華厳経巻三十六寶王如来性起品第三十二ノ三「・・如来の智慧・無相の智慧・無礙の智慧は、具足して衆生の中にあるも、ただ愚痴の衆生は顛倒の想に覆われて、知らず・見ず・信心を生ぜらるのみ。そのときに如来は・・一切の衆生を観察し終って・・・各の次の如き言葉を為し給はく。『奇なるかな、奇なるかな。如何ぞ如来の具足せる智慧は身中にあってしかも知見せざる。』 . . . 本文を読む
自己中心主義に対する二つの法話自己中心主義・自国中心主義・ミーイズムが蔓延しています。早くからこの傾向に警鐘を鳴らしておられたのは明治の釈宗演老師と昭和の山田無文老師です。釈宗演老師は自己中心主義の世界的蔓延をすでに明治に見抜いておられ、これに対するには「報恩」の生き方しかない、と喝破されているようです。円覚寺管長横田南嶺猊下が講演でご紹介されています。また山田無文老師も同様に「「自己中心」という . . . 本文を読む
Q、十念も十善戒も同じく往生の素懐を遂げ得るということならば殊更にこの十善戒を主張する意味はなにか?A,念仏門の十念は十悪を制せず、品行を問わず、ただ阿弥陀仏の本願に任すというもの。こちらの十善戒はまず品行を正し、十悪を制し、よく彼岸に到達るというもの。・・昔は戦乱のため品行戒行を問うに暇あらず。その故に臨終正念・十念相続を説いた、しかし平時に於いては万国競って品行道徳を仰ぐ。しかるに今の仏者は無 . . . 本文を読む