暑い暑い日が続いております、8月1日より募集を開始いたしました地域振興委員会事業のフォトコンテスト、集まれ!藤野の少年少女探検団~藤野の大好きな場所~
ここで応募された作品を審査していただく審査員の方々を紹介いたします。
審査員の一人目の方は、山の目や、緑のラブレターの作者として知られる高橋 政行氏です。
谷戸沢クラフトスタジオ
・・・・・自己紹介をお願いします。
30歳の時に藤野の篠原に移住して40年目になります。
美術の大学を卒業して最初は金属中心の仕事をしてたんですけど、もともとジャンルっていう考えはないので、様々な仕事を貪欲に受けていって、今は職業はどういう紹介の仕方をしたらいいですか?とよく聞かれるので、造形作家という言い方が一番よくわからないけどなんでも含んでいる感じがするので、そういう紹介の仕方をしてもらっています。
・・・・・藤野に来たきっかけ
僕らが高校から大学へ行っている60年代後半から70年代半頃は、世界中で環境問題とかエコロジーの問題だとか、それに対するチャレンジが始まった時代で、世界中の情報が入ってきて
僕らもそういうものすごく強い風にあたってその中で、大学院の卒業制作で薪ストーブを作ったんです。自分のやりたいことはほんとは何だろう?みたいなことを誠実に一生懸命考えて、これからは地に足の着いた暮らし、森や地面や生き物の、人間以外の環境にできるだけ近い所に自分の活動と日々の暮らしをそっからもう一度、再構築というのか、もう一回考えなおすことがすごく必要だなっていうのが段々わかってきたので、それの決意表明で薪ストーブを作ったんです。
それを僕の担当教授の助手が「これは素晴らしい現代アートだ」と言ってくれてたんです。僕の担当の教授が工芸課の筆頭教授だったんですけど、その人が僕らが卒業する最後の送迎会で「高橋はよくやった」と一言をくれて、わかってくれる人はわかってくれたんだなっていうのが今の活動の原点です。
卒業後は相模原のアパート暮らしで、自分たちの活動拠点を山間地に探してた時にそこが区画整理にあたってしまい、立ち退き交渉に来てくれた担当者の隣の席が、佐野川の人で、ここを紹介してもらいました。
それで、都内で僕が在学中、それから相模原に住んでるころまで、先程もお話ししたようにメジャーな仕事をかなりやったんですよ。でも、それはやればやるほど、やはりこれは作家のライフワークとしては成立しないっていうのがはっきりわかったので、それよりもやはりもう一度、自然の色濃く、里山ですね、そういうところに自分が身を置いて、いろんなことを感じることからリセットしたいというのがあったので、そこからスタートを始め、いまだにそれの途中で人生一生涯現役でいることが夢であり宿命であると考えています。
・・・・・お仕事を目指したきっかけ
これは、音楽と切っても切れない話で、中学の頃からそのころの異常に音楽が盛り上がるんです。僕もご多分に漏れず音楽をする子で、音楽室でみんなを集めて音楽をやっていました。そんな時、進路指導で「君は文科系にいくのか、理科系に行くのか」って言われ、どうしたらいいか答えられなかった時に同級生から「絵を書いて大学に行ける」という話を聞いて「それだ!」となったのが動機です。
そのあとで段々実はそうだったんだなっていうのがわかってきたんですけど、音楽をやったからわかったことって言うのは、人間は才能を自分で見つけたもの勝ちつまり、自分がやりたいことと自分が持ってる才能は必ずしも一致するとは限らないということが音楽をやってわかったんですね。僕は横浜生まれ横浜育ちなんで当然伊勢佐木町とかのライブハウスで音楽をやっていたんですよ。そうすると、僕らのグループ以外の出演者は全員天才に見えるわけです。歌はうまいし、楽器はうまいし、パフォーマンスうまいし、踊りもうまい。そうやって見ていると「あ、これは音楽って才能なんだ」というのがよくわかって、才能というものを見たときに、自分の才能ってなんなんだろう?「そういえば自分はなんでも物が作れるし、絵を描けば描けるし、これが才能なんだと改めて気が付いて、そうか、才能を伸ばせばいいんだっていうすごくシンプルなことに気が付いて、美術少年ではないし、美術部に属してもいないし、絵描き志望でもなんでもない。
ただ自分は、そういう才能を実は持っていたんだということが、音楽をやっていたことでよくわかったのでそれが今の仕事のきっかけになりました。才能っていうものをまざまざと見せつけられたときに、自分の才能ってなんなんだろうって
思い至ることができ、そのあとは憑き物が落ちたように絵が描けるようになり「自分ができることをやればいいんだ」っていうのがわかって、すんなり入学しました。
それが一つの自分のスタートポイントかなって思います。なので、いまやっていてもそれぞれの才能とか魅力を感じたらなるべく伝るというか光を当ててあげるということがすごい大事なんだなって、自分がそうしてもらった覚えもあるし
そうしたかったし、そうして欲しかったし、今回のフォトコンテストでもそういうことができたらいいなと思っています。
・・・・・思い出に残っている作品はなんですか?
