6月10日(日)雨時折雷【親の意見と愛の拳】
ベランダの鉢の中でも茄子がなりました。「親の意見となすびの花は、万に一つも無駄がない」というそうです。茄子は花が咲けば、必ず実をつけるので、母が茄子の花を見るたびに、そう言っています。確かに茄子はそのようです。(内緒ですが、私には、親の意見は馬の耳です)
さて親の意見ですが、昨日の法事で心痛むことがありました。小学一年生だという坊やの頭をパパがすぐにこづくのです。言うことを聞かないといってはこづき、「こいつは駄目なんだ」といってはこづき、その度に坊やは横を向いてすねていくのが分かります。
法事の間、静かにしていないことを叱るわけですが、他の小さい兄弟や従姉妹や親戚の人達の前で、ゴツンと頭をこづかれては、坊やのプライドは傷ついてしまっているだろうと、私には見て取れました。
子供が素直に言うことをきけるような叱り方をしなくては、子供の心はねじ曲がっていってしまう、と傍から見ていてハラハラしてしまいます。実際にそのように怒られた子供の姿を見ていると、横を横を向いていっています。こうして子供は横へ横へそれていってしまうのではないでしょうか。
ときには男の子はガツンと親から叩かれることも必要でしょう。私の弟などは悪いことをすると、父親に殴られたり、水をかけられて「もうしません、もうしませんから許してください」と泣いて謝っていました。
ある人は子供が万引きをしてしまったとき、思い切り殴った後で、自身が思い切り泣いたそうです。このような叱り方は乱暴なようですが、きちんと子供に怒る意味も通じているのではないでしょうか。
あまりよくないのではないかと、私が感じる怒り方は、子供のプライドを傷つけるような怒り方です。そのような怒り方をされた子供は大きくなって、仕返しをするかもしれませんし、他の子供をいじめるような子供になってしまうかもしれません。
法話のときにパパに一言なにかうまく言いたかったのですが、子供の前では、かえってよくないのではないかと思い、思いを巡らしました、が、思いより先に、坊やの両手を握っていました。そして坊やの目線になってお願いしました。
「パパは坊やのことを思って叱ってくれるんだよ。なんでもいいからって甘やかして育てられると、大きくなって困るからね。パパが怒ってくれるのは愛情なんだよ。僕を愛しているからパパはゴツンとしてくれるんだよ。わかった?」と言ったら、坊やはコクンと首をたてに振りました。その後ろでパパも頷いていました。
子供に自分の言うことをきかせたいとしたら、親は自分自身が人生を、人間を、道を学ぼうとする姿勢がなくてはならないだろう。真剣に愛とは何かを考えなくてはならないだろう。どのような形が正しいとか、一番とかは言えない。それぞれの形があろうが、親の拳の中に愛の固まりが入っていなくては、子供という宝物を壊してしまうのではなかろうかということを知って貰いたいとつくづく思ったのです。
また子供を叩くときはなるべくお尻がよいそうです。これはヨーロッパ人の人がそうしていました。中国の人は子供の頭には神が住む、といって決して頭はたたかないそうです。日本の育児書を読んだことはありませんが、どう書いてあるのでしょう。
話は変わりますが、写真の茄子はぬか漬けにして食べました。
ベランダの鉢の中でも茄子がなりました。「親の意見となすびの花は、万に一つも無駄がない」というそうです。茄子は花が咲けば、必ず実をつけるので、母が茄子の花を見るたびに、そう言っています。確かに茄子はそのようです。(内緒ですが、私には、親の意見は馬の耳です)
さて親の意見ですが、昨日の法事で心痛むことがありました。小学一年生だという坊やの頭をパパがすぐにこづくのです。言うことを聞かないといってはこづき、「こいつは駄目なんだ」といってはこづき、その度に坊やは横を向いてすねていくのが分かります。
法事の間、静かにしていないことを叱るわけですが、他の小さい兄弟や従姉妹や親戚の人達の前で、ゴツンと頭をこづかれては、坊やのプライドは傷ついてしまっているだろうと、私には見て取れました。
子供が素直に言うことをきけるような叱り方をしなくては、子供の心はねじ曲がっていってしまう、と傍から見ていてハラハラしてしまいます。実際にそのように怒られた子供の姿を見ていると、横を横を向いていっています。こうして子供は横へ横へそれていってしまうのではないでしょうか。
ときには男の子はガツンと親から叩かれることも必要でしょう。私の弟などは悪いことをすると、父親に殴られたり、水をかけられて「もうしません、もうしませんから許してください」と泣いて謝っていました。
ある人は子供が万引きをしてしまったとき、思い切り殴った後で、自身が思い切り泣いたそうです。このような叱り方は乱暴なようですが、きちんと子供に怒る意味も通じているのではないでしょうか。
あまりよくないのではないかと、私が感じる怒り方は、子供のプライドを傷つけるような怒り方です。そのような怒り方をされた子供は大きくなって、仕返しをするかもしれませんし、他の子供をいじめるような子供になってしまうかもしれません。
法話のときにパパに一言なにかうまく言いたかったのですが、子供の前では、かえってよくないのではないかと思い、思いを巡らしました、が、思いより先に、坊やの両手を握っていました。そして坊やの目線になってお願いしました。
