートの終わり、3ステップの山台に4段で揃ったNHK仙台の隊員たち39名とフレーベルの24名の少年たちが小気味良い演出に彩られた「アンパンマンたいそう」を歌い続けます!かつてのフレーベルのユニフォームを想起させもするシンフォニー・ブルーの標準ユニフォーム用ボトムズに、シャーベットグリーンやウェッジウッド色のTシャツを組み合わせたSBC・SGCの隊員たち。ネイビーのベストに赤ボウ・紺ベレー姿のフレーベルの少年たちが交互に隊列を噛まして「♪アンパンマンは君(きみ)さ!」のサビを幾度も幾度も楽しげにたたみかけていきます。お客様方はもちろんのことステージ上の全員が微笑んでいます。インパクトのある、エキサイティングで巧みな、会場をまるごと「元気100倍!」にするフィナーレでした。この企画を思い描き、プログラムを編まれた方々の心中には、ステージの皆が誰をして「♪アンパンマンは君(きみ)さ!」と呼ばわり歌い続けていくのか解っていたはずです。演奏旅行が終わった今も少年たちは自分たちが一体何者であったのかにおそらく気付いていません。雨に濡れれば声も出ず、頭をちぎっては弱っている人々に食べさせてやり、新しい顔を常に付け替えてもらってばかりいる、ヒーローらしからぬルックスの世界最弱のヒーロー…アンパンマン。これは2014年7月の海の日の宵から翌日までのステージに見た「やさしいヒーロー」たちの記録です。
合唱団創立55周年の節目を迎えるフレーベル少年合唱団、ャXト・カルメン君チームとも言うべき2014年度隊の本格稼働の二日間は「仙台公演」と「仙台アンパンマンミュージアム」でのミニライブ。時期としては4月の年度スタートから、定期演奏会の行われる11月までの中間地点に位置し、タイミング的には6月に発売されたアルバム「やなせたかしのうた~アンパンマンのマーチ~」のリリース1か月後にあたります。前年度の53回定期演奏会前後から「来年は被災地の皆さんを無料でお招きして東北でコンサートをやります」といったお話が少しずつ聞こえはじめていました。一般公開で行われた国内の地方演奏旅行としては、「東京フレーベル少年合唱団:山形公演」(昭和61年8月17日山形県県民会館:友情出演=山形少年少女合唱団シニア・ジュニア、山形少年少女合唱団ブルンネン、YBC放送こども会。フレーベルの子どもたちは2部の分量で10曲と合同演奏でフィンランディアほか2曲を歌うかなり満腹感のある演奏を展開した)からはおよそ28年ぶり、平成に入ってからでは岳南の富士市「フレーベル少年合唱団:30秒ボランティア1周年記念公演」(平成10年7月24日富士市ロゼシアター中ホール:このときもほぼ定演と同量の演目を7部構成で歌っていた)からは約16年ぶり、海外公演では昭和62年の「創立30周年記念中国訪問演奏」(このツアーの後、すぐる先生は24期ソプラノで各パートに一人ずつ配される中学3年生団員の一人になった)が最後で、やはり長の年月が経過しています。在京の男の子のみの児童合唱団がどちらも21世紀に入ってから諸処の事情により夏期合宿や付随する夏の演奏旅行をばっさり止めてしまったことを考えると、今回のツアーは非常に貴重なものであったと言えはしないでしょうか。団員たちも、彼らを送り出すお家の皆様も、お膳立てをなさった周囲の方々も、「昨年はどうだったか」という前例が十何年も昔の出来事ですから、たぶん手探り状態で、結果的にたくさんのことを学ばれ、少年たちも一回り大きく頼もしくなったと思います。
赤いタキシードを着た眼鏡の人物を背負い颯爽と飛んでくるアンパンマンのキャラクターを中央に配したスカイブルー基調の素敵な図案は、ャXター・チラシ・入場整理券・プログラムなど全てのエフェメラに使われ配布されました。こちらも過去の演奏旅行での配布物と比較してみましょう。山形公演のときのものはベレーを阿弥陀かぶりにした団員少年の美しいカメオのシルエットが使われ、富士公演でも天使の羽を生やした半ズボン姿のかわいい少年が一人描かれています。どちらも団員の姿を象徴的に表していますが、今回のャXターには子どもの見映えにあたるものが見当たりません。中央に配されたアンパンマンの背中に飛び乗って「頼むぞ!アンパンマン!」とばかり微笑んでいるのは、やなせ氏が自身を描くときに使っていた自画像のキャラクター(やなせうさぎ)です。今や空の上にいらっしゃるはずの方が、ここで何故アンパンマンの力を借りて飛んで来たのかに興味を惹かれます。この図像の意味するところは何なのか、私たち観客は演奏会の最後に気付かされ、思い知らされ、少年たちをますます好きになってしまうことになります。
さて、21日の公演当日実際に歌っていたメンバーの顔触れはプログラムの裏面上部にきれいな集合写真で刷り込まれ、眺めることができます。ソプラノ後列のシモ手から2人目に不自然な空間はありますが、高低2部、背の順で並んだユニフォーム姿の少年たちが22名写っています。絵姿は在っても、実際のステージには立っていない団員さんや、逆に残念ながら写真には写っていなくても、当日の舞台には乗って大切な役割を演じてくれた団員さんたちが認められます。これらの入り繰りがあって実際のツアーメンバーは24名を数えましたが、この写真を見て2つのことを想いました。一つは単純に身長順で並んでいるはずの隊列から、ここに写っていない団員を含めはからずも2014年度のフレーベル合唱団の構造や力学を窺い知ることが出来るように思えたこと。もう一つは、既に30年間以上も定期演奏会のプログラムには現役チームの団員の写真が載ってこなかったので、このぐらい鮮明でカッコいいビジュアルが作れるのならば55回目定演プログラムの端っこを飾ってくれていて良さそうなものを…と思ってしまったこと。飾り気の無いユニフォームを着ている男の子の合唱団でも、出演が多い団ほどこうした写真は保護者や団員やファンにとっても思い出になります。ライブ中の記録と違って支度をして撮るスチル写真だからこそ、あの子のベレーのかぶり方が去年とは違っているとか、○○君の眼鏡のフレームはこの年に変わったんだとか、これは△△君らしいソックスの履き方じゃないしずっと履いてる靴も変えちゃったみたいとか…そういうトリビアなところがたくさん見つけられて楽しいのです。
