8月29日(水)曇り【『尼僧の告白』とヘッセの『シッダールタ』】(ある日の夕暮れ、気に入っているシーンです)
『尼僧の告白(テーリーガーター)』(中村元訳、岩波書店)を読んでいたら、次の項があり、それはヘッセの『シッダールタ』を私に想い起こさせた。
25 [遊女としての]わたしの収入は、カーシー(ベナレス)国[全体]の収入ほどもありました。街の人々はそれをわたしの値段と定めて、値段に関しては、わたしを値をつけられぬ[高価な]ものであると定めました。
26 そこで、わたしはわたしの容色に嫌悪を感じました。そうして嫌悪を感じたものですから、[容色について]欲を離れてしまいました。もはや、生死の輪廻の道を繰り返し走ることがありませんように!三種の明知を現にさとりました。ブッダの教え[の実行]を、なしとげました。(アッダカーシー尼)
ヘッセの『シッダールタ』については、お読みになった方も多いだろうが、あらすじを説明しよう。
[[バラモンの子として生まれたシッダールタは、真理を学ぶバラモンとしての優れた資質と、若い娘たちの心を揺るがす魅力もそなえていた。しかし、彼は彼を慕う親友のゴーヴインダとともに沙門たちの一団に加わってしまう。父母の悲しみを後にして。
彼はほこりまみれの沙門、苦行者たちから、「静かな情熱と、身を砕く奉仕と、仮借ない捨て身の熱風」を感じたのだった。そして若い純粋な情熱は、彼等のもとで修行をし、人生の苦悩を脱却して、真の寂静に到達する道を選んだのであった。
シッダールタは苦行者となった。瞑想をし、断食をし、呼吸を停止し、肉体からの離脱を試みた。しかし、彼の心は疑問で満ちていた。このような修行をしたところで、得られるのは一時の麻酔のようであり、真の解脱からは遠く離れているのではなかろうか、ということであった。水の上を歩けるようになったり、魔法を使えるようになることは、彼の望みではなかった。
そして、ついにシッダールタとゴーヴインダは、ゴータマという真の悟りを得た仏陀があらわれたことを耳にした。二人は沙門に別れを告げ、ゴータマのもとに向かった。ゴータマに会い、「小指の動きに至るまで真実」であり、「神聖」である、とシッダールタは思った。常にシッダールタの後に付いてきたゴーヴインダは、自らの意志でゴータマに帰依した。しかし、シッダールタは……
彼は更に遍歴を続けることをゴータマに告げた。「いっさいの教えと師を去って、ひとりで自分の目標に到達するため」であった。ゴータマが悟りに到達したのは、「自身の追求から、」「自身の道において」悟りを得たのであり、教えによってではないことを、シッダールタは見抜いたのである。自分も自分自身によって悟りに到達しようとシッダールタは誓った。
苦楽を共に修行した友人のゴーヴィンダと別れて、シッダールタは川を渡り、町に入っていった。ある林園にさしかかったとき、シッダールタは、気品有る、美しい遊女カマーラを見かけた。彼女は有名な遊女で、町にも家があり、位の高い人や、お金持ちしか相手にしない高級な遊女であった。
シッダールタは、カマーラの愛を受けるためには、お金と地位が必要であると教えられ、豪商の助手となった。世俗のお金儲けや、カマーラからは愛の教えを手ほどきされて、シッダールタは今までの、沙門の修行からは受けられなかった経験をするのだった。
それでも、自分は自分の身を以て、道を求めて遍歴しているのだ、という思いは彼の脳裡から、数年の間は消えることはなかったのだが、やがて、生活に溺れていく自身に焦燥を抱くようにさえなってしまう。シッダールタは、もはや充分に知ったのだ。享楽と権勢や、女と金にふけることの空しさを。
シッダールタは川の渡し守のもとに、一切を捨てて身を寄せた。そうして、川の流れに、「生きとし生けるものの全ての声」を聞きながら、長い年月を、黙々と過ごしたのだった。たとえいかにすぐれた教えであろうとも、他の教えを受けることを拒否し、自らの体験を通して、道に到達しようとした遍歴者は、ひたすらに渡しを漕ぎ続け、川の流れと、寡黙な渡し守のそばで、やがて、真の寂靜を得るのであった。(これ以降の話しは、『シッダールタ』の読者に委ねます)]]
シッダールタという名は、釈尊の出家以前の名であるが、ヘッセはその名を遍歴者の名に冠した。この作品の解説は評論家に譲ろう。ただ、この書を読んだとき、登場人物として、格式のある遊女カマーラがでてくるが、釈尊の時代に、このような存在があったのだろうか、と疑問を持っていた。それが、この『テーリーガーター』を読んで、詩人の想像ではなく、裏付けがあったことがわかった。
