「孔雀経法記」に
(康和四年1102壬午九月二十七日)「近日天變あり。件變を消す為に鳥羽北殿に於いて令勤修御。大阿闍梨御室覺行法親王、伴僧廿口のうち、僧綱三口。同く十月十三日結願了。」
天皇は堀河天皇、白河上皇の院政。鳥羽離宮は白河上皇の御所。
覺行法親王はウキぺデアによれば「永保3年(1083年)に仁和寺に入り、1085年(応徳2年)性信入道親王の下で出家・受戒。性信の没後に仁和寺寺務に就任する。1092年(寛治6年)、寛意から灌頂を受ける。1098年(承徳2年)には父・白河法皇の支援を受けて仁和寺結縁灌頂を行い、直後に円宗寺検校・法勝寺検校となる。この頃、名を覚念から覚行に改名する。翌1099年(承徳3年)親王宣下を受け最初の法親王となった。1102年(康和4年)7月尊勝寺落慶法要供養の導師をつとめ、尊勝寺長吏となり、同年8月に二品に叙される。白河法皇は彼を寵愛して事あるごとに褒賞を与えたが、彼は門人や他の仁和寺僧侶に譲り彼らの昇進を助けた。仁和寺が歴代治天の君の保護を受け、その子が法親王として御室を継承する慣例を完成させたのは白河法皇と覚行であったと言える。1105年(長治2年)、31歳で没。墓所は京都府南丹市園部町の鴫尾山九品寺。」となっています。
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