密教辞典に依れば、禅信は応仁元年1467十一月八日寂、68歳。東寺長者・仁和寺真光院主。洞院実信の息。護持僧。禁中で一字金輪法・不動法・五大虚空蔵法・八字文殊法等20度も修して法験で著名。 . . . 本文を読む
今日は後柏原天皇が般若心経を写経された日後柏原天皇は先代後土御門天皇の息。当時、応仁の乱により朝廷の財政は厳しく後土御門帝は譲位もできなかった。後土御門天皇が亡くなると、後柏原天皇が位を嗣ぐ。第104代。即位の礼もしばらくできなかったが帝は朝廷儀式復活に努められた。そして庶民を悪疫の流行から守るため、般若心経を延暦寺と仁和寺に納められました。この 後柏原天皇御宸翰般若心経奥書は国重要文化財です。「 . . . 本文を読む
第百四代後柏原天皇は疫病平癒の為般若心経を宸筆され国の重要文化財となっています。
応仁の乱により、公卿は地方に離散し、朝廷の財政は窮乏し、天皇の権威も地に落ちた時代だった。後柏原天皇は応仁の乱や疾病に苦しむ民を思い続けられました。仏教に帰依し、大永五年(1525年)の疱瘡大流行時には自ら筆をとって「般若心経」を延暦寺と仁和寺に奉納。詩歌管弦、書道に長けていたといわ . . . 本文を読む
二宮金次郎は安政3年10月20日(1856年11月17日)日光仕法の途中70歳で下野国今市村の報徳役所にて没しています。
金次郎の言葉で最も印象に残るのは「わが道はまず心田の荒蕪を開くのを先務としなければならぬ」(二宮翁夜話)です。
心田という言葉は仏典に多く出てきます。例えば
・「華厳経・入法界品第三十九之十八」「善財、衆生を見るに 心田甚だ荒穢、三毒の刺を除んが為に 專ら . . . 本文を読む
仏の身はさとりであるから永遠の存在であってこわれることがない。食物によって保たれる肉体ではなく、智慧より成る堅固な身であるから、恐れもなく、病もなく、永遠不変である。だから仏は永遠に滅びない。さとりが滅びない限り滅びることはない。このさとりが智慧の光となって現れ、この光が人を覚らせ、仏の国に生まれさせる。この道理を覚ったものは仏の子となり、仏の教えを受持し、仏の教えを守って後世に伝える。まことに仏 . . . 本文を読む
「民主主義を巡る景色は一変している・・インドや米国、英国、南アフリカ、ブラジルなどの民主主義大国が(民主主義の)危機に瀕している。怒れる大衆がデマゴーグを支持することで民主主義の足場が崩れつるあるという不安が高まっている。・・プーチンスタイルの独裁者なども民主主義を揺るがす大きな脅威だ。同時に人々の間にことなかれ主義や懐疑主義などがひろまっている。・・本書は民主主義擁護する立場をとるがそれは民主主 . . . 本文を読む
良弁僧正は持統天皇3年(689年)うまれ、宝亀四年(773)閏十一月十六日85歳で遷化とされます。(本朝高僧傳・東大寺別当次第)。奈良時代の華厳・法相宗の僧。八宗要綱には「(華厳宗は)日本に流伝するに道璿律師を以てその始祖となす。律師は香象大師に稟け、律師良弁僧正に授く・・」とあります。東大寺開山。百済系渡来人の後裔。近江あるいは相模出身と伝ります。2歳のときワシにさらわれて,奈良 . . . 本文を読む
「高野春秋」「(承元四年)冬十一月十八日、後鳥羽院に於いて天災御祈りを奉為。覚基検校(注1)孔雀経御修行法を勤行、大阿闍梨後高御(二品新皇道法、注2)護摩師(道尊大僧正)伴僧護加持等、常格の如し。検校は山内不出の法と雖も公請故に制限せず。
廿五日結願。今般悉地勧賞の為に高野山検校永代法橋上人位宣旨。後高御の御執奏に依る也。考。九月より慧星出現、長さ三尺餘、覚基天変を祈り効験を得る . . . 本文を読む
後宇多天皇(13世紀)は深く仏教に帰依し、ご出家後は大覚寺に住み密教僧としてすごされた。 この紫紙金字の金光明最勝王経は、伏見天皇へ譲位して7年後の永仁2年(1294)11月15日、上皇みずから斎戒書写されたもの(「永仁二載仲冬三五。堅持齋戒。奉寫既訖」とあり)で、聖武天皇の国分寺経の先例にならって諸国に班置し、鎮護国家・万民撫育を祈ったものである。後宇多上皇はこのときまだ28歳。 体裁は紫紙に金 . . . 本文を読む
長屋王(684~729)は高市皇子の子で天武天皇の孫。万葉集、懐風藻に多くの詩歌を残す文人。深く佛教に帰依し、712年(和銅5年)従兄文武天皇崩御に際し大般若経600巻を書写。うち220巻が現存。滋賀県甲賀郡鮎河村の太平寺に142巻あるので、太平寺大般若経ともいわれています。また長屋王願経 和銅経とも。年号が明記された古写経のうちでは我国最古とされます。また長屋王が当時中国・唐代の . . . 本文を読む
1930年(昭和5年)の今日、11月14日、浜口雄幸首相が、東京駅で凶弾に倒れたとき、次の禅語を口ずさんだといわれます。 「南北東西帰去来(なんぼくとうざい、かえりなんいざ) 夜深けて同じく看る千厳の雪 」これは、「南北東西のない世界(あの世)にかえるときがきた。あの世に行けばみる雪景色も古来変わらないであろう・・。」とでも言う意味でしょうか。人間生死は紙一重、死ねば皆一緒というのでしょう。咄 . . . 本文を読む
・延暦二十年801十一月十四日、伝教大師は比叡山に南都の十大徳を招じて法華十講を講じています。(叡山大師伝)「法華十講」とは「法華経」八巻に、「無量義経」と「観普賢経」を加えて十座とし、朝夕二座ずつ五日間講ずる法会。 . . . 本文を読む
小善も世の中に無限の功徳を生むこと
毎朝伝授された或る秘法を修して二十年くらいになります。この中に「行者の三密の加持力により衆生を仏の位にする」という趣旨の部分があります。最近までは「皆さんが幸せになりますように」という気持ちのみで修していました。
しかしよくよく考えると、「三密の加持力により」ということは身口意の三密を仏と同じにするということですから十善戒を守っていてもこれは達成できるわ . . . 本文を読む
三代実録 / 貞観十五年873/十一月十三日甲戌条
十三日、(清和天皇)詔して言うには、垂鴻は徳を一とする。道に違う者はまずその行いを乱す。歴象は天に同じ。常を変える者はすなわちその怒りに遭う。朕の政は寒暑なく、化は水波に負う。陵遅の運を仰いで洪緒(帝王が国家を統治する大業)に慙ず。十一年に至るに及び、夏旱の映 . . . 本文を読む
「承和十四年十一月十三日東寺長者實慧大徳遷化。行年六十二、夏臈四十二」(高野春秋)
「此の年(承和十四年)十一月十三日、師河𣧓(州)に示寂す。世壽六十二、法歳四十四.東寺几すること十二年」(弘法大師弟子譜) . . . 本文を読む