低髄液圧症候群、または脳脊髄液減少症:その4

2020年01月23日 09時02分00秒 | 日記
バアバの脳脊髄液減少症については、いったん大学病院で否定されたけど、先生に言われたことに納得がいかなかったので、こうなったら、もうあれこれ近場で他の病院を探すんじゃなくて、専門の先生に診ていただくしかない、ということになった。

でも、うちから行かれる範囲で、確実に脳脊髄液減少症の専門の医師であることがわかっていたのは、山王病院の高橋先生と、国際医療福祉大学熱海病院の篠永先生のところで、どちらもそこそこ遠い。
そして、何より問題なのは、どちらの先生にも患者さんが殺到していて、診察していただくのが困難なことだった。
国際医療福祉大学熱海病院の篠永先生は、ホームページを見ると、診療情報提供書など必要な書類を郵送して、順番待ちをする必要があるとのことで、当時、初診の場合は8ヶ月くらい待つ必要があった。
一方、高橋先生の方は、毎月15日に翌月の診察の予約を先着順で受け付けるとのことだった。それで、篠永先生に書類を送りつつ、高橋先生の予約にもトライすることにして、今から3年前だったかな? 確か、1月16日(この月は15日が日曜日だったと思う)に、ジイジとバアバ、私の3人で、携帯と家電の4台で受付開始の朝、8時半に一斉に電話をかけた(古い情報なので、最新情報は各病院のホームページでご確認ください)。

すると、なんと、バアバの携帯が1回目ですぐにつながった。そして、翌月の予約を取ることができた。

ここから先の流れは、私は必ずしも病院に同行していないので、ちょっと順序が違ったりすることもあると思うが、まず、最初の診察では、バアバの話と診療情報提供書の内容からだけでは、脳脊髄液減少症と判断できないとのことで、その頃、一番辛い症状が頭のグラグラのほか、胃の痛みと、喉のあたりの焼けつくような感覚と咳だったので、まずは胃の方を先に地元で検査してきてくださいと、すぐに帰されてしまった(次の予約はその場でできた)。つまり、脳脊髄液減少症以外の原因は、全部取り除いてから来てくださいということだ。

で、検査の結果、これは逆流性食道炎だと分かった。喘息のような咳が出るのも逆流性食道炎が原因で、喘息ではなかった。国立相模原病院のアレルギー専門の先生にも診ていただき、「喘息ではないですよ」と太鼓判を押していただいた。これで、やっとスタートラインに立てたことになる。
(ちなみに、逆流性食道炎も脳脊髄液減少症が原因となって起こることが、篠永先生の本に書かれています)

そして、次の診察の時。
バアバは、脳そうシンチグラフィで、脳脊髄液減少症の典型的な画像所見であるクリスマスツリー様の髄液漏は見られなかった。でも、脳脊髄液減少症の患者さんが、実は典型的な画像所見を呈さないことは珍しくないらしい(篠永先生の本にあった)。
それで、その日のうちに、高橋先生が生食パッチをやってくださった。そこで何か変化が見られれば、脳脊髄液減少症であることが確定するということだ。

そして、バアバは、生食パッチをやっていただいたあと、どうですか? と聞かれたときに、「目の前がパッと明るくなりました」と答えたらしい。すると高橋先生は、「これで決まりだね‼️」というようなことをおっしゃったようだ。この瞬間、バアバは脳脊髄液減少症と診断がついた。ケガをしてから、丸3年が経っていた。

続く。
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