先月末、7月から取引予定だった会社が倒産した。ニュースで知る内容は下記のようである。
《5月25日に神戸地裁へ民事再生法の適用を申請したエスケー食品(株)(資本金1億4000万円、神戸市西区伊川谷町潤和1110、代表菅野時雄氏、従業員63名)は、5月29日開催の債権者説明会で、再生手続きを断念し、6月上旬にも自己破産を申請する見通しであることを表明した。 負債総額51億円》
7月よりこの会社から海老の天ぷらと掻き揚げのプレフライの冷凍品を買うことになっていた。まだ取引が始まったわけでもなく、当方が買い手であるから倒産しても、金銭的な被害をこうむることはない。しかし商品の販売先も決まっていて、すでに注文数も出ていたから、今は代替品を探すのに四苦八苦している。取引を前にして、3月に浜松町にある東京支店に伺ったことがある。事務所は駅前のビルの9階にあって、6、7名の社員数にしては広く、見晴らしが利いて伸びやかな環境の職場であった。「仕事環境がすばらしいですね」、支店長にそんな話をしたことを思い出す。あの支店長は、あの営業担当者は今どんな心境なのだろう?彼らにしてみれば自分の会社が倒産するなどということは晴天の霹靂なのではないだろうか? 何度となく会った相手だけに、気になるところである。一般的には会社が倒産すればオーナーは自己破産に追い込まれ、社員は再就職先を探して散り散りになっていくことになる。
話は変わって、 先週、会社がお世話になっている会計事務所の先生が亡くなられた。進行の遅い慢性白血病ということで80歳であった。同じく先週、親会社の某得意先の社長の奥さんが亡くなった。肝臓癌から脊椎に転移したそうで、まだ若く63歳だそうである。
自分自身が年を重ねていくうちに身近なところで、人の死や会社の倒産にイヤというほど接してきた。だからなのか「当然ありうること」、「いつかはあること」、「やがて自分の身にも起こること」という風に考えて、他者のことで自身が動揺することほとんど無くなっている。命あるもの(会社も生きた組織と考えると)は必ず滅びることは自明のことである。しかしその滅びゆく命が自分自身であるとき、宗教心のない私には、その心の動揺と恐怖を、どう受け止めたらよいのかということがこれまでの最大の問題であった。しかし最近、分子生物学者の福岡伸一の著書を何冊か読んで、自分の死生観というものが定まったように思う。以下はそのあらましである。
会社組織には色々の人が集まる。新入社員が入り、定年退職者が辞めていく、中途採用者がいれば途中退職者もいる。そんな人の流れの中で企業活動が行われている。たまたま企業が倒産してしまった時、そこに集っていた人までもが消えてしまうわけではない。倒産した企業を離れて、また別な仕事を求めてそれぞれの方向へ霧散していくわけである。企業生命は途絶えても、企業の構成要員としての人は生き続けているわけである。これは人という生命体も同様なのではないだろうか。食べ物や酸素を体内に取り入れることで、体を構成しているたんぱく質などの分子は常時入れ替わりつつ、細胞は活動し生命は維持されている。その生命体が死んでしまったとき、その構成されていた無数の分子や原子はどれ一つ失われるわけではなく、形を変えて離散していくわけである。水分は雨粒になって地球をめぐるかもしれない。炭素は木々に取り込まれて幹になるるかもしれない。私を構成していた分子は世界中に分散してまた別な用途につながっていく。したがって生命体とは地球全体を取り巻いて流れている分子の一時期の淀み(渦)なのではないだろうか。その淀みが保たれているうちが生命で、その淀みが消えてなくなるときが死になるのである。淀みができればそこに生命が生まれ意識が芽生える。淀みがなくなれば意識も消える。そしてその淀みは出来ては消え、出来ては消えと連綿と続いていく。それが生命なのであろう。
地球が46億年前に生まれてから今まで、地球を構成してきたものはその形こそ違ってきているが、基本的には増えもせず減りもしていないことになる。それがある時期(38億年前)分子の流れが淀んで生命が誕生したわけである。それからはその淀みは消えることなく絶えることなく、増え続け、今は生命は地球上に満ち満ちている。こう考えると、自分の命も、うたかた(泡沫)のようなものではあるが、しかし私を構成していたものは無になるわけわけでなく、やがてまた別の淀みに流れ込んで別の生命体に使われるかもしれないわけである。
子供の頃、親族の葬儀で焼き場に行き、人は最後は燃やされて無になってしまうと思い、死に対して恐怖したものである。今は焼き場の高い煙突を通って、私を構成したものは再び地球上に撒かれて行く。そのように思うことが出来るようになった。
※今日の話は自分で書いていても、まとまりがなく分かりづらいだろうと思ってしまう。詳しくは福岡伸一著「動的平衡(1)」「動的平衡(2)」を読んで見たら理解してもらえるかも知れない。
