カンボジア情報.com番外編(獄中日記)

カンボジにあるプレイソー刑務所の中の様子を赤裸々にブログで配信!

カンボジア情報.com番外編(獄中日記)

2017-08-06 20:16:30 | 日記
2/7
4日目の朝が来た。
朝6時に起され早々に身支度をして出かけると言う。

今日は持ち物を全て持って行けと言われた。

それを聞いて今日もうここへは戻らないのだと言うことを悟った。
昨日のように手には手錠をはめられて
私とDが一緒につながれた。

彼女の手には手錠はかけられなかった
昨日の発作の所為もあってか
ほんの少しだけポリスの優しさを感じた。

しかも今日は女性警官が連れ添っている。

少し私は安心した。
その瞬間そうだ!
私は思い出した。
大使館はどうしたんだと?
すかさずポリスに聞いた。
ポリスは言う昨日の午前中に来たと、
すれ違いだった。

私はもう1度連絡してくれと、
今度は裁判所に来るように伝えてくれと頼んだ。
ポリスはわかったわかったと言う
本当にわかってんのか?
もう疑心暗鬼に陥ってる。

昨日と同じ車で同じ道を通って裁判所へ着いた。
裁判所はオリンピックスタジアム西側の直ぐ目の前にある。

昨日と同じ場所で少し待たされた。
また姉ちゃんが朝飯を買ってきてくれた。
それに帽子とマスクまで買って来てくれた。
私達の事が今朝の新聞とニュースに
載ったと、YouTubeにまで動画が投稿されているらしい。

私はあのパパラッチだなと思った。
これで私も一躍有名人だ。
ピコ太郎を抜けるか?

なんて冗談を言ってる場合じゃない。

まったく困ったもんだ最近のネット社会は便利なのか不便なのか
カンボジアはネットと言えばFacebookが常識でみんなやってる。
あっと言う間にシェアされてその日のうちにみんなに広まる。


また彼女の容姿がおかしい
もう田舎に帰れない
みんなが私達のことを知ってると
私は言った大丈夫!

私達は無罪なんだからこれから裁判所にそれをちゃんと話せば良いんだと

彼女は不安そうな笑みを浮かべて頷いた。

そうこうしているうちにポリスが中に行くと言う。

私達は階段で今度は4階まで上がった
昨日は3階だった。

どうやら昨日は検事
今日は裁判官の事情聴取らしい。

しばらく待たされて彼女とDが呼ばれ一緒の部屋へ入って行った。

私は1人別の部屋へ通された。
そこには裁判官らしき人とその秘書がいた。

私と弁護士と昨日のクメール人の通訳が並んで座った。

昨日の内容の確認と裁判官の質問が始まったが、私はすかさず何が書いてあるか読めないし、言葉がわからない。
あと通訳の英語もわかりずらいから
日本語がちゃんとわかる通訳をつけてくれと言った。

