福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

A氏の体験記

2013-11-17 | 頂いた現実の霊験
去年の8月末、出掛けに曇っていた空が、心配していた通りシトシトと雨を降らせてきたのが、ちょうど私が徳川家の菩提寺である増上寺に着いてからまもなくでした。

その当時の私は、仕事のストレスが積み重なり半年程前から会社を休職中であり、尚且つ、離婚を前提に2週間前に別居に突入した、まさにどん底ズダボロ状態で、社内の関連部署では怖いものなしで、肩で風を切るようにバリバリと仕事を片っ端からこなしていた頃の一片の面影さえもないミジメな状態でした。

そんな折、初めて訪れた増上寺で、大学の大先輩でもあり、会社での元大幹部でもあり、仲人でもある方の仲介で高原さんに運命の出会いがありました。



偉いお坊さんとだけ聞いていた私の前に現れた高原さんは、ビシッとスーツに身を固めたビジネスマンで、簡単な挨拶だけを済ませると、すぐにそそくさと歩き始め、境内の何ヶ所か案内をしながら、途切れることなく増上寺の成り立ちから様々な仏教のありがたい御説明をして頂きましたが、歴史は好きでも宗教と言われるものと全く縁も興味もなく育った私の頭の中から、それが嵐の中で吹き飛ばされていく蝶々のごとく消え去っていくのに、それほど時間はかかりませんでした。



しかし、本殿の休憩所(?)で予定を大幅に超えるほど、心に響き渡る、また私の固定観念や先入観を排除していただくありがたいお話をして頂き、そして、私の話を漏れることなく聞いて頂き、帰りの時間が近づいた時には、たった今雨が上がったばっかりの青空のように、プライドを一先ず傍らに置いておいて、意地を張らず、そして、自分が弱いと認識することで阿弥陀様にちょっとすがってみようかなという何かの呪縛から解けた清々しい気持ちになっていました。



それからの私の日常の過ごし方は、四国巡礼は将来の目標としても、先ずは、その足掛かりとして、川崎大師(真言宗平間寺)の新四国八十八ヶ所霊場を21回訪れることとし、真言宗の現代語訳を理解しつつ、毎日(実は時々・・・)般若心経を唱えることを日課とし、写経にも挑戦していたのでした。

結局のところ、私のプチ巡礼は約4ヶ月が経っても目標の半分ほどで挫折しているという門前の小僧以前の状態で頓挫している訳ですが、お大師様を訪れた際は、一つ一つの石柱を丁寧に撫で、そして四十四のお寺の名前を心の中で唱えながら歩くことを心がけました。また、その後は必ず、本殿での(他人の)御護摩祈祷で、弘法大師(空海)様にご挨拶しておりました。

今では般若心経は、自宅の複数のパソコンは言うに及ばず、携帯にも電子ブックにも、もちろんMP3プレーヤー(2つ)にも入っており、ストレスに押しつぶされそうになった時や、焦る自分がいるなと感じた時は、すぐに般若心経を唱え、気持ちを整えることにしております。



自分が順風満帆エリート街道を走っていて、上しか眼中になかった時期は、精神的・身体的に弱い人、或いは運が無いだけの人の存在は認識してはいても、本気でそのような方々の気持ちなど知ろうと思わなかったのですが、実は、逆ではないかと気づき始めました。



自分から見て(第三者として客観的に見て)、「強い」と感じられる人ほど、例えば、今までの人生の中で、会社の存亡を脅かすほどの大失敗をしてきたり、大きな借金を背負っていたり、大切な身内を失ったり、或いは信頼している人から裏切られたり、まさか自分がと思うような大病を患ったり、周囲の倍以上努力しているのに全く認めてもらえなかったり、「不幸」と思われるもの、「大失敗」と思われるような経験をしてきたのではないのかと。



そのようなどん底の経験と一件不幸と見られる出来事は、確かに苦しい試練ありますが、長い人生で見たら、実は自分を更なる高見に向上させるための変革のチャンスであり、急成長させる感謝すべき体験だったのではないかと思い始めました。

「強い」と見える人もほとんどの方が、多くの困難やストレスを持っていて、なんら自分と変わらないはずですが、そのようなどん底経験をしてきたからこそ、その時に手に入れた「すがるモノ」を持っており、信仰しており、壁に当たった時の安住の地があるのだと思います。

だからこそ、そのような貴重な体験をした人ほど、余計に相手の気持ちを大切にし、遠くを見据えた落ち着いた思考が出来るのではないのでしょうか?



年も押し迫った昨年のクリスマスイブ(仏教とは関係ありませんが)に、一年ぶりに会社に復職しました。

阿弥陀様、観音様のお蔭かどうかは仏のみぞ知る状態ですが、少なくとも私の考え方、感じ方を変化させてくれたこと、また将来に対する不安を少なからず払拭させてくれたことは紛れもない事実だと確信しております。

会社では管理職にも関わらず、まだ、ぎこちないお客さん状態で、人の視線が妙に気になったり、すれ違う知り合いのビックリするような表情に耐えながらの毎日ですが、焦らずじっくり、そして頑張り過ぎずマイペースで、徐々にソフトランディングをしながら、以前のカンとペースを取り戻す日が来ることを夢見ています。



最後に、上記文面とは直接は関係ないかもしれませんが、数年前に台湾駐在中に出会った私の好きな言葉で、今でも心の中に残っている言葉を紹介します。主に、遠くに旅立つ親友に対して贈られる言葉のようです。



欲窮千里目、更上一層楼 (意 : 更に高みに登って、遠くを見よう)



以上」
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Iさんが本日の定例会の記録... | トップ | 大師の時代(榊亮三郎)・・... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

頂いた現実の霊験」カテゴリの最新記事