Entrance for Studies in Finance

追い詰められた白川日銀(2012年12月16日) 

政府は黒田東彦アジア開発銀行総裁(68 2011に再選)を日銀総裁 副総裁に岩田規久男学習院教授(70)を起用する人事を固めた(2月25日)
また副総裁に中曽宏日銀理事(59) 任期5年
2月28日 衆参両院の議院運営委員会理事会に提示。

白川氏 3月19日(二人の副総裁の任期が終わる日に合わせて)の辞職を表明(2月5日)本来の任期は4月8日まで。任期前の辞職は1998年の松下康雄氏以来。


共同声明は出した(1月22日)が最後まで小出し政策を続けた白川日銀
 追い詰められた日本銀行は政府との共同声明を作成(2013年1月22日 政策決定会合では民間エコノミスト出身の2人の委員がまずは1%を着実にめざすべきとして反対したとのこと)。2%の物価上昇目標(消費者物価の前年上昇率2%を物価安定の目標とすること できるだけ早期に達成とも)も取り入れた(これにより従来のめどは目標に、また目標数値は2%以下のプラスの目標から2%に引き上げられた)。また追加金融緩和にも踏み切った。しかしその中身は、無制限緩和は2014年以降(従来は2013年末が期限)毎月13兆円程度、無制限に買い入れるとした(長期国債2兆円、国債短期証券10兆円を含む)
 14年中に資産買い入れ基金残高の10兆円程度増やし、その後も残高は維持するというもの(101兆円から111兆円)。具体的な政策内容は、これまでと同様の「小出し」政策だった。こうした日本銀行の体質を変えるには、やはり総裁そのものを変えるしかないかもしれない。
 しかし2013年7月の参院選を考えると、この白川日銀の旧態ぶりは安倍政権にとっては好都合なのだろう。2013年4月に総裁が交代。そこで日銀の政策が変わるという流れでストーリーはできているのではないか。つまり緩和余地、無期限・無制限の資産購入などの措置は次期総裁にゆだねられたといえるだろう。

総選挙で追い詰められた白川日銀(2012年12月16日)
 白川日銀総裁は2012年12月16日の衆議院選挙の結果、追い詰められた。衆議院選挙では、2%の物価上昇率目標を掲げた自民党が大勝した。12月18日に自民党本部に訪れた白川日銀総裁に対して安倍自民党総裁は、日銀と政府の間の政策アコード締結、物価目標導入を要請した。安倍総裁は選挙結果を受けて、12月19日から12月20日に開催される金融政策決定会合で、物価目標導入の結論を出すことを求めた(物価目標の設定に踏み切らない場合は日銀法改正に踏み切るとした)。
 12月20日の金融政策会合後の発表によれば、会合は10兆円規模の追加の金融緩和策(長期国債 短期国債5兆円ずつ 買い入れ基金の規模を101兆円程度とする 緩和措置は9月 10月 そして12月と4ケ月間で3回)を全員一致で決める(政策金利は0-0.1%に据え置き)とともに、自民党が選挙公約で掲げた物価上昇率目標の導入を事実上決定した(2012年2月に決めた現在の1%という当面のめどを、2%の目標とすること。10月末の民主党政権との共同文書を、政策協定に格上げする方向とみられる)。
 (この2%という物価上昇目標については、高すぎて信用されずかえって政策効果を損なう、市場の信認を損なうという議論がある。2%の物価上昇は2%の実質経済成長率と見合う。事実2%超える物価上昇率があった1990年代初めの成長率は2~4%。ところが現在のそれは0.5%前後とのこと。少子高齢化で経済成長への期待が弱まってることが背景に日本経済の潜在成長率は0.5%程度とされる。したがって2%は無理があり、現実的な1%を目指すべきとの議論がある。)

