「慧の荘厳を以ってのゆえに能く一切の分別の妄見を断ず」ここで慧というは般若の智慧のこと。般若の智慧は人間の智慧でなくて真理のことである。真理というても人間の哲学や科学にいう真理ではない。人間以上の真理である。・・無我無相の清浄の心を指して慧という。かかる般若の慧に依って三界六道の生死の海を離れて涅槃の岸に至る。
「妄見」・・妄というのはみだりでまちがったこと、人間が思うのはみな間違っておる。それを間違えて人間が見るのが本真で神や仏がおっしゃるのは嘘じゃと云う。これらはみな邪見である。凡て人間の考えたことは妄見で、明日死ぬやら今夜死ぬやら知らぬのに百年も二百年もたしかに生きられるよいうような考えを起こす、これが妄見というものだが、若しこの般若の智慧を発得すればまことに暗夜に大光明を得たごとく、真理の実智をもって照らすから世間出世間誠に間違ったことが一つもなくなってしまって一切の妄見を断ずるという功徳がある。
「妄見」・・妄というのはみだりでまちがったこと、人間が思うのはみな間違っておる。それを間違えて人間が見るのが本真で神や仏がおっしゃるのは嘘じゃと云う。これらはみな邪見である。凡て人間の考えたことは妄見で、明日死ぬやら今夜死ぬやら知らぬのに百年も二百年もたしかに生きられるよいうような考えを起こす、これが妄見というものだが、若しこの般若の智慧を発得すればまことに暗夜に大光明を得たごとく、真理の実智をもって照らすから世間出世間誠に間違ったことが一つもなくなってしまって一切の妄見を断ずるという功徳がある。