風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

北海道の内田さんご夫妻

2014年12月26日 | 出会った人
今年は、気持ちがなんとなく落ち着いていて、いつもは、元旦に書いている賀状を、私としては、年内という画期的に早いうちから準備している。

そのうちの一つの楽しみは、いただいた賀状を読み返してみることだと、気が付いた。

その中で、賀状の内容をすっかり忘れていたものがあった。
忘れるはずのない無いようなのになぁ。

その賀状とは、北海道の内田さん夫妻から来たもの。
内田さんは、ウランバートルで初対面の方で、夫妻で任地に赴いたという立場もあって、親しくさせていただいていました。

内田さんの同僚のKさんは夫の最初の派遣の時の同期だったという関わりもあります。
帰国後は、年賀状だけは続いている数少ない方です。


その内容とは、私たちがウランバートルにいたころに起きた事件のことを書き記したものが、ネット上に公開なさったということ。

まだ、自分のなかでは、帰国後に起きた心の変化が未解決のまま居座っていたのだと認識して、自分でも驚きました。
その賀状に描かれた文章を読んで、まずは、忘れたことにしたかったんだということを認識し、その次は、淡々と受け止めて、そのサイトを見つけて、読んでみるという一連の動作が、淀みなく進んだのでした。

そして、冷静に読み、冷静に思い返すことができて、やっと、この事件の後遺症から抜け出せたことを感じました。

帰国してから、いろんなことが重なり、そのために気持ちが塞いでいるのかと思っていた時期もありましたが、やはり、発端は、その事件だったのだと、認識することで、とりとめのない不安感からは解放され、ひたすらウランバートルを思いだすことを避けて避けて逃げて逃げていました。


年賀状のやり取りすら、一時期つらい時もありましたが、続けていてよかった。
そばに居て一番つらく、辛い思いをした人のほうが先に立ち直って、もっとも正確な情報をこのように公開してくださったことで、静かに受け止めることができました。
私にも大きな救いをもらいました。


モンゴルでの、追悼式、ラマ教の葬祭、荼毘、そして帰国後日本のお墓にお参りをして一連のことは、流れに沿って参加しています。
感受性の回路を遮断して影響を受けないようがんばっていたのだろうか。
それとも、その時は、無理をしていなかったけれど、帰国してから、家族環境の変化があって、
平和な環境になってシールドを不用意に解いてしまったからかもしれない。
もう8年にもなるし、不安定な時の、心は、思いだしても正確ではないと思う。

それにしても、心からお見送りをしていなかったので、いつかは、きちんと思いだしてあげなくてはと思っていた気持ちのつかえを、今日、解決することができました。
心からお悔やみもうしあげて、道半ばで行かねばならなかったことの無念さを思いました。

