地蔵菩薩三国霊験記 14/14巻の6/8
六、 西林寺 世に尨毛(むくげ)の地蔵と云ふ
羽休山西林寺飛行院尨毛堂(上京区上御霊前通室町西入玄蕃町46西林寺)の地蔵尊は愛宕山勝軍地蔵と一躰分身なり。當寺の開基彼の山と同じく慶俊僧都(奈良時代。大安寺に属し,入唐僧の道慈を師として三輪,法相,華厳などを学ぶ。華厳講師などを経て,法華寺の大鎮となる。聖武天皇の死に際して律師に任じられた。こうした昇進の背景には学問的教養のほか,光明皇后,藤原仲麻呂との強い連携が想定される。慶俊は仲麻呂政権の崩壊とともに失脚したが道鏡の没落後,律師に返り咲く)なり。此の像の神なるあげて計ふべからず。愛宕を信ぜん輩歩行の易きをこて之をゆるがせにするべからず。慶俊傳釈書に之有り。