21日のソワレの会場は東北大学川内キャンパス入口に近い東北大学百周年記念会館川内萩ホール(せんだいはぎホール)でした。震災で部分悼オた東北大の東北アジア研究センターはこの斜向かいのブロックにあります。1960年竣工のダブルパーャXのホールでしたが21世紀に入ってからの改修で、シューボックス・タイプ、オーク張りの深いナチュラルな音響のステージになっていました。最近のフレーベルの子どもたちが慣れ親しんでいるすみだトリフォニーと或る意味共通点を感じさせるところがあります。仙台入りした団員たちにも当然ゲネプロのようなリハーサルがあったらしいのですが、もう何年もこのホールで歌って来たような感じの良い響かせ方を、20人ちょっとの小学生の男の子がイッパツで手繰り寄せたことには驚きを感じます。スパンと狙った所へ声を当ててきます。頼もしいし、カッコいいのです。優しい声も涼し気に鳴らせるし、キュッ!キュッ!と切り込むこともできます。一時期のフレーベルのような、何を歌っても同じ歌に聞こえるというような冗長な頭声発声は存在しません。そういうわけで、合唱団全体の声はエッジが立っていて透明感のある輪郭のハッキリした響きに仕上がっていました。この日のために、どの団員も本気で頑張ってきてくれたのだと思います。定演の前ですと、彼らの歌がきわめて幾何級数的に仕上がっていって本番を迎えることが多く毎年ヒヤヒヤさせられてしまうのですが、今回の「お品書き」の編成を見る限り、そのような心配は杞憂だったことが判ぜられます。演目を見ていきましょう。21日は3部構成で午後5時開演、インターミッション20分間で7時終演ですからおよそ100分間のライブです。プログラムを一見したところ全体のイメージに既視感を覚えます。合唱団「団歌」で始まり、「さんぽ」「君をのせて」…と、アニメソングが2曲。続けて小学生大好きナンバーの「Believe」と「すてきな友達」の2曲。計5曲がPart1です。フレーベル「団歌」などという、仙台のお客様が誰も知らない(笑)ような曲で唐突にコンサートが始まり、人気のかっこいい団員さんらや可愛らしい小さな頼もしい団員君たちをMCに起用し2曲目4曲目の間のベスト・タイミングで聞かせます。前回の定期演奏会でのパターンと酷似しています。影アナが半分で、子どもたちのナレーションが半分。新アンコール君の優しい柔らかい端正な声も、アメージング君の早口のMCもありで、フレーベル少年合唱団のテイストがたっぷりと出ていて楽しいのです。Part2が組曲「ふるさとの四季」で、インターミッションと副団長のお話があり、応援の出演を含む「やなせたかしコレクション」のPart3が続いた後、アンコール2曲で終演…。しかもエフェメラの図案も、やはりやなせ先生でした。お気づきになられたでしょうか?当夜の上演は昨年10月に行われた第53回定期演奏会のリプリーズでおそらく54回定演の部分告知なのです(違っていたのはAB組のメンバーが出ていないことと、終演後にロビーで花束が配られないことだけでした)!少年たちがこれをやるのは、「自分たちのコンプリートバージョンを仙台のお客様にもお届けしたい」という真摯な気持ちからと感じました。
Part1の「団歌」の歌声は、確かにいつものフレーベルの団員らの歌声なのですが、その他の4曲はそれぞれおさらいの積み重ねを感じさせる工夫やチャレンジがハッキリと聞き取れます。デュナミクや表情付けに適度な工作のあとが出ていてチャーミングな演奏でした。これらの曲は昨秋の定期演奏会の後、クリスマスの練習・本番とオペラ・バレエの出演、やなせ先生のお誕生日関連の出演等で中断はしていますが、少なくとも3月にはライブ本番での試行が再開され、レギュラーの六義園や地域行事での出演、ごほうびのお菓子だけは楽しみにいただくという毎年持ち出しのボランティアのステージなどでお客様の胸をお借りして繰り返し歌い、客席の表情を見ながら勉強しなおしてきた歌の数々です。最初にステージで歌われたときはピッチ・歌詞ともにかなり怪しく、また、たまたまなのでしょうけれどFM合唱団のレパートリーにあるナンバーばかりですから、私たちファンもどうしても聞き比べてしまいます。子どもたちはおそらく辛い想いをしながら、幾度も歌ってここまで頑張ってきたのでしょう。そうした少年らしい気持の良さを感じさせる演奏でした。少年合唱団員というのは、見ていないようでいて、ステージの上から客席全体をよく見ている子が多くいます。だから、本Partのようなライブで少し歌い込んだような曲でも彼らは気を抜いてはいないし、いつもは団塊以上のおじいちゃんおばあちゃんの圧涛Iに多い客層を前に歌うことが頻繁な彼らも、一見して小さい子たちの多い客席を良い表情で真摯に見ていました。