江ノ電の鎌倉駅からひとつ目は和田塚という駅です。
片面の小さなホームのこの駅の名は近くにある塚の名前からとられています。
駅を降りて右、海側に歩いてほんの少しで和田塚に到着です。
道とは少し高くなった場所に立つ和田塚。
由来は平家打倒を目論む以仁王の令旨に応え1180年頼朝が挙兵した時にも頼朝に従い
鎌倉での政治体制を整えた時には侍所別当にも任命された和田義盛です。
彼は頼朝の死後に北条氏と対立し
1213年、乱を起こしますが敗北してしまいます。
これは和田合戦とも呼ばれます。
この塚はその和田合戦で滅亡した和田一族の墓だと言われています。
明治期にここから大量の人骨が発掘されたために推量されたのだそう。
和田一族の墓と裏付けるものはないそうです。
しかし埴輪なども発掘されているので古墳ではないかという説が一般のようです。
公園のようになった高台には和田塚のほかに戦没者慰霊碑も並びます。