たくさんの人に慕われ、思いだしてもらって、手を合わせてもらって、七回忌も過ぎた今頃は成仏なさっていることでしょう。
遅ればせに、心から手を合わしました。

『北海道民放クラブ 公式サイト 内田昭憲 「草原の放送局」』に、掲載されています。

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極小巾着

2014年10月24日 | 出会った人


こんなに小さくても、一切の手抜きなしの裏付きの巾着。

何かの加減で頂いたのですが、頂いたときは小さすぎて、なにをいれるの?と半ば、唖然として受け取ったのでした。

ところが、目薬を差さねばならない羽目になって、処方されたチャック式のビニール袋に入っている目薬をバッグに忍ばせるのには、ちょうど良い大きさだったのです。

ありがたや。

色もこの色は、目立つので、どこにあっても、バッグの中にいても、見つけやすいのです。

改めて、矯めつ眇めつしてみると、こんなに小さいのに、手抜かりがない作りになっています。
私だったら、まず、こんな小さいものに、裏生地なんてつけないねぇ。

彼女の細やかな心遣いが、すっと入ってきて、私をとらえて離さない。

はぁ~、私にはまねのできない技だ。

おかげ様、ありがとう。頂いておいて、よかったぁ。

そうよ、彼女は、私をさりげなく上手に論語へと結び付けてくれた人。



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おかげさま

2013年03月12日 | 出会った人
夫にきっかけを与えてくださった方と今日は飲み会なのだそうだ。

国内の企業で仕事を得たおかげで、私は、のんびり詩吟と孫の世話に明け暮れている。

つらかったころのことを、最近は思い出すことも少なくなりました。
夫は夫で楽しげに専門の仕事に取り組んでいる。

どういういきさつで、誘っていただいたのか、具体的なことは何も語らない夫であるが、もちろん、夫の力量を認めてくださった上での結論だと思う。

それにより、経済的な安定とともに、心の安定もどんどんと増してくるこの頃は、何も心配がない。

本当におかげ様。
お目にかかることはないだろうけれど、感謝の気持ちを忘れません。
ありがとうございました。




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ウランバートル仲間

2010年08月08日 | 出会った人
8日は、ウランバートル時代に夫と同期で、私とも友達づきあいをさせていただいていたKさんが、その後も海外の仕事を続けられていて、このほど一段落して帰国なさるということで、おかえりなさい会が開かれました。

ウランバートルで、一緒だったご夫妻や若者たち総勢12人集まって、カラオケで会食。
カラオケといっても、個室の居酒屋感覚で、音も遮断されるため自分たちの世界に浸っていられるのが、なかなか良いものでした。
料理も、居酒屋並みで接客もよく、「幹事さん、いいところを探してくれましたね」

新宿とは、げに、新しい発想のお店がしのぎを削っているのだなぁと、思ったことでした。

彼女は、一ヵ月後にはまた、別のプロジェクトで任地へ派遣されるそうです。チャンスをすかさず掴みそのたびに、新しい仕事に挑戦して、グレードアップしている、パワフルな人です。

日本に居たら、主人側の人ですから、お友達づきあいすることにはならないのでしょうが、ウランバートルではすべての行事は夫婦同伴ですから、気さくな彼女とはお友達として親しさを増したのです。

夫のモンゴル派遣のおかげで、思いもかけない人たちとめぐり合い、お付き合いが深まっているのでした。

帰国後、何度かこういう行事がありましたが、「私一人でも出席します」と返事をしたのは、初めてのことです。

帰国予定の定まらないじきでしたから、夫と一緒ではなくても出席と返事している自分を見つけて、感慨深いものがありました。
それまでは、一人では行けなかったからです。

明るくて、聡明で、気さくなKさんと幹事をしたNさんは、名コンビで、ウランバートル時代にも、良く一緒にお休みの日は遊びましたから、楽しい思い出しかありません。
ほんとに、良く、たのしんだなぁ・・・・・

お酒の好きな彼女ですが、ほとんどいただけない私もNさんとも、飲んでいても居なくても、話の弾むことでした。
その他の参加はシニア5人、青年4人、ちょうど会話の弾むこじんまりとした会でした。

こんなチャンスを逃さず、幹事をしてくださる方が居るので、旧交を温めることが出来るのです。いつもありがとう!楽しかった。
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ぼくと甥っ子

2010年08月07日 | 出会った人
7月29日前後に、とうさんの帰国にあわせて、ぼくの甥っ子があそびにやってきた。
ちっとばかし、たくましくなってきて、ぼくのすがたにびびらなくなっている。

