何年かぶりに子どもたちが帰ってきて せわしくも楽しい年末を過ごし、無事に新年を迎えられた、と思っていたら大ニュースが来た。
能登半島で大震災が起きたというのだ。
阪神淡路大震災や東日本大地震が起きたときの報道の様子を思い起こすに、大規模で被害が大きいときほど 現地で何が起きているのか分からず全体の状況がつかめない。
それらを鑑みても、これは相当酷いことになっているようだ、ということだけは伝わってきた。
正月早々なんということだ。
じつは子どもたちがまだ子どもで家にいたときは、毎夏 能登半島のいちばん奥の珠洲市の海に遊びに行っていたのだ。
その様子はぽつぽつこのブログにアップしていた。
たとえば、2011年、2012年、2013年 など、奥能登の素晴らしい景色の写真をアップした。
本州側なら鉢ヶ埼、日本海側なら木ノ浦と狼煙によく行った。
ちなみに上の写真は2012年の夏の鉢ヶ埼の砂浜。広い砂浜の向こうにぼんやり陸地が見える。子供たちの他には釣り人がひとりだけ写っている。
下は同じ夏の木ノ浦。人影がない。
アップしていた当時は、人の少ない穴場感を損ねたくないという私欲で地名をぼかしていた。いい所なんですよ。能登半島も奥まで来ると海水がとてもきれいなんです。
ああでも、能登半島に入ってから珠洲にたどり着くまでに車で3時間というのはハードルが高い。
2007年にも能登半島では地震 があって 有料道路も被害を受け、復旧するのに時間がかかったのを夏に行くたびに目にしていた。ちなみに のと里山海道は2013年に無料化している。
2009年 に奥能登に行ったときに寄った輪島で見かけた 地震で歪んだと思しき建物の写真もアップした。
2023年5月にも大きい地震があり、珠洲市の珪藻土を加工する工場に被害が出た、というニュースを知った。鉢ヶ埼にも珪藻土を加工する工場はあったし、珪藻土の地層も目にしていたから、悲しい気持ちになった。
そして、そこへ来て 震度7なんていう、すごい揺れ。
珠洲では自炊していたので、食材を買いに地元のスーパーマーケットに通っていた。
ショッピングプラザ「シーサイド」やスーパーマーケット「だいまる」「フードはまおか」の 安くて新鮮な地元の海の幸には興奮したし、ホームセンター「ムサシ」で炭を買ったり「道の駅すずなり」でお土産を探したりもした。
蛸島の干物屋「甚五朗」も何度かお邪魔した。
海沿いの通りは狭くて、並ぶ家々は和風のものが多かった。
少し海から離れて山道に入れば古い日本家屋を丁寧に使っているのをぽつぽつと目にした。
鳥居の向こうがすごい階段の神社もあった。
これくらいはすぐに思い出せる。それらは一体どうなっただろうか。
グーグルマップのストリートビューでは2023年秋ののどかな様子が見られるばかりだ。
東京大学特任研究員の大伏仙泰氏が研究室で所有する360度カメラで 2024年1月31日から同2月4日までに撮影された珠洲市全域のストリートビュー がアップされている。
地震から約1ヶ月経ってもこんな状況なのだ、というのが見てとれる。
やはり古い家が多くて道の狭いところの方が被害が大きく見える。
今はなんとか人が普通に生活できる状況にしようと奮闘しているさいちゅうだ。
しかし、阪神淡路大震災や東日本大震災の復興をみても、何事もなかったかのように元通りになるわけではない。心身ともに受けた傷と向き合って生きていくしかない理不尽さは想像にあまる。
阪神淡路や東北3県の他にも北海道胆振地方や熊本や中越などと地震の多い日本に住んでいるのだから、これはもう籤のようだ。今のところわたしは今日の水や食べ物を心配しなくていいけれど、いつなんどきそういう目にあうか分からない。あったときに自分が果敢に立ち向かい克服して立ち上がれる自信はまったくない。
わたしが今 彼の地の人たちに出来ることは少ないけれど、観光できるように整ったら、また夫や子供たちと奥能登の海に遊びに行きたい
奇しくも3月11日にアップする
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