福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

涅槃会とお釈迦様について 

2024-02-14 | 法話

1、涅槃会について
陰暦2月15日は釈尊入滅の日であり、お釈迦への遺徳追慕と報恩のために涅槃会法要が各地で催されます。涅槃とは、ニルヴァーナの訳語であり、迷妄のなくなった心の境地、あるいは「真理そのもの」を指す言葉であったが、この場合には、釈迦が亡くなったという意味で用いられています。
実際には、釈尊が入滅した月日は不明であり、南伝仏教ではヴァイシャーカ月の満月の日(ウェーサーカ祭)と定められています。ヴァイシャーカ月が、インドの暦では第2の月であることから、中国で2月15日と定めたもののようです。涅槃会法要中は、仏涅槃図を掲げ、絵解きを行ったり『仏遺教経』を読誦します。
高野山等では常楽会と称されており、毎年金剛峯寺大広間で2月14日午後11時、大塔の鐘を合図に始められ、翌15日の昼頃に終わります。この常楽会は釈尊の物語に節回しをつけた講式と呼ばれる声明を中心に厳修されます。涅槃を常楽というのは涅槃は「真理」と同義語であり、「真理」は常楽我常であるからです。

2、お釈迦様と「佛教」
佛教とはお釈迦様の説かれた教えです。ではこの歴史上のお釈迦様と宇宙の根本佛たる大日如来とはどういう関係なのか?といつも疑問に思っていましたが。結論は歴史上のお釈迦様は真理の世界(如、涅槃、法身、大日如来、心)から衆生済度のためこの世に姿を現された方だということで(応身)、基本的には大日と釈迦は同一です。
そしてこの場合「心」は万人普遍ですからつまるところ「心」をもつわれわれも大日如来でありお釈迦様なのです(心とは実はそれだけ霊妙なものなのです)。
参考
覚鑁上人は「何者かを胎蔵界となずくや、一切有情の身中に本来不生不滅の理あり、これを胎蔵界となずく。何者かを金剛界となずくや、自性清浄の大菩提心を金剛界となずく」(曼荼羅略釈)とおっしゃり
宇井伯寿は「佛教汎論」で「法そのもの即ち「理」が活動してそれが報身、応身、または化身により説法されそれを佛教とよんでいる。したがって佛教はまったく「理」の現れに他ならない。何人といえども「理」に従わないものはないから佛教は何人にも遵らるべき道であり、単に一宗教などと見られるべきものではない。また宗教として認められんことを要求するがごときものでもない」「理を真如とも法性とも法海とも一心とも真心とも涅槃とも般若ともいう」「佛教は理から出、理に入る道の謂いにほかならぬ」とのべています。
比較的分かりやすい涅槃図解説がありました。
http://sky.geocities.jp/stokoji2ooo/nehann/nehann.html

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