「後二條師通記」(注1)「(寛治七年1093)九月二十六日、庚子、天晴、被修孔雀教法云々、阿闍梨勝覚醍醐座主也。」
(注1)後二条師通記(ごにじょうもろみちき)は、平安時代後期に活躍した藤原師通の記した日記。永保三年(1083年)から康和元年(1099年)まで。原本は一条家に伝来し陽明文庫に。国宝。
天皇は堀河天皇。
勝覚・・・父は源俊房。立川流の祖仁寛の兄。
醍醐寺座主定賢から灌頂を受け、また義範・範俊に師事して真言密教の奥義を伝授された。醍醐寺三宝院に住し、1085年(応徳2年)醍醐寺座主、1092年(寛治6年)に広隆寺、ついで1104年(長徳元年)には東大寺。1107年(嘉承2年)に権少僧都に任じられる。度々神泉苑で祈雨法を修し、以後東寺長者・同寺法務・同寺寺務を経て権僧正に任じられて東寺別当に至った。弟子には三宝院流の祖定海・理性院流の祖賢覚・金剛王院流の祖聖賢などがいる。