下町神社巡り(浅草橋駅から雷門)
2月11日、天気が良いので神社巡りをしながら東京スカイツリーを観に出かけた。
JR総武線の浅草橋駅東口から左折し、江戸通り(国道6号線)沿いを雷門まで約3Kmの行程です。
(地図1)
10:20 浅草橋駅前を出発。
①浅草橋駅
②久月ビル
10:25 久月ビルの前の道を左折すると正面に銀杏岡八幡神社。
③銀杏岡八幡神社
源頼義・義家が奥州征伐に向かう途中、小高い丘だった当地に銀杏の枝を差して戦勝祈願し、その帰途、
康平5年(1062)に当社を創建したと伝えられる。(祭神:誉田別命)
④佃煮で有名な「鮒佐」
10:35 佃煮で有名な「鮒佐」の前をとおり須賀神社に到着。
⑤須賀神社
推古天皇九辛酉年(601)武蔵国豊島郡に疫病が流行した折、郷人等が牛頭天王の祠をたてて創始したといわれる。
(祭神:スサノオノミコト)
10:40 須賀橋交番前の信号を右折し、第六天榊神社。
⑥第六天榊神社
日本武尊が、景行天皇40年(110)に創建したといわれる。明治維新の廃仏毀釈により社号を榊神社へ改称し、
昭和3年、浅草文庫の跡地であった当地へ移転した。(祭神:天神第六代坐榊皇大御神、面足尊、惶根尊)
(地図2)
10:50 蔵前一丁目の信号の先が左右に分かれるので右の江戸通りを進む。
⑦天文台跡
江戸時代後期に、幕府の天文・暦術・測量・地誌編纂・洋書翻訳などを行う施設として、天文台がおかれていが、
ここ浅草の天文台は、天文方高橋至時らが寛政の改暦に際して、観測した場所である。幕末に活躍した浮世絵師、
葛飾北斎の『富嶽百景』の内、「鳥越の不二」には、背景に富士山を、手前に天体の位置を測定する器具「渾天儀
(こんてんぎ)」を据えた浅草天文台が描かれているそうだ。
(地図3)
11:10 オリジン弁当の角を左に曲がり、蔵前神社に到着。
⑧オリジン弁当
⑨蔵前神社
元禄6年(1694)徳川五代将軍綱吉公が石清水八幡宮として建立、昭和22年に隣接の稲荷神社と相殿・北野天満宮
とを合祀、蔵前神社と改称したといわれる。(祭神:誉田別天皇、息長足姫命、姫大神、倉稲魂命、菅原道真公、
塩土翁命)
⑨蔵前神社
江戸時代には蔵前八幡あるいは「蔵前の八幡さま」と唱えられ、関東地方における名社の一つに数えられた。
当社の創建当時は、勧進大相撲の開催も二十二回におよび、この間大関谷風・大関雷電・関脇小野川などの名力士も
当社境内を舞台に活躍したそうだ。
⑨蔵前神社
古典落語「元犬」(蔵前の八幡様の境内で満願かなって、人間になった真っ白い犬が奉公先で巻き起こす
珍騒動は・・・)ゆかりの神社
(地図4)
11:20 春日通りを越え、しばらく歩いてビルの谷間にある諏訪神社に到着。
⑩諏訪神社
諏訪神社(駒形)の創建年代は不詳ながら、後冷泉天皇の御代(1045-1068)とも、承久の乱(1221)の後とも
伝えられる。北条氏の支援によって諏訪大社の御分社が数多く関東に広まったものと考えられ、かつては諏訪大社
最大の祭である御射山祭と関連する八剣の祭(風祭り神事)が行われていたと云われている。
(祭神:建御名方命、八坂刀売神)
11:30 諏訪神社の先、バンダイ本社の角を左折し、黒船神社に到着。
⑪バンダイ本社
⑫黒船神社
黒船稲荷神社は、平将門の乱を平定した平貞盛・藤原秀郷が造営、黒船稲荷大明神と号して天慶3年(940)に創建、
藤原秀郷は、財宝を積んだ黒船に白狐がいる霊夢を見、墨田川の浜の石上に当社を勧請したといわれる。
(祭神:倉稲魂命)
⑬ 大谷さんの家
庭の手入れも素晴らしい、大谷さんの趣のある家。
11:45 駒形橋のたもと「駒形堂」に到着。
⑭駒形堂
『浅草寺縁起』によると、推古天皇36年(628)、隅田川で漁をしていた兄弟の網に1躰の仏像が入った。
郷司土師中知(はじのなかとも)はこれを聖観世音菩薩さまのご尊像と知り、自ら出家、屋敷を寺に改めて深く帰依
したと伝えられる。駒形堂は、観音さまが上陸された、浅草寺の草創ゆかりの地に建つお堂で、別名「こまんどう」
とも呼ばれる。(本尊:馬頭観世音菩薩)
(地図5)
11:55 駒形堂の裏の公衆トイレの横から川沿いに降り、吾妻橋に到着。
駒形橋から
川沿いから
⑮吾妻橋から
(地図6)
12:20 吾妻橋から隅田川テラスをとおり隅田公園休憩所に到着。
隅田川テラス
隅田川テラスから
⑯黄金東京スカイツリー
⑰隅田公園休憩所
トイレがきれいな休憩所でした。
12:35 江戸通り(国道6号)を戻り、雷門に到着。
⑱雷門
ここで神社巡りは終り。この後「葵丸進」でかき揚げ定食を食した。かき揚げ定食はあまりにも大きく食べきれず、
余りは持ち帰りにしました。
食事後、重いお腹をゆすりながら今日のもう一つの目的「損保ジャパン日本興亜美術館」に向かった。
2月11日、天気が良いので神社巡りをしながら東京スカイツリーを観に出かけた。
JR総武線の浅草橋駅東口から左折し、江戸通り(国道6号線)沿いを雷門まで約3Kmの行程です。
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10:20 浅草橋駅前を出発。
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10:25 久月ビルの前の道を左折すると正面に銀杏岡八幡神社。
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源頼義・義家が奥州征伐に向かう途中、小高い丘だった当地に銀杏の枝を差して戦勝祈願し、その帰途、
康平5年(1062)に当社を創建したと伝えられる。(祭神:誉田別命)
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10:35 佃煮で有名な「鮒佐」の前をとおり須賀神社に到着。
