9月16日(日)晴れ、残暑【心不可得】(空の一隅)
今日は仕事で八王子まで行って来た。中央高速は渋滞がひどかったが、お陰で空の雲を楽しむことができた。いろんな形の雲が、空を自由に飛び交っていた。それこそ湧いては消え、またいつの間にか湧いてきて、流れていた。どこから湧いてくるのだろうか。
唐の時代に、徳山宣鑑とくさんせんかん(780~865)というお坊さんがいた。この人は『金剛経』というお経のエキスパートだったので、周金剛と謂われていた。周はこの人の俗姓。この周さんは律についてもよく学んでいたし、金剛経にもよく通じていたし、南方で盛んになっている禅と対決してやろうとして、現在の湖南省にある龍潭というところにやってきた。ところがそこで庵を結んでいた龍潭崇信りゅうたんそうしん(生卒年不詳)のもとで、かえって禅に帰依してしまった、という禅僧である。
この徳山さんが、おそらく龍潭さんのところに参じていく途中であろう。路上で餅を売っている老婆に出会った。その老婆は徳山に尋ねた。「背中に背負っている物は何かね」と。「これは金剛経の註釈書というものだ」と徳山は答えた。それに対して、老婆は「婆の問いに答えられたら、餅を布施してやってもいいがね」と言った。
(なんだ、この婆さんは)、と徳山は心のなかで思っただろうが、「言ってご覧」と言った。「(金剛経には)過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得とあるが、お坊さんよ、さあさあ言ってご覧なさい、これをどの心に食べさせようというのか。(経中道、過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得。上座鼎鼎、是點那箇心。)」〈『聯燈会要』巻20〉
これに対して、原文には「山無対」と書かれている。徳山は老婆の問いに何も答えられなかった。というのが「山無対」の普通の訳であり、文献によっては、この後、老婆の指示で龍潭のところに参じた、と書かれているのもある。しかし、私は「何も答えられなかった」ではなく「何も答えなかった」という訳もあるだろう、と思う。
如来は死後にも存在するか、等の問いに対して、釈尊は「無記」と記されている。これは分からなくて答えなかったのではない。同じようにこの徳山の無対も、分からなくて答えなかったのではなく、過去心も現在心も未来心も、ころっとあるものではなく、無自性なのだから、どの心にも食べさせるものではない、という答えが「無対」なのだと、私は訳したい。
「心不可得」とは心は把捉することができないもの、固定不変な本体がないもの、そのようにとりあえず訳しておきたい。(道元禅師は『正法眼蔵』「心不可得」巻で、少し違った角度から、この言葉の意味をとらえていらっしゃるが、それはここではおいておきたい)
人間の構成要素を五蘊と釈尊はとらえた。(人間のみならずあらゆる存在の構成要素を五蘊ととらえた)。五蘊とは色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊のことで、色蘊は身、あとの受、想、行、識が心に関するものになる。この五蘊は皆空である、と釈尊は説かれた。
「この心には実体はない。心もまた因縁の集まりであり、常にうつり変わるものである。(中略)流れる水のように、また灯火のようにうつり変わっている。また、心の騒ぎ動くこと猿のように、しばらくの間も静かにとどまることがない。」
だから大事なことは次の言葉になるだろう。「智慧あるものは、このように見、このように聞いて、身と心に対する執着を去らなければならない。心身ともに執着を離れたとき、悟りが得られる」(『仏教聖典』より、『中部経典』出典)
心に実体のないことを私ならば、「空行く雲のように、うつり変わっている」といいたいところである。だから、執着をなげうつために、私は、いつも雲を眺めているのですよ、とかっこよく言いたいところですが、実はボーっとしているだけなのです。今日も、渋滞の車を運転しながら、雲が織りなす空の万華鏡を楽しんでいました。
追加:『ダンマ・パタ』の中に既に「心不可得」の語があると、フクロウ博士からお教えいただいたので、その箇所をご紹介します。「心は捉えがたく、軽々として、欲するままのおもむく。その心をおさめることは善いことである。おさめられた心は安楽である。」
この前のログに追加:「私即私の心」というコメントを頂き、私は「私即私の身心」と書きましたが、更に「私即私の身心及び私を取り巻く環境(縁)」としておきます。
今日は仕事で八王子まで行って来た。中央高速は渋滞がひどかったが、お陰で空の雲を楽しむことができた。いろんな形の雲が、空を自由に飛び交っていた。それこそ湧いては消え、またいつの間にか湧いてきて、流れていた。どこから湧いてくるのだろうか。
唐の時代に、徳山宣鑑とくさんせんかん(780~865)というお坊さんがいた。この人は『金剛経』というお経のエキスパートだったので、周金剛と謂われていた。周はこの人の俗姓。この周さんは律についてもよく学んでいたし、金剛経にもよく通じていたし、南方で盛んになっている禅と対決してやろうとして、現在の湖南省にある龍潭というところにやってきた。ところがそこで庵を結んでいた龍潭崇信りゅうたんそうしん(生卒年不詳)のもとで、かえって禅に帰依してしまった、という禅僧である。
