今年は、気持ちがなんとなく落ち着いていて、いつもは、元旦に書いている賀状を、私としては、年内という画期的に早いうちから準備している。
そのうちの一つの楽しみは、いただいた賀状を読み返してみることだと、気が付いた。
その中で、賀状の内容をすっかり忘れていたものがあった。
忘れるはずのない無いようなのになぁ。
その賀状とは、北海道の内田さん夫妻から来たもの。
内田さんは、ウランバートルで初対面の方で、夫妻で任地に赴いたという立場もあって、親しくさせていただいていました。
内田さんの同僚のKさんは夫の最初の派遣の時の同期だったという関わりもあります。
帰国後は、年賀状だけは続いている数少ない方です。
その内容とは、私たちがウランバートルにいたころに起きた事件のことを書き記したものが、ネット上に公開なさったということ。
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まだ、自分のなかでは、帰国後に起きた心の変化が未解決のまま居座っていたのだと認識して、自分でも驚きました。
その賀状に描かれた文章を読んで、まずは、忘れたことにしたかったんだということを認識し、その次は、淡々と受け止めて、そのサイトを見つけて、読んでみるという一連の動作が、淀みなく進んだのでした。
そして、冷静に読み、冷静に思い返すことができて、やっと、この事件の後遺症から抜け出せたことを感じました。
帰国してから、いろんなことが重なり、そのために気持ちが塞いでいるのかと思っていた時期もありましたが、やはり、発端は、その事件だったのだと、認識することで、とりとめのない不安感からは解放され、ひたすらウランバートルを思いだすことを避けて避けて逃げて逃げていました。
年賀状のやり取りすら、一時期つらい時もありましたが、続けていてよかった。
そばに居て一番つらく、辛い思いをした人のほうが先に立ち直って、もっとも正確な情報をこのように公開してくださったことで、静かに受け止めることができました。
私にも大きな救いをもらいました。
モンゴルでの、追悼式、ラマ教の葬祭、荼毘、そして帰国後日本のお墓にお参りをして一連のことは、流れに沿って参加しています。
感受性の回路を遮断して影響を受けないようがんばっていたのだろうか。
それとも、その時は、無理をしていなかったけれど、帰国してから、家族環境の変化があって、
平和な環境になってシールドを不用意に解いてしまったからかもしれない。
もう8年にもなるし、不安定な時の、心は、思いだしても正確ではないと思う。
それにしても、心からお見送りをしていなかったので、いつかは、きちんと思いだしてあげなくてはと思っていた気持ちのつかえを、今日、解決することができました。
心からお悔やみもうしあげて、道半ばで行かねばならなかったことの無念さを思いました。
たくさんの人に慕われ、思いだしてもらって、手を合わせてもらって、七回忌も過ぎた今頃は成仏なさっていることでしょう。
遅ればせに、心から手を合わしました。
『北海道民放クラブ 公式サイト 内田昭憲 「草原の放送局」』に、掲載されています。