『テーリーガーター』のアッダカーシー尼が、遊女をやめて、釈尊の弟子になったように、カマーラも言うのであった。「いつの日か、私もこの仏陀に従うでしょう」と。遊女が仏陀に従うと言うのも、詩人の創作かと思っていたが、アッダカーシー尼というモデルがいたことが分かった。
おそらくヘッセ研究家には周知のことであろうが、私は、『テーリーガーター』のほうからの接近なので、この発見を面白いと感じたのでご紹介した。
この『テーリーガーター』を読んでみると、当時、いろいろな境遇の女性が出家したことがわかって興味深い。現代では、悩んだり、道を求めるような女性は少ないのであろうか、あまり出家をする女性は少ないのだが、在家と出家ではやはり姿勢が違うので、見える世界は違うだろう。寂靜の心の世界を求めたい人は、男性、女性に拘わらず、思い切って、出家なさいませんか。
しかし、そう、ヘッセのシッダールタの如く、楽な道ではありませんが、楽しい道です。
『尼僧の告白(テーリーガーター)』(中村元訳、岩波書店)を読んでいたら、次の項があり、それはヘッセの『シッダールタ』を私に想い起こさせた。
25 [遊女としての]わたしの収入は、カーシー(ベナレス)国[全体]の収入ほどもありました。街の人々はそれをわたしの値段と定めて、値段に関しては、わたしを値をつけられぬ[高価な]ものであると定めました。
26 そこで、わたしはわたしの容色に嫌悪を感じました。そうして嫌悪を感じたものですから、[容色について]欲を離れてしまいました。もはや、生死の輪廻の道を繰り返し走ることがありませんように!三種の明知を現にさとりました。ブッダの教え[の実行]を、なしとげました。(アッダカーシー尼)
ヘッセの『シッダールタ』については、お読みになった方も多いだろうが、あらすじを説明しよう。
[[バラモンの子として生まれたシッダールタは、真理を学ぶバラモンとしての優れた資質と、若い娘たちの心を揺るがす魅力もそなえていた。しかし、彼は彼を慕う親友のゴーヴインダとともに沙門たちの一団に加わってしまう。父母の悲しみを後にして。
彼はほこりまみれの沙門、苦行者たちから、「静かな情熱と、身を砕く奉仕と、仮借ない捨て身の熱風」を感じたのだった。そして若い純粋な情熱は、彼等のもとで修行をし、人生の苦悩を脱却して、真の寂静に到達する道を選んだのであった。
シッダールタは苦行者となった。瞑想をし、断食をし、呼吸を停止し、肉体からの離脱を試みた。しかし、彼の心は疑問で満ちていた。このような修行をしたところで、得られるのは一時の麻酔のようであり、真の解脱からは遠く離れているのではなかろうか、ということであった。水の上を歩けるようになったり、魔法を使えるようになることは、彼の望みではなかった。
そして、ついにシッダールタとゴーヴインダは、ゴータマという真の悟りを得た仏陀があらわれたことを耳にした。二人は沙門に別れを告げ、ゴータマのもとに向かった。ゴータマに会い、「小指の動きに至るまで真実」であり、「神聖」である、とシッダールタは思った。常にシッダールタの後に付いてきたゴーヴインダは、自らの意志でゴータマに帰依した。しかし、シッダールタは……
彼は更に遍歴を続けることをゴータマに告げた。「いっさいの教えと師を去って、ひとりで自分の目標に到達するため」であった。ゴータマが悟りに到達したのは、「自身の追求から、」「自身の道において」悟りを得たのであり、教えによってではないことを、シッダールタは見抜いたのである。自分も自分自身によって悟りに到達しようとシッダールタは誓った。
苦楽を共に修行した友人のゴーヴィンダと別れて、シッダールタは川を渡り、町に入っていった。ある林園にさしかかったとき、シッダールタは、気品有る、美しい遊女カマーラを見かけた。彼女は有名な遊女で、町にも家があり、位の高い人や、お金持ちしか相手にしない高級な遊女であった。
シッダールタは、カマーラの愛を受けるためには、お金と地位が必要であると教えられ、豪商の助手となった。世俗のお金儲けや、カマーラからは愛の教えを手ほどきされて、シッダールタは今までの、沙門の修行からは受けられなかった経験をするのだった。
それでも、自分は自分の身を以て、道を求めて遍歴しているのだ、という思いは彼の脳裡から、数年の間は消えることはなかったのだが、やがて、生活に溺れていく自身に焦燥を抱くようにさえなってしまう。シッダールタは、もはや充分に知ったのだ。享楽と権勢や、女と金にふけることの空しさを。
シッダールタは川の渡し守のもとに、一切を捨てて身を寄せた。そうして、川の流れに、「生きとし生けるものの全ての声」を聞きながら、長い年月を、黙々と過ごしたのだった。たとえいかにすぐれた教えであろうとも、他の教えを受けることを拒否し、自らの体験を通して、道に到達しようとした遍歴者は、ひたすらに渡しを漕ぎ続け、川の流れと、寡黙な渡し守のそばで、やがて、真の寂靜を得るのであった。(これ以降の話しは、『シッダールタ』の読者に委ねます)]]