すると裁判官はわかったと、
では日を改めて日本語の通訳をセッティングするから後日改めてやります。

少しの間留置所ひ行って待ってて欲しいと言われた。
私は少しの間とは何日後なのか日にちはいつなのか?
と、聞き返したが通訳者はショートタイムだと言う。

だからそれは何日後なのかを聞いてるんだよ!
裁判所のスケジュールと通訳者の都合を合わせないとだからはっきりした日にちは言えないがショートタイムだとまた言われた。

その後また、書類にサインと拇印を押して部屋の外に出た。

外には彼女とDが待って居て
気付くと11時を過ぎたところだ。

ポリスが私にこれから日本大使館の人が来ると言う
良かった助かると思い安堵した。

ホッとした途端お腹がメチャメチャ空いてきた。

そして私達は下に降りて駐車場のベンチて待機することに、

するとまた彼女が急に発作が始まってしまった。

昨日と全く同じで呼吸困難になり
全身が痙攣で惹きつけを起こしている
姉ちゃんが頬を叩きしっかりしなさいと言っているみたいだ。

彼女は泣きながらもう田舎に帰れない
両親にも親戚にも友達にも合わせる顔がないと言っている。

私は彼女の身体を摩りながら
no problem don't worry
Stop the a lot of thinking

と、何度も繰り返して言っていた。
少し経って発作は止まったがまだ
涙を流しうわ言のようにもう田舎には帰れないと言っていた。

姉ちゃんのボーイフレンドが来てくれててポリスに直ぐに病院に連れて行ってくれと話し、彼女を抱き抱えて外に出て行った。

私は彼の後姿に一礼して手を合わせ
どうかよろしくお願いしますと
祈った。

私達は2階の階段を上がった広い所で待機してるように言われた。

今度はDの兄妹が昼食を買って来てくれた、
Dの妹と弟だ、3人は抱き合い涙を流した。

なんでこんな事に巻き込まれたのかと会話しているようだった。

それを見た私はまたも申し訳ない気持ちが込み上げて来て涙が流れた。

兄妹2人は私にも優しく声をかけてくれた。

本当に優しく思いやりのあるファミリー達だ。

気持ちも落ち付き昼食をD食べ始めたら日本大使館の人が来てくれた。

担当者の方はクメール人のスタッフ1人と共に来てくれた。
担当者は体の心配をしてくれて
警察で暴行や拷問などを受けていないか?
食事はちゃんと取っているか?
と、気遣ってくれた。

私は問題ないと答えたあと
事の成り行きを説明して私は日本人のクライアントさんに依頼されて女性達のパスポートと日本大使館へビザ申請書類を作成し提出しただけだと話した。

担当者の方はメモを取り終えて
その後私が日本大使館側から助けてもらえないかと話したら

担当者はカンボジアの司法に関して
大使館は何も言えないと言うことで
人権的に問題のある扱いを受けたりした場合は大使館から物を申す事は出来るがその他の事は口が出せないと言われた。


私が日本へ強制送還して欲しいと言うと、日本とカンボジアでは犯罪者の引渡し条約がないので、それも出来ないと言われた。

最後にカンボジアに事務所を置く日本人弁護士が居るあさひ法律事務所の名刺のコピーをもらった。

また、何かあったら大使館まで連絡をくださいと言って帰ってしまった。

途方に暮れた、、、

大使館がサポートしてくれなかったら
あとは誰に頼めば良いと言うのだ。

一気に暗い気持ちになりまた不安と恐怖で食欲もなくなりただ座って時間だけが過ぎて行った。

どれだけ経っただろうか彼女が病院から帰って来た。

点滴を病院でうってきたみたいで
顔色も良くなっていた。
声をかけると、

もう大丈夫!

もう泣かないから何があっても大丈夫私達は悪いことは何もしていない。

誰にも後ろ指を指される理由などないと言う。

何かが彼女の中で吹っ切れたみたいだ
良かった私はホッとしたと同時にそうだよ私達は何も悪いことはしていない。

やったのは日本側の人間で、
私達はそれを業務として依頼されたことを仕事としてやっただけだと、

警察が言うようにライセンス無しで業務をやったことが悪いことならそれの罰を私だけが受ければ良いのだと、

人身売買や売春などと言う犯罪には私達は一切関係が無いんだと心を強く思うように決めた。

そう大使館の人にも話したが、
私が作ったビザ申請書には短期商用ビザで内容は日本での研修。

滞在日程表には何をするか研修のスケジュールもちゃんと書いてある。

しかも日本人のクライアントはカンボジアで日本式のバーをやるから日本で研修をしたいと言ってカンボジアの現地で彼女達を採用し、雇用関係にもある。
現に大使館に出した書類には、
在職証明書もちゃんと提出してある。

このことを次回の裁判官の事情聴取の時にちゃんと話そうと思った。

そしたら何だか心が晴れてさっきまでのどんよりした気持ちが吹き飛んだ
その後、車に乗るために外に出るとまた昨日と同じ報道陣とパパラッチがカメラやスマホを構えて待っていた。

私は顔を上げ帽子を脱ぎ少しばかりか胸を張り堂々と車に乗り込んだ。

そして向かった先はそう
留置所と言う名の刑務所

ここプレイソーだった。


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カンボジア情報.com番外編(獄中日記)