 年明け早々2013年1月4日に開かれる経済財政諮問会議に日銀総裁も出席。日銀は政府との連携強化に進むことになった。

米英の中央銀行は雇用やGDP水準を目標とし始める
 2012年12月12日米連邦準備制度理事会のバーナンキ議長は失業率が6.5%以下になるまで(11月の失業率は7.7%)事実上のゼロ金利を続けると発言注目された。ここでFRBは金融緩和(ゼロ金利政策)継続の条件を具体的に明示した。
 1)失業率が6.5%以上(2008年の金融危機以前の水準 これは雇用が改善されない限り緩和を続ける…近いうちの緩和打ち切りはない すでに9月のFOMCで2015年半ばまで続けうるとしていたがさらに踏み込んだ)
 2)1-2年先の予想インフレ率が2.5%以下
 3)インフレ期待が抑えられている
 長期金利の低位安定で住宅投資や消費の刺激をねらっているとのこと
 また期間の長い国債を毎月450億ドル(約3兆7000億円)買い入れるとした。そして9月の金融緩和第三弾(QE3)の継続だともした。 
 前日にはイングランド銀行のカーニー次期総裁(カナダ中央銀行総裁からの転身 本命とされていたタッカー副総裁がLIBOR不正への関与を疑われたことが背景 2013年6月末に任期切れのマービン・キング総裁の後継)が、名目GDPの水準を金融政策の指標とすることも有効だと述べている。中央銀行がこれまでのように、物価の番人であって、そのためには独立性が必要だという議論は、変化しつつあり、中央銀行の政策目標は、政府との連携を模索する方向にある。
 しかし今の日本銀行がこうした英米の中央銀行のような柔軟性、政府との協調姿勢を持っているかは疑わしい。なぜこのような政府と
仲の悪い中央銀行が日本にできてしまったのだろうか。デフレ政策で必要なのは財政政策と金融政策の連携。それを否定してきた日本銀行
の責任はあまりに重い。

今回の選挙の争点の一つは日銀法改正
 今回の総選挙では日本銀行法(1998年 旧日銀法を全面改正。1998年改正では、旧法にあった総裁解任権を削除 任期中 政府・国会は総裁を解任できないことに。また政府の業務命令権も削除してしまった。このように日本銀行の独立性を強めた結果 日本銀行と政府の意志のかい離は大きくなってしまった。まるで政府と対立することが、独立性の象徴になっているのは大きな問題だ)改正が争点の一つになっている。しかしこの独立論は極めて空虚だ。問題は独立が自己目的化していることだ。中央銀行が誤った判断をすることがありうるならなら、その中央銀行に過度の独立性を与えてはならないのではないか。
 少なくとも日銀総裁の解任権を政府がもつ状態に戻して、日本銀行をけん制する必要はあるだろう。
 日本銀行の独立論は日銀無謬論という虚構に根拠があり、日銀による政府との連携を欠いた政策につながっているのではないか。

やっていることと本音が違う日本銀行
 その背景にはなにがあるのだろうか。日本銀行の金融政策に対する姿勢には根本的な問題がある。実は日本銀行自身が自身の金融緩和政策の効果に懐疑的であるという矛盾した状況が続いている。物価政策は日本銀行の所管であるとはいいながら、現在のデフレに関してはこれ以上打つ手はないというのが日本銀行の本音。もう一つの問題は円高。こちらについても現在行っていることで、最大限の努力を払っているというのが本音だ。
 日本銀行の本音は、中央銀行が金融緩和を進めても、実態経済が悪ければ企業が資金を借り入れず、中央銀行から出たお金は、企業の設備投資などに向かわず、途中で滞留したり投機的資金に流れるだけというものだ。そこで(どうせ役に立たない)政策は常に小出しで、次に出す手段を残そうとする。
 しかしこの自分がやっていることを、裏では自分で否定する姿勢は本人たちは気が付かないようだが、誠意を欠いた態度だといえる。では裏で否定するのはなぜか。私の見立ては、政策効果がなくても、自分たち日銀は正しく認識しているという結論を導くためだ。
 政治家が日銀のこうした公家的態度にいら立って、日銀法改正をちらつけせて譲歩を迫るのもわからなくはない。