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推古天皇九辛酉年(601)武蔵国豊島郡に疫病が流行した折、郷人等が牛頭天王の祠をたてて創始したといわれる。
(祭神:スサノオノミコト)
10:40 須賀橋交番前の信号を右折し、第六天榊神社。
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日本武尊が、景行天皇40年(110)に創建したといわれる。明治維新の廃仏毀釈により社号を榊神社へ改称し、
昭和3年、浅草文庫の跡地であった当地へ移転した。(祭神:天神第六代坐榊皇大御神、面足尊、惶根尊)
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10:50 蔵前一丁目の信号の先が左右に分かれるので右の江戸通りを進む。
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江戸時代後期に、幕府の天文・暦術・測量・地誌編纂・洋書翻訳などを行う施設として、天文台がおかれていが、
ここ浅草の天文台は、天文方高橋至時らが寛政の改暦に際して、観測した場所である。幕末に活躍した浮世絵師、
葛飾北斎の『富嶽百景』の内、「鳥越の不二」には、背景に富士山を、手前に天体の位置を測定する器具「渾天儀
(こんてんぎ)」を据えた浅草天文台が描かれているそうだ。
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11:10 オリジン弁当の角を左に曲がり、蔵前神社に到着。
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元禄6年(1694)徳川五代将軍綱吉公が石清水八幡宮として建立、昭和22年に隣接の稲荷神社と相殿・北野天満宮
とを合祀、蔵前神社と改称したといわれる。(祭神:誉田別天皇、息長足姫命、姫大神、倉稲魂命、菅原道真公、
塩土翁命)
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江戸時代には蔵前八幡あるいは「蔵前の八幡さま」と唱えられ、関東地方における名社の一つに数えられた。
当社の創建当時は、勧進大相撲の開催も二十二回におよび、この間大関谷風・大関雷電・関脇小野川などの名力士も
当社境内を舞台に活躍したそうだ。
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古典落語「元犬」(蔵前の八幡様の境内で満願かなって、人間になった真っ白い犬が奉公先で巻き起こす
珍騒動は・・・)ゆかりの神社
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11:20 春日通りを越え、しばらく歩いてビルの谷間にある諏訪神社に到着。
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諏訪神社(駒形)の創建年代は不詳ながら、後冷泉天皇の御代(1045-1068)とも、承久の乱(1221)の後とも
伝えられる。北条氏の支援によって諏訪大社の御分社が数多く関東に広まったものと考えられ、かつては諏訪大社
最大の祭である御射山祭と関連する八剣の祭(風祭り神事)が行われていたと云われている。
(祭神:建御名方命、八坂刀売神)
11:30 諏訪神社の先、バンダイ本社の角を左折し、黒船神社に到着。
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黒船稲荷神社は、平将門の乱を平定した平貞盛・藤原秀郷が造営、黒船稲荷大明神と号して天慶3年(940)に創建、
藤原秀郷は、財宝を積んだ黒船に白狐がいる霊夢を見、墨田川の浜の石上に当社を勧請したといわれる。
(祭神:倉稲魂命)
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庭の手入れも素晴らしい、大谷さんの趣のある家。
11:45 駒形橋のたもと「駒形堂」に到着。
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『浅草寺縁起』によると、推古天皇36年(628)、隅田川で漁をしていた兄弟の網に1躰の仏像が入った。
郷司土師中知(はじのなかとも)はこれを聖観世音菩薩さまのご尊像と知り、自ら出家、屋敷を寺に改めて深く帰依
したと伝えられる。駒形堂は、観音さまが上陸された、浅草寺の草創ゆかりの地に建つお堂で、別名「こまんどう」
とも呼ばれる。(本尊:馬頭観世音菩薩)
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11:55 駒形堂の裏の公衆トイレの横から川沿いに降り、吾妻橋に到着。
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12:20 吾妻橋から隅田川テラスをとおり隅田公園休憩所に到着。
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トイレがきれいな休憩所でした。
12:35 江戸通り(国道6号)を戻り、雷門に到着。
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ここで神社巡りは終り。この後「葵丸進」でかき揚げ定食を食した。かき揚げ定食はあまりにも大きく食べきれず、
余りは持ち帰りにしました。
食事後、重いお腹をゆすりながら今日のもう一つの目的「損保ジャパン日本興亜美術館」に向かった。
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