2017-08-06 13:18:44 | 日記
3日目の朝が来た。
昨日の夜は彼女が机に寝て私は会議用の椅子を二つ繋げて足を机の上に乗せて寝た。

今後どうなるのか色々なことを考えていたが前日一睡もしていないせいか
いつの間にか寝ていた。

さすが、クメール人は硬い机の上でも平気で寝れる。

子供の頃から床に薄いシーツ1枚敷いて寝てる所為か慣れている。

私は身体中が痛くて仕方なかった。

起きて直ぐにポリスが出かけると言う
私達は身支度をして待っていると
ポリスが来て私達の腕に手錠をかけた
何が大丈夫、問題ないだよ
これじゃ犯罪者扱いじゃないかよ
本当に呆れた。

呆れ果ててもうどうでも良くなって来た。やけっぱちとはこのことを言うのだろう。

言葉が通じないから何を言っても意味がない。

車に乗せられ裁判所へ
私は日本大使館に連絡がしたいと言うと1人のポリスが今日来ると言う

良かった大使館に助けてもらえると思った。

裁判所では彼女の姉ちゃんと弁護士が待っていてくれた。

姉ちゃんは私達の朝飯を買っておいてくれた。

本当に感謝である。

弁護士は彼女が通う日本語学校の先生の叔父で、昨日の内に姉ちゃんがお願いしてあったのだ。

挨拶はしたが彼も英語が話せないらしい。アイムロイヤーと一言!

朝飯を食べてかなりの時間待たされた。

裁判所の建物の外に少し広くなったスペースがありそこに長椅子が置かれてありそこに座ってずっと待たされていた。辺りを見渡すと私達と同じように手錠をはめた人間とその家族に担当のポリス数人、
それが何組もいる。

その他にポリスと話す何やら怪しげな奴がが数人いる。

私は直ぐにパパラッチだと気付き
姉ちゃんがくれたマスクをして下をうつむいていた。

ふと、何で犯罪者でもないのに顔を隠すんだと思った。

すると彼女が急に発作を起こした。

呼吸困難になって全身が痙攣を起こして惹きつけを起こしてるようだ

側にいた姉ちゃんがすかさず彼女の頬を叩きクメール語でしっかりしろと言ってるようだ。

私とDも手錠をされたまま彼女の身体を摩り彼女にno problem don't
worryと声をかけ続けた。

少しして段々発作も治まり彼女は意識を取り戻した。

周りを見ると姉ちゃんもDも涙を流していた。

それを見た私の頬にも涙が伝わり
申し訳ない気持ちでいっぱいになった
無理もない不安と恐怖で心が折れてしまったんだろう

警察に拘束され手錠をかけられ裁判所へ来るなんて経験したことないだろうから、私も初めての経験だ。

そうこうしてるうちに裁判所の建物の中に入ることに階段で3階まで上がりまたそこでまた待たされた。

彼女は気持ちをしっかり取り戻した様子で落ち着いていた。

1人づつ呼ばれ小部屋に通された。

どうやら今度は検事だか検察官の事情聴取みたいだ。

今度は日本語の通訳は居なく英語のできるクメール人のスタッフがiPhoneの翻訳ソフトを使って話しかけてくる

事情聴取と言うより昨日警察で取られた書類を読み返しているようだ。

弁護士がポケットから100$を出して担当官に投げるように渡した。

担当官も慣れた手つきでその金を何くわぬ顔で胸のポケットにしまった。

どうやら私に不利な部分を書き変えているようだ。

秘書みたいな太った妙に陽気な奴が必死に書き移していた。

まだカンボジアは手書きなんだと思った。

日本だったらパソコンに打ち込むんでるだろう。

ほとんど昨日警察で話したことと同じ内容ではあったがひと通り読み上げて確認されてサインして終了!

部屋の外に出ると彼女と姉ちゃんと
Dとその妻が待っていた。

みんな不安な顔で私を見つめた。

その顔を見て私はどうにでもなれ!
と、思っていた気持ちがなんとかせねばならないと言う気持ちに変わった。

彼女を通じて弁護士に今後どうなるかを聞いた。

弁護士の口から今回の事件はビッグニュースになっているから少し時間がかかるから待っててくれと言われた。

私の気持ちは女達がビッグニュースに仕立てたんだろと思った。

その後警察に戻るために裁判所を出た
そこには数台のカメラとビデオを持った報道陣がいた。

フラッシュがたかれまぶしかった。
すかさず顔を隠した。

直ぐに車に乗り込み元の警察に戻った
また、同じ部屋に留置状態にされた。
ドッと疲れが出た。

彼女のことを気遣いながらも私も尋常じゃないくらいの脱力感と疲労感に苛まれ会話する気力がない。

2人も同じ様子で机に項垂れていた。

ポリスは明日の朝また裁判所へ行くと言っている。

私達は会話も少なくその夜は疲れてみんな寝た。

身体の痛さよりも精神的に疲れた身体は睡眠を必要とした。




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カンボジア情報.com番外編(獄中日記)

