2月1日に積年の悩みをついにアップしてしまった のだけれど、
そこに至るまでに、まあそれなりにあれこれ読んでいたのではあった。
っていうか、単に救いが欲しかっただけかもしれないし、興味もあったし。
河合隼雄 とか オリバー・サックス とか
そんななか巡りあったのが いつも空が見えるから というサイトで、
人間の不思議を慈愛の目を忘れることなくわたしのまえに拓いてくれて、
ずいぶん救いになった。
とはいえ、相当読み応えのある量で、大して理解してないし、
本の紹介という体が多いけどその元ネタをほとんど読んでいないし、
えらそうなことはいえないが。
このサイトで特にわたしにとってインパクトがあったのがコレ ↙
いつも空が見えるから 2018年1月7日
タイトルは、
「ADHD研究の混乱に埋もれてしまった、知られざる敏感な子どもたちの歴史」
そのなかの 「そして当事者たちが求めた」 という章に
はじめ、ADHDは、学校に適応できない問題児とその親たちを取り巻く概念でした。
とある。 そこなんだよ!
毎日 朝も早よから学校に行ってじっと座って
いわれたことだけをおとなしくやらなければならない学校に
適応できない、
ということがどんなに自尊心を傷つけるか、卒業後何十年にも渡って重い枷になるか。
自分は本当は悪くない、っていう根拠を ADHD に求めてしまっても仕方ない。
もちろん ADHD であることが悪いわけでもない。
ヒトの遺伝的にプログラムされた適応する環境からずれたところに
無理矢理押し込めようとしていることが問題なのだ。
それなのに、子ども時代のほとんどをそこで
我慢させられるだけで過ごさなければならないなんて
約40年たって、やっとわたしはそこから抜け出すことが出来るかもしれない、
という気持ちを持った。
当事者だからこそ書けるそのサイトはとても説得力がある。
ヒトって何なんだろう? という興味のある人に
薦める。
発達障害というものは彼岸のもの、と己から切り離して
見えないふりをしている人たちにこそ教えてあげたい、とは思うものの、
そういう人たちってまず己のなかを見ないからなあ。
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