密教大辞典に「良恵、1192~1268。東寺長者。一に上乗院大僧正と称し九条摂政関白太政大臣兼実の息なり。承元四年三月二十三日に仁和寺観音院において道法親王に両部大法を受け、上乗院に住す。・・仁治元年六月大僧正、九月東寺長者法務。仁治二年六月請雨のため東寺灌頂院において孔雀経法を修し賞を蒙る・・寛治元年六月再び灌頂院に請雨して賞を賜ひ・・文永五年十一月二十四日寂。壽七十七。・・」 . . . 本文を読む
密教大辞典には「良恵、1192~1268。東寺長者。一に上乗院大僧正と称し九条摂政関白太政大臣兼実の息なり。承元四年三月二十三日に仁和寺観音院において道法親王に両部大法を受け、上乗院に住す。・・仁治元年六月大僧正、九月東寺長者法務。仁治二年六月請雨のため東寺灌頂院において孔雀経法を修し賞を蒙る・・寛治元年六月再び灌頂院に請雨して賞を賜ひ・・文永五年十一月二十四日寂。壽七十七。・・」 . . . 本文を読む
般若心経は『不生不滅、無老死亦無老死尽』と言っています。我々は生きているのでも死んでいるのでもないといっています。量子力学でも「不生不滅」「無老死」は当たり前です。 量子力学の学説「2重スリット実験」「シュレディンガーの猫」「多世界論」等をよむと量子力学では、宇宙を「巨大な可能性の塊」「あらゆる可能性が重なり合った波のような存在」とみており、対象(電子)は多重に存在し、それを見ている人間も(電子で . . . 本文を読む
「善がいやでかなわず、悪は隠れ廻ってもするのはどふいうものであるか。それは貪瞋痴という魔にとりつかれ魅化されておるからとにかく悪いことをする。我が内心に貪瞋痴の三毒があるから外から天魔人魔が来る。天魔というはその中に第六天のような魔があり、牛頭馬頭の角の生えた口の切れ込んだような魔がある。また人魔というは美女の形をしてくるものもある。その他種々ある。それが天魔人魔、そういう魔にたぶらかされる。貪瞋 . . . 本文を読む
「続日本紀・天平神護元年765十一月庚辰(二十三日)、称徳天皇の大嘗祭の勅」
(要約・天皇は仏に礼拝して次に天神国神に礼す。・経典には神は仏法を護るとあるのでこの度の大嘗祭は出家在家一体で行う。)
「今勅たまはく。今日は大嘗祭の直会に豊明きこしめす日にあり。然るに此の遍の常より別にある故は、朕は仏の弟子として、菩薩の戒を受け賜ひてあり。此に依りて上つ方は三宝に供へ奉り、次には天 . . . 本文を読む
今日は最明寺入道北条時頼が出家した日です。吾妻鑑康元元年(1256年 )11月23日の条には時頼が最明寺に於いて出家した時のことを「宗たる兄弟 三流すでに沙彌と為る。希代の珍事なり」と書いています。「11月23日 庚戌 天晴 寅の刻最明寺に於いて、相州落餝せしめ給う(年三十)。日来の素懐に依ってなり。 御法名は覺了房道祟と。御戒師は宋朝の道隆禅師なり。この事に依って、宗たる兄弟 三流すでに沙彌と . . . 本文を読む
以下密教大辞典等に依ります。
浄厳は寛永五十六年十一月二十三日河内錦部郡鬼住村生まれ。(元禄十五年1702六月二十七日遷化(64歳)。)湯島霊運寺(真言宗霊雲寺派総本山)開基。新安流祖。妙極堂、瑞雲道人等と称す。10歳で高野山に登り悉地院に住し検校雲雪に出家、釈迦門院朝遍に密乗を習い、17歳南院良意に中院流受法。18歳。瑞祥多し。翌年実相院長快に両部灌頂を受ける。20歳良意から安流の許可、23歳 . . . 本文を読む