ご飯を食べろとおせっかいをやいたり、、、



隣に寝そべって同じ格好をしているつもりになったり。。。>

すっかり、ぼくをおいぬいて、どんどんおおきくなっている。

驚いたのは、ずいぶんと、ばぁばちゃんと会話になってきたことだ。

2歳を過ぎたら十姉ちゃんが行っていたけど、このことだったんだなぁ。すごいっていうのは。

ぼくは、まだ、「ごぁ~ん」と無くだけだけど、母さんは、狂喜して喜んでくれるよ。

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ぼくの甥

2010年07月08日 | 出会った人
僕はかあさんちのちょうなんで、かあさんの次女の息子は、僕の甥ということになるなぁ。

花火の数日前からとうさんのきこくにあわせて、ちいさんねえさんが親子でやってきた。

僕の甥っ子は、やっと僕のことをこわがらなくなった。
前回までは、越が引けていて、バァバちゃんと一緒で無いと、触ることが出来なかったのだ。

2才と3ヶ月になって、やっと、何とか一人で僕二ちょっかいを出しに来るようになった。

ご飯を食べなさいと強引に、おしだしたり、、、

僕のまねをして、床に並んでねころんだり。。。

花火のときは、スーパーの屋上からながめたらしいよ。「あかだぁ!!!きいろだ!!
みどりだ!!!」と、叫んで、だいこうふんだったらしい。

それでも、やはり2さいだねぇ、第4部まである花火の2部までみるのがせいいっぱいだったんだって。

とうさんは、孫が来てくれてうれしくて、帰国したらお決まりの飲み会を「まごがきてるんで・・・」と鼻の下を長くして断って帰って来るんだ。

玄関では、いつもより甲高い声で、孫の顔を眺めながらしゃべってる。
小さい姉さんが、気を利かせて玄関まで出るように、教えていたのをしらずに、「じぃじが帰ってくるのがよくわかったねぇ!」と言ってる。

ぼくは、誰も気がつかないうちに、玄関に行って舞っていると言うのに、この扱いの差は、何なんだよ。




ご飯早くお食べ                         なーらんだ

     ←50センチ→



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訃報

2010年07月08日 | 出会った人
夢青葉教室の場所を提供してくださっているTさんの母上が亡くなられました。

高校の1年後輩である彼女のお母様は、長年癌と戦っていました。
ひ孫の誕生を心待ちにしていて、あと半年は頑張らねばとおっしゃっていたそうです。とうとう力尽きてしまったのです。

ふるさとに長年住んでいらっしゃった方だし、親しい方のお母様ということもあって、お目にかかったことが無くても懐かしく、また、闘病中と聞くといとおしく思っていた方です。

ふるさとと、今の住まいとを数カ月おきに通い続けた彼女も、ほんとに、良く頑張ったねと言う言葉しかありません。


心から、ご冥福をお祈り申し上げます。







之に伴い、7月10日の夢青葉教室の場所が変更になりました。

あわただしく、旅支度をしながら、電話をくれた彼女は、「鍵をあずけて・・・」などと提案してくださいましたが、今回は、とりあえずお休みにしましょうと彼女には伝えました。


その後、Nさんに連絡をして、相談の結果、カラオケでやりましょうということになりました。
Nさんが探し手配してくれた場所に決めて、もう一人のメンバーTさんへ連絡し了解を得ました。

コンパクトな教室ですから、こんなとき、おかげさまで簡単に変更ができました。


カラオケで詩吟練習というのは、良く聞くことですので、興味がありました。
どんな使い心地なんでしょう。
遊びで、何度か行くことはありますが、詩吟となるとどんなものやら。

ふと、我に返って、ゆっくり逝く人のことをしのぶことをせず、せねばならない作業に没頭していたことを思いました。
教室を持ち、先生と呼ばれることは、感情の赴くままに過ごせない場合もあり、それを長年続けてこられた先生諸氏のご苦労を垣間見たのです。






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ツォルモン

2007年01月23日 | 出会った人
日本企業に就職したツォルモンは、去年の日本モンゴル年でほんとに大忙しの毎日でした。
求人に応募のとき、数千人の中でたった一人履歴書を提出した彼女、それでほぼ決まりだったようですが、面接でさらにダメ押しで決まったようでした。

卒業前から、仕事に携わり、始まりのまだ仕事が立て込んでないときに知り合いました。
TISの学生さんの中で、トップクラスの女性です。

冬になったら、観光客もなくなるから暇でしょうがなくなったら、遊びましょうと約束していましたが、冬になっても変わらず朝8時からずっと働いていたそうです。
夕方は、経理の学校、土曜日は英語の学校。それでも忙しいのに車の免許までとりに行っていたとのこと。

