ギャラリーでの楽しみは、お茶を頂きながら、作品鑑賞にいらっしゃった方たちとの語らい。
須藤先生ゆかりの方たちですから、何か共通するものがあるのか、穏やかに会話が進み、そして、その行く先は、漢詩の話題となり、漢詩の解説が始まり、その解説から、絵がどのように生まれたかが想像できるような気がしてきます。
そこへ、恵風のオーナーから、吟詠の所望があり、昨日の吟詠でアンコールに選ばれなかった「絶句」をさせていただこうと思いました。
やはり、意味を分かってから聞いていただくのが良いと、丸テーブルを囲んで、昨日の資料を見ていただきながら拙い解説をしていると、須藤先生の登場で、懇切な解説が始まりました。
そうそう、この、先生の生きた漢詩の解説に、驚き、柔らかな心で、漢詩を鑑賞すればよい。
決して、ねばならぬではないことを教えていただきました。
目から鱗の感動を味わったのが、足利での論語の会だったと、昨日のことのように思いだします。
その時の衝撃を受けた漢詩が、「絶句(二)」杜甫作でした。
今日も、須藤先生の解説、解釈を聞いてから、吟詠をさせて頂きました。
4人の観客は、難解な漢字が、俄然色や香りや感情がにおい立ってくるのを感じ、先生によって温かみををあたえられた言葉から、隠れていた、あるいは隠していた感情を呼び覚まされました。感性が柔らかくなって、ご自身の体験や今のことを思い起こしたようです。
気持ちがほぐされて、私の吟詠も、心安らかに始まり、豊かな声が出てくるようで、さらに響きの良い部屋で、酔うがごとくの、吟詠ができました。
お一人は、ご自身の思いを照らし合わせて、涙をおとしました。
須藤先生のお話は、なぜにこうも人の心を柔軟にしてしまうのだろう、後ろに隠していた思いを呼び覚ますのだろうか。
かたくなな心が柔軟になって、何でも受け入れることができるようになります。
そこまで、心の準備ができたら、そこに、人の声が響けば、その巧拙は抜きにして、心が揺すぶられることを体験しました。
こんな、場面は、作ろうとしてできるものではなく、そこにいたその顔ぶれだから、こんな風にでき上がったと、偶然でいて、偶然ではないと、思うのです。
陰暦の三月、江の水が、藍のように碧であるから、その水辺に飛ぶ鳥の白い色は、いよいよ白くみえる。
山々のみどりは深く青いから、紅の花は燃えるばかりに水面に映えて美しい。
今年の春も移りすぎようとしているのに、私はまだ、この地に逗留したまま。
何時になったら、果たして、故郷に戻れるのであろうか。
他郷の春も美しいけれども、かえってそれが、ふるさとへの思いを
強く深くさせるのでしょう。 (須藤先生 訳)
須藤先生ゆかりの方たちですから、何か共通するものがあるのか、穏やかに会話が進み、そして、その行く先は、漢詩の話題となり、漢詩の解説が始まり、その解説から、絵がどのように生まれたかが想像できるような気がしてきます。
そこへ、恵風のオーナーから、吟詠の所望があり、昨日の吟詠でアンコールに選ばれなかった「絶句」をさせていただこうと思いました。
やはり、意味を分かってから聞いていただくのが良いと、丸テーブルを囲んで、昨日の資料を見ていただきながら拙い解説をしていると、須藤先生の登場で、懇切な解説が始まりました。
そうそう、この、先生の生きた漢詩の解説に、驚き、柔らかな心で、漢詩を鑑賞すればよい。
決して、ねばならぬではないことを教えていただきました。
目から鱗の感動を味わったのが、足利での論語の会だったと、昨日のことのように思いだします。
その時の衝撃を受けた漢詩が、「絶句(二)」杜甫作でした。
今日も、須藤先生の解説、解釈を聞いてから、吟詠をさせて頂きました。
4人の観客は、難解な漢字が、俄然色や香りや感情がにおい立ってくるのを感じ、先生によって温かみををあたえられた言葉から、隠れていた、あるいは隠していた感情を呼び覚まされました。感性が柔らかくなって、ご自身の体験や今のことを思い起こしたようです。
気持ちがほぐされて、私の吟詠も、心安らかに始まり、豊かな声が出てくるようで、さらに響きの良い部屋で、酔うがごとくの、吟詠ができました。
お一人は、ご自身の思いを照らし合わせて、涙をおとしました。
須藤先生のお話は、なぜにこうも人の心を柔軟にしてしまうのだろう、後ろに隠していた思いを呼び覚ますのだろうか。
かたくなな心が柔軟になって、何でも受け入れることができるようになります。
そこまで、心の準備ができたら、そこに、人の声が響けば、その巧拙は抜きにして、心が揺すぶられることを体験しました。
こんな、場面は、作ろうとしてできるものではなく、そこにいたその顔ぶれだから、こんな風にでき上がったと、偶然でいて、偶然ではないと、思うのです。
陰暦の三月、江の水が、藍のように碧であるから、その水辺に飛ぶ鳥の白い色は、いよいよ白くみえる。
山々のみどりは深く青いから、紅の花は燃えるばかりに水面に映えて美しい。
今年の春も移りすぎようとしているのに、私はまだ、この地に逗留したまま。
何時になったら、果たして、故郷に戻れるのであろうか。
他郷の春も美しいけれども、かえってそれが、ふるさとへの思いを
強く深くさせるのでしょう。 (須藤先生 訳)