シッダールタという名は、釈尊の出家以前の名であるが、ヘッセはその名を遍歴者の名に冠した。この作品の解説は評論家に譲ろう。ただ、この書を読んだとき、登場人物として、格式のある遊女カマーラがでてくるが、釈尊の時代に、このような存在があったのだろうか、と疑問を持っていた。それが、この『テーリーガーター』を読んで、詩人の想像ではなく、裏付けがあったことがわかった。
『テーリーガーター』のアッダカーシー尼が、遊女をやめて、釈尊の弟子になったように、カマーラも言うのであった。「いつの日か、私もこの仏陀に従うでしょう」と。遊女が仏陀に従うと言うのも、詩人の創作かと思っていたが、アッダカーシー尼というモデルがいたことが分かった。
おそらくヘッセ研究家には周知のことであろうが、私は、『テーリーガーター』のほうからの接近なので、この発見を面白いと感じたのでご紹介した。
この『テーリーガーター』を読んでみると、当時、いろいろな境遇の女性が出家したことがわかって興味深い。現代では、悩んだり、道を求めるような女性は少ないのであろうか、あまり出家をする女性は少ないのだが、在家と出家ではやはり姿勢が違うので、見える世界は違うだろう。寂靜の心の世界を求めたい人は、男性、女性に拘わらず、思い切って、出家なさいませんか。
しかし、そう、ヘッセのシッダールタの如く、楽な道ではありませんが、楽しい道です。
遊女に肩入れして、面白う書こう思うたんやが、また墓穴掘りましたな。すんまへんでした。反省して今後このブログから退場します。後々ブログの傷になったらあきまへんさかい、一連の書き込みは削除したって下さい。
釈尊にたいしての閑人さんの言ですが、私が仏教徒であることへの敬意が、全くありませんね。このような言葉を知らない人に、まともに返事をしすぎたかもしれません。
電線やらをトリミングするのもよいのですが、それではかえって、この味がでないと思い、敢えてこの程度のトリミングにしたのですが。
またこの家並みの上に、この空があることが、事実であり、現実なのですね。これを受け入れるのが、今の私の生活なのです。
さて、釈尊も王子であったときには、やはり、遊女たちと宴はありましたでしょう。しかし、釈尊の場合は、修行者になってからは、それはないでしょう。
今、日本では、明治5年の肉食妻帯勝手たるべきこと、の条令によって、禁欲生活を僧はしなくてもよいことになっています。
日本民族には、それが向いているだろう、と思います。ただ、東南アジアや出家主義を貫いている教団の僧侶のほうが、民衆は有り難いと感じるのではないでしょうか。
自分たちのできない生き方をしてくれているところに、僧侶の聖性を見るのではないでしょうか。
人間としての自然の欲を、否定する気はありませんが、修行者、沙門、遍歴者であるとき、その欲を掌に載せてみて、親鸞になるか、別の道を歩むかは、修行者の自由でしょう。
しかし、性欲があるのが当然であり、親鸞上人こそが、正直な生き方かというと、そうともいえないでしょう。それを押さえたエネルギーが、かえって強い信仰心を導くことがあります。
〈所詮人間は色の道から逃れられへん。〉と言いますが、それだけに振り回されるようでは、出家者でなくても、人間として、まだ修行が足りませんぞ、ということでしょう。
昔、女人を遠ざけたのは、やはり、強く引かれてしまう反動からでしょう。現在では、ほとんどのお坊さんは、その必要はありませんが。
本文で、紹介はできませんでしたが、『シッダールタ』のなかで、ヘッセは、詩人独特な男女の世界を描いています。もし、お読みになっていないようでした、大変薄い本ですので、一度お読み下さい。
デジカメはよう触らんけど、アナログ写真の現像でする、トリミングはでけへんんのやろか。でけるんやったら、下のアンテナ、電線をカットして欲しいいんやけど。
写真に注文つけるだけでは失礼やさかいに、文章にもコメントしまっせ。それは遊女だす。
有名な話が、もっとも古い職業は遊女ですがな。釈迦はせいぜい紀元前数百年。遊女の歴史はそんなもんややおまへん。
せやけど何ですな。釈迦も遊女遊びしはったんでっか。そんで遊女が仏道に入りとうなるんでっか。遊女をたらしこむほどお釈迦はんはテクニシャンやったんやろか?
その割には、その後の仏教は女人を遠ざけ過ぎてしまへんか。修行の邪魔になるゆうことでしゃろが、女人かて人間や。失礼な話や。また所詮人間は色の道から逃れられへん。それは誰もが否定でけへん子孫繁栄に裏打ちされてるよってに。
禁じられれば益々欲望はつのるねん。親鸞が仏教を代表してそのことに正直に降参したんと違うんやろか。