風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

杜甫作 絶句(二)

2017年07月08日 | 詩吟
ギャラリーでの楽しみは、お茶を頂きながら、作品鑑賞にいらっしゃった方たちとの語らい。
須藤先生ゆかりの方たちですから、何か共通するものがあるのか、穏やかに会話が進み、そして、その行く先は、漢詩の話題となり、漢詩の解説が始まり、その解説から、絵がどのように生まれたかが想像できるような気がしてきます。

そこへ、恵風のオーナーから、吟詠の所望があり、昨日の吟詠でアンコールに選ばれなかった「絶句」をさせていただこうと思いました。

やはり、意味を分かってから聞いていただくのが良いと、丸テーブルを囲んで、昨日の資料を見ていただきながら拙い解説をしていると、須藤先生の登場で、懇切な解説が始まりました。

そうそう、この、先生の生きた漢詩の解説に、驚き、柔らかな心で、漢詩を鑑賞すればよい。
決して、ねばならぬではないことを教えていただきました。
目から鱗の感動を味わったのが、足利での論語の会だったと、昨日のことのように思いだします。


その時の衝撃を受けた漢詩が、「絶句(二)」杜甫作でした。

今日も、須藤先生の解説、解釈を聞いてから、吟詠をさせて頂きました。
4人の観客は、難解な漢字が、俄然色や香りや感情がにおい立ってくるのを感じ、先生によって温かみををあたえられた言葉から、隠れていた、あるいは隠していた感情を呼び覚まされました。感性が柔らかくなって、ご自身の体験や今のことを思い起こしたようです。

気持ちがほぐされて、私の吟詠も、心安らかに始まり、豊かな声が出てくるようで、さらに響きの良い部屋で、酔うがごとくの、吟詠ができました。

お一人は、ご自身の思いを照らし合わせて、涙をおとしました。

須藤先生のお話は、なぜにこうも人の心を柔軟にしてしまうのだろう、後ろに隠していた思いを呼び覚ますのだろうか。
かたくなな心が柔軟になって、何でも受け入れることができるようになります。

そこまで、心の準備ができたら、そこに、人の声が響けば、その巧拙は抜きにして、心が揺すぶられることを体験しました。

こんな、場面は、作ろうとしてできるものではなく、そこにいたその顔ぶれだから、こんな風にでき上がったと、偶然でいて、偶然ではないと、思うのです。



陰暦の三月、江の水が、藍のように碧であるから、その水辺に飛ぶ鳥の白い色は、いよいよ白くみえる。
山々のみどりは深く青いから、紅の花は燃えるばかりに水面に映えて美しい。
今年の春も移りすぎようとしているのに、私はまだ、この地に逗留したまま。
何時になったら、果たして、故郷に戻れるのであろうか。
 他郷の春も美しいけれども、かえってそれが、ふるさとへの思いを
 強く深くさせるのでしょう。   (須藤先生 訳)
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恵風にて

2017年07月08日 | 徒然に日々のことを
昨日は、絵画と吟詠の誘いが首尾よく終えることができて、酔い心地のまま一日が終わりました。

今朝になって、その興奮から覚めてみると、もう一度ギャラリー恵風に行きたくなりました。
昨日置いてきてしまった資料をどのようにすればよいかも、尋ねてよしなにせねばなりません。

須藤先生は、その資料を興味のある方に手渡しをしてくださっていました。
関西吟詩文化協会東京芦孝会の宣伝もしてよいですよとの言葉を、ご自身でも手伝ってくださって、ありがたい限りです。


ゆっくり作品を鑑賞し、天籟さんの作品で童子の手を合わせた風情に魅せられて、何時かは、家に連れ帰りたいと思いました。


漢詩に題材を得た作品にばかり気持ちを奪われていましたが、論語を題材とした作品も書とのコラボ作品となっていました。



            述べて作らず『論語』より
                            
               書 太田順舟 画 須藤明実

述而第七 「子曰く、述べて作らず。信じて古を好む。」
  昔からの教えを大事にして、創作をしない。
  信念をもって古の教えを大切にしたい。
  なぜなら、そこにこそ、よりよいことを発見できるから。
                (須藤明実解説)


  


   魚不出淵  書 太田順舟
   名も無い魚 画 須藤明実






                       越谷ギャラリー恵風
   













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