「意識は感覚や行動の後に来るらしい」ということが、アメリカの神経生理学者ベンジャミン・リベットによる研究により明らかになってきました。私たちは自らの行動について次のように捉えがちです。まず脳が何らかの指令を出して、それで身体が動いたり、感情が生まれたりするのだ、と。ところがリベットの研究で逆のことがわかりました。意識が何よりまず先に生じて、その後に感覚や行動が起きるのではなく、むしろ意識は後付けのものではないか、というものです。
例えば熱した鉄板を触って「アチッ!」と手を引っ込める時、①手が鉄板に触れる。②「熱い」と感じる。③脳が「危ないから手を引っ込めよ」と指令をだす。④手が動く。これは脳が私達を完全に支配している、と考えるならばこのとおりでしょう。ところがリベットの実験ではその順序が違ったたのです。①手が鉄板に触れる。②手を引っ込める。③「熱いから手を引っ込めなくては」と脳が意識する。こういう流れなのだ、というものです。
・・・意識より先に行動があれば、なかなか自分をコントロールするのが難しくなる。だからダイエットはなかなか進まないし、リバウンドが起こる。そんなことから脳学者 茂木健一郎が脳に視点を置いてダイエットを解説した本である。一部ポイントだけを抜書きしてみた。・・・・・・
自分が自分自身を保ち、貫く・・・、私が私を完全に支配しているのであれば、ダイエットが必要なほど太ることはないでしょう。常にバランスの良い食事をこころがけ、ベストな体重をキープしているはずです。しかし現実は違います。これだけダイエットを必要としている人が多いということは、自分で自分を支配できていない人が多くいることの証拠です。ダイエットをする時、「支配する私」は「間食をしない」「夜食のラーメンをたべない」「お酒を飲みすぎない」と命令する私です。その私が命令するのも私に対してであり、これは「支配される私」でもあります。
このように「支配する私」と「支配される私」に分かれる。「食べちゃダメ」と命令する私がいて、それに従う私がいる一方で、食欲に負けてその命令に反する私もいる。ダイエットに限らず、そのようなせめぎ合いが常に脳内で行われているのですが、特にダイエット中はそれが分りやすい形で表れます。こうした「私」という不思議は、脳科学研究においても重要なテーマです。
書店に並ぶダイエット本のタイトルを見ているだけで、現代の人がどれだけダイエットを欲しているか、あるいはどのようにヤセたいか、ということがはっきりと見えてきます。それは分るのですが、やはりダイエットの要諦は次ぎの言葉で言い切れると思います。「食べない」以上です。もう少し詳しく言えば、食事を減らす。ダイエットの奥義は、これに尽きるのです。
いかにダイエットの真理が「食べない」ことだとしても「辛い」だけではつまらない。空腹を我慢するのは、食事を美味しくいただくため。ヤセるために食べる楽しみをあきらめる、ということは本末転倒のように思います。むしろ食べる楽しみを追求するために、あえて空腹状態にする、そのように発想を転換してみてはどうでしょうか、
ダイエットブームの背景には現代の飽食があるように思います。「楽してヤセたい!」と思う人が多いということは、苦痛に向き合えないということか、「苦痛の先には快楽がある」ということを知らない人が増えている証拠かもしれません。
ダイエットにおいては、身体を鏡に映してみたり、食事の内容を記録してみたり、毎日体重計に乗ってそれを記録しつづけたり、増えたならば増えたなりに、ヤセたならばヤセたなりにそれを記録する。さらには、グラフにするなどして視覚化し、必要に応じて解析するのです。そのようにして、自分の体重の状態をメタ認知(モニターする)ことです。すべてはメタ認知から始まります。・・・・・これはダイエットだけのことではなく、人生のすべてに当てはまります。
・・・・とにかく現状を受け入れること。その過程で、「このままじゃダメだ」「ちくしょう、絶対ヤセてやる!」とか、さまざまな感情が喚起されててくるはずです。またそれこそが生きるエネルギーにもなるのです。もちろん、ダイエットをするモチベーションにもなるはずです。
ダイエットというのは行動主義だと思います。本当に結果を出したいのであれば、とにかく行動すべきです。「やる気メーター」をフルゲージにして、「さあやるぞ!」ということで向かうのではなく、むしろ淡々と、アップもダウンもなくフラットな気持ちで、続けた方がいいのです。「やる気」というのは、それがあるから行動できるのではなくて、むしろ行動しないことへの言い訳として使われがちです。一時の「熱意」や「やる気」ではなく「習慣」こそが必要なのです。
もちろん夢でも目標でも何かを選択するその瞬間には、「熱意」や「やる気」は必要でしょう。それが無い夢も目標もつまらないものです。しかし、一度方向を決めたら、あとは淡々と続ける。それだけです。必要なのは「やる気」よりも習慣とそれを裏付ける行動だけなのです。
「ヤセたい」と思う、その人の心理の裡には「変わりたい」と思う気持ちがどんな人にもきっとある。それが根源的な欲望としてあるはずです。「自分自身を変えることは、創造的なことである」ならば、「ヤセたい」という気持ちは「創造的でありたい」という気持ちとつながっていくはずです。「ダイエットをして5キロヤセたい」というだけでは、いかにも俗で浅い欲望かもしれませんが、突き詰めて考えれば、その先に「クリエイティブでありたい」という欲望を根底に見出すことができるのではないでしょうか。「5キロヤセたい」のではなく、「新しい自分になりたい」と考えてみるべきなのです。
※ これだけでは内容が分りづらいでしょう。興味のある人は、
茂木健一郎「ヤセないのは脳のせい」 新潮新書760円
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