先日の高原講元様のブログで、欧州の難民に付いてお書きになっておられましたので、この際、不束ながら、所感を、一言加えておきましょう。
欧州の難民に付いては、私は早くから、関心を持っていました。が、日本のマスコミは、これまで、殆ど取り上げず、紙面の端に、短信程度で報道されるのが落ちでした。しかし、今回の欧州の難民は、その数においても、脱国する数においても、民族、種族などにおいても、世界史教科書の太古の民族大移動に匹敵する大規模の「人間民族移動」です。南アフリカ、シリア、中東・東欧などの国々から、ドイツ・フランス・イタリア・スペインなどに、生きることが出来る所があれば、何処へでもという,必至の逃避行の様相を呈しています。
難民と言えば、私も、満州在満国民小学校5年の時に「難民」経験をしました、それは、先ず、国[当時は、大満州帝国]を棄て、家宅全財産を捨て、持てるものといえば、上着・ズボン・肌着の3点と水筒一個だけ。あとは、一切、中国軍[国民党]から没収です。町に住む日本人全員に退去命令が出ました。着のみ着のままとは、この様なことでしょう。食料は持たされません。粗末な無蓋貨車に、人間がすしずめに積み込まれて、10日間、満州の中央を鉄道で南下、錦州近くのコロ島というところまで運ばれました。この間、食べ物はなく、トイレもままなりません。たまらず、貨車から飛び降りた人も、多くいました。しかし、飛び降りたら、お仕舞いです。広大な原野で、どう生きられるのでしょうか!12両編成の無蓋貨車が、遠くに地平線が見える高粱畑の中を一日中、走っているのです。途中、八路軍が襲撃してきたと、貨車は停車。銃撃の音が頻繁に聞こえます。覚えのない小さな駅で、中国軍が、2センチ四方の乾パンを2,3個与えてくれるだけです。これで、何日かもたせねばなりません。
コロ島に着いてほっとする所ですが、粗末なテントの下で、野宿同然の暮らしが待ってました。1~2ヶ月、逗留させられたでしょうか やっと、日本に帰還命令が出たとき、待機していた日本人全員が、歓声を上げていたのを思い出します。私達の場合は、日本に帰るという、目的がありました。無念にも、コロ島に着くまでには、多くの人が、餓死したり、病気になったりそして死に、気が狂ってしまう人も多くあったそうです。さぞ、無念だったでしょう。
こんな情況と、今回の欧州の難民の移動の道中とは、そんなに大差ないと思います。ただし、欧州の難民は、たどり着いたところで、どんな生活が出来るかが、問題です。民族も、文化様式も、言語も違います。そして、命をつなぐ仕事はあるのでしょうか?金も財産も何一つなく、あるのは、「いのち」だけなのです。こうした難民を大量に受け入れ、命を助けようと言う欧州の人たちの人道主義は、2000年をかけて、築いてきた、西欧人権主義の賜物だと思いました。戦後、日本の民主主義とは、比較にならないのではないかと思います。
こうして、お話ししている私は、この難民に対して、何も出来ず、しようにも、力もありません。悔しい限りです。
日本では、9月12日、栃木・茨城で、未曾有の記録的な大雨が降り、鬼怒川の堤防が決壊して氾濫。大きな災害が発生しました。また、9月13日、朝5時49分、東京や関東地方に、震度5の地震が在りました。まさに、日本は、災害の列島です。これからさき、また、何が起こるか解かりません。私たちも、せめて、「心」「精神」だけでも世界に劣ることのない強固なものにしたいものです。
“幸せが、生活の快適さに拠るのであれば、中世[ヨーロッパ]に生きた私たちの祖先は、現代人よりも不幸せであつたと信ぜられよう。だが、もし幸せが、生と対峙する態度に拠るのであれば、超俗的な信念をもっていたその時代の人々は、現代人以上に、幸福感、控えめにみても内的な安らぎと心の安定に接していたと考えることが出来るのである。”[ジュヌグイエーグ・ドークール「中世ヨーロッパの生活」白水社・クセジュ文庫]
