先日、東京の三越本店でアンドロイド(人間の形をしたロボット)が来店客へ売り場の案内をしている情景がテレビで放映されていました。
人口減社会に移りつつある現在、こういうロボットが活躍する余地は十分あるといわざるを得ません。
これはネットから拝借したアンドロイドです。三越で登場したアンドロイドは和服姿でした。
先日(4月19日)の新聞にすごい記事がありました。
読売新聞に山崎正和氏(劇作家、文化功労者、大阪大学教授、中央教育審議会会長、日本芸術院会員、1934年京都生まれ)が書いています。
氏は、「定常型社会」(これ以上進歩しない社会)について解説していましたが、その対極にある「科学技術万能論」に対して目を向けなければ
ならなくなるだろうというのです。
今年1月にNHKスペシャルで「ネクストワールド 私たちの未来」というのをやっていましたが、その中で、ホスト役のミチオ・カク氏はアメリカンドリーム
を熱っぽく語っていました。それは、「科学技術万能論」で限りない科学の進歩を予言していたのでした。
新理論の中心人物は「ポストヒューマンの誕生」の著者レイ・カーツワイル氏です。
彼は「20世紀後半以来、遺伝学,ナノ技術、ロボット工学が爆発的な発展を遂げ、2040年ころには文明に革命をもたらし、人間そのものを改造
するだろう。更に一歩を進めて、将来は栄養の摂取も排泄もこれが行い、人体から消化器官は不必要になる」というのです。
そして、骨格や筋肉の代わりに機械を装着した人間の出現を予言しているのです。
ナノ技術とロボット工学が結合した産物である「ナノボット」についての予言は素直に読者の胸を踊らせます。
(ナノとは10億分の1.ボットとはロボット工学のこと。このナノボットは医学分野ですでに活躍の予兆を見せており、抗がん剤を患部に正確に届けたり、
血管や臓器の補修や代替えに使われる可能性はすでに認められています。)
しかし、彼は最後に「何故自分が特定の人間なのか分からない」と告白しています。つまり、自分の身体は操作する側かされる側か曖昧になり悩ん
でいます。「私が特定の個人である」ことは人権思想の基本であり、そのことが非生物的人間の観念と矛盾しかねないとも悩んでいます。
山崎氏は最後に、「人間の本質は限界を持つ存在であって、それ故に幸福にもなれたという事実に目を向けて欲しかった。人間に飢えがあればこそ
満腹は嬉しいのだし、学問にも事業にも困難があればこそ、困難の克服は幸福なのである。人間を強くする科学的改造は歴史の趨勢としても、
だからこそ今必要なのは人間とは何かという哲学だと痛感させられる」と結んでいます。
我が家の君子蘭とモッコウ薔薇が満開です。
私の見解は、山崎氏が最後に云っている「今必要なのは人間とは何かという哲学だ」という(私のブログの)最後の3行に同感です。
つまり、人間の幸福とは・・飢えがあったり、困難があったりしてそれを克服するところにある・・ということです。
大変解りやすいですがこれまでの変化を人間として求めるでしょうか? 器械やサイボーグまでは進化可能と見ますが如何でしょうね?
死なない人間でも困る問題が出てきそうだし?
とうさんの見解は如何?
どんな世の中になっていくのでしょう?
と訂正します。
仰る通り、人間とは何かという哲学が必要になってきました。
さすが、サッチーさん、よく最後まで読んでいただき嬉しいです。
操られる世の中になりそうですが、便利、効率的
で人口減少には役に立っても人間本来の心の中までは読み取れるのでしょうか?
喜怒哀楽・四季折々の感情なども読み取ってくれるのでしょうか?
>今必要なのは人間とは何かという哲学だと痛感させられる<という言葉に救われますね。
お宅の君子蘭とモッコウ薔薇も満開で春の希望が
湧いてきます。