Entrance for Studies in Finance

GMによるオペルの売却撤回(09年11月3日)について

GM decided to hang on Opel
Hiroshi Fukumitsu

難航の末、カナダのマグナインターナショナル連合への独オペル売却をきめた米GMが(09年9月10日)、売却発表後3ケ月経ったところで(09年11月3日)、売却撤回を決定、継続保有を表明して国際的波紋を呼んだ。そもそもオペルは赤字だったがGMにはよほど魅力があるのか、マグナに売るにあたり、ベルギーの投資会社RHJインターナショナルへの売却(買い戻しを考慮すると有力な案)、さらに継続保有案もGM役員会で検討された。

オペルの保有には、欧州の販売網(対東欧戦略など新興市場開拓機能)やシボレーマリブなど中型車開発機能、そして一定の販売規模などの魅力があった。今後、重要な低燃費小型車の技術、欧州の拠点と量販ブランドオペルの魅力。GMには、欧州事業の縮小への躊躇、マグナの背景にいるロシア資本(ズベルバンク ロシアへの技術流出)への警戒などがあったようだ。売却後もGMは35%の出資を維持して、今後も提携を維持するとしていた。

マグナへの売却を支援してきたドイツ政府はドイツ国内での雇用を最大限維持することを条件につなぎ融資などを決定(18億ユーロのつなぎ融資や45憶ユーロの信用保証など)。またドイツ政府にはこの売却でマグナの背後にいるロシアとの関係を強化する思惑もあった。このようにみるとドイツ政府の面目をつぶし国際問題に発展しかねない売却撤回を、誰がいつどのように決定したのだろうか。GMの取締役会が決定したと額面どおり受け取ることはできない。GMが事実上、米政府の間接的管理下にあることからすると、米政府がなんらかの形で、裏で関与しているのではないかと思える。

ロシア政府はこの機会を逃さず自動車産業の育成発展に努めるつもりだったと思われる(ロシアの自動車産業も経済危機による個人消費の落ち込みのなかで販売台数の減少に苦しんでいるがその発展を阻害しているのは古い企業体質と品質の低さだといわれている。品質の低さはロシア車と競合するのが、年数で5年超の中古輸入車だという点に示される。ロシア政府は国産車と競合する中古車に対して大幅な輸入関税を09年1月に導入、露骨な国内産業保護政策をとっている。国産メーカーとしては1位アフトワズ、2位がGAZ、3位にUAZなどがある。ロシア政府はアフトワズAVTVAZ、GAZに対して金融支援も行っている。GAZはフォードと提携。UAZは軍事車両メーカー出身)。

アメリカ政府(やや理想主義的にみえるオバマ民主党政権も、このような国益問題では現実主義的なのではないか)としては、GM支援の国民のお金が結果としてドイツなど海外で使われたりすることとは避けたいとしてきた、またGM=オペルの技術がロシアに流出することについても避けたいと考えてきた。こうした米政府の意向を受けたGM取締役会は、売却判断を慎重にせざるを得ず、結果としてマグナとの暫定合意報道が2009年5月末にでてから3ケ月の間、議論はゆれ、そして一旦は売却で決着したかにみえた(9月10日)が、土壇場で議論は振り出しに戻ってしまった(11月3日)。しかしヘンダーソン本人はGMの欧州部門のかつての責任者でオペルの事情には精通していたとされる。

新生GMには米政府が60%出資し、取締役も大半は米政府の指名。売却撤回の決定に米オバマ政権が無関係なのかは全く不明だが、おそらく知らなかったとはいえないのではないか(内々に伝えられたのではないか)。はっきりしていることは、現在のGMにオペルの再生に必要な資金の調達力がないということ。それにもかかわらず売却を撤回したのは(ドイツ政府は11月4日に15憶ユーロ=約2000億円のつなぎ融資の11月末までの返却を求めている)、これまで公表されていない資金の出し手(これは全く分からない)をGMが確保している(あるいは見通しがある)からではないかと私は推測している。11月5日 ヘンダーソンCEOは月末までに返済の意向を示した。このお金はどこかでるのだろうか。意外だがGMは公的資金の返済を11月16日に前倒し返済を発表している。巨額の公的資金投入(約500億ドルが投入 新生GMの負債となったのは67億ドルだけ 大半は政府保有株になった)もあり意外にも手もと資金は豊富であるようだ。

その後、11月17日にロンドンで会見したGMの国際事業の責任者は欧州全体で最大1万人の削減が必要として、再建費用の一部を公的支援で賄う姿勢も示した。11月25日にオペル本社でGM野欧州部門の責任者は、再建のため欧州各国政府にも支援を求める考えを再度示した。再建には33億ユーロが必要で5万人のオペル従業員のうち9000人を解雇する方針を示した。

オペル売却の迷走がヘンダーソンCEO解任(2009年12月1日)につながる
このあとであるが12月1日 ヘンダーソンCEOが突然解任される。もともと2009年3月にワゴナーCEO解任に伴い、内部でCOOから昇格した人物。サターン、サーブ(スウエーデン 2009年11月24日にはスウエーデンのケーニグセグとの交渉決裂を発表。2009年12月18日にはオランダのスパイカーとの交渉決裂を発表 3400人の従業員が1月にも解雇とも報道された しかしその後も交渉が続いた)の売却交渉がそれぞれ決裂しており実力不足とされた。オペル売却中止も問題視された。

これらのブランドの売却交渉破たんにヘンダーソン氏がどこまで責任があったかは不明である。ヘンダーソンがまとめたオペル売却案を2009年8月に却下したのはウィッテーカー会長(元AT&T会長)率いる取締役会とされる。ウィッテーカーはかなり野心的であるようだ。だとすると取締役会との板挟みになったヘンダーソンの裁量権は小さかったのかもしれない。

参照「GMのオペル売却問題 迷走続けて元のサヤ」『エコノミスト』2009年11月24日, 14.

Written by Hiroshi Fukumitsu. You may not copy, reproduce or post without obtaining the prior consent of the author.
originally appeared in Nov.6, 2009.
corrected and reposted in Dec.5, 2009.

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