また、本ホールはNHK仙台のフランチャイズのようなところでもありますから、お客様の中には見たところ隊員さんのお家のかたや応援の方々と思われるお客様が集まっていらして、…当然フレーベルの団員たちの保護者層とイメージ的に重なりますから、ちょっと安心して歌えたところもあったのかと思います。少年合唱団ですから、もちろん最初から最後まで引き締まった表情のままです。ただ、ブレスや口形などを見ていると、心を込め、胸弾ませ、ひた向きに歌ってくれていることがよく判りました。実は開場の午後4時15分過ぎから1ベルまでの間、ホールには塵沈めで今回公開の「やなせたかしのうた」のうち数曲(おそらく、翌日のライブの伴奏(?)に使用するために持ち込まれたもの?)がリピートでガンガン流れていて、一見のお客様もフレーベルの少年たちの歌声がどんなものであるのか、実物を見る前によく分かるようになっていました。それでもなおかつ子どもたちの第一声を聞いた仙台のお客様がたの第一声は「わあ!きれい!」でした。口を衝いて出た正直な感想だったと思います。プロセニアムレスのステージなので袖幕が無く、ホリゾン側の下手袖後扉(オケコンならばパーカッションとかトランペット系のオ兄さんたちが出てくるドアでしょうか…)の中に団員たちが山台に踏み上がるため寡黙にスタンバイをしています。2ベルの後にご担当の方が、袖扉をこっそり開けておそらくご招待のお客様の着席の確認などをしているのでしょうけれど、その後ろにスタートダッシュを待つ紺ベレーのアルトの団員さんたちがびっしり隠れていて、入場前からもう私たちをワクワクさせてくれるのです!キューがかかると今度はこのドアから前後列が同時に流し込まれるため、お客様を殆ど待たせません。かつてのフレーベルの入場に顕著だったもたつきは皆無でした。Part1の演目はあっという間の5曲ですが、一方で現在のフレーベルの少年たちの衒いの無い歌声を一見のお客様に楽しんでいただくには十分な分量・内容でよかったと思います。このことから客席で私が思い至ったのは、仙台のステージで既に姿の無いカルメン君が10年間の永きを歌いきった後に仲間たちへ何を残していったのかということでした。前述の通り、この演奏会はカルメン君の居ないフレーベル少年合唱団にとって初めての大仕事。ツアー中、ソロも凝ったMCも演出も一切ありません。ただ、カルメン君が合唱団を引き連れた過去数年間、経験豊富で自由に繰れるその声を武器に彼が何者かと戦おうとしたことは1回も無かったという事実に目が行きます。自らの声をバリアに皆を守り、抗う者を組み伏せる力技を彼は注意深く回避していたように思えます。アンパンマンのごとく自分の声を下級生たちの糧に分け与え、カルメン君は明らかにフレーベル少年合唱団の一団員であることを全うしようとしてきた。だからこそ、カルメン君のいないソプラノ部が今日もキラキラと100分間を歌いきり、彼ららしい、生きた合唱を私たちへ届けてくれたのだと私は思っています。3月8日、この日、六義園のライブはブッキングの都合からフレーベル館本社正面玄関前のピロティへと場所を移していました。庭園を囲むマンションやビル群の壁にこだまする少年たちの歌声は都市の喧噪の中で本当に美しかった。最後の客上げの場面で彼らは未だ少年合唱団バージョンのアンパンマンのマーチを歌っていました。そのとき、本郷通り側の観客に混じり、周囲の人々や子どもたちから、出て行って一緒に歌えばいいじゃないか…と腕を引かれているのに、ニコニコしつつ「いやだ!いやだ!」とじたばた抵抗する声の変わりかけた普段着の男の子が一人います。フレーベル館前に集まったお客様がたは、ダダをこねて逃げてしまうこの大きな少年が誰なのか良く知っています。聴衆はもちろんのこと、上級生団員たちも(実は、この日はA組の子どもたちもソロ等のミッションのため隊列へ投入されていました)、合唱団のスタッフさんたちも楽しそうに笑っています。合唱団のユニフォームはまとっていませんが、人気者の男の子なのです。彼は7曲入りのソロCD「永遠~Angel Song~
」(TryTrick LLC.)を吹き込んでいて、その後ネット通販などが開始され、歌声も話題になってゆきます。わたしはこの日、フレーベル館の玄関で見たカルメン君のその姿が、彼らしい衒いの無さや未だヤンチャでナチュラルな心根の優しさを感じさせ、忘れる事が出来ません。普段着のこの姿こそ、カルメン君が現在の下級生たちに残していった素晴らしい贈り物の根底にあるものだと思います。
副団長先生のお話をはさんだPart2のソプラノチームの声を聴いていると、カルメン君が後輩たちに何を贈り残し、何のために合唱団で生きたのか、容易に理解することができます。ここでは定演のpart2ステージと同じ女声合唱のための唱歌メドレー「ふるさとの四季」全曲が歌われました。キラキラと輝いていたのはソプラノの少年たちです。今回のツアーメンバーを見てみると、高声部はメガ美男子君やアメージング君のような長距離ランナーが何人もいるような顔ぶれではありません。しかし、彼らは個々の努力と力量とによって組曲全体をしっかりと牽引しています。表情も良いのです。歌声にハートと少年らしい一途さ、ひたむきさと誠意があります。気迫がこもっていてここ一番の勝負時にスカスカな合唱をすることはまずありません。小さい団員たちは手慣れたブレスですが歌い込む気迫に満ちています。当日、本来ならばMCの担当があっても良かったはずの団員たちが、皆この声部の所属であったことを考えてもソプラノ・パートのアドバンテージには納得がいきます。本Part冒頭のMCはK太君が担当しました。「ボーイソプラノの声が合唱団のユニフォームを着て歩いている」ようなスーパー・カッコいい団員くんです。MCの話し声も勿論誰しもがぐっとくるような上気した少年の凛々しさにキリリと貫かれていますが、この日、せめて1フレーズだけでもソロの歌声の出番があったらいいのに!と思いました。