年明けから、行き違っていたのがやっと今日、電話がかかりました。
知らない電話番号は、プリペイドではない携帯からでした。
会社で買ってくれてた仕事用の電話だそうです。

今週末は、3週間の日本研修です。ウイークリーマンションが用意され、新入社員と同じ研修を受け、残りの日々は、金沢、大阪と観光三昧とか。
去年、人手が足りなくて、ガイドまで勤めたときのお客さんに是非いらっしゃいと誘われてもいるとか。

ツォルモンならさもありなん。

日本企業の厳しい中で、長時間労働に腹を立てながら、着実に自分のスキルアップをして、社内的にも認められあれこれと、日本人並みの待遇を与えられている様子を見て、なかなかやるじゃない!と感心しています。
もともとの彼女のまじめさと、勤勉さと、頭の良さで、また、頭の柔らかいうちに日本に留学して、得がたい人に出会ったことも幸いして、自力で獲得してきている様子に、自分のことのように喜んでいます。

彼女と話をするたびに、モンゴル人も捨てたもんじゃないと思うのです。
研修で、日本人の友達も得ることでしょう。
その人たちと、ディズニーランドに行けるといいね!
(彼女の会社の受け入れ担当は53才の男性、ディズニーランド以外ならどこでも連れて行ってくれるそうです。(^^♪)

気をつけて行ってらっしゃい。土産話を待ってます。




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なぐさめ

2006年12月03日 | 出会った人
このところの慰めは、猫のブログ。

はっちゃん日記
もりわじん絵日記

まず、パソコンを開けるとそのブログの更新を確認し、メールを開き、自分のブログと日記の更新ページをとりあえず開いて回線を切る。
気持ちが落ち着いたら、再度回線をつないで、最近尋ねているところを訪問して、様子を見せてもらって、書き込みはせずに回線を切る。
メールの返事を書き、再度繋いで送信し、回線を切る。

猫のはっちゃんともりわじんさん、ブログのおかげで一方的に出会った猫と人。
はっちゃんは猫ではあるけれど、持ち主の暖かい視線が心地よい、美系の猫だから、一つ間違えると、こんなに毎日会いに行きたいサイトにはならなかったことでしょう。

とは言え、平面はっチャンは、生鼓太郎にはかないません。この夏、帰国して生鼓太郎のそばにいるときは、今感じているかわいさは、鼓太郎に集中していました。(^^♪
もりわじんさんは、なにやらおっしゃることが、時々胸にしみるお方で、その絵とともに、今日は何を書いてくださっているやらと、お目にかかりに行っています。
鼓太郎と言えば、大事なサイトを忘れていました。
鼓太郎を見つけたところです。

 あげ猫・たずね猫【里親募集中】 です。

次の猫を欲しいわけではないのですが、時々思い出しては、覗いています。
ここの宮川由美子さんのところからやってきたのが、一時ゴンザレス(!)と名づけられていた今は、鼓太郎です。    
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国際大会優勝!

2006年11月19日 | 出会った人


        優勝おめでとう

 2年前、UBで空手隊員として活躍された高橋知佳さんが、見事優勝されました。
大会は、東京で11月3日から5日まであったそうです。
大会前には、UBで指導していた時の教え子さんたちと再会したそうです。
先生が優勝する様子をつぶさに見せられた教え子さんたちの、興奮はどれほどのものだったでしょう。
モンゴルチームの日本遠征は、資金的に難しいと聞いていましたが、何とかなったのですね。

すでに、次の目標に向かって、走り始めている様子。
ほんとに、おめでとうございます。
いろいろと気がかりがあって、お知らせを迷っていて遅くなったと、相変わらずの気遣いでした。
元気をもらいました。ありがとう。


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