日銀の態度が日銀攻撃を招いている
 自分でやっていることを裏では否定する、このような姿勢が政治家の苛立ちを誘っている。日本銀行の態度は政府に「協力的」でないというわけだ。政府との協定にとどまらず日本銀行法改正の議論まででてくるのは、自分は日銀法で守りながら、面従腹背で自分だけいつも正しいとする日本銀行の姿勢がそれを誘っている面がある。
 実は日本銀行が金融政策で失敗したとされるケースは少なくない。日銀は無謬の存在でないのだ。中央銀行の独立性が正しいというのは「神話」なのではないだろうか。
 独立性を擁護する一部のエコノミストや金融マンの議論が見落としているのは、日本銀行が政策上の誤りをこれまで繰り返していることだ。独立して正しいことをするのはよいが、その判断が間違っていたら誰がどう責任を取るのだろうか。責任を取らないものが、政策を決定するのはおかしいのではないか。
 日銀の政策の誤りとして引かれる例(参照 片岡剛士「バブル崩壊とともにデフレ本格化 政策ミスで逃した好機」『エコノミスト』2012年11月20日, 36-38.)
  1987年2月から1989年5月までの公定歩合2.5%維持(金利引き下げ維持→資産価格の上昇などバブル発生の原因を作った)
  1990年8月から1991年7月まで公定歩合6%維持(株価の下落1990年1月から1992年8月まで 地価の下落は1991年から 1991年2月から不況      長すぎた高金利維持により景気後退を深刻にした)
  2000年8月のゼロ金利解除(→政府の反対を押し切る強引なゼロ金利解除により2000年11月景気後退を招きデフレ脱却の機会を失った 2001年3月ゼロ金利政策に復帰)
  2006年3月の量的緩和政策解除(→2007年の定率減税全廃も重なり2008年2月から景気悪化を招いた 2008年9月リーマンショック)歴史的な失策の一つとされている。06年7月、(2006年後半の物価の低迷を無視して)07年2月と金利を引き上げ、2006年に入り物価上昇基調にあった日本経済をデフレに引き戻した(福井総裁)。

 日銀あるいは中央銀行の独立性という議論は日銀無謬神話に頼っており、中央銀行が政策を誤ることがあることを考えると無理がある。机上の理想論に思える。その意味で中央銀行はとくに、議会によって厳しく牽制されるべきであると考える。中央銀行の金融政策が政府の財政政策と組み合わさるという(片方が拡張的であるとき片方が引き締め・・・)議論も、金融政策が財政政策を補完する状態(財政出動に限界があるので金融緩和政策)という現状とは異なる。中央銀行が、物価の安定だけでなく、雇用の安定をもその目標としているのが世界の中央銀行の標準的なあり方である。

 中央銀行が物価の安定を図る存在で、政府からの独立性が高いという現在の在り方が、そもそも正しいのかはよく吟味される必要がある。 

 日本銀行は表面上は、反デフレの姿勢を示す。具体的には、2010年10月 買い入れ基金創設し繰り返し追加緩和をおこなった。基金は創設時35兆円程度が101兆円程度に拡大。しかしこれは米欧の金融緩和のもとで円高への進展阻止のためのもので、円高の加速を抑える程度の役割にしかならない。しかしデフレ脱却の道筋は見えない。
 しかし日本銀行の本音からすれば、これはまた当然の結果で、自らの政策の失敗ではないというわけだ。そしてそうした日銀に政治家は苛立ちを隠さない。これは全体として不幸な循環でどこかで断ち切る必要がある。

注目される「次期首相安倍晋三氏」の発言
 2012年9月26日自民党総裁に就任した安倍晋三氏は、日本銀行に譲歩、政策の転換を迫ってきた。

マイナス金利もありうる(11月15日)
経済運営でこれまでの自民党政権とは次元の違う対応をする。デフレと円高が最大の問題だ。インフレ目標を設定し
目標達成まで無制限の金融緩和続ける。マイナス金利もありうる。
ここでも2-3%の物価上昇を目標とする発言があり、
日銀はゼロかマイナスにするぐらいのことをして貸し出し圧力を強めてほしい(11月15日 安倍晋三総裁 都内講演)