一方、Part2のメゾ・アルト部というと、開演部分でのようなハイパワーが出ません。メゾには新アンコール君の鉄壁のリードはありますが、頼みの綱の最上級生たちは変声ギリギリのコンディションで、小さい団員の中には、多分長旅に疲れてしまったのでしょう、もう立ったまま眠りかけている子もいます。5名編成のアルトの強力なエネルギー源になってもらいたい上級生たちは、この日のための「助っ人」という立場が見え隠れし、仙台公演へ向けてコツコツと1から積み上げて来たという感じが希薄なのと、どうしてもきちんとした基礎発声を徹底して叩き込まれてきたという声のつくりではないため、パワー不足を経験の力で補っていたという感じでした。お客様がたの温かい心からの応援の視線をいっぱい頂いてかろうじて踏ん張っていたような気がします。
クロージング面では今回ツアー1日目のPart1がイートンに赤ボウのフル装備で、副団長先生のご挨拶の間に早替えの紺ベストのスタイルになり、それでおしまいです。プログラムに掲載された集合写真のスタイルのまま開演し、途中でイメージチェンジがパッと簡潔に行われて気分が変わるという、品のある更衣に留めています。Part3になって、今度は煉瓦色ブレザーのフォーマルになるのかと思っていたのですが、衣装替えはありませんでした。NHK仙台の隊員たちが半ズボンにボックスプリーツでカラフルなラフ目のプルオーバーを組み合わせていたため、結果的にフォーマルにしない方が正解で良かったのです。それに、子どもたちのこの衣装選択はPart3のステージコンセプトにマッチし、楽しい雰囲気いっぱいで適切でした。
2014年6月25日、日本コロムビアは、やなせたかし作品の18曲を22トラックにまとめ、「やなせたかしのうた~アンパンマンのマーチ~
どの曲も一聴して、担当している現役メンバーの子どもたち一人一人の姿…歌っているときの仕草、表情、視線や息遣いまでも鮮やかに目に見えるように録り上げられています。ミキシングコンソールの前に座ったエンジニアさんは、自分の仕鰍ッたマイクロフォンを通じ少年たち一人一人の声がオンマイクでフレッシュなままレコーダに飛び込んできてビックリなさったに違いありません。私たちも静かな気持ちで「雪の街」などに耳を傾けていると、各パートから選ばれた団員たちの柔らかなな身体が震えるように鳴って快いボーイソプラノ&ボーイアルトを楽しむことができます。今回の録音の最大の魅力はそこなのです!アルバムの最後には「カラオケバージョン」という触れ込みで「アンパンマンのマーチ」「勇気りんりん」「アンパンマンたいそう」「手のひらを太陽に」の4曲の打ち込みオーケストラ・バージョンに合わせフレーベルの少年たちの歌ったものが収録されています。名前は「カラオケ…」ですが、歌声も録音されているのです(後になってリリースされたコンテンツでは「オーケストラバージョン」という表示に更新されています)。
さて、20分間の休憩を挟んだPart3の全演目は、この「やなせたかしのうた~アンパンマンのマーチ」でリリースしたナンバーから全て選ばれています。NHK仙台SBC・SGCの友情出演は、かつてのフレーベルの地方公演の舞台構成でしたら、他団に1幕をャ刀Iと気前良く差し上げて「どうぞ存分に歌っていってください!」とプログラムを編むのでしょうけれど、今回はおそらくフレーベルの子たちのパワー総量やレパートリー量のコンパクトさに合わせて、それをしませんでした。「アンパンマンのマーチ」で幕を開け、「勇気りんりん」の2曲までが2つの合唱団の冒頭の合同演奏でした。「…マーチ」の前奏も、従来の少年合唱団バージョンのものではなく、今回販売開始になった録音のpf版と同様の前奏になっています(全て池田規久:委嘱編曲)。出演している仙台の隊員たちはフレーベルの子たちと年齢層的にはあまり違いの無いメンバー構成でしたが、「…マーチ」の最初の四分音符を3つ歌っただけで高い実力がサッと判明しています。2曲目の「勇気りんりん」も、ハンドクラップの付く新録音版のピアノバージョンのアレンジで歌われました。拍手の仕方で、やはりSBC・SGCのリズム感の鍛えられ方が判ります。プログラムの構成が、Part冒頭とおしまいだけCDの曲順と機械的に同じにしてあるのかもしれませんが、この2曲を冒頭に据えて仙台の子たちの力を引きだしたのは自然な感じがして非常に巧みだったと思います。その後に、フレーベルの団員たちが1・3列目から左右にサッとはけてNHK仙台少年少女だけで、今回の録音のうち少年合唱団が担当していない「地球の仲間」「さびしいカシの木」と「ぼくらは仲間」の3曲を歌います。彼らが単独で声を響かせるのはこの3曲だけです。フレーベルの現状パワーを冷静に見て寄り添ってくれているのです。日本の児童合唱のレベルというのがこの段階にまで育ち高められ熟していることを「地球の仲間」の第一声は物語っていました。また、このように全体量を考えて彼らが思慮深くゲスト出演に徹してくれたことが、当夜の盛会の一つの大きなカギになっていたと思います。
