仁王経法について
以下密教大辞典による。
「仁王護国般若波羅蜜多経・仁王護国般若波羅蜜多経道場念誦儀軌等に依りて鎮護国家の為に修する最大秘法なり。古来孔雀経法・守護経法と共に三箇大法と称す。大師が弘仁元年十月二十七日に上表せる「国家の為に修法を請ふ表」の中に「・・其の将て来る所の経法の中に仁王経・守護國界主経・佛母明王経(佛母明王大孔雀経)等の念誦の法門あり。佛、国王のために特に此の経を説きたまふ。七難を摧滅し四時を調和し、國を護り、家を護り、己を安むじ、他を安むず。此の道の秘妙の典なり。」といわれ、仁王経護国品に「爾時世尊、波斯匿王等諸大國王に告げたまはく、「諦聽諦聽、我汝等が為に護國の法を説かん。一切の國土、若し亂んとする時、諸災難あり、賊来りて破壊せん。
汝等諸王、応に當に此般若波羅蜜多を受持讀誦すべし。
道場を厳飾し百の佛像を置き、百の菩薩像・百の師子座を置き、百の法師を請じ、此經を解説せしめよ。諸
座の前に種種の燈を燃やし、種種の香を焼き、諸の雜花を散じ、廣大供養し衣服・臥具・飮食・湯藥・房舍・床座、一切を供事して、毎日二時に此經を講讀せよ。若しは王・大臣・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、聽受讀誦して如法修行せば災難即滅す」と説き、
奉持品に「佛、波斯匿王につげたまわく「我滅度の後、法滅んと欲する時、一切有情は惡業を造るが故に、諸國土をして種種の災を起らしむ。諸國王等は、自身・太子・王子・后妃・眷屬・百官・百姓・一切國土を護せんがためには、即ち當に此の般若波羅蜜多を受持すべし、皆安樂を得ん。我是の經を以て国王に付囑し、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷に付せず。所以いかん。王の威力なければ建立不能なるがゆえなり。是の故に汝等、常に當に受持讀誦解説せよ。大王よ、吾今、所化するところの大千世界に百億の須彌、百億の日月あり。一一の須彌に四天下あり。此贍部洲に十六の大國、五百の中國、十萬の小國あり。是の諸國中に若し七難起れば、一切國王は除難のためのゆえに、此般若波羅蜜多を受持解説せよ。七難即滅し國士安樂ならん。」と説けるを本拠とす。
この法は弘法大師上表されて国家平安の為、弘仁元年十一月一日より高雄山寺にて修せれ、その後天長二年に東寺講堂創建以後は毎度同講堂にて修せられたるが如し。東寶記に「仁王経毎度講堂に於いて之を修せらる。法三宮御記(法三宮真寂撰「不謹鈴等記」)には、真言最初場、公家御祈、大師始令行之、霊験尤有之、真言最初場、公家御祈、大師始めて之を行ぜさせらる。霊験尤もこれあり。護摩壇・実恵大徳、十二天・真濟、聖天・真雅。」(「東寺沿革略史」に「淳和帝の天長年中、高祖大師勅に依りて、親しく導師となり、大師の長足実恵大徳は護摩壇師となり、真済大徳は十二天供師となり、真雅僧正は聖天供師となりて、帝威倍増、海内無事、五穀成就、万民豊楽の為めに講堂に道場を荘厳して、仁王護国の秘法を厳修し奉る。」とあるようです。)
私に云、當堂造畢。天長二年以降、何年之を修せられる歟、未だ詳らかならず、といふ。」
・長谷寺では、「元日より7日間仁王会を毎年厳修」とあります。
・醍醐寺でもホームページに「開創以来今日まで、上醍醐・五大堂において、毎年二月十五日から七日の前行、二月二十三日には金堂に於いて祖師の遺訓にのっとって、仁王会の大法要を厳修する」とあります。
・三井寺でもホームページに「仁王経法の本尊である五大力吼明王の大画像を掛け、薬師散華を唱し、 遶壇大行道を修する。
講師の神分表白の後、仁王経を読誦し、鎮護国家、万民豊楽を祈願す。
結願に至り散華大行動。講師の神分経釈の後、仁王経の功徳を称賛し、 千里の内七難起らざるを祈る。
因みに五大力吼は、東方金剛手・南方金剛宝・西方金剛利・北方金剛夜叉・中央金剛波羅密である。」とあります。