2017-08-04 19:39:28 | 日記
彼女から電話が来た!
今、警察居ると、あなたにも話しが聞きたいから来て欲しいと
私が何なのと聞くと彼女がカンボジア人女性7人のあの事件のことをポリスが聞きたいと、

私は少し戸惑ったが彼女の義理の兄、
彼の名前はD うちでコックとして働いていた。

彼に連れて行ってくれと頼み2人で
モトに乗って向かった。

時間は夕方4時を過ぎていたと思う
2月4日は私の母の72回目の誕生日だった。

お祝いのLINE電話をしようと思っていた矢先の出来事に帰って来てからかけることにした。

警察に着くと数人のポリスと彼女が外で出迎えてくれた。

ポリスはリラックスしてくれと言い
今回の事件のことで事情聴取したいので知っていることを話して欲しいと言う。
私はわかった。

知っていることは全て話すと言い
別室に連れて行かれた。

そこはポリス3人のデスクがあり
取調べ室と言うよりポリスの事務室といった感じだった。

そこにはポリス3人と通訳のクメール人の女性が1人居た。

ポリスの言葉を通訳の彼女が私に伝える。

今回の事件で7人のカンボジア人女性があなた達に対して被害届けを出したと、、、

私は、えっ? 何で? whyである
彼女達の言い分は私が日本へ行って仕事をすれば3000$は給料がもらえると約束して日本へ行って仕事をしたが
売春を強要されたあげくにお金ももらってないと言う内容だった。

私はあっけにとられた。

彼女達はプノンペン内のガールズバーで働いている子達で、
確かに一般的な会話の中で日本のバーで働く女性達の給料はいくらかと聞かれて1ヶ月最低でも2000$にはなると
稼ぐ子は5000$以上の人もいると話しだとポリスに言った。

私は彼女達と仕事の契約もしていないし、雇用関係もないから給料の約束などもしていないと言った。

私は日本のクライアントに頼まれて彼女達が日本へ行く書類を作成して欲しいと頼まれたから業務として書類作成申請代行をして引率しただけだと話した。

そしたら1人のポリスがライセンスを持っているのかと聞いてきた。

私は何のライセンス?
と、聞き返した。

通訳の口から書類作成申請などをする
行政書士みたいなものと言われた。

私が持っていないと言うとポリスは
ライセンスも無いならそれも犯罪だと言われた。

それからは私は日本で何が起きていたかは何も知らないと、、

ポリスはあなたが犯人だと決まったわけではないから安心してと言われ
事情聴取の書類にサインと拇印を半ば無理やりさせられた。

事情聴取が終わり帰れるかと思ったら
今日は泊まっていってもらうと、

ハァ〜???
何で???

訳分からずそのまま最初に通された会議室みたいな部屋に戻された。

そこには彼女と一緒に来たDも居た。
時間も夜7時は過ぎていた。

部屋には会議用の楕円形のでかいテーブルとその周りに椅子が8席位あるだけあとはトイレがひとつ

ここで3人で寝ろと言う
どうやってここで寝ろってんだ?

しかも何で彼女とDまで?
2人は関係無いはず。

彼女は私に日本語でゴメンなさいと言った。

私は返す言葉もなく下をうつむいた。

ややもすると彼女の姉ちゃんが面会に来て晩飯と洋服を持ってきてくれた。

ポリスに金を払って面会時間たったの5分、、、なめてる!

