貞観三年東大寺大佛供養呪願文
(斉衡二年(855)五月には地震で大仏の頭部が落下したが、真如(高丘親王)を検校として貞観三年(861)三月十四日に修理が完成し、盛大な開眼供養会が営まれました。此の時菅原是善がこの呪願文を作っています。六国史等に依る。)
蓮華法蔵荘厳世界 祇園の重閣 勝義を開演し 十重の法身 法界を周辺す
不可思議なり盧舎那仏、感宝の天皇 金容を敬造す、
天 . . . 本文を読む
古今著聞集巻二の三六。 當麻の寺は推古天皇の御宇、聖德太子の御すゝめによりて麻呂子親王(母葛城直磐村女広子)の建立し給へる也。萬法藏院と號して則御願寺になずらへ准へられにけり。建立の後六十一年をへて親王夢想によりて、本の伽藍の地を改めて役の行者練行の地にうつされにけり。金堂の丈六の彌勒の御身の中に金銅一攦(𢷡ちやく、または搩ちやくという)手半の孔雀明王像一體をこめ奉る。此像は行 . . . 本文を読む
宝亀6年3月14日(775年4月22日)は、中将姫遷化の日とされます。
・当麻曼荼羅の絵解きです。https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwj-0_i616TvAhVZZt4KHcSyDCEQw . . . 本文を読む
「三代実録」「仁和二年886三月十四日 贈正法印大和尚位遍照 食邑百戸 駕輦車宮門に出入すを聴(ゆるす)。勅して曰く「帷公慈仁為性保護朕躬一朝一夕頼其普導。・・」
(今昔物語集・巻十九頭少将良峯宗貞出家語 第一に、「遍照は妻子を捨てて出家し霊験あらたかであった」とあります。百人一首では色好み的に扱われますがそうではなかったようです。
「今 . . . 本文を読む
「神祇秘抄」・・14/22
十四、太神宮僧尼等を忌む事
問、太神宮は三寶名字を忌給ふ事如何。
答、之に付いて二義有り。一義に云ふ、第六天の魔王此の州を統領し其の衆生を引き皆地獄魔道に堕せしむ。我が神遥かに之を覧じ此の州を魔王に乞ひ玉ふ。魔王云く、我此の中の人を引て悉く地獄魔道に堕せしむ。然る間、三寶を崇め法性を顕し給へば、此の國輿へ奉ること能はず、と云々。神答て云く、我と汝と流類(仲間)にし . . . 本文を読む
ウキペヂア等によれば、善導大師は、唐時代観想念仏が主流だった中、称名念仏を唱えた方です。永隆2年3月14日(681年4月7日)69歳で遷化。終南山麓に、弟子の懷らにより、善導塔と香積寺が建立され高宗皇帝寂後、寺額を賜りて光明と号すようになったとされます。善導大師は日本の法然・親鸞に大きな影響を与えています。法然上人が専修念仏を唱道したのは、善導大師『観無量寿経疏』の中の、「一心に弥陀の名号を専念 . . . 本文を読む