(以下密教大辞典等に依ります)覚性入道親王(大治四年1129閏七月廿日から嘉応元年1169十二月十一日。日本総法務初代。仁和寺五世。紫金台寺御室、泉殿御室とも。鳥羽天皇第五皇子。母は藤原公実の娘待賢門院璋子。保延六年六月二十二日覚法法親王のもとで出家。同十月二日、東大寺戒壇にて於て受戒。久安元年八月法金剛院(仁和寺子院。待賢門院が白河法皇の追善と自身の将来のために建立)に入り、同三年四月一日一身阿闍梨宣下を蒙り、同月十日覚法新皇より
観音院にて伝法灌頂を受く。‥仁平三年十二月仁和寺主。・・保元三年二月北院にて日食を祈り功を以て二品に直叙。・・久安四年二月始めて鳥羽殿に愛染王法を修してより、詔を承けて孔雀経法・尊勝法等を勤修すること二十四会に及び御室供養の導師たること六度。又木筆を学び東寺大塔両界金泥曼荼羅種字を書せり。仁安二年十二月十三日日本総法務に任ぜらる。・・新王の徳聲遐邇に高く上下褒美し親疎来賓せり。嘉応元年1169十二月十一日寂す。壽四十一。嘗って醍醐の勝賢に受法しその口訣により野月新鈔を製す。付法に寶任・仁性・元性あり。