これはもう山の目と緑のラブレターですね。最初のきっかけは神奈川県なんですね、山の目は、県主導の企画で参加してみませんかと声をかけてくれて、「藤野ふるさと芸術村メッセージ事業 野外環境彫刻展」という題名でした。野外彫刻は仲間がみんなやってて、その時に環境彫刻っていうのは世界で始まったばっかりで優秀な作家が一杯いたんです。僕は、どちらかというとライフワークは環境をアートすることだったので「これはいい企画だ、ぜひ!」ということで製作したのが山の目で、それをやらせてくれた県のセレクトも嬉しかったしその後で、それをいいねって、実際相当反響があり、芸術村の弾みがつきました。そのあとで役場のほうから、一番目立つところに作ってみませんかと声をかけてもらい、緑のラブレターを作れたっていうのは、地元との一番大きなコラボレーションだったと思います。タイミングっていうのもあったと思います。なのでエポックメイキングなその二つです。
・・・・・長年藤野に住まれて藤野のおすすめがあれば
おすすめはきれいな山里、きれいな里山これに尽きると思う。県内を僕も随分回ってるけど、やっぱりトップクラスに残してる。現役でね、僕らの同世代、下の世代も、今日も草刈りやってるけど、そういうことを永遠とやり続けてきたからこそ今ここがあるっていう感じがするし、それは非常にレアなものだと思うし、またそういうものが今の時代に強烈に求めている人たちが若い人たちも含めて参加してきているし、それが多分藤野の原動力になってるし、潜在能力になってると思うので、あとはやっぱりこの前藤野商工会青年部と一緒にラブレターのライトアップをやってわかったけど次の世代のポテンシャルってすごい高いからそれをやっぱり、ここで生まれ育って暮らしててあたりまえのように持ってるポテンシャルていうのを自分たちは当たり前としてやってるけど、ほかの地区の人これできるかなっていうぐらい平気で崖でも行っちゃうし、僕も平気な方ですけど普通じゃないんでね、そういう里山の暮らしが現在進行形でまだ残っている。
これが藤野のおすすめだと思います。
・・・・・今回フォトコンテストに参加する子供たちに向けてメッセージをお願いします。
あたりまえの日常をぜひ再発見してもらいたい。それは藤野のいつも見ている森だったり、いつも見ている川だったり、いつも見ている昆虫だったり、いつも見ているカビだったり、空気だったり人間は言葉にして宣伝してくるからみんな興味持つけど、藤野の自然は答えをしゃべりかけてくれないけど、でもちゃんとよく見れば語ってくれるからそういうものをちょっと注目してもらうと嬉しいなと思います。
審査員紹介其の②につづく
ここで応募された作品を審査していただく審査員の方々を紹介いたします。
審査員の一人目の方は、山の目や、緑のラブレターの作者として知られる高橋 政行氏です。
谷戸沢クラフトスタジオ
高橋 政行氏
・・・・・自己紹介をお願いします。
30歳の時に藤野の篠原に移住して40年目になります。
美術の大学を卒業して最初は金属中心の仕事をしてたんですけど、もともとジャンルっていう考えはないので、様々な仕事を貪欲に受けていって、今は職業はどういう紹介の仕方をしたらいいですか?とよく聞かれるので、造形作家という言い方が一番よくわからないけどなんでも含んでいる感じがするので、そういう紹介の仕方をしてもらっています。
・・・・・藤野に来たきっかけ
僕らが高校から大学へ行っている60年代後半から70年代半頃は、世界中で環境問題とかエコロジーの問題だとか、それに対するチャレンジが始まった時代で、世界中の情報が入ってきて
僕らもそういうものすごく強い風にあたってその中で、大学院の卒業制作で薪ストーブを作ったんです。自分のやりたいことはほんとは何だろう?みたいなことを誠実に一生懸命考えて、これからは地に足の着いた暮らし、森や地面や生き物の、人間以外の環境にできるだけ近い所に自分の活動と日々の暮らしをそっからもう一度、再構築というのか、もう一回考えなおすことがすごく必要だなっていうのが段々わかってきたので、それの決意表明で薪ストーブを作ったんです。
それを僕の担当教授の助手が「これは素晴らしい現代アートだ」と言ってくれてたんです。僕の担当の教授が工芸課の筆頭教授だったんですけど、その人が僕らが卒業する最後の送迎会で「高橋はよくやった」と一言をくれて、わかってくれる人はわかってくれたんだなっていうのが今の活動の原点です。
卒業後は相模原のアパート暮らしで、自分たちの活動拠点を山間地に探してた時にそこが区画整理にあたってしまい、立ち退き交渉に来てくれた担当者の隣の席が、佐野川の人で、ここを紹介してもらいました。
それで、都内で僕が在学中、それから相模原に住んでるころまで、先程もお話ししたようにメジャーな仕事をかなりやったんですよ。でも、それはやればやるほど、やはりこれは作家のライフワークとしては成立しないっていうのがはっきりわかったので、それよりもやはりもう一度、自然の色濃く、里山ですね、そういうところに自分が身を置いて、いろんなことを感じることからリセットしたいというのがあったので、そこからスタートを始め、いまだにそれの途中で人生一生涯現役でいることが夢であり宿命であると考えています。