今回の演奏会で、アルバムに収録されているのに演目にのぼらなかったフレーベル少年合唱団の担当作品は2曲だけでした。1曲は「雪の街」。もう1曲は「シドロアンドモドロ」です。他のライブでは演奏されていましたが、最初の第一声から、最後の「チョン止め柝」のような歌い上げまでが本当に幼少年らしいちょこまかとした明るい声質で総べられていてステキなのです。でも、本当にスゴイのはこの曲のpf伴奏!ライブでもレコーディングでも、YMOばりのハードコア・テクノっぽいメカニカルなサウンド(笑)をピアノ伴奏で担当なさっているのはツアー当夜も伴奏をしてくださった吉田慶子先生です!カッコ良くてまじ、ヤバすぎます!こういうわけで、NHK仙台のメンバーとチェンジしたフレーベル少年合唱団のみの演奏は「老眼のおたまじゃくし」と「きんいろの太陽がもえる朝に」でした。前者はいずみたく、後者は木下牧子の作曲でいずれも定期演奏会の演目として過去に歌われています。昨年まではAB組のレパートリーだった「老眼の…」は、今回もユニゾンで供されました。終始粘度の高いフレーズがもったりと続いてゆきます。ボーイズのファンとしては、このように斉唱で歌ってもらえると、応援している団員さんたち一人一人の声を容易に耳で捕獲できるのでアリガタイしオイシいレパートリーでもあります!「きんいろの…」は、フレーベルの場合、高低のパートのかけひきやバランスが非常にモノをいう作品なのですが、前述の通り低声の通りが本調子ではありません。客席から「しっかりしろ!アルト!!目を覚ませ!仙台まで来て、このまま終わってしまっていいのか?!」と叫びたくなるのをガマンしていた私の気持ち、お分かりになりますか?こうして、木下作品らしいボカリーズの絡みや、フェミニンなアーティキュレーションの許容など、100%の実力発揮とは行かない中で頑張って聞かせていました。その後、少年たちの隊列が上下に開き、SBC・SGCの隊員たちが行間に流れ込み、合同演奏でフィナーレのステージとなります。「勇気の花がひらくとき」と「アンパンマンたいそう」が歌われました。子どもたちのロングトーンが美しい「勇気の花が…」はNHK仙台、フレーベルともに美麗なソプラノが氷の刃物のハッキリとした仕上がり。パワーのかけ方と両隊の質量がバランス良く合唱を前に押し出して、客席はとても満足しました。「アンパンマンたいそう」は、昨年の定期演奏会まで「アンパンマンのマーチ」の影にかくれて(?)、フレーベル少年合唱団でも1年間に何度もプログラムに上らない曲でした。今回、アルバムコンテンツの録音では、ピアノ伴奏なのに冒頭でドンカマっぽいリズム音がカカカカッと鳴って、少年らの嬌声がホウ!とカットインして始まります。左右からは合の手のハンドクラップ。続いて子どもたちが、歌いだしのフレーズをアレンジした風変わりなスキャットを挿入してきます。伴奏のコードもホンキートンクっぽい音が鳴ったり、ちょっとカッコいいコード進行で流していたりして、わくわくしてきます!またオーケストラ・バージョンの方はドリーミング版に忠実で、イントロのブレークに少年たちが「アーンパーンマーン!」と叫んでくれます。どちらのバージョンの嬌声も、隊列前方の中央寄りに立って歌っている低学年くらいの団員たちの声をダイレクトに拾ったような声質が生乾きのまま記録されていて実にたまりません。当夜、録音のテイストを余すところ無く活かした「アンパンマンたいそう」は、前述の通り愉快で楽しい演出と編曲が私たちをときめかせ、かがやかせ、キラめかせてくれました。「手のひらを太陽に」と「故郷(ふるさと)」がアンコールに採り上げられています。当日もともと明るめだった客調が上がりプログラムに挟み込まれた歌詞カードをお客様に見せる照明計画で、フレーベルの仙台ツアー第1日目が幕を下ろしました。フレーベルの子たちに負けず劣らず仙台の隊員さんたちの撤収のフットワークは迅速・軽快で気持ちがよかったです。
仙台のステージ上、左右に並んだ団員らの頭一つ抜き出たひと際高いところ…金モールに刺繍されたフレーベル少年合唱団のfマークが、あみだかぶりの紺ベレーの頂きの上できらきらと輝いていました。彼は今、今日ひと日の演目を歌い終え、右向け右でシモ手袖扉へとひな壇の上に歩みを進め帰投して行きます。そうして山台の下り際に、目前を撤収するアメージング君の背中へと、客席に判らぬようフッと安堵の笑みをもらします。この一年ほど、ステージ上に殆んど表情を崩すことのなかった団員くん。注意して見ていないと見落としてしまいそうな一瞬の出来事でした。それがメガ美男子君の今日の姿でした。表情だけでなく、私の知る限り、この1年間、メガ君の出演していないフレーベル少年合唱団のコンサートは1回もありませんでした。小さな団員たちの多いコンパクトなコンサートでも、ぴょこんと飛び抜けて背の高い、見るからに変声途上のその男の子が必ずいて歌っていたのです。少年合唱団員の変声を興味本位でネタや知識や常套句のように取りざたする人間は世の中に曹「て捨てるほどいます。また、かつて中学3年生のボーイソプラノ団員ですら珍しくなかったフレーベル少年合唱団では彼らの「声変わり」はMC原稿の恰好の材料にもなっていました。時は移り、団員構成が驚くほど様変わりし、周囲で歌っているのは変声などまるで無縁そうなあどけない小さな少年たちばかりです。