以下密教大辞典による。
「仁王護国般若波羅蜜多経・仁王護国般若波羅蜜多経道場念誦儀軌等に依りて鎮護国家の為に修する最大秘法なり。古来孔雀経法・守護経法と共に三箇大法と称す。大師が弘仁元年十月二十七日に上表せる「国家の為に修法を請ふ表」の中に「・・其の将て来る所の経法の中に仁王経・守護國界主経・佛母明王経(佛母明王大孔雀経)等の念誦の法門あり。佛、国王のために特に此の経を説きたまふ。七難を摧滅し四時を調和し、國を護り、家を護り、己を安むじ、他を安むず。此の道の秘妙の典なり。」といわれ、仁王経護国品に「爾時世尊、波斯匿王等諸大國王に告げたまはく、「諦聽諦聽、我汝等が為に護國の法を説かん。一切の國土、若し亂んとする時、諸災難あり、賊来りて破壊せん。
汝等諸王、応に當に此般若波羅蜜多を受持讀誦すべし。
道場を厳飾し百の佛像を置き、百の菩薩像・百の師子座を置き、百の法師を請じ、此經を解説せしめよ。諸
座の前に種種の燈を燃やし、種種の香を焼き、諸の雜花を散じ、廣大供養し衣服・臥具・飮食・湯藥・房舍・床座、一切を供事して、毎日二時に此經を講讀せよ。若しは王・大臣・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、聽受讀誦して如法修行せば災難即滅す」と説き、
奉持品に「佛、波斯匿王につげたまわく「我滅度の後、法滅んと欲する時、一切有情は惡業を造るが故に、諸國土をして種種の災を起らしむ。諸國王等は、自身・太子・王子・后妃・眷屬・百官・百姓・一切國土を護せんがためには、即ち當に此の般若波羅蜜多を受持すべし、皆安樂を得ん。我是の經を以て国王に付囑し、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷に付せず。所以いかん。王の威力なければ建立不能なるがゆえなり。是の故に汝等、常に當に受持讀誦解説せよ。大王よ、吾今、所化するところの大千世界に百億の須彌、百億の日月あり。一一の須彌に四天下あり。此贍部洲に十六の大國、五百の中國、十萬の小國あり。是の諸國中に若し七難起れば、一切國王は除難のためのゆえに、此般若波羅蜜多を受持解説せよ。七難即滅し國士安樂ならん。」と説けるを本拠とす。
この法は弘法大師上表されて国家平安の為、弘仁元年十一月一日より高雄山寺にて修せれ、その後天長二年に東寺講堂創建以後は毎度同講堂にて修せられたるが如し。東寶記に「仁王経毎度講堂に於いて之を修せらる。法三宮御記(法三宮真寂撰「不謹鈴等記」)には、真言最初場、公家御祈、大師始令行之、霊験尤有之、真言最初場、公家御祈、大師始めて之を行ぜさせらる。霊験尤もこれあり。護摩壇・実恵大徳、十二天・真濟、聖天・真雅。」(「東寺沿革略史」に「淳和帝の天長年中、高祖大師勅に依りて、親しく導師となり、大師の長足実恵大徳は護摩壇師となり、真済大徳は十二天供師となり、真雅僧正は聖天供師となりて、帝威倍増、海内無事、五穀成就、万民豊楽の為めに講堂に道場を荘厳して、仁王護国の秘法を厳修し奉る。」とあるようです。)
私に云、當堂造畢。天長二年以降、何年之を修せられる歟、未だ詳らかならず、といふ。」
・長谷寺では、「元日より7日間仁王会を毎年厳修」とあります。
・醍醐寺でもホームページに「開創以来今日まで、上醍醐・五大堂において、毎年二月十五日から七日の前行、二月二十三日には金堂に於いて祖師の遺訓にのっとって、仁王会の大法要を厳修する」とあります。
・三井寺でもホームページに「仁王経法の本尊である五大力吼明王の大画像を掛け、薬師散華を唱し、 遶壇大行道を修する。
講師の神分表白の後、仁王経を読誦し、鎮護国家、万民豊楽を祈願す。
結願に至り散華大行動。講師の神分経釈の後、仁王経の功徳を称賛し、 千里の内七難起らざるを祈る。
因みに五大力吼は、東方金剛手・南方金剛宝・西方金剛利・北方金剛夜叉・中央金剛波羅密である。」とあります。