福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

ご破算で願いましては、という声がおこると、いっぺんに無くなっちゃって、またもとの泥に

2020-07-24 | 法話
「・・・楽あれば苦、苦あれば楽という言葉があるね。・・若い頃の一時期、この言葉に中毒しちゃった頃があってねえ。ちょうどばくち打ちの足を洗って市民社会の底辺で社会復帰しようとしていた頃だなア。楽あれば苦、なのならば、楽になるわけにはいかない。あとの苦が怖いからね。で、とりあえず、目前の苦をとろう。しかし苦を取っちゃうと、その次に楽が来る。楽が来てしまえば次は苦になるわけだからまずい。
では目前の苦を取ったあと、楽が来るより先に、すぐまた別の苦をえらばなければ安心できない。
・・会社に出勤するんでもね。のんびり電車に乗って楽をして行ったりすると必ず悪いことがあるように思えちゃうんだよね。
だから二時間もかかって走っていったりね。汗まみれでくたくたになって、遅刻して行ったりね。 
だけれども、そのままにしておくと今度は楽が来ちゃったりすると大変だから何かまた苦のタネを探したりしてね。
・・うっかり楽をしてそのあと迎える苦というものは何が来るかわからない。これが怖いんだな。
俺たち戦争を知っているからね。見渡すかぎり焼け跡で、ああ地面というものは、泥なんだ、と思ったんだね。
そのうえに建っている家だとか、自動車だとか、人間だとか、そんなものはみんな飾りであって、本当は、ただの泥なんだ、とあのとき知ったんだ。
だからね、戦争が終わって、また家が建ち並んで、人間がうろうろするようになったけれども、これは何か普通じゃない。ご破算で願いましては、という声がおこると、いっぺんに無くなっちゃって、またもとの泥に戻る。
それが怖いような気がする。なんとか、飾りの人生を、神様のお目こぼしで続けていきたい。それには調子に乗って楽をしてたんじゃ駄目だ、と思う。ご破算にならないように、おずおずと、小さな苦を拾って、小さくなって生きていかなくちゃ。・・」
(うらおもて人生録、色川武大)
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