写真は会館内は撮影禁止のため(入場パンフレットの写真と会館左手の石碑より)
会館には、出撃前夜に書かれたご両親あての遺書、遺言、辞世の句。妹さんに宛てた手紙などが 沢山展示されています。
どの手紙にもご両親への感謝の言葉がつづられています。とてもきれいな字ばかりです。壁に貼られている戦闘服を身にまとっている上半身の写真は、どの顔を あどけなく、少し笑っています。笑うように指示されたのでしょうか?
皆、国を思い、父母を思い、永遠の平和を信じて爆装した戦闘機もろとも 敵軍に体当たりして逝ったのです。こんなことが普通にあったんです。この情景を、この記念館に展示されている 遺影、遺品をみて、20才前後やそこらの短かすぎる人生(青春)を、国にささげた人たちが確かに存在していた事。 この事は決して忘れてはいけないんだと…心からそう思いました。
いつの世も現場の人間は 世の中の平和を信じて頑張っているのですね。 今、福島原発の現場で 「自分たちがこの国の危機を守るのだ」とわが身の危険をさらしてまで、任務を果たして仕事に従事している人たちをテレビで見て、なぜか オーバーラップしてしまうんです。
出撃前の最後の食事や別れの杯の顔は緊張感が伝わってきます。
私達は先人達のこの様な『護国精神や、周りを気遣う思い遣りの心』が薄れてきているように思います。
でも今回の原発災害に携わる人達は怖さを感じつつ【使命感】によって奮闘しているのですね。それにしても東電の社長は表に出ませんが・・・???体質に疑問を感じます。
一人ひとりの写真が壁に貼られていますが表情が皆さん、少し微笑んでいるように見えたのです。
我が家は二人とも息子なので、この時代の母親が子供を思う気持ち、また感謝の言葉を残して突撃していった息子のことを思うと、いたたまれない気持ちでいっぱいになりました。
鹿児島知覧は少し遠いですが、たくさんの人にこの時代のことを知ってもらい、この人たちの顔を見てほしいと思いました。