源仁僧都は元興寺護命に法相を、ついで東寺実恵に密教を学び,真雅・宗叡より灌頂を受けた。内供奉十禅師・東寺二長者。学名が高く南池院成願寺を建立して宗義を講じた。弟子の益信は大日経宗の極位(広沢流)を、弟子の聖宝は金剛頂宗の極位(小野流)を開いて、以後東密はこの二流に分かれた。仁和三年十一月二十二日寂。壽七十一。 . . . 本文を読む
史料綜覧 巻五 / 文永八年1271十一月廿二日条
「廿二日 法皇(注1)御所評定 天台座主澄覚(注2)ヲシテ 熾盛光法(注3)ヲ惣持院(注4)ニ修シ 異国降伏ヲ禱ラシム」
この頃は毎年蒙古から使者が来ていた。文永の役は文永十一年。
(注1)法皇は後嵯峨法皇、天皇は亀山天皇、執権は時宗。
(注2)後鳥羽天皇の孫、比叡山に入り、梶井門跡尊快入道親王に師事して出家し、真仙僧正か . . . 本文を読む
今日は第九十五代花園天皇(注1)御出家の日。
「本朝皇胤紹運録」に「建武二年(1335)十一月二十二日、御落飾。三十九。法諱遍 行。御戒師慧鎮上人(注2)。」
(注1)花園天皇・・延慶元年、大覚寺統の先帝後二条天皇が急死したため12歳で践祚、文保2年(1318)大覚寺統の尊治親王(後醍醐天皇)に譲位。譲位後は、皇太子となった甥の量仁親王(光厳天皇)の養育に『誡太子書』https://www.g . . . 本文を読む
史料綜覧巻十五 / 元和三年1617十一月廿一日条
「廿一日・・・是ヨリ先 呂宋(るそん)ノ船 土佐ノ海岸ニ漂著ス 是日 同国大守 書ヲ土佐高知城主山内忠義ニ寄セテ 其扶助ヲ受ケタル好意ヲ謝ス」
江戸幕府は徳川秀忠。元和二年には家康死去。イギリス船、オランダ船の貿易港を平戸と長崎に限定しています。山内忠義は伯父山内一豊の養 . . . 本文を読む
今日は中御室覚行の遷化された日です。密教辞典によると、覚行は1075承保二年生まれ、1105年長治二年、11月18日、35歳で遷化されています。白河天皇第三皇子。仁和寺三世。11歳で大御室性信に随って出家。1092寛治六年18歳で伝法灌頂を受け、1098承徳二年結縁灌頂大阿闍梨。円周寺法性寺両寺の検校。1099年承徳3年、初代の法親王。六字御修法(六字とは六観音の種字のこと)・孔雀経法・愛染王法・ . . . 本文を読む
密教辞典に依れば、禅信は応仁元年1467十一月八日寂、68歳。東寺長者・仁和寺真光院主。洞院実信の息。護持僧。禁中で一字金輪法・不動法・五大虚空蔵法・八字文殊法等20度も修して法験で著名。 . . . 本文を読む
今日は後柏原天皇が般若心経を写経された日後柏原天皇は先代後土御門天皇の息。当時、応仁の乱により朝廷の財政は厳しく後土御門帝は譲位もできなかった。後土御門天皇が亡くなると、後柏原天皇が位を嗣ぐ。第104代。即位の礼もしばらくできなかったが帝は朝廷儀式復活に努められた。そして庶民を悪疫の流行から守るため、般若心経を延暦寺と仁和寺に納められました。この 後柏原天皇御宸翰般若心経奥書は国重要文化財です。「 . . . 本文を読む
第百四代後柏原天皇は疫病平癒の為般若心経を宸筆され国の重要文化財となっています。
応仁の乱により、公卿は地方に離散し、朝廷の財政は窮乏し、天皇の権威も地に落ちた時代だった。後柏原天皇は応仁の乱や疾病に苦しむ民を思い続けられました。仏教に帰依し、大永五年(1525年)の疱瘡大流行時には自ら筆をとって「般若心経」を延暦寺と仁和寺に奉納。詩歌管弦、書道に長けていたといわ . . . 本文を読む