この1年のメガ君の立ち姿は、こうした来歴の中で私たちに「少年合唱団で本当に大切なこと」が何であるか、さりげなく教えてくれます。どこから見ても二枚目のメガ美男子君が、カッコカワイイ外見の良さを見せつけ、これにおもねるようなステージ運びで歌声を聞かせたことは、だだの一度もありません。ステージに見る彼の毎回の勝負は、幼いA組団員だった時代から一貫して「合唱団員としてのナカミ」を謙虚に問い続けることでした。だから今、彼の外見が「お兄さん」になり、良い匂いのするバラの頬をした可愛らしい小さな王子の外見でなくなっていても、団員としての彼の立ち姿に何一つブレは無いのです。もともと「中味」で勝負してきたメガ君だから、見てくれがどうであろうと美男子であろうとなかろうと、頼りがいのある大切な立派なフレーベル少年合唱団員であることに全くもって変わりが無いのです。私はこのことを思うにつけ、現在のフレーベルのいったい何が私たちをこんなにも惹き付け、団員たちが何を見せようとして歌い、人々を楽しませ続けているのかわかるような気がします。2014年現在、大きく3パターンの各々2から8アイテムの組合せでステージユニフォームを構成するオシャレでナイスなフレーベル少年合唱団ですが、彼らはライブ途上、客席やMCのお姉さんたちから「カワイイー!」と声をかけられる事を極端に嫌います。あからさまに顔をしかめる団員たちすらいます。そこには「見てくれでボーイソプラノを判断するな!」という彼らの強烈な信条表明がハッキリと読み取れるのです。仙台のステージの一番長身なメガ君の頭のてっぺんに、なぜ金色のフレーベルの徽章がキラキラと最後まで輝いていたのか、皆さんもこれで合点がいかれたことと思います。
翌7月22日(火)、一般には平日ですが首都圏の公立の小学校はこの日が夏休み第一日目にあたり、団員たちも仙台ツアーを続行しています。大人の足ですとJR仙台駅エスパルII方面出口などから徒歩圏内にある仙台アンパンマンこどもミュージアムの「アンパンマン広場」で、午前10時30分に2日目のキック・オフでした。15分1本の出演で、フレーベル少年合唱団としては最もコンパクトな10分間前後の営業の次に短いミニ・ライブ。目前の指揮者無し、伴奏もキーボードではなく、カラオケテープでもない、前述のアルバム「やなせたかしのうた」のオケ伴奏の歌入りのトラック4本をPAで流し、団員たちがさらにそこへナマの歌をかぶせるという趣向です。10時半のスタートですから、いくら身支度の速いフレーベルの少年たちでも朝の慌ただしい起床をしてきているはずです。ツアーメンバーたちは、どちらかというとお疲れ気味。また、小さい団員は既にツアーを終えたのか出演していません。前日21日のコンサートでは入場口の1階フロアでCDの物販がありました。(プログラムの裏面に「好評発売中!」の文字も踊る日コロの広告が掲載されています!)一番目立つところへ陣取っているのですが、デスクの位置が僅かに奥まっていて損をしていました。今回の会場はミュージアムの中でもショッピングモールのアトリウムに相当する場所でしたし、本番のパフォーマンスにも使われているわけですからCDの物販があるのかな…と探してみましたがちょっと見付けられませんでした。「会場」と言っても床の中央を外縁部より3段ほど下げて作った窪みで椅子等のセッティングは無く、観客のしゃがむ位置を誘導する白いラインが横に何本も入れられているだけのシンプルなパティオです。これまで彼らが歌って来たような、縁台や立ち見オンリーの場所とは観客の視線のアングルが違います。アンパンマンテラス側の最上段とステップ1段下りたところに2列横隊のレギュラーの整列順で立って(残念ながら、おそらくキャラクターと小さいお客さまとの接触防止のために赤いベルトパーテーションが前方に張られています)ひな壇のようにして使いました。団員クンたちが入場して前方を一見した瞬間、彼らを大きく見上げている小さな子たちの顔・顔・顔…が目に飛び込んで来たはずです。5-6年のステージ経験を持つアメージング君やメガ君でさえ目にした事の無い光景だったに違いありません。おそらくここ10年から15年の間にフレーベル合唱団のライブ経験の中で、今日のこの客席は最も平均年齢の低いものだったはずです。少年たちがこの状況に「ワッ!」と思って良い気持ちで客席に微笑みを返していた光景は目の保養になりました。団員たちの周囲では場内警邏中だったアンパンマン・しょくぱんまん・カレーパンマンが駆けつけて来てくれて応援してくれています。たくさんの人たち、パパさん・ママさんがた…お家に帰ってからミュージアムの今日の思い出のお話の材料になさるのでしょう、写真や動画を夢中になって撮って喜んでいらっしゃいました。こうした光景は日本の他の少年合唱団のライブパフォーマンスではあり得ないことでしょう。彼らの胸に輝くきんいろのfマークがさらに輝いた瞬間でした。会場がアトリウム状と言う印象が強かったからでしょうか、実際には天蓋がありエアコンの効いた涼しい場所でしたが、ベレーにノータイ、紺ベストというスタイルでした。ツアー初日同様、ソックスがクルーではなく、また、着帽で、XYサスペンダーまでいっていないので「猛暑日の屋外対応衣装」というチョイスまでいっていません。ただ、当日の仙台は朝から良い天気で気温もあがりました。