Fuji Trip!

水豚先輩の週末旅日記

夜の鎌倉〈ちょっぴり怖い夜〉 その3

2015-12-07 22:35:54 | とりっぷ!



名越切通を下った先にあるのは、現代版名越切通。
一方通行の自動車用隧道が上下3本ずつ山肌を貫通していて、計6本の隧道が鎌倉と逗子方面を結んでいる。
それにしても、隧道が6本もあるとは名越の山がどれだけ険しく入り組んでいるかわかる。

それでも名越は重要な交通要所であることは今も昔も変わりなく、夜も更けた時間でも定期的に自動車は通る。

隧道はもっとも鎌倉側に位置するものが名越隧道、中間が逗子隧道、逗子側が小坪隧道となっており、現在下り専用になっている。
上り用の隧道はそれぞれ後に開通し、新名越隧道、新逗子隧道、新小坪隧道と名が付いている。

さてさて、目の前にある隧道群、20世紀には鎌倉随一の心霊スポットとして知られていたのだが最近はそれほどでもないようである。
今世紀に入ってから大規模な改修が行われたことも大きいだろう。

上りの新隧道たちはまったく関係なく、問題があるのは古い方の隧道らしい。
インターネットなどで検索すると名越隧道がもっともヒットするが、小坪隧道の方が「化けトン」とよばれているらしい。

有名な話は神の長い女性が立っている、通行中にボンネットに女性が落ちてくるなどいわゆるありがちな話だが、火のないところに煙は立たぬ。
怪しげな場所であることは間違いないようで、それが頭上にある火葬場やまんだら堂に起因するのではないだろうか。

川端康成『無言』でも登場し、その名は全国区であったと思われる名越隧道群。

この一帯は鎌倉そして逗子の境界にあたる。
境界とは人々が遠ざけようとする存在や概念が寄せ集められる空間として成り立つことは昔も今も変わらず。
付近には火葬場や清掃工場、病院などが集まっている。

あちらとこちらを結ぶ曖昧な空間でもあるわけで、色々な噂が絶えないのだろう。

我々は「小坪7」交差点から小坪隧道を目指す。
手前の隧道は新隧道であるが、奥の旧隧道へも横断歩道が用意されている。
歩行者も一応はいるのだろう。

我々が最初に向かう小坪隧道はもっとも逗子側にある隧道である。







坑口は古めかしく、近代土木遺産といった趣である。
内部は進行方向左手に一段高くなった歩道が用意されているので歩行は安全だ。
側面にはパネルが備えられているものの古さが滲み出ている。

そして、入り口付近は照明が付いているが進むにつれて少なくなるので暗い。
逗子寄りの隧道のため、すでに峠は越して、道路自体も若干下り坂である。


隧道を過ぎると、いよいよ下り坂で、途中に左に折れると、JR横須賀線の久木踏切がある。
左折してすぐに現れるので見通しはよくなく、横断した後も道路は右に直角に折れる。

この踏切も噂が絶えないそうで、こちらは横須賀線の運転手がよく「遭遇」するようである。
線路も名越トンネルを過ぎて逗子市内に下りていく下りカーブに位置しているので、自動車にも鉄道にとっても見通しの良くない場所であることは間違いないようだ。

踏切の先にある法性寺から衣張山方面へ抜けたかったが、どうやら夜間は通ることができないようなので、もう一度隧道方面へと戻る。







先程通った小坪隧道を抜けると、小坪7交差点。
その先は逗子隧道になる。

この隧道は片側2車線になっていて比較的新しい印象を受ける。
どうやら前後にある名越隧道と小坪隧道は19世紀後半にはすでに掘削されていたというが、逗子隧道の開通は昭和40年ごろ。
中間に位置するこの隧道出来るまで、自動車は山を迂回していたという。