・・・・・お仕事を目指したきっかけ
これは、音楽と切っても切れない話で、中学の頃からそのころの異常に音楽が盛り上がるんです。僕もご多分に漏れず音楽をする子で、音楽室でみんなを集めて音楽をやっていました。そんな時、進路指導で「君は文科系にいくのか、理科系に行くのか」って言われ、どうしたらいいか答えられなかった時に同級生から「絵を書いて大学に行ける」という話を聞いて「それだ!」となったのが動機です。
そのあとで段々実はそうだったんだなっていうのがわかってきたんですけど、音楽をやったからわかったことって言うのは、人間は才能を自分で見つけたもの勝ちつまり、自分がやりたいことと自分が持ってる才能は必ずしも一致するとは限らないということが音楽をやってわかったんですね。僕は横浜生まれ横浜育ちなんで当然伊勢佐木町とかのライブハウスで音楽をやっていたんですよ。そうすると、僕らのグループ以外の出演者は全員天才に見えるわけです。歌はうまいし、楽器はうまいし、パフォーマンスうまいし、踊りもうまい。そうやって見ていると「あ、これは音楽って才能なんだ」というのがよくわかって、才能というものを見たときに、自分の才能ってなんなんだろう?「そういえば自分はなんでも物が作れるし、絵を描けば描けるし、これが才能なんだと改めて気が付いて、そうか、才能を伸ばせばいいんだっていうすごくシンプルなことに気が付いて、美術少年ではないし、美術部に属してもいないし、絵描き志望でもなんでもない。
ただ自分は、そういう才能を実は持っていたんだということが、音楽をやっていたことでよくわかったのでそれが今の仕事のきっかけになりました。才能っていうものをまざまざと見せつけられたときに、自分の才能ってなんなんだろうって
思い至ることができ、そのあとは憑き物が落ちたように絵が描けるようになり「自分ができることをやればいいんだ」っていうのがわかって、すんなり入学しました。
それが一つの自分のスタートポイントかなって思います。なので、いまやっていてもそれぞれの才能とか魅力を感じたらなるべく伝るというか光を当ててあげるということがすごい大事なんだなって、自分がそうしてもらった覚えもあるし
そうしたかったし、そうして欲しかったし、今回のフォトコンテストでもそういうことができたらいいなと思っています。
・・・・・思い出に残っている作品はなんですか?
これはもう山の目と緑のラブレターですね。最初のきっかけは神奈川県なんですね、山の目は、県主導の企画で参加してみませんかと声をかけてくれて、「藤野ふるさと芸術村メッセージ事業 野外環境彫刻展」という題名でした。野外彫刻は仲間がみんなやってて、その時に環境彫刻っていうのは世界で始まったばっかりで優秀な作家が一杯いたんです。僕は、どちらかというとライフワークは環境をアートすることだったので「これはいい企画だ、ぜひ!」ということで製作したのが山の目で、それをやらせてくれた県のセレクトも嬉しかったしその後で、それをいいねって、実際相当反響があり、芸術村の弾みがつきました。そのあとで役場のほうから、一番目立つところに作ってみませんかと声をかけてもらい、緑のラブレターを作れたっていうのは、地元との一番大きなコラボレーションだったと思います。タイミングっていうのもあったと思います。なのでエポックメイキングなその二つです。
・・・・・長年藤野に住まれて藤野のおすすめがあれば
おすすめはきれいな山里、きれいな里山これに尽きると思う。県内を僕も随分回ってるけど、やっぱりトップクラスに残してる。現役でね、僕らの同世代、下の世代も、今日も草刈りやってるけど、そういうことを永遠とやり続けてきたからこそ今ここがあるっていう感じがするし、それは非常にレアなものだと思うし、またそういうものが今の時代に強烈に求めている人たちが若い人たちも含めて参加してきているし、それが多分藤野の原動力になってるし、潜在能力になってると思うので、あとはやっぱりこの前藤野商工会青年部と一緒にラブレターのライトアップをやってわかったけど次の世代のポテンシャルってすごい高いからそれをやっぱり、ここで生まれ育って暮らしててあたりまえのように持ってるポテンシャルていうのを自分たちは当たり前としてやってるけど、ほかの地区の人これできるかなっていうぐらい平気で崖でも行っちゃうし、僕も平気な方ですけど普通じゃないんでね、そういう里山の暮らしが現在進行形でまだ残っている。
これが藤野のおすすめだと思います。
・・・・・今回フォトコンテストに参加する子供たちに向けてメッセージをお願いします。
あたりまえの日常をぜひ再発見してもらいたい。それは藤野のいつも見ている森だったり、いつも見ている川だったり、いつも見ている昆虫だったり、いつも見ているカビだったり、空気だったり人間は言葉にして宣伝してくるからみんな興味持つけど、藤野の自然は答えをしゃべりかけてくれないけど、でもちゃんとよく見れば語ってくれるからそういうものをちょっと注目してもらうと嬉しいなと思います。
審査員紹介其の②につづく