福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

地蔵菩薩三国霊験記 10/14巻の8/10

2024-10-15 | 先祖供養

地蔵菩薩三国霊験記 10/14巻の8/10

八、神女尸を蔵し給ふ事

大和國天巌戸と申す所(.奈良県宇陀市室生、天の岩戸神社 (室生龍穴神社摂社))に神女侍りき。神道にみやつかい深く敬ひ、水をあげ鈴を振り、をどりはねてそれともしらぬあだごとを歌ひ、神説と号して雨の降り、風の吹くをも神の告げなんと申して人を誑惑し世をはたる計(はかりごと)をしけるままに心ならひあしくなりて、功徳利益と云事には耳をそばにしけるが、年月已に七十の春を送りけるほどに、かかる行業は其の流れあまねしといへども我行力いまだ神道にも達せず。さてしも未来の果報をそろしく思ひければとて、今更打ちすつべき道ならねば思ながら、あけぬくれぬとしけるほどに命あらんかぎりは今いくほどありてまし、命の内にいかなる浅間敷事か出来侍れと、なげかはしかりけるままに常には矢田寺(大和郡山市矢田町)の地蔵へ参りて人に物を言ふごとくにつぶさに申しけるは、我等は今生の行業のすべて正直背き侍るなり。偏に浮世をわたる方便にて人をたぶらかす事ばかりなり。伏して願くは菩薩の慈悲を垂れ玉ひて死後の恥をかくしてたび玉へとて泪をながし祈誓申ける事月日の數を重ねけり。神女むすめを一人持ちたりけるが、皃貌(すがた)も中々妙に人にすぐれてありしかば、嬉しく思ひ目出度縁をとりて、都に上せて公にみやつ゛かいければ神女の娘たることを深く慎みかくしけるほどに、親子ともに志は浅からざれども子を思ふ道に迷ひてたがひに世をつつしみければ、こひしき時も左右なく音信もせず、音信不通になりけれども真の道に入りなんときは、来たらんにいかなる口のさがなき下部(しもべ)の人をつれきたり、いぶせきふせやを見せ見苦しき跡の恥をさらしてくやしき思ひをやしてましと、心くるしくて日来の神事をも打ち置きてあとのはち゛をかくしてたび玉へとて矢田の地蔵をぞ伏し拝むみけるほどに、大事に病付て今を限りと思けれどもしらすべき便りもなし。かかりける所に京の娘の方に告げ来たりけり。伏見まで忍びて来たり玉へ、むかひを奉らんと聞へけるほどに、使ひの童と打連れていそぎ下りて見へければ、母すでに絶え入りなんとしける所に、姫の来たることを悦びて目を見上げて、いかにや是よりこそかくとも申して今を限りの対面もありたく思ふにうれしく来玉へりとて涙を流しければ、御文して呼び玉へばいそぎ参りたり。使いの童も是までつれて来れる由を申しければ其の童行方知らず失せにけり。今は思ひをくこともなしと申もはてずやがてむなしく成りにける。此の年月いかばかりこひしく思奉りて見へける母の子を思ひ子のなげきこそかなしくあるらめ。姫もいまだ廿歳に足らざりければ親の名残の哀しさに後のしたためも計りがたくして、むなしき母に打ち掛かりて泣き沈みたり。物忌里のなをなひにて問来人もなし。さてしもあるべきことならねば、子の哀、さきの童の来ていかにもはからひ奉りて待たせよかしとて思入れける所に若僧の五六人来り給ひて是は矢田寺にて常に見奉りき。死したらんときは跡を隠して玉はらんと深く頼み玉ひしほどに来れるなり、とて棺を持ち来たり玉ひて取したため僧達棺を掻き出し玉ひけり。娘も最後の送りし奉らんとて出けるを僧一人止まり言く、此の所は山も峻、道も細く男すら容易く行くべからず。夜既に深けたり。雨ふりて露ふかければ思い止まり玉ひて念佛申し玉へ。志まさば矢田寺にて待奉ると押し止めてぞ出給ひめり。さるにても誰とも尋ね申すべきとありければ、伊賀房とたずね玉へ、かくれあるべからずと仰せある。あまりに有難く思ひけるほどに取りあへず上に着たる薄衣を僧達の棺をかきつれ玉ふ後に打ちかけ奉りける。比(ころ)は五月廿四日の暁に僧達棺をかき雲井遥かにあがらせ玉ふ。次の日、山中を人して尋ねさせるに更に以てなかりけるこそ不思議なれ。其の後、むすめ矢田寺に詣で伊賀坊と尋ねけれども更になし。供僧達これをきひていかに尋ね玉ふとありければ、女房涙を流し然々の子細にて御志をも申したく、母の葬礼の所をも問奉んためなりと申しければ、或僧の云く、さやうの名字ある人はなけれども衣を送り玉ふと聞けば、あやしき事こそましますなり。當寺の本尊は六地蔵忝くも高祖大師の御作にて生身の御佛なり。薄衣を本尊打ちかつ゛き玉へり。拝し玉へとて御戸を開ければうたがひもなき件の衣にてぞ侍りける。さては我が母も都率天へぞ引導し玉ふらんと覚ゆ。都に告げ来たり玉ひしも地蔵の化現にこそましますらめといよいよ肝に銘じ尊くぞありける。されば此の神女信心をはげまして祈り奉りければ望みのごとく死後の尸を蔵すのみならず地蔵尊に送られまひらすること上古にも末代にもありがたき御事なり。彼の女房の孝養の志切にして祈り奉ける衣の上に佛の御影のうつらせ玉ひける御ことの忝なさよ。されば今世の人、此事を聞き傳へて亡者の上の衣に地蔵菩薩を繪に書きて佛前に懸けるは此の由を形容(かたどり)てなり。

引証。本願經に云、是故に地藏菩薩、大慈悲を具して罪苦の衆生を救拔して天人中に生じて妙樂を受けしむ云々(地藏菩薩本願經閻羅王衆讃歎品第八「若見親知及諸路人若男若女。言於此路多諸毒惡喪失性命。無令是衆自取其死。是故地藏菩薩具大慈悲救拔罪苦衆生。生天人中令受妙樂」)。

 

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