今日は驚いたことに、以前にもご紹介しました、経営科学出版さんの「国家の逆襲」という翻訳本の
なんとその英文の原本が、フリー素材としてインターネット上にPDFで自由に閲覧できるようになっているのを発見しました
The Value of everything PDF で検索すると出てくると思います
興味のある方は、英文ですが、読まれてみるとよろしいかもしれません
さて、ちょっと前のことなのですが、ある動画のコメント欄で別の方と議論したんですね
私は実は、三橋貴明さんのお勧めする本に興味がありまして。。。
と言うのも、私自身は小さな政府が正しいと思っているのですけれども、三橋さんは小さな政府を厳しく批判しています
私自身、相手の意見を真摯に受け止めて、その上で自分自身の考え方を検証してみたい、という気持ちがあったんですね
それで、動画のコメント欄での議論というのは結局、大きな政府か小さな政府か、どちらが正しいのか?という議論でして
もちろん、ユーチューブのコメント欄は色々制約がありまして、こちらのコメントがいつの間にか消えてたりして
結果的にまともな議論にはならなかったんですが、そのときその方に、こう言われたんです
「国家の逆襲(マリアナ・マッツカート著)や大転換(カール・ポランニー)を読んだ人間が、小さな政府が正しいなんて言うはずがない」
要するに、「お前は本当は読んでないんだろう、嘘つきだ」と言われたわけです。。。
でもその方は、正直者なのか、2冊とも読んでないと言われてましたけどね
それで、今日の日記なんですが、もう一度、「国家の逆襲」を見直してみて、私自身がどちらが正しいと判断したか?
そして、その根拠は何なのか?それを書くことを試みたいと思っています
数日前から国家の逆襲(The value of everything)を、仕事の合間に読んでおりますが
最初に言っておきたいのですけれども、この書籍は、いままで私が読んで、深く影響を受けてきた古典の名作のような
文字に普遍性を感じるようなものではありませんでした
上手くは説明できないんですが、書いている事の内容には、実例を示していてとても説得力があるんですが
それでも、何故かはわかりませんが、文章から思想的な深みを感じないんです
結局、この書籍の本質は、実例を挙げて新自由主義経済学の間違いを指摘しているだけなわけです
確かに、新自由主義経済学はあまりにも机上の空論でありすぎて、現実がまったく見えていないところがある
でも、新自由主義経済学がなぜこれほど主流派になって学ばれたのか?と言うとね
まあ私はハイエクが好きなので、ハイエクを実例に上げますが、ハイエクの名作、「隷属への道」に書き記された
古典的名著にも通ずる普遍的な思想性ですね。。。これがあるんですよ。。。だから広がったのだと思うんです
ただ、私が読んで深く感心したのは
この「国家の逆襲」は、政府の創造する価値について、正しい評価を下すための一つのヒントを投げかけています
新自由主義をはじめ主流派経済学では、政府は民間の邪魔をする存在でしかない、だから補助的な役割に徹するべき
そう考えられていましたが、実は政府の仕事は、価値観の転換とも言えるイノベーションを起こす大きな価値を内包している
それをこの本は明らかにしているわけです
そこは大変感心しました
ただ、私が言っているのは、これは以前から言っていたことですけれども
そのことは、私が認めている「小さな政府」であっても、全く同じなわけです
「政府には政府にしかできない仕事がある、だから政府は民間でできる仕事は民間に任せるべき」
これは、政府の役割の内容を見直すとしても、その役割自体は変わらないんですよ
たとえ政府が価値ある仕事を生み出すことができたとしても、やはり政府は補助者に徹しないといけないわけです
政府は経済主体になってはいけないのです
幸福実現党、大川隆法党総裁は、以前こんなことを言ったことがあります
「日本長期信用銀行(いわゆる長銀)が破綻してから、日本には長期的・将来的ビジョンをもって、企業をバックアップする長期的貸し付けをする銀行が無くなった。これをぜひもう一度作るべき」
大川総裁は、こういう銀行を国のバックアップで作るべきだと言っていたわけです。。。そして私も同意見です
そして、松下幸之助さんや出光佐三さんのような国家ビジョンが描ける企業家が、日本の将来の軸となる産業を起こすべく
長期的投資をしていくべきだと、私は考えています
これはね、なにも大きな政府じゃなくてもできるんですよ
現にトランプ大統領は小さな政府を信条とする政治家ですが、国のエネルギーの未来を見据えたビジョンを明らかにし
その方向で石油・石炭産業を強くしようとしていますし
現に、イーロンマスク氏のような新しい産業の展望を持った事業経営者を国家アドバイザーにし
宇宙軍を創設するなど、「国にしかできない仕事」を次々やろうとしています
要はね、本当の問題は、指導者の資質と、国民の資質。。。。これが問題なのです
ここで。。。今日、私が本当に言いたかったことは
なぜ大きな政府がいけないか?それは、「大きな政府が国民の資質を低下させるから」、なんです
マッツカート氏は、アメリカのシリコンバレーの発展の原因を、国によるイノベーションだったと言っています
確かにその通りである面はあると思いますが、実はそれによってアメリカが失ったものもある
それが何かわかるでしょうか?
シリコンバレーでは、肝心な基礎研究を国にやらせ、民間は政府の基礎研究で発見された技術をかすめ取り
少ないリスクで大きなリターンを取る、という事が日常化しているといいます
方や、日本においては、国が基礎研究をしてきた技術を企業がかすめ取って大きくなった事例がどれほどあるでしょうか?
これね、間違いなくアメリカの産業は衰退する流れにあります
短期的利益を追い求めるあまり、一番努力が必要な部分の努力を放棄しているわけです
そんなものが長く続くわけがないんです
結局のところ、勤勉の精神が育たないところに、長期的な発展などあるわけがありません
ここ、ここなんですよ
国がイノベーションを起こすと言うが、企業が楽して利益のみ追及するなんてことがいつまでもまかり通るはずがありません
大川総裁が長銀を復活させるべきと言ったのは、国が、本当に有益な開発をする企業の努力を資金的にバックアップするべき
そういう事を言っているんです。。。そういうことなんです
そしてそれは、株主などから安易に投資を受けたのではだめだ、という事なんです
株主は自分の利益が優先ですから、株主からの融資では、経営者が長期的な、国の将来を見据えた投資などできないのですよ
このことは、マリアナ・マッツカートさんも、この本で、いやというほど指摘しているはずです
今日は少し言いたいことが言えました
本質的なこととしてはね、国には国民のまっとうな倫理観と勤勉の精神が必要だという事です
それではまた
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