何が何だかわからず不安と恐怖で飯も喉を通らなかった。

部屋には見張りのポリスが2人、
鍵を外からかけられて出れない。

私は硬い机の上に姉ちゃんが持ってきてくれた洋服を敷いてその上に寝た。

全く寝れない。

これから私達は一体どうなるのか?
そればかりが頭の中でグルグル回って
いた。

それと机が硬く痛くて一睡もできずに
朝を迎えた。



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2017-08-04 19:39:28 | 日記
彼女から電話が来た!
今、警察居ると、あなたにも話しが聞きたいから来て欲しいと
私が何なのと聞くと彼女がカンボジア人女性7人のあの事件のことをポリスが聞きたいと、

私は少し戸惑ったが彼女の義理の兄、
彼の名前はD うちでコックとして働いていた。

彼に連れて行ってくれと頼み2人で
モトに乗って向かった。

時間は夕方4時を過ぎていたと思う
2月4日は私の母の72回目の誕生日だった。

お祝いのLINE電話をしようと思っていた矢先の出来事に帰って来てからかけることにした。

警察に着くと数人のポリスと彼女が外で出迎えてくれた。

ポリスはリラックスしてくれと言い
今回の事件のことで事情聴取したいので知っていることを話して欲しいと言う。
私はわかった。

知っていることは全て話すと言い
別室に連れて行かれた。

そこはポリス3人のデスクがあり
取調べ室と言うよりポリスの事務室といった感じだった。

そこにはポリス3人と通訳のクメール人の女性が1人居た。

ポリスの言葉を通訳の彼女が私に伝える。

今回の事件で7人のカンボジア人女性があなた達に対して被害届けを出したと、、、

私は、えっ? 何で? whyである
彼女達の言い分は私が日本へ行って仕事をすれば3000$は給料がもらえると約束して日本へ行って仕事をしたが
売春を強要されたあげくにお金ももらってないと言う内容だった。

私はあっけにとられた。

彼女達はプノンペン内のガールズバーで働いている子達で、
確かに一般的な会話の中で日本のバーで働く女性達の給料はいくらかと聞かれて1ヶ月最低でも2000$にはなると
稼ぐ子は5000$以上の人もいると話しだとポリスに言った。

私は彼女達と仕事の契約もしていないし、雇用関係もないから給料の約束などもしていないと言った。

私は日本のクライアントに頼まれて彼女達が日本へ行く書類を作成して欲しいと頼まれたから業務として書類作成申請代行をして引率しただけだと話した。

そしたら1人のポリスがライセンスを持っているのかと聞いてきた。

私は何のライセンス?
と、聞き返した。

通訳の口から書類作成申請などをする
行政書士みたいなものと言われた。

私が持っていないと言うとポリスは
ライセンスも無いならそれも犯罪だと言われた。

それからは私は日本で何が起きていたかは何も知らないと、、

ポリスはあなたが犯人だと決まったわけではないから安心してと言われ
事情聴取の書類にサインと拇印を半ば無理やりさせられた。

事情聴取が終わり帰れるかと思ったら
今日は泊まっていってもらうと、

ハァ〜???
何で???

訳分からずそのまま最初に通された会議室みたいな部屋に戻された。

そこには彼女と一緒に来たDも居た。
時間も夜7時は過ぎていた。

部屋には会議用の楕円形のでかいテーブルとその周りに椅子が8席位あるだけあとはトイレがひとつ

ここで3人で寝ろと言う
どうやってここで寝ろってんだ?

しかも何で彼女とDまで?
2人は関係無いはず。

彼女は私に日本語でゴメンなさいと言った。

私は返す言葉もなく下をうつむいた。

ややもすると彼女の姉ちゃんが面会に来て晩飯と洋服を持ってきてくれた。

ポリスに金を払って面会時間たったの5分、、、なめてる!

何が何だかわからず不安と恐怖で飯も喉を通らなかった。

部屋には見張りのポリスが2人、
鍵を外からかけられて出れない。

私は硬い机の上に姉ちゃんが持ってきてくれた洋服を敷いてその上に寝た。

全く寝れない。

これから私達は一体どうなるのか?
そればかりが頭の中でグルグル回って
いた。

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2017-08-04 19:32:15 | 日記
カンボジアのプノンペンにある
プレイソー刑務所に2/7日に収容されてから103日が過ぎてようやく通信機器やネット環境が落ち着きこうしてブログが更新できるようになった。

前回の投稿から既に1ヶ月以上経過している。

これから遡って2/4日カンボジア警察の取り調べからの事を記事にして行きたいと思う。



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