この徳山さんが、おそらく龍潭さんのところに参じていく途中であろう。路上で餅を売っている老婆に出会った。その老婆は徳山に尋ねた。「背中に背負っている物は何かね」と。「これは金剛経の註釈書というものだ」と徳山は答えた。それに対して、老婆は「婆の問いに答えられたら、餅を布施してやってもいいがね」と言った。
(なんだ、この婆さんは)、と徳山は心のなかで思っただろうが、「言ってご覧」と言った。「(金剛経には)過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得とあるが、お坊さんよ、さあさあ言ってご覧なさい、これをどの心に食べさせようというのか。(経中道、過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得。上座鼎鼎、是點那箇心。)」〈『聯燈会要』巻20〉
これに対して、原文には「山無対」と書かれている。徳山は老婆の問いに何も答えられなかった。というのが「山無対」の普通の訳であり、文献によっては、この後、老婆の指示で龍潭のところに参じた、と書かれているのもある。しかし、私は「何も答えられなかった」ではなく「何も答えなかった」という訳もあるだろう、と思う。
如来は死後にも存在するか、等の問いに対して、釈尊は「無記」と記されている。これは分からなくて答えなかったのではない。同じようにこの徳山の無対も、分からなくて答えなかったのではなく、過去心も現在心も未来心も、ころっとあるものではなく、無自性なのだから、どの心にも食べさせるものではない、という答えが「無対」なのだと、私は訳したい。
「心不可得」とは心は把捉することができないもの、固定不変な本体がないもの、そのようにとりあえず訳しておきたい。(道元禅師は『正法眼蔵』「心不可得」巻で、少し違った角度から、この言葉の意味をとらえていらっしゃるが、それはここではおいておきたい)
人間の構成要素を五蘊と釈尊はとらえた。(人間のみならずあらゆる存在の構成要素を五蘊ととらえた)。五蘊とは色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊のことで、色蘊は身、あとの受、想、行、識が心に関するものになる。この五蘊は皆空である、と釈尊は説かれた。
「この心には実体はない。心もまた因縁の集まりであり、常にうつり変わるものである。(中略)流れる水のように、また灯火のようにうつり変わっている。また、心の騒ぎ動くこと猿のように、しばらくの間も静かにとどまることがない。」
だから大事なことは次の言葉になるだろう。「智慧あるものは、このように見、このように聞いて、身と心に対する執着を去らなければならない。心身ともに執着を離れたとき、悟りが得られる」(『仏教聖典』より、『中部経典』出典)
心に実体のないことを私ならば、「空行く雲のように、うつり変わっている」といいたいところである。だから、執着をなげうつために、私は、いつも雲を眺めているのですよ、とかっこよく言いたいところですが、実はボーっとしているだけなのです。今日も、渋滞の車を運転しながら、雲が織りなす空の万華鏡を楽しんでいました。
追加:『ダンマ・パタ』の中に既に「心不可得」の語があると、フクロウ博士からお教えいただいたので、その箇所をご紹介します。「心は捉えがたく、軽々として、欲するままのおもむく。その心をおさめることは善いことである。おさめられた心は安楽である。」
この前のログに追加:「私即私の心」というコメントを頂き、私は「私即私の身心」と書きましたが、更に「私即私の身心及び私を取り巻く環境(縁)」としておきます。
ゆったりした雲を見ては、そのゆったりさ学び、爽やかな感じの雲には、その爽やかさを学び、風雲急を告げそうな雲には、油断大敵と学び、等々、雲は師でもあります。
「小沢昭一の昭一的心」は私も前は仕事をしながらよく聞いていました。ときどきニヤッとしながら。飄々としています。これまた学びたい先輩ですね。
心は雲だと言われ、やあ、なるほどだと思いました。雲にも色々な雲がありますね。これから雲を見たときに、それが私の心のどんな状態と似ているかを、当てはめてみたいと思います。
因みに今日の午後の雲は、夕立が来そうで来ないものでした。湧き上がる怒りが、年の功で尻すぼみになるの心でしょうか。
そう言えば私の好きだった夕方のラジオ番組で、「小沢昭一の昭一的心」と言う番組がありました。昔仕事帰りの車の中でよく聞いたものでした。余り関係がありませんけど。
列席の高校生が昨日徹夜をしたとかで、日射病で倒れてしまい、大変でした。私も気を付けてあげればよかったと、反省しています。しかし、徹夜のことは知りませんでしたし、長時間ではなかったのですが、列席の人が倒れたということは初めてのことです。気配りが足りませんでした。すぐに救急車を呼んで貰いました。
納骨以外はお家でご法事をするべきですね。
潙山霊祐の話を参考にしていただけるそうで、有り難うございます。お互いに自分の体のことは、人任せにはできませんから、大事にしつつ精進致しましょう。
しかし、本堂の陰は涼しく、やはり真夏とは違います。買っておいたかき氷があったので、それを食べながら、もう散り始めた枝垂桜の葉を見ていました。
透明感のある空気は、すっかり秋。
18日の読経会で典座教訓をみんなで読んでいます。
典座教訓3回目の明日は、典座の心構えをやります。(テキストは、講談社学術文庫の典座教訓・赴粥飯法)潙山霊祐の話を風月庵さんのブログからお借りしました。