ということは、歴史も浅くそこまで噂も無いと思われる。

ちなみに小坪方面に折れる右折専用レーンがあるために隧道内は2車線用意されている。

逗子隧道を抜ければ、次は名越隧道。
隧道と隧道の間の道には橋が架かっており、これが火葬場へと繋がる道である。







歩道から火葬場方面へと繋がる階段があるが、執拗なまでの金網が張られていて登ることはできない。
そして本日もっとも怪しい雰囲気がこのあたりからしているのである。
(上掲の写真は以前新逗子隧道あたりから撮影したもの)

この火葬場は、川端康成の『無言』でも触れられているため、ずいぶんと古いものらしい。



最後の名越隧道は専用の歩道が存在しない唯一の隧道で、逗子側の入口は補修されていて新しくなっているが、内部は小坪隧道と同じように古い。
特に壁のシミが様々なモノに見えそうな怪しさがある。

小坪隧道よりは短いが、歩道がないためか落ち着かない雰囲気である。
隧道の中間あたりが鎌倉市と逗子市の行政的境界が存在している。


ようやく3つの隧道を潜り抜ければ、名越周辺の探訪も終了。
それにしても、疑問が残るのはGoogleマップ等で名越を見ると名越隧道の鎌倉側坑口のやや北よりにもう一つ坑口が開いているということ。
専門会社の駐車場になっていて現在は確認できないが、なにか隧道が残されているのか、それとも地図の誤植なのか・・・










さてさて、名越から大町へと降りてきてついに今回の探訪もクライマックス。
真夜中の祇園山ハイキングである。

鎌倉には天園、裏大仏、衣張山とハイキングコースは数あれど、祇園山ハイキングコースは比較的距離が短く利用しやすい。
途中に特に何か史跡があるとかそういうことはないのですこし残念だが、尾根からの景色はよい。
夜だから関係ないが。



入口は八雲神社の境内にあった。
参道を通って、本殿右手の細道を進むと真っ暗な闇が待ち構えている。

すぐに急傾斜になってつづら折りの道が続く。
途中は分岐がありながらも、頂上近くまで登りきると、材木座方面の夜景が美しい。

名越と同じように音のない世界。
耳を澄ませると、何かが落ちる音やカサカサと草木が揺れる音がする。
普段は気にもならない音が、気になる。

皆の歩行速度が若干速くなっているような気がする。
前へと進んでいく以上に背後が気になることは皆うすうす気が付いていて、どんどんと速くなる。

それでも、尾根伝いの道は意外と暗くはない。
右手には雪ノ下、左手には小町の住宅街が木々の合間から見える。

目指すのはこのハイキングコースの出口にある東勝寺腹切りやぐらである。
時折、用意されている案内板にも「腹切りやぐら」まで何mという表示。

あまり見ていて希望の見出せる目的地でないことは確かだ。




小1時間、アップダウンの激しい道を歩き続けると、ようやく下り坂になって周囲の外光が届かなくなるといよいよ腹切りやぐらだ。

この腹切りやぐらは鎌倉幕府滅亡の際、隣接する東勝寺において自害した北条高時らを弔う場所である。
東勝寺はその時に全焼したため、現在は廃寺となり鬱蒼とした荒地が広がる。

ハイキングコースの階段を下り終えると、目の前が腹切りやぐらとなっている。
入口には「霊処浄域につき参拝者以外立入禁」と高札がある。

北条一門は成仏することができずに、未だ供養が続けられているのであろうか。
ここに限らず、鎌倉のやぐらや武将らの墓といった空間にはなんとも不思議な空気が張りつめている。


腹切りやぐらは山と住宅街の境界に位置していて、すぐに住宅街へと出ることができる。
夜の深い鎌倉を一巡して、ほっと一息つく我々は住宅街で何気なく立ち止まると、いきなり放置自転車置き場のインターホンがひとりでに鳴りだした。
防犯のためとはいえ肝を冷やしたのであった。




今回は、普段は意識することない鎌倉を覗いてきた。
昼に対する夜、光に対する闇ということで、いわば鎌倉観光の裏面を成している。

実際に赴かなければ感じることのできない、歴史の片隅にあるもやもやとした黒い塊が都心周縁には点在しているのである。



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