2、 平安時代
桓武天皇延暦十三年(794)宇佐、宗像、阿蘇の三社にて読経し三社のために僧七人を度し、嵯峨天皇大同四年(809)には諸国名神のために大般若経一部を書写して奉読供養し、文徳天皇嘉祥三年(850)には神々に菩薩、権現号を付した。天台宗開祖の伝教大師は比叡山(日枝の山)に古来祀れる日枝神を山王権現とてまつり、本地は釈迦如来で天台法華の鎮守とした。宇佐、八幡両神社に於いて法華経を講じ(「和上に知遇して正教を聞くことをえたり」、という)神託を受けたと伝えられる。円仁は入唐帰朝の折、明州赤山明神を遷して叡山西麓に祀り、円珍は帰朝の後、三井寺北に新羅明神を祀った。このころより日本国中の神祇を網羅した法華経守護の三十番神がはじまった。天台宗ではこれらを山王一實神道と称する。
真言密教の開祖弘法大師は高野山を拓くにあたり丹生都姫神の案内があった。稲荷大神の託宣により藤森神社(京都市伏見区、神功皇后が軍旗や武具を埋めて祀ったのが起源)内に稲荷社を造営された。また伊勢朝熊山に金剛證寺を開かれたり嵯峨天皇の神祇灌頂を受けられたとされる。こちら。
大師は天照皇太神即ち大日如来、伊勢の内外両宮即ち金胎両部、神道即ち佛教、佛教即ち神道、神仏不二の両部神道の源を開かれた。このころより神社には必ず神宮寺を設け別当はおおくは真言僧を補任した。