ロシアを後ろ盾としてきたシリアのアサド政権の崩壊は、ロシアがウクライナ侵略に注力するあまり自身の「勢力圏」の防衛に手が回らなくなっている実情を改めて浮き彫りにした。ロシアはこれ以前にも、ウクライナ侵略を背景に同盟国アルメニアの離反を招いていた。ウクライナの戦場でロシアは優勢にあるものの、その代償として失っているものは大きい。
ロシアは2015年、シリア内戦に軍事介入し、反体制派勢力を空爆。劣勢にあったアサド政権軍を優勢に導いた。ロシアは介入の見返りとして、旧ソ連時代から租借してきたシリア西部タルトスの軍港に加え、新たに北西部ヘメイミーム空軍基地の使用権を獲得。地中海や中東、北アフリカなどに軍事的影響力を行使する拠点としてきた。
アサド政権の崩壊を招いた要因の一つには、ロシアがシリア駐留軍の戦力や兵器を引き抜いてウクライナに投入した結果、反体制派への抑止力が低下したことがあると分析されている。
ロシア・アサド政権側と敵対してきた反体制派がシリアを掌握したことで、露軍拠点の先行きは不透明になった。反体制派は現時点で「露軍拠点の安全は保証する」との立場を示しているとされるが、それは露軍拠点を攻撃しないという意味に過ぎない。今後、反体制派が発足させる新政権がロシアとの租借契約の解除に動く可能性があり、そうなればロシアは周辺地域への足掛かりを失う。
ウクライナ侵略を背景にロシアが勢力圏を喪失するのは2度目だ。南カフカス地方では昨年9月、アゼルバイジャンが露主導の軍事同盟「集団安全保障条約機構」(CSTO)に加盟する隣国アルメニアとの係争地ナゴルノカラバフで電撃的な軍事作戦に着手し、カラバフを奪還した。
アゼルバイジャンは、ロシアがカラバフに派遣していた停戦監視部隊をウクライナに投入した隙を突いたとされる。ウクライナ侵略でロシアの介入余力が乏しくなったとみて軍事作戦に踏み切った形だ。
この結果、アルメニアは「軍事支援の義務を果たさなかった」としてロシアとCSTOを非難。CSTOへの参加を凍結した一方、欧米諸国との軍事協力にかじを切った。
ロシアが勢力圏とみなす中央アジアの旧ソ連諸国もまた、ウクライナ情勢で中立を維持し、ロシアから一定の距離を置いている。
(小野田雄一) 産経新聞
シリアのアサド政権崩壊は、中東にイスラム教シーア派のネックワークを構築してきたイランにとって大きな打撃となる。イランからイラクをへてレバノンに至る「シーア派の弧」がシリアで途絶え、物資供給などが滞る恐れがあるからだ。イスラエルを取り巻く「包囲網」も弱体化する公算が大きく、イランの中東地域に対する影響力の低下は避けられない情勢だ。
イランからレバノンに送る物資や資金の供給に支障が出ると、イランが対イスラエル攻撃の前線拠点として支援してきたレバノンの民兵組織、ヒズボラの活動に影響すると考えられる。ヒズボラは9月以降のイスラエルによる激しい攻撃で体力を奪われ、アサド政権の崩壊を阻止できなかった。支援が細れば組織の衰退に拍車がかかりそうだ。
イランやイラクで人口の多数派を占めるシーア派はレバノンでも人口の30%前後を占めており、存在感は小さくない。これに対し、「弧」を形成したシリアの事情は異なる。
シリアのイスラム教徒は全人口の90%近くを占めるが、うち70%以上はスンニ派でシーア派の影は薄い。親子2代で半世紀以上、独裁体制を維持したアサド親子も、人口の1割余しかいないイスラム教の一派、アラウィ派の出身だ。
アサド親子は少数派が多数派を支配する統治構造を安定維持する上からも、イランとの関係を深め、その庇護(ひご)を得てきた経緯がある。例えば、イランで王政が崩壊した1979年のシーア派革命の際にも、他のアラブ諸国がイランからの「革命の輸出」を警戒した中で、シリアは真っ先にシーア派政権を承認した。
シリアの脱落に伴う「シーア派の弧」の弱体化は、「抵抗の枢軸」と称して連携してきたイラクやイエメンの親イラン民兵組織に対するイランの求心力にも影響しかねない。
イランは今年4月と10月、イスラエルと互いに本土を攻撃し合ったが、この間に各地の民兵組織と連動して対イスラエル攻撃を組織することはなく、それぞれの対応に任せる姿勢をみせた。米国やイスラエルの軍事攻撃の標的になるのを避ける狙いがあったとも指摘される。(カイロ 佐藤貴生) 産経新聞
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シリア反体制派が8日、首都ダマスカスを制圧し、アサド政権が崩壊した。中東の衛星テレビ、アルジャジーラやAP通信が伝えた。ロイター通信はシリア軍関係者2人の話として、アサド大統領が航空機でダマスカスを離れたと報じた。所在は不明。シリア内戦は膠着状態が続いていたが、反体制派が11月下旬以来、電撃的な攻勢をかけ、アサド氏の父の代から50年以上続いた強権体制の幕を閉じた。
ジャラリ首相は8日、声明で「人々から選ばれた指導部と協調する準備ができている」と述べ、政権移譲に協力する考えを示した。
アサド政権はイランやロシアの軍事支援を受けていたが、防衛に失敗した。反体制派は一枚岩ではなく、主導権争いが活発化する可能性もある。
シリアは2011年に内戦に陥った。最近まで政権側が国土の大半を掌握し、軍事的優位を固めていたが、11月27日に攻勢を開始した反体制派が10日余りで北部、中部の要衝を次々と制圧した。(共同)産経新聞
ロシア国営タス通信は8日夜(日本時間9日未明)、露大統領府筋の話として、反体制派の攻勢により政権が打倒されたシリアのアサド大統領が家族とともに露首都モスクワに到着したと報じた。ロシアは「人道的見地」に基づき、アサド氏を「亡命者」として保護したという。ロシアは従来、アサド政権の後ろ盾となってきた。
アサド氏を巡っては8日、シリアの首都ダマスカスから脱出するために搭乗した航空機が墜落し、死亡したとする観測も伝えられていた。
タスは、露大統領府筋が「ロシアは反体制派と連絡を取っている。反体制派はシリア国内にあるロシアの軍事基地や外交施設の安全を保証した」と話したとも伝えた。
これに先立ち、シリアのジャラリ首相は8日、アサド政権との合意に基づき同国に駐留してきた露軍の扱いについて「新しい政府が決めるだろう」と述べ、反体制派側とロシアの協議次第だとする考えを示していた。
ロシアは2015年、シリア内戦にアサド政権側で軍事介入。優勢だった反体制派への空爆を行い、戦局を覆した。ロシアは介入を通じ、旧ソ連時代から租借してきたシリア西部タルトスの軍港に加え、北西部ヘメイミーム空軍基地の使用権を獲得。中東やアフリカなどに軍事的影響力を行使する拠点としてきた。(小野田雄一) 産経新聞