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散策:神楽坂の路地裏

2016-04-25 16:26:51 | 日記

神楽坂:路地裏散策

 

 2016年4月24日、今日は2年前のインド旅行で出会った葭葉さんの「書」が展示されている「全国公募書道展」を六本木の国立新美術館に鑑賞しに行ったついでに神楽坂を散策しました。葭葉さんの「書」は、最優秀の「大賞」でした。すごいなーー。

神楽坂は学生時代4年間も通った場所なのに、まじめ学生だった私は学校と家を行き来していただけで(実は雀荘に入りびたり)、界隈については何も知りませんでした。散策してみてこんな雰囲気のある場所がたくさんありびっくりしました。以下が散策順路です。

 

「全国公募書道展」

   

   国立新美術館

 

葭葉さんの「書」 清風明月自来往 流水高山無古今 提筆四顧天地窄 長嘯一聲山月高

  

神楽坂の路地裏散策の行程:約2.7Km

 今日の散策は、神楽坂。食べる所は選り取り見取り、何の心配もなく出発です。

 散策順路地図

 JR飯田橋駅(西口)

 

↓60m 徒歩1分

牛込見附門跡

 旧江戸城の外郭門の一つ牛込見附門の跡。外郭門は敵の侵入を発見し、防ぐために「見附」と呼ばれた。

  

↓5m 徒歩1分

牛込橋

   

                 牛込橋から

神楽坂通り

 坂の名前の由来については、「若宮八幡の神楽の音がこの坂まで聞こえてきたから」など諸説ある。

 

↓120m 徒歩2分

不二家

  ペコちゃん焼きの限定販売店。

 

甘味・紀の善

  老舗甘味処、抹茶ババロアの発祥の店として知られている。

 

↓190m 徒歩3分

熱海湯

  昭和29年に建てられ、入口と脱衣場部分に黒瓦ののった千鳥破風屋根のある昔ながらの関東型伝統的銭湯建築の湯です。

 

↓30m 徒歩1分

別亭鳥茶屋

  石畳の階段に建つ数寄屋造り一軒家。(ここで昼食をとりました。)

           

         この写真の右手に別亭鳥茶屋

  

名物のうどんすき(1,480円)と親子丼(1,540円)

↓40m 徒歩1分

見番

 花柳界(花街)とは料亭と見番があり芸者さんが行き来する地区や社会を指します。見番は芸者衆の手配、玉代の計算などを行う花柳界の事務所や稽古場のことで、神楽坂の見番は「東京神楽坂組合」という。神楽坂では最盛期には700人近い芸者衆がいたが、現在は30名ほどだそうだ。

   

見番通り 

 

↓110m 徒歩2分

料亭・加賀

  創業60年の老舗。夜は接待などに利用されるようなお店なので、パッと見はすごく敷居が高いが、お昼のメニューは1,000円からとそれほど高くないらしい。伝統の加賀料理「鴨の治部煮御膳」、「特製 海老天丼御膳」

 

大手門通り(牛込城の大手門があった)

 この通りは、中世に築かれた牛込城の大手門(正門)に通じていたという。

  

↓120m 徒歩2分

毘沙門天善國寺

 江戸後期の寛政5 (1793)年に移転してきた日蓮宗の寺院。この寺の毘沙門天は多くの参詣客を集め、「神楽坂の毘沙門天」として親しまれている。新宿七福神のひとつ。(写真撮影禁止)

今日は藤の花が満開できれいでした。(庭にトイレあり。)

    

   

 安産岩製の阿吽の虎の像(毘沙門天信仰は虎を重視しているので寄進されたらしい。)

地蔵坂(わらだな横丁)

 光照寺の子安地蔵が信仰を集めたため、または、境内に住む狸が地蔵に化けて、夜な夜な坂を通る人を脅かしたということから命名された。また、藁を商う店が多かったことから、その一帯は藁店(わらだな)横丁とも呼ばれる。

  

↓220m 徒歩3分

光照寺(牛込城跡)

 中世期にこの地を治めていた豪族・牛込氏の城跡。住居を主体とした館であったと推定されている。地蔵坂の名の由来となった木造地蔵菩薩坐像、神田松永町旅籠屋紀伊国屋利八が、その旅籠に逗留中に倒れ亡くなった人々を弔った諸国旅人供養碑(1825年)などがあるそうだ。