野外コンサート経験の豊富なフレーベルの子どもたちは、この5-6年でクーラーのよく効いたバスやビルのロビーで十分な涼をとり、本番キューでサッとステージに出て行って、パッと歌ってサッと撤退する酷暑ライブのかわし方をうまく身につけてきたような気がします。演目は「アンパンマンのマーチ」でいきなり歌いだし、アメージング君の開幕MCの後「アンパンマンたいそう」MC「手のひらを太陽に」さよならMC「勇気りんりん」の4曲がナレーションと交互に歌われていました。全てオーケストラバージョンですから、「…たいそう」の頭には当然「アーンパーンマーン!」と客席を巻き込んだ少年たちの嬌声が入ります。ただ、曲順だけは2曲目の「勇気…」を最後に持ってきてフィナーレに使うということをやっていました。会場をテレビカメラが取り囲んでいるのは日本テレビ系列のミヤギテレビの収録が入っているためです。合唱団の背後にいるキャラクターさんたちの演技は手配が行き届いています。団員たちの前に出て踊るキャラもソプラノかみ手寄り前方の立ち位置が抑えられていて、1体以上はゾーンに入って来ません。旅の疲れが出始めている団員たちでしたが、キャラクターさんたちの動きが直接視界に入らず、客席の反応だけで背後の気配を感じているので最後まで歌に集中することができていたように思えます。前夜に準じたCMの布陣はハッキリとしたナレーションで頼もしかったことは言うまでもありません。
ツアー初日の川内萩ホール、2日目のアンパンマンミュージアム、…両日ともに開演のキューがかかれば団員たちは整然と流れ込んで所定の位置に整列します。今回、全隊のぺースメーカーにあたる先導を担当していたのはあのワルトトイフェル君でした。バミ位置を正確に目指し軽快に入場口から躍り出てきます。意外に思われるかもしれませんが、2014年度チームの団員の中で、行進の姿勢が一番キマって美麗なのは他でもないワルト君なのです!?爽快な脚の蹴り出しと美しいストライド。目的地をスッと見つめた上体、宙を切るような腕の抜き方など、数年前まで口もろくにひらかず空ろな目で抜け殻のように歌っていた同じ団員の姿だとは思えない立派なスマートな行進の姿勢なのです。実物よりひと回りも二回りも大きく見えること間違いなし!私自身、このことに気付いたのはつい昨年の事でした。「まさか、あの子が?!」…というかたは、次のライブの冒頭、彼の入場を見ていてください!きっと超カッコ良くて驚かれると思います!両日ともにアルト下段のライトウイングにはワルトトイフェル君。隣には同じくらいの背丈で豆ナレータ君が配されていました。通常、下級生団員の前方に上級生団員が2人揃って立つ事は無いので、ちょっと驚いてしまうのですが、私はとても嬉しかった。豆ナレーター君は前年12月7日の「文京ボランティア・市民活動まつり2013」(文京区民センター3階・文京区社会福祉協議会60周年記念式典)のライブと終演の挨拶が私の見た最後の出演でした。ワルトトイフェル君は 2013年12月23日サントリーホールで行われた東京ヴィヴァルディ合奏団のクリスマスコンサート「第14回ファンタジックなクリスマス~天使の秘密featuring栗原一朗とパペットマペット」に一人の観客として来ていました。カルメン君のお引き合わせだったのでしょうか、インターミッションのロビーで偶然出会うことができ、点灯式以来出演を控えていることが気がかりだったので、今後の予定を尋ねてみましたが、「(出演するかどうか)わかりません。」という返事を静かに落ち着いて繰り返していました。事実、この半年以上の間、ワルト君の姿を私がステージ上に見る事は無かったのです。今回、ステージ・アルト前列の端に2人はお兄さんらしくしっかりとした脚を統べて立っていました。以前からずっとそうして2人で立ち続けているような姿で、安堵と頼もしさを強烈に感じる図像だったのです。彼らの歌う表情を見ながら、私は突然思い至るところがあり思わず客席で頓悟の声をあげそうになりました。2008年10月8日すみだトリフォニーホール、第48回定期演奏会第4ステージの中盤です。当年度入団のB組団員たちの顔見世がありました。忘れもしないメガ美男子君が1つ上のクラスにいて、A組団員であるのにもかかわらず彼らしくMC後に挨拶のやり直しをした…という思い出深いステージです。このときB組最前列のソプラノ側に、生き生きとした歌い姿に表情もキラキラと輝く眼光の鋭い男の子が一人いて歌っていました。B組ゆえまだベレーがあてがわれず、マルーンの髪にエンゼルリングが光るその子の隣で、今度は丸い黒真珠のようにふんわりと淡い円満な歌を繰り出す優しい表情の幼少年がおっとりと皆に合わせリズムをとっています。1ダース程もいるB組団員の中で、この2人の姿はひときわ観客の目を引くものでした。その日寄り添って歌い、フレーベル少年合唱団の団員としてスタートを切ったこの2人こそ、現在のワルトトイフェル君と豆ナレーター君です。仙台のステージで、B組時代同様前列隣同士に並び、彼らはあの最初の日と全く同じ表情で歌っていました。私がワルト君の心躍る表情とはずむようなビビッドなブレスを見て思ったのは、満身創痍の中、知らぬ観客たちからは陰で揶揄されたりもし(ステージ上ではスーパーナレーター君がいつもそういう彼をかばっているように見えました)、一時姿が見えなくなりそうな時期さえあったその人が、日本中のボーイアルトの誰もやり遂げることのできなかったろう苦難に満ちた旅路を経て帰還を果たしたこと。宇宙探査船「はやぶさ」同様、苦労して持ち帰った収穫物は風塵のように僅かで「物としては何も無い」ように見えます。ただ、若隼の力を信じ策を講じて支え続けた人たちがいたことと任務を続行し帰還を果したことと何かを持ち帰ったという事実の重さ・気高さは計り知れません。ツアー1日目、この2人は途中から腕をきちんと後ろに組まず、豆君は右に下ろした腕の肘を左の掌で掴み、ワルト君は対称的に左に下ろした腕の肘を右の掌で掴んで歌っていました。ステージ慣れした上級生のやることですから、普段は後列のお客様に見えないところでそれをやるのでしょうけれど、今日だけは前列で客席にもそれが見えてしまっています。彼らがなぜ2人セットで招集に応じ2人並んで歌ったのか、その姿を見ていると判るような気もします。
