今日はお釈迦様のお悟りの日であるとともに、太平洋戦争開戦の日でもあります。
この二つの大きく矛盾する出来事を考え合わせるとなにか深い感慨にとらわれざるを得ません。
1、今朝は仏恩報謝のほんの小さな真似事としてまた近所の駅前バス停の掃除に出かけてきました。そこで掃除をしながら次のように思いました。
「お釈迦様は四門出游で衆生の生老病死の苦しみをみて王位・家族を捨て修行に入られ六年後の十二月八日にお悟りを開かれた。御出家の動機は「衆生の生老病死の苦しみ」を救うということであったのであるから、覚るということは「衆生の生老病死の苦しみを救う手立てが見つかった」ということでなくてはならない。さすれば「大乗相応の国」といわれる日本や仏教国のタイなどでは衆生の苦しみはないはずであるのになぜ今も多くの人々が苦しんでいるのか?まして今日12月8日は何千万人もの人々に筆舌に尽くし難い苦難を強いることとなった太平洋戦争開戦の日でもある。この矛盾・不条理はどう考えればよいのか?」
2、今では太平洋戦争は軍部の独走による間違った開戦であったなどと総括されがちですが、当時の日本人の感情にはもっと深いものがあったように思います。
太宰治の「十二月八日」という小品があります。ここには当時の日本人が開戦を神聖なものとして考えていたことが伺われます。
「昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう。・・十二月八日。早朝、蒲団の中で、朝の仕度に気がせきながら、園子(今年六月生れの女児)に乳をやっていると、どこかのラジオが、はっきり聞えて来た。「大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり。」しめ切った雨戸のすきまから、まっくらな私の部屋に、光のさし込むように強くあざやかに聞えた。二度、朗々と繰り返した。それを、じっと聞いているうちに、私の人間は変ってしまった。強い光線を受けて、からだが透明になるような感じ。あるいは、聖霊の息吹いぶきを受けて、つめたい花びらをいちまい胸の中に宿したような気持ち。日本も、けさから、ちがう日本になったのだ。・・本当に、此の親しい美しい日本の土を、けだものみたいに無神経なアメリカの兵隊どもが、のそのそ歩き廻るなど、考えただけでも、たまらない、此の神聖な土を、一歩でも踏んだら、お前たちの足が腐るでしょう。お前たちには、その資格が無いのです。日本の綺麗な兵隊さん、どうか、彼等を滅めっちゃくちゃに、やっつけて下さい。これからは私たちの家庭も、いろいろ物が足りなくて、ひどく困る事もあるでしょうが、御心配は要いりません。私たちは平気です。・・」
3、しかし結果は「神聖な日本の国土」に原爆を二か所も落とされ敗戦となりました。
4、お釈迦様のお悟りの日に、太平洋戦争の開戦を迫られ、結果、国民国土を壊滅させてしまうこととなるということはなんという矛盾・不条理か・・・これには何か深い暗示が隠されていると思います。我等劣恵の凡夫が解けるような問題ではないと思いますがそれでも皆で常によくよく考えるべき問題と思います。