将棋の世界で七冠を取ったこともある永世名人の羽生喜治、その対談集の中にこんな一文があった。
将棋の世界の大先輩で尊敬している棋士に原田泰夫九段という人がいます。原田先生はファンの人から色紙を頼まれると、よく《三手の読み》という言葉を揮毫(きごう)されていました。《三手の読み》というのはまず自分がこう指して、それに対して相手がこう来る、そして次に自分はこう指すという、読みの基本プロセスです。とても単純なことに聞こえますが、これがとても大切で、誤ってしまうと何百手、何千手読めたとしても無意味になってしまうのです。鍵となるのは二手目の相手が何を指してくるかという点です。
よく小さい頃に相手の立場に立って考えましょう、自分だけの事を考えるのはやめましょう、などの話を周囲からされます。この時にずれやすいのが相手の立場に立って《自分の価値観》で判断してしまうことなのです。将棋の場合でも相手の側に立って考えているわけですが、相手の価値観まではすべて分からないので予想が外れたり、読みが無駄になったりします。二手目の目測が誤ってしまうと、最初がずれてしまうので、あとの読みは本線からは明らかにそれてしまうのです。
多様性を知る大切さは相手の立場に立って相手の価値観を知る機会が増えることを意味します。ただ色々なものがあるのではなく、すべての理解が深まるという意味で有効なのではないでしょうか。また予想外な反応が返ってくる面白さは、多様性を知った先にあるとも思っています。
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私も人生70歳を超えて振り返ったとき、この一文は仕事をしていく上で意外に的を得た言葉のように思うのである。若い頃は無我夢中で仕事を覚え、やがて仕事が分かるようになれば自己主張をするようになる。40代あたりで壁にぶち当たり、挫折を経験する。そして50代後半からは、あまり力を入れずとも上手く調整が付くようになる。そんな変遷があったように思い返せる。
仕事は職人や研究職で無い限り、多くの人間関係の中で成り立っていく。そしてその人間関係の有り方で、仕事を左右することにもなる。当然自己主張だけでなく、相手の立場に立ってものごとを考えることは必須である。しかし相手の立場には立てても価値観まで考慮して、相手の反応や行動を予測するはなかなか難しいものがある。性別、年齢、育った環境、教育、経験、能力あらゆる要因によって人の価値観は多様である。そしてその人達の多様な価値観を知ってこそ、相手の立場に立って相手からの目線を知る事が出来るのかもしれない。それは面倒なことでもあり、難しいことである。しかし難しいからこそ面白いのである。羽生喜治はそれを将棋の世界で突き詰めて行ったからこそ名人と呼ばれるようになったのだろう。
今までに多くの人の仕事を見ていると、トラブルや失敗が多い人は基本的に相手が読めない人に多い。また集団の中で浮いている人は、場の空気が読めない人でもある。また最近の若い人を見ていると、三手の読みの二手目が読めないのではなく、一手目を打たない人が多いように思われる。一手目を打たなければ当然相手が打ち返してくる事はない。だからいつも相手の打ってくる手を打ち返しているだけのように見える。それでは常に受身になるだけで、人間関係が深まっていく事はないだろう。先ずは自らが相手に当たってみる。その時相手がどう反応するのか、それを積み重ねる事で相手が読めるようになって来るのではないだろうか。
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