ちょっと古い話になるけど、第二次世界大戦中に日本兵が行った捕虜虐待行為「バターン死の行進」とは、何なのかがとある雑誌の記事から問題になっていた。ような。 当時の状勢として、とりあえずあれは本当の話だったんだろう。
しかし、あの話は「旧日本兵の残虐行為」の印象を陳腐にしている。
残虐行為としては、従軍慰安婦問題~南京襲撃まで、戦争と関係のない一般の無実の人の生活/人生/家族/命、、全てを突然破壊した様なストーリーがいくらでもある。
それに比べて、「死の行進」では、まず犠牲者が「市民」ではなくて「兵士」だ。しかも、彼らを兵士として戦場に送り込んだのは彼らが民主的に選んだリーダーであって、日本兵に強制連行されて戦場で戦わされた人達とも違う。
大体、話自体が陳腐だ。「水も食糧も無い中、強制的に何十キロも歩かされた」って。戦争にでたことのある祖父を持つ人なら、大概は当時の日本兵は、水も食糧も無い中、何百キロも徒歩で移動したり、弾丸も爆薬も無い中、マシンガン/戦闘機相手に日本刀で戦わされていた話を聞いたことがあるはずだ。 それに、戦場で餓死していく仲間を看取ったり、ちょっとした傷や病気でも治療を受けさせることが出来ずに仲間を失った経験があるはずだ。
私が最も悲しいのが、その「死の行進」の陳腐さが、「日本兵の残虐行為」全体を有耶無耶している点だ。旧日本兵の生活環境に比べて、捕虜の生活環境は決して悪くなかった。しかも、先進国の兵士は自国のリーダーを民主主義的な選挙で選んでいる。その責任も取らなければいけない。第二次世界大戦中に過半数の日本兵が餓死したとかと言うのは、間接選挙で「大本営」を選んでいた日本人の自己責任だ。
しかし決して、他人の土地を戦場にしても良い理由や他人の財産を略奪して良い理由は、どこにも無い。
しかし、あの話は「旧日本兵の残虐行為」の印象を陳腐にしている。
残虐行為としては、従軍慰安婦問題~南京襲撃まで、戦争と関係のない一般の無実の人の生活/人生/家族/命、、全てを突然破壊した様なストーリーがいくらでもある。
それに比べて、「死の行進」では、まず犠牲者が「市民」ではなくて「兵士」だ。しかも、彼らを兵士として戦場に送り込んだのは彼らが民主的に選んだリーダーであって、日本兵に強制連行されて戦場で戦わされた人達とも違う。
大体、話自体が陳腐だ。「水も食糧も無い中、強制的に何十キロも歩かされた」って。戦争にでたことのある祖父を持つ人なら、大概は当時の日本兵は、水も食糧も無い中、何百キロも徒歩で移動したり、弾丸も爆薬も無い中、マシンガン/戦闘機相手に日本刀で戦わされていた話を聞いたことがあるはずだ。 それに、戦場で餓死していく仲間を看取ったり、ちょっとした傷や病気でも治療を受けさせることが出来ずに仲間を失った経験があるはずだ。
私が最も悲しいのが、その「死の行進」の陳腐さが、「日本兵の残虐行為」全体を有耶無耶している点だ。旧日本兵の生活環境に比べて、捕虜の生活環境は決して悪くなかった。しかも、先進国の兵士は自国のリーダーを民主主義的な選挙で選んでいる。その責任も取らなければいけない。第二次世界大戦中に過半数の日本兵が餓死したとかと言うのは、間接選挙で「大本営」を選んでいた日本人の自己責任だ。
しかし決して、他人の土地を戦場にしても良い理由や他人の財産を略奪して良い理由は、どこにも無い。