合唱団はこの2日間、「僕たちは被災地の皆さんに夢と希望と感動と勇気をお届けにきました」という内容のMCをしきりに繰り返していました。ステージ上では副団長先生のお話、プログラム文面では団長先生の「ごあいさつ」でも、こうした内容の誓言がみられます。「演奏会がなぜ人的被害の大きかった石巻や名取や陸前高田ではなく仙台で開かれたのか?」ということも勿論ありますが、客席にいた私がナレーションを聞くお客様がたの息づかいから感じとった偽らざる思いは、「震災から3年以上も経って、何を今さら…?」というものでした。政令指定の100万人都市、東北の中心地とも言うべき杜の都は既に大きな復興を遂げようとしています。川内萩ホールの隣地で震災時タワーの瓦解をきたした前述の東北アジア研究センターも、改修が終わり清楚なエントランスの建物になっていました。演奏会のこのタイミングが部外者の私にはどうしてもおしはかりかねたのです。
公演1日目の幕切れ、ついに豆ナレーター君がカミ手位置のまま太く信頼感のあるトーンに成長した声で号令をかけます。「気をつけッ!…ありがとうございました!」。…しかし、ステージ上に並んだ合同演奏後の子どもたちは期せずして全員がこれに応ずるのです。「ありがとうございました!」と。
楽しく歌声にみちた仙台での2日間の最後の最後…聞いている私たちにとっても歌っている少年たちにとっても大切な思い出の1ページになったに違いない仙台アンパンマンこどもミュージアムでの演奏会の終演に、同じ号令で合唱団を御したのは…。あの日と同じ面差しでここに立ち戻って歌い、「日本一のボーイアルト」の名にふさわしい勇気と強さと幸せいっぱいの2日間をくれたワルトトイフェル君だったのでした。しかし何故、この2人が仙台のステージのために召喚され、その位置に立ち、最後の呼号を叫んだか?勿論、当日のアルトの団員構成をみれば一目瞭然なのでしょうけれど、それだけだったのでしょうか?ヒントは終演してもなお、美しいマットなスカイブルーの表紙を私の手許に鈍く輝かせていた演奏会プログラムに大きくハッキリと描かれていました。満面の笑みのやなせたかし氏を背中に乗せ、いずこへと皆の夢を守るために飛んでゆくアンパンマン!フィナーレのステージで、合同演奏の子どもたち全員が一丸となって「アンパンマンたいそう」を歌い続けます!「♪アンパンマンは君(きみ)さ!♪アンパンマンは君(きみ)さ!」…フレーベル少年合唱団がなぜ従来の終演に歌い込み、一般には震災復興のテーマソングともなっていたはずの「アンパンマンのマーチ」ではなく「…たいそう」を選んでいたのか…。やなせ氏は体調不良から引退を決めていたところ震災が発生、「印刷して売り物に貼ってかまわないから」と復興努力をしている人たちに無報酬でキャラクターを描いて送ったり被災地の子どもたちに「アンパンマンをながめて楽しい気持ちを思い出して!」とャXターを作成し配布するなど、引退なんかしてる場合じゃないとばかり復興支援をペンで遂行していたことはよく知られています。ご本人の最後の願いが「誰か私の代わりに現地に入って子どもたちの前でアンパンマンを描いてきてほしい」だったとしたら誰に頼むでしょうか。もともとアンパンマンの企画自体、やなせ先生が少年合唱団のツテを頼りにフレーベル館に持ち込んで採用してもらい、当時のご担当のかたから「もう、(顔をちぎって人に食べさせたりする弱っちいヒーローの絵本など)これきりにしてくださいね。」と言われたとか言われなかったとか…。フレーベル少年合唱団の少年たちが居なかったとしたら現在のアンパンマンは存在していなかったのかもしれません。合唱団の昨年の定期演奏会の10日前、天国に召され、やなせうさぎになった氏の最初の願いは「フレーベルの少年たち!きみらを2日間だけアンパンマンにするから、私を背中に乗せて皆の心へアンパンマンを描きに行こう!」だったのに違いありません。遺言のようなものだから、最短でこの時期なのです。「♪アンパンマンは君(きみ)さ!」の「君(きみ)」というのはフレーベル少年合唱団の団員たちのことなのです。一度は引退を決め、それでも人々を元気づけようと再起したやなせ氏…出演していた一人の団員の再帰に似ていませんか?だから「アンパンマンたいそう」の歌詞を読み返すと、そこに歌われていることが、よく見えるべく押し出されるようにしてアルト隊列右翼最前で歌い、最後に「ありがとうございました!」と叫んだあの二人の団員に驚く程あてはまるのです。フレーベル少年合唱団の仙台公演。これは雨に濡れれば声も出ず、歌声を人々の心に食べさせて元気100倍にしてやり、新しい顔が次々と入れ替わる、やさしいヒーロー…アンパンマンの2日間の物語です。