今日は大悲菩薩覚盛遷化の日
金剛仏子叡尊感身学正記に「(建長元年(1249))五月十九日夜、招提寺長老覚盛上人、(學律房、広大利他願を発し後に号を改め窮情房)新浄衣に更衣し、裳上に二十五帖大衣を被り、頭北面東西、右脇にして臥す。左手に香炉を持ち、右手頬に舒す。口に大乗の文を唱え、心は法性の理に縁じ湛然として眠るが如く卒去す。」
(以下密教辞典等に依る)
覚盛は建久5年(1194年)から建長元年5月19日(1249年7月1日)。大和国の出身。号は学律房・窮情房。諡号は大悲菩薩。唐招提寺中興の祖。
幼時興福寺金善に師事して俱舎・華厳を学ぶ。のち明恵に華厳、西大寺の戒如に戒を学ぶ。叡尊・円晴・有厳らとともに東大寺で自誓受戒し戒律を復興。唐招提寺中興の祖。
のち常喜院に住して戒律を唱導。たまたま長谷寺参詣時に叡尊に会い、嘉禎2年(1236年)、叡尊・円晴(えんせい)・有厳(うごん)らとともに東大寺で自誓受戒して戒律を復興。興福寺松院に住して叡尊の西大寺布薩を助け、仁治年中には宮中で四条天皇等に菩薩戒を授く。寛元元年(1243年)、詔により唐招提寺に入寺し舎利会・布薩会等を行ず。
て律学の復興に尽力し、戒律復興の祖とも鑑真の再来などとも称された。建長元年(1249年)五月十九日、唐招提寺にて56歳で入滅。弟子に良遍・証玄・円照などがいる。
後、元徳2年(1330年)8月9日には、後醍醐天皇から「大悲菩薩」の諡号を贈られた(『僧官補任』)。覚盛の命日5月19日には毎年、唐招提寺で「中興忌梵網会」という法要が開かれ、その遺徳を偲んで舎利殿でうちわ撒きが行われる。
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