先週大学の同期会に出席してきた。今回は我々の所属学科(44名中22名出席)に加え、教養課程で一緒だった別の学科(27名中14名出席)と、初めて合同で開催された。従って新たに加わったメンバーとは実に47年ぶりの再会である。場所は岐阜県の長良川温泉、夕刻より屋形船で長良川の鵜飼を見ながら宴会して一泊、翌日は金華山(稲葉山)にある岐阜城(斉藤道三や織田信長が居城)を見学して解散というスケジュールである。
岐阜駅からバスで長良橋で下車、5分程度歩いてホテルに着いたのは集合時間の午後4時少し前であった。入り口で幹事に到着の挨拶をし、会費を払ってからロビーに入った。すでに大勢が集まっていて、数人ずつに分かれて談笑している。見覚えのある顔もあるが、知らない顔も多い(本当は知っているはず)。周りを見回して歩いている時、突然、ソファーに座っていた2人から名前を呼ばれ手招きをされた。近づいてみたものの誰だったのか、全く思い出せない。脳の海馬に記憶されているだろうデーターを懸命に検索しても、探り出すことができないようである。やがて相手がそれぞれに自分の名を名乗る。「あっ、この2人は寮で同室だった仲間だ」、そう思っても、目の前の2人の容貌と47年前の2人の面影とが結びつかない。
髪は白く薄くなり、顔はどす黒くシワも目立つ。浦島太郎が玉手箱を開けて一気に白髪になり周りも一変したように、そのギャップを埋めることができないようなものだろう。ぎこちなく会話を合わせる間にも、47年前の彼らの様子と、いま目の前に見る顔とを必死に繋げようと、脳内で激しくデーターのやり取りしているのが自分でも分かる。やがてその2つの情報がつながリ始め、まぎれもなくあの時の2人だと確信がもてるまでになってきた。すると不思議なもので、今までギクシャクしていた会話は一気に47年前と同様に親しいものになってくるのである。
30数人が集まっても、やはり群れるのは学生時代の親しさが基準になる。私が懐かしく感じる人達は、入学1年目の学生寮で同室だったメンバー、2年間通った柔道部の同期生、一緒にギターを習いに行った仲間、4年次にマンボ楽団に勧誘してくれた友人(欠員が多くマラカスを担当させられた)等々、やはり学生時代に親しく打ち解け、何でも語らった相手である。そんな相手であればどんなに時間が経過していても、それを飛び越えて昔の関係に戻れるものである。話はお互いの昔話の付き合せ、それとその後の出来事である。がんで胃を全摘して今は体重が42kgまでになった仲間、肺がんで肺の1/4を取った友人、3年前に奥さんを亡くし、今は再婚を考えている者、やはり昨年奥さんを亡くし、「寂しいものだよ」と心境を語ってくれる友などさまざまである。卒業して47年、それぞれの人にそれぞれの人生があったことを改めて思うのである。
鵜飼見物が終わり、宿に帰ってから一番大きな部屋に集まって2次会である。酒が入るほどに、それぞれの素が露わになってくる。そして酒席での立ち振舞いは学生時代の個々の性格がそのまま延長されてきたようである。「三つ子の魂百まで」、やはり半世紀近く経過しても人の性格は変わらないのだろう。しかし学生時代と変わったところもある。押しなべて酒量が減ったこと、(耳が遠くなったからか)声が大きくなったこと、滑舌が悪く、だみ声が多くなったこと、「あれ、あれだよ」と単語が思い出せない場面が頻繁になったこと、朝起きるのが早くなったこと(ほとんどのメンバーが6時前に起きて朝風呂に行く)、金華山に登る坂道で喘ぐ人が多くなったことなど、精神的には20代に舞い戻っても、体の方はやはり70歳である。参加者が集まってから一晩が経過すると、昔話は少なくなりそれぞれの近況の話になってくる。やがて昔の面影は記憶の中に戻っていき、今のその姿が現実世界の仲間であると認識するようになる。これからは過去と現在の二つが繋がり、セットになって海馬の中に整理されるのかもしれない。
2つの学科の同期生約70人の内、物故者はすでに8人いるそうである。それらの人の名前を聞いても、今度は名前は思い出せても、顔が思い浮かばない。「去るもの日々に疎し」ではないが、記憶はどこかで引っ張り出して虫干ししてやらないと、そのまま埋もれて消えていくのであろう。さて今度は何年後に会えるか分からないが、それまで修正された記憶が維持できていれば良いと思うのだが。
金華山(稲葉山)
頂上に岐阜城がある
金華山ロープウェー
岐阜城
天守閣からの眺め
解散式
親が転勤族だったことも有り、同期会とは疎遠になってしまいましたが、とうに廃校になってしまった中学からの案内が来ないものかと心待ちにしているこの頃です。