いよいよ最後の行程、藤沢から鎌倉までである。JRの藤沢駅を降り前回鎌倉街道を離れた遊行寺付近まで戻る。そこから再び東南方向に鎌倉を目指した。鎌倉は東、北、西の三方を山が、南は海が守る天然の城である。従って鎌倉に入るにはその山を越えなければいけない。藤沢市から鎌倉市に入ると急にアップダウンが増え、やがて源氏山(白旗山)を上り詰めて鎌倉市街に入った。
鎌倉には何度も来ているが、今回は新型コロナウイルスの影響か観光客も少なく、今までにない落ち着いた雰囲気の鎌倉である。鶴岡八幡宮と源頼朝の墓に参拝し終えて若宮大路を鎌倉駅に向かった。16回に分けて歩いてきた鎌倉街道も今日で終わりである。群馬の安中から248km、歩ききったことで、ある種の心地よい達成感のようなものがある。
改めて思うことは、知らない路をカメラを持って歩き被写体を探すことで、自分の気持ちはいつも外を向いている。マインドフルネスの本にも書いてあったが、気持ちを外に集中することで内向きにならず、集中力、創造力、ストレス対処ができるとあった。私にとって歩くことは楽しさであり、開放感を得る手段なのである。
藤沢駅
船玉神社
3代将軍源実朝が宗に渡るため船の建材をこの地で切り出した
前回通った遊行寺の坂
慈眼寺
天分2年(1533)頃、玉縄城主・北条綱成が開創した曹洞宗の寺
モチノ木4株、タブノ木3株、スダジイ1株が根本で
融合した樹齢300年以上の混生樹
二傳寺
梅の木にメジロ
村岡城址公園付近にあった墓地
高台の斜面に新しい形の墓石で統一されている。
村岡城址公園
10世紀後半に築かれた平良分の居城跡
右は東海道本線
御霊神社
天慶3年(940)に早良親王を勧請し戦勝記念したとの由来
兜石
鎌倉景政は奥州征伐で大活躍して凱旋、
松の根本に兜を植えて記念としたとの言い伝え
崖には防空壕の跡
泉光院
洲崎古戦場跡
鎌倉幕府軍と新田義貞軍が激闘を繰り広げた地
大慶寺
ここから昇りが続く
ひたすら住宅地の道を登る
山の上ロータリー
一旦下るが又昇り
鎌倉山公園内に入る
葛原岡神社
絵馬はハート型
日野俊基墓
嵯峨天皇の忠臣・日野俊基は二度も討幕計画を立てた。
しかし途中で幕府に知られ計画は失敗。最初は許された
ものの二度目は厳罰が下り、ここで斬首される
銭洗弁財
銭洗い弁財天 宇賀福神社
源頼朝は夢枕に立った老人のお告げに従って
霊泉を見つけ、岩屋を掘り宇賀神を祀ったのが始まり
金銭を清水で洗うのは禊と同じ、百千倍には増えないので誤解なく
源氏山公園
源頼朝像
化粧坂
鎌倉七切り通しの一つ
名前の由来は、平家の大将の首を化粧してから首実検したから、との説もある
坂は北向きなので霜が残っている
JR横須賀線
岩船地蔵尊
源頼朝の息女・大姫は木曽義仲の嫡子・義高と婚約したが、義高は
父・源頼朝により殺される。この地蔵堂は大姫を供養するために建てられた
寿福寺
正治2年(1200)の北条政子げ建てた。墓地のやぐらには
源実朝と北条政子の墓と伝わる五輪塔が安置されている
本日のランチ 和風のつけ麺(梅干し付き)
鶴岡八幡宮の三ノ鳥居
舞殿では結婚式
源頼朝墓
頼朝は建久10年(1199)に53歳で他界、死因は諸説あるが、
相模川の橋供養の帰路に落馬したとする説が有名。
若宮大路
小町通り
鎌倉駅
鎌倉街道
終わり
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