日銀に建設国債を買ってもらう(11月17日)
日銀による建設国債の買い入れ。建設国債をできれば日銀に全部買ってもらう。新しいマネーが強制的に市場に出てゆく。政府とともにインフレターゲットをちゃんともって。雇用に関して責任をおうこと。(11月17日 安倍晋三総裁 熊本市内講演)
→ 日銀による国債買い入れについては、財政法に違反する 財政規律は緩む などの批判がある。
→ その後 自民党は選挙公約から日銀による国債引き受けを外す(11月19日 党政調幹部会合)
 政府が日銀と政策協定を結び、復興国債を日銀が全額買い取るオペを実施すべきという、山本幸三議員らの主張が
そこには色濃く反映している。
 なおこうした議論には財政規律の緩みにつながるとの反対論がある。
 これは政府の債務残高がGDPの2倍以上に上っている現状からすれば、財政出動余地は乏しいというものだ。 
   
無制限の金融緩和unlimited credit easingを行ってゆく(11月19日)
 インフレターゲットをしっかり設定して、それまで日銀は無制限で金融緩和をおこなっていく(11月19日 安倍晋三総裁 党本部)
 かつての自民党政権とは次元の違うデフレ脱却政策を説明。大胆な金融緩和をするために日銀と協調し、インフレ目標を
設定する。2-3%の消費者物価上昇や無制限な金融緩和に加え、積極的な財政出動も必要 など。

白川日銀総裁による安倍総裁批判(11月20日)
 11月20日の記者会見で白川日銀総裁は安倍自民党総裁の2-3%の物価上昇論に対して「非現実的」と批判したと伝えられる。次の日銀総裁は、どの政党が政権を取るにせよ、政権と協調できる人でなければ勤まらず、このように記者会見で「次期首相」を攻撃した白川さんに、協調の意思が全くなかったことはあきらかだ。というのは安倍さんがやっているのは、選挙を意識した発言であることは明らか。それを日銀総裁がコメントするのは政治への介入であり、明らかに日銀総裁として一線を越えた行き過ぎた発言だからだ。日銀総裁が、選挙で戦う政党の主張に対して、このような発言をしたことは厳しく批判されるべきだろう。
 そのように対決するのであれば、総選挙後、安倍首相が確定した段階で白川さんは任期満了を待たず速やかに辞任するべきだ。ところが冒頭みたように、白川さんは、選挙早々、金融政策決定会合(12月19日と20日)に先立って安倍さんにあいさつに行く(12月18日)。結論から言えば、この行動は決定会合での対応を相談しに行ったのと同じことだ。

自民党の選挙公約(11月21日)でのメニュー
政府・日銀の政策協定による物価目標の設定 → 日銀の説明責任の強化につながる
日銀の国債管理政策への協調などによる大胆な金融緩和策の断行
日銀法改正も視野に入れた政府・日銀の連携強化の仕組み作り

「政権を取った暁には日銀との政策協調で大胆な金融緩和を実現する」

党首討論会 11月29日(ニコニコ動画) 11月30日(日本記者クラブ)での主張
2%のインフレ目標を導入
建設国債発行の範囲の中で買いオペを進めてゆくことも必要
外債の購入や株式市場に直接影響を及ぼすこともやってゆくべき

参考
岩田規久男「インフレ目標を採用し量的緩和を強化せよ」『エコノミスト』2012年11月27日, 72-75.

originally appeared in Dec.28, 2012
corrected and reposted in Jan.29, 2013

The Top Page
財務管理論 前期 財務管理論 後期 金融システム論 財務管理論教材

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Politics」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
2024年
2023年
人気記事