《5月25日に神戸地裁へ民事再生法の適用を申請したエスケー食品(株)(資本金1億4000万円、神戸市西区伊川谷町潤和1110、代表菅野時雄氏、従業員63名)は、5月29日開催の債権者説明会で、再生手続きを断念し、6月上旬にも自己破産を申請する見通しであることを表明した。 負債総額51億円》
7月よりこの会社から海老の天ぷらと掻き揚げのプレフライの冷凍品を買うことになっていた。まだ取引が始まったわけでもなく、当方が買い手であるから倒産しても、金銭的な被害をこうむることはない。しかし商品の販売先も決まっていて、すでに注文数も出ていたから、今は代替品を探すのに四苦八苦している。取引を前にして、3月に浜松町にある東京支店に伺ったことがある。事務所は駅前のビルの9階にあって、6、7名の社員数にしては広く、見晴らしが利いて伸びやかな環境の職場であった。「仕事環境がすばらしいですね」、支店長にそんな話をしたことを思い出す。あの支店長は、あの営業担当者は今どんな心境なのだろう?彼らにしてみれば自分の会社が倒産するなどということは晴天の霹靂なのではないだろうか? 何度となく会った相手だけに、気になるところである。一般的には会社が倒産すればオーナーは自己破産に追い込まれ、社員は再就職先を探して散り散りになっていくことになる。
話は変わって、 先週、会社がお世話になっている会計事務所の先生が亡くなられた。進行の遅い慢性白血病ということで80歳であった。同じく先週、親会社の某得意先の社長の奥さんが亡くなった。肝臓癌から脊椎に転移したそうで、まだ若く63歳だそうである。
自分自身が年を重ねていくうちに身近なところで、人の死や会社の倒産にイヤというほど接してきた。だからなのか「当然ありうること」、「いつかはあること」、「やがて自分の身にも起こること」という風に考えて、他者のことで自身が動揺することほとんど無くなっている。命あるもの(会社も生きた組織と考えると)は必ず滅びることは自明のことである。しかしその滅びゆく命が自分自身であるとき、宗教心のない私には、その心の動揺と恐怖を、どう受け止めたらよいのかということがこれまでの最大の問題であった。しかし最近、分子生物学者の福岡伸一の著書を何冊か読んで、自分の死生観というものが定まったように思う。以下はそのあらましである。
会社組織には色々の人が集まる。新入社員が入り、定年退職者が辞めていく、中途採用者がいれば途中退職者もいる。そんな人の流れの中で企業活動が行われている。たまたま企業が倒産してしまった時、そこに集っていた人までもが消えてしまうわけではない。倒産した企業を離れて、また別な仕事を求めてそれぞれの方向へ霧散していくわけである。企業生命は途絶えても、企業の構成要員としての人は生き続けているわけである。これは人という生命体も同様なのではないだろうか。食べ物や酸素を体内に取り入れることで、体を構成しているたんぱく質などの分子は常時入れ替わりつつ、細胞は活動し生命は維持されている。その生命体が死んでしまったとき、その構成されていた無数の分子や原子はどれ一つ失われるわけではなく、形を変えて離散していくわけである。水分は雨粒になって地球をめぐるかもしれない。炭素は木々に取り込まれて幹になるるかもしれない。私を構成していた分子は世界中に分散してまた別な用途につながっていく。したがって生命体とは地球全体を取り巻いて流れている分子の一時期の淀み(渦)なのではないだろうか。その淀みが保たれているうちが生命で、その淀みが消えてなくなるときが死になるのである。淀みができればそこに生命が生まれ意識が芽生える。淀みがなくなれば意識も消える。そしてその淀みは出来ては消え、出来ては消えと連綿と続いていく。それが生命なのであろう。
地球が46億年前に生まれてから今まで、地球を構成してきたものはその形こそ違ってきているが、基本的には増えもせず減りもしていないことになる。それがある時期(38億年前)分子の流れが淀んで生命が誕生したわけである。それからはその淀みは消えることなく絶えることなく、増え続け、今は生命は地球上に満ち満ちている。こう考えると、自分の命も、うたかた(泡沫)のようなものではあるが、しかし私を構成していたものは無になるわけわけでなく、やがてまた別の淀みに流れ込んで別の生命体に使われるかもしれないわけである。
子供の頃、親族の葬儀で焼き場に行き、人は最後は燃やされて無になってしまうと思い、死に対して恐怖したものである。今は焼き場の高い煙突を通って、私を構成したものは再び地球上に撒かれて行く。そのように思うことが出来るようになった。
※今日の話は自分で書いていても、まとまりがなく分かりづらいだろうと思ってしまう。詳しくは福岡伸一著「動的平衡(1)」「動的平衡(2)」を読んで見たら理解してもらえるかも知れない。
今回の商品、すでに来月からスタートで新たなルートを考える余裕がなく、当面は既成の物の購入を考えています。こちらの仕事が継続し、貴殿の目指す方向で会社の再立ち上げが出来れば、またご縁があるかもしれませんね。仕事は諦めなければ付いてくるもの、ぜひ困難を乗り越えてのご活躍をお祈りしております。