1912(明治45)年のこの日、初航海中のイギリスの大型客船タイタニック号が、北大西洋ニューファントランド沖で氷山に激突し、翌日未明に沈没し、乗客乗員2208人のうち1513人の儀牲者を出しました。
巨大客船が沈むことはあり得ないという“過信”が最大の原因と言われています。
・救命設備が乗船人数分にはとても足りなかった。
・流氷の監視の怠慢があった。
当日、航路海域における流氷群の危険が船舶間の無線通信として警告され、タイタニックも警告通信を受け取っている。
しかし、この季節の北大西洋の航海においてはよくあることだと見なされてしまい、しかも乗客達の電報発信業務に忙殺されていたため救助を要請する通信が大幅に遅れてしまった。
・とにかく速度が優先された。
最先端技術を誇る客船であるがために到着港への遅延が許されなかった。
この豪華客船タイタニック号が沈んでしまった1912年より14年も前に不思議な小説が発表されています。
モーガン・ロバートソンという人物の「無益」という小説で、その中には豪華客船の「タイタン号」が氷山にぶつかって沈むという物。
生存者711名の中に、たった一人だけ日本人がいました。
細野正文氏(当時41歳)で、氏はアメリカ経由で日本への帰国の途中で、この事故に巻き込まれてしまった。
奇跡的に生き残ったのだが、日本では「おめおめ生きて帰るとは日本男児の恥」と非難する声ばかりだったと言う。
さらに、救出されたイギリス人乗客のL・ビーズリー氏が生還後に発表した手記の中に「強引なかたちで救命ボートに乗り込んできたイヤな日本人がいた」という一文があり「ひきょうもの」と言うレッテルを貼り付けることになってしまった。
細野氏はこの件に関して、言い訳を一切せずに、事故から27年後の1939(昭和14)年に68歳で亡くなった。
死後、遺品の中から遭難後に、救出先で書いたと思われる、タイタニック号に備え付けられていた便せんに書き込まれた手記が出てきた。
その手記によると、細野正文氏はむりやりにボートに乗り込むどころか、他の乗客達を女性を優先にボートへ乗せ、自らは日本男児として最後まで慌てず死まで覚悟をしていた。
沈没間際におろされた最後のボートから指揮官が「あと二人乗れる」と声を掛けたので、周囲に他に人がいないのを確認した上で、死より生を選び、思い切って救命ボートに飛び乗ったと言う。
さらに、救命ボートが救助船に発見され乗り移る際も「婦人達ヲ優先ニテ小生ハ最後ノ最後ナリキ」と、あくまでも女性を先にして自分はあとという武士道の美学を貫いていた。
後にアメリカRMS財団の調査によって「細野氏とビーズリー氏の乗った救命ボートは別だった」と言う事が判明し、ようやく細野正文氏の汚名は晴らされることになった。
この唯一の日本人、細野正文氏の孫にあたる人物が世界的に名前を知られた「イエローマジックオーケストラ/YMO」の細野晴臣氏です。
Celine Dion - My Heart Will Go On (With Lyrics)
春の野をあるいて見つけた花たちです。
<姫踊子草>
<姫踊子草/マクロ撮影>
<蒲公英の絮>
●ゆらゆらとかんざしも揺れ踊子草 楓山人
それは知りませんでした。
タイタニック 映画みました。凄く泣けるときいたのに
私は泣けませんでしたが、fusan様は泣けましたか?
ヒメオドリコソウはかわいいですね~
まるで子猫か子犬の耳みたいにふわふわですね。
蒲公英の綿毛、今日、私も携帯で撮りました。
でも、光が足りなかったのか没..です。
fusan様のは良く撮れてますね~
日本男児の恥、なんてひどいですね。
事実は日本男児の誇りだってではありませんか。
YMOの細野晴臣がお孫さんとは。
どなたかのブログで最近姫踊子草拝見しましたよ。季節ですものね。
日本人が一人いたということは知っていましたが、
後日談があったのですね。
さすが日本男児、一言の弁解もされなかったとは、
しかし、悔しかったでしょうね。
「タイタニック」は、今回のリメークは見ませんでしたが、
昔のは、何度も見ました。
最後船底から、出て来たのは確か2人の若者だったと
記憶してますが・・・
それは、フィクションなのですね。
しかし、細野晴臣さんのお爺さまとは、
驚きましたね!
誤解だと弁解為さらなかった所が凄いですが、
でもご家族は、どんなにお辛かったでしょう?
タイタニックは泣ける映画ではありませんでした。
しかし謎も逸話もいっぱい盛り込んだ大作なんでしょうね。
蒲公英も踊り子草も思いっきり近寄って厳しい体勢で撮ったので、翌日腰に違和感が残りましたよ。
お陰で写真も体力勝負だということを悟りました。
ディカプリオはあの後良い作品に恵まれたようですね。
でも相手の女優さんはそれほどでもないみたいです。
これも巡り合わせ...?
“言い訳をしない”のは当時日本人には受け入れられましたが、現代ではどうなのでしょう。
とても悔しかったのでしょうね。
でも恥をそそごうとして逆に恥の上塗りになるよりは、と思っ黙したのでしょうか。
一度着てしまった汚名を晴らすのが並大抵ではありませんが、いずれにしても現代とは価値観の違いもありますし、メディアの質の違いもあると思います。
昔の日本には、恥を耐え忍ぶ精神的な力もあったのでしょう。
そしてそれを支える家族の力もあったのだと思います。
「タイタニック」には多くの逸話があったと思いますが、そのようなことがドラマになるかも分かりません。
遭難事故からもう100年になるんですね。