         

     

木造地蔵菩薩坐像       海ほらづき供養塚

↓260m 徒歩4分

ブルターニュ神楽坂

  ブルターニュ地方の伝統料理「そば粉のクレープ“ガレット”」を提供する、日本で初めてのカフェ クレープリー。若者の行列。にぎわっていますねー。

  

伊勢藤(いせとう)

  日本一静かな居酒屋。花街として栄えた“古き良き神楽坂”を今に伝える数少ないお店だそうだ。  

兵庫横丁

 神楽坂の代表的な石畳・黒塀の路地。「兵庫」の名は、中世期にこの辺りが武器・兵器に関する郭だったことからきている。料亭のほか、著名作家たちが逗留して執筆活動を行うことから、「ホン書き旅館」として知られる「和可菜」などがある。

  

↓60m 徒歩1分

ホン書き旅館・和可菜

  脚本家や小説家など書くことを仕事にしている人たち、つまりホン書きさんたちがここに籠もって(閉じ込められて?)、作品を仕上げる

カンヅメ旅館であった。お世話になったホン書きさんたちは数知れず、野坂昭如、色川武大、山田洋次、早坂暁、滝田ゆうなど、名前を聞けば、作品が思い浮かぶ人ばかりである。

 

↓110m 徒歩2分

料亭・うを徳

  老舗料亭明治の文豪「泉鏡花」に愛されたお店。彼の小説『婦系図』に登場する魚屋『めの惣』のモデルは、『うを徳』の初代・萩原徳次郎氏だそうだ。

 

本多横丁

 名称はこの横丁の東側にあった三河西端藩主本多対馬守の屋敷に由来する。

 早稲田通りから

↓120m 徒歩2分

かくれんぼ横丁

 最も「神楽坂らしい」雰囲気を保っている路地のひとつ。石畳や黒塀、さりげないけれど趣向を凝らした建築など。

  

↓70m 徒歩1分

軽子坂

 鎌倉時代に武蔵国府中と下総国国府台の両国府をむすぶ道として整備されたもので、神楽坂通りより古い歴史を有する。江戸時代には、神楽河岸で荷揚げされた米などの荷を軽籠(かるこ)を背負って運搬する人夫達(軽子)がこの地に多く住み往き交っていたので坂の名はこのことに由来する。

  

↓100m 徒歩2分

芸者新路

 明治時代にできた道で、以前は「ロクハチ」(宴席の始まる夜の6時と8時のこと)ともなると、お座敷に出る御姐さん達が一刻を争って近道に利用したそうだ。

    

↓140m 徒歩2分

肉まんの五十番

  自慢の国産の豚挽肉と野菜を詰め込んだ昔ながらの肉汁がたっぷりの「肉まん」と、神楽坂で大人気の本格的な「中華惣菜」が自慢。(お土産に肉まんをゲット。スーパーで買う肉まんとは比べてはいけないいですねーー。)

  

↓20m 徒歩1分

香舗・椿屋

  お香や匂い袋(香り袋)などを扱うお店で、他にも和紙の小物や便箋、はがきなども扱っている。

  

  先ほど通った見番横丁を通って小栗通りへ

↓180m 徒歩3分

小栗通り

 小栗という姓の武家屋敷が、この通りの両端にあったことから小栗横丁と呼ばれた。通りの中程に銭湯・熱海湯があることから「熱海湯通り」とも呼ばれる。

  

↓170m 徒歩3分

ホテル・アグネス

  大人の隠れ家のような雰囲気。

↓60m 徒歩1分

神楽坂若宮八幡神社

 源頼朝が東北の藤原氏と義経討伐の折この地で下馬し祈願したとされ、奥州平定後、この地に鎌倉の鶴岡八幡宮の御神体を勧請したとのこと。

  

↓60m 徒歩1分

若宮公園

   

↓100m 徒歩2分

東京理科大学 近代科学資料館

  明治時代の物理学校校舎の外観を復元した資料館。日本一の計算機のコレクションがある。(入館したかったが日曜日は休館でした。)

  

↓350m 徒歩5分

JR飯田橋駅(西口)

 

これで散策終了。今回は距離が短かったので疲れることもなく、帰路に着きます。

 


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