「パパは坊やのことを思って叱ってくれるんだよ。なんでもいいからって甘やかして育てられると、大きくなって困るからね。パパが怒ってくれるのは愛情なんだよ。僕を愛しているからパパはゴツンとしてくれるんだよ。わかった?」と言ったら、坊やはコクンと首をたてに振りました。その後ろでパパも頷いていました。
子供に自分の言うことをきかせたいとしたら、親は自分自身が人生を、人間を、道を学ぼうとする姿勢がなくてはならないだろう。真剣に愛とは何かを考えなくてはならないだろう。どのような形が正しいとか、一番とかは言えない。それぞれの形があろうが、親の拳の中に愛の固まりが入っていなくては、子供という宝物を壊してしまうのではなかろうかということを知って貰いたいとつくづく思ったのです。
また子供を叩くときはなるべくお尻がよいそうです。これはヨーロッパ人の人がそうしていました。中国の人は子供の頭には神が住む、といって決して頭はたたかないそうです。日本の育児書を読んだことはありませんが、どう書いてあるのでしょう。
話は変わりますが、写真の茄子はぬか漬けにして食べました。
ところでおもろいな、風月はん。親のゆうことは、馬の耳。馬耳東風でんな。秘密ですけどゆうんは、如何にも聞いてるふうをしてきたゆうことでっしゃろ。その実、全くの無視や。恐らく親も無視されたんはお見通しでっせ。騙しあい、馴れ合いですな。
わてのお袋も子供にはそら口のうるさい
お袋ですねん。死ぬまでこうせい、ああせい言いよる。けどあほらしゅうて、その通りに出来まへんで。だからゆうて正面切って否定したら傷つきよるしな。はいはいゆうて、お茶濁すしかあらへんねんけど。
子供は弱いからな、わても結構ゆうこと聞いてしもうて、人生の半分損したがな。お袋はどう思おうてるんやろか。色々ゆうたから子供はええ人生送ったと思とるに違いない。とんでもないことや。
死ぬまで子離れ出来へん親は、ほんまに気の毒なもんや。こんなん人間だけやで。動物は咬みついてでも、時期が来たら子を追いだすんや。それが子を自立させるためやから。自立せんまま死ぬ可能性があるんは人間だけや。せやから特に口うるさい親は早よう死ななあかん。
憎まれ者ほど世にはばかるやから、そうもいかんか。
ところで叱ることとして、自分の子を叩くことは賛成です。よく小説に出てくる良い親父で、子供に手を上げたことがないと言うのが出てきますが、無責任な親父でしょう。生まれながらに品行方正な子供はありません。でたらめばかりするのが子供です。そんな子供を言葉だけで指導できるはずがありません。子供は初めは言葉も理解しないのですから。
言葉で十分理解できない間は、やはりピシリとした痛みで教えるべきです。
お尻をスリッパで叩く。こんな外国映画を観たことがあります。もっとも叩かれているのはうら若き女性ですが。
西洋では幼女にこれは適用されません。お尻をきつく叩くと、将来の出産に影響するというので、太ももを叩きます。
家でももっともっと、太ももを叩いて育てるべきでした。
てぃんさぐぬはなは てぃみさちにすみてぃ
(てぃんさぐの花は指先に染みて)
うやぬぬしぐとぅや ちむにすみてぃ
(親の言うことは肝に染みる)
てんぬぶりぶしや すみやすまりしが
(空の星々は数えようとすれば数えられるが)
うやぬぬしぐとぅや ゆみやならぬ
(親の言うことは数えることはできない)
よるはらすふにや にむはぶしみあてぃ
(夜走る船は北斗七星が目当て)
わんなちぇるうやや わんどぅみあてぃ
(お前を生んだ親はお前が目当て)
これじゃあ、子離れできへん親の歌で、参考にならへんかった。すんまへんな。
しっかり育てるのはお前を頼りとして生きられるようになりたいから、今は厳しくしているのだよ、ということではないのでしょうか。(私の解釈はまったく間違った解釈かも知れません。)
しかし我が家の母も全く子離れをしてはおりません。いつまでも自分の産んだ子、という考えは捨ててないようです。
私の場合は坊さんですから少し違いますが、独身女性でいつまでも母親と一生共に暮らすのは、親離れもできず、しんどいでしょうね。
甘やかしすぎるのも考えものですが、厳しすぎるのも考えものです。私の近所に末の娘さんばかりに厳しい母親がいましたが、みていて気の毒になるほどでした。
その人が一番親孝行だったことを覚えています。厳しくしたからよかったのでしょうか。
ケースバイケースで一慨にはいえないことですが、今子どもがどうあるかは、親がどのように生きたかの証しであるように第三者としては思うことが多いです。
春女さんのお子さんは? 如何であれ、自分を映し出してくれる鏡でしょうか。
この坊やのパパとまた話したいと思っています。
ぬか漬けとはさすがですね。そんな技術はないので、もっぱら刻んで塩揉みし、おろし生姜にまぶして食べます。この外味噌汁、焼き茄子、マーボウ茄子もいいいですね。
地球の底にまで通じている地面はどんなにすばらしいかということを、否応なく教えられます。
勿論苗も違うでしょう。育て方も違うでしょう。その素晴らしさをさらにあがめるためにも、自分もベランダで苦労して育ててみるのも無駄ではございません。
先日近所を歩いていましたら、大きな一鉢に一本の茄子が育っていまして、おじさんが立派になりましたよ、と喜んでいました。分かりますね、その気持ちも。
光泊さんは今年は育てていないのですか。私も来年は接木茄子の苗というのを探してみます。ご教授有り難う。