そして、戻ってくるのは、やはり、佛教に対する信頼と信仰の徹底であると思います。[角田記]
欧州の難民に付いては、私は早くから、関心を持っていました。が、日本のマスコミは、これまで、殆ど取り上げず、紙面の端に、短信程度で報道されるのが落ちでした。しかし、今回の欧州の難民は、その数においても、脱国する数においても、民族、種族などにおいても、世界史教科書の太古の民族大移動に匹敵する大規模の「人間民族移動」です。南アフリカ、シリア、中東・東欧などの国々から、ドイツ・フランス・イタリア・スペインなどに、生きることが出来る所があれば、何処へでもという,必至の逃避行の様相を呈しています。
難民と言えば、私も、満州在満国民小学校5年の時に「難民」経験をしました、それは、先ず、国[当時は、大満州帝国]を棄て、家宅全財産を捨て、持てるものといえば、上着・ズボン・肌着の3点と水筒一個だけ。あとは、一切、中国軍[国民党]から没収です。町に住む日本人全員に退去命令が出ました。着のみ着のままとは、この様なことでしょう。食料は持たされません。粗末な無蓋貨車に、人間がすしずめに積み込まれて、10日間、満州の中央を鉄道で南下、錦州近くのコロ島というところまで運ばれました。この間、食べ物はなく、トイレもままなりません。たまらず、貨車から飛び降りた人も、多くいました。しかし、飛び降りたら、お仕舞いです。広大な原野で、どう生きられるのでしょうか!12両編成の無蓋貨車が、遠くに地平線が見える高粱畑の中を一日中、走っているのです。途中、八路軍が襲撃してきたと、貨車は停車。銃撃の音が頻繁に聞こえます。覚えのない小さな駅で、中国軍が、2センチ四方の乾パンを2,3個与えてくれるだけです。これで、何日かもたせねばなりません。
コロ島に着いてほっとする所ですが、粗末なテントの下で、野宿同然の暮らしが待ってました。1~2ヶ月、逗留させられたでしょうか やっと、日本に帰還命令が出たとき、待機していた日本人全員が、歓声を上げていたのを思い出します。私達の場合は、日本に帰るという、目的がありました。無念にも、コロ島に着くまでには、多くの人が、餓死したり、病気になったりそして死に、気が狂ってしまう人も多くあったそうです。さぞ、無念だったでしょう。
こんな情況と、今回の欧州の難民の移動の道中とは、そんなに大差ないと思います。ただし、欧州の難民は、たどり着いたところで、どんな生活が出来るかが、問題です。民族も、文化様式も、言語も違います。そして、命をつなぐ仕事はあるのでしょうか?金も財産も何一つなく、あるのは、「いのち」だけなのです。こうした難民を大量に受け入れ、命を助けようと言う欧州の人たちの人道主義は、2000年をかけて、築いてきた、西欧人権主義の賜物だと思いました。戦後、日本の民主主義とは、比較にならないのではないかと思います。
こうして、お話ししている私は、この難民に対して、何も出来ず、しようにも、力もありません。悔しい限りです。
日本では、9月12日、栃木・茨城で、未曾有の記録的な大雨が降り、鬼怒川の堤防が決壊して氾濫。大きな災害が発生しました。また、9月13日、朝5時49分、東京や関東地方に、震度5の地震が在りました。まさに、日本は、災害の列島です。これからさき、また、何が起こるか解かりません。私たちも、せめて、「心」「精神」だけでも世界に劣ることのない強固なものにしたいものです。
“幸せが、生活の快適さに拠るのであれば、中世[ヨーロッパ]に生きた私たちの祖先は、現代人よりも不幸せであつたと信ぜられよう。だが、もし幸せが、生と対峙する態度に拠るのであれば、超俗的な信念をもっていたその時代の人々は、現代人以上に、幸福感、控えめにみても内的な安らぎと心の安定に接していたと考えることが出来るのである。”[ジュヌグイエーグ・ドークール「中世ヨーロッパの生活」白水社・クセジュ文庫]
そして、戻ってくるのは、やはり、佛教に対する信頼と信仰の徹底であると思います。[角田記]