Q,葬儀で死者の経帷子等に梵字を書いたり、経典の一節を書いたりすることは罪にはならないのですか?
A,一八世紀成立の「真俗佛事編」には
「経典や梵字を棺にいれたり経帷子に書くことは経巻を焼く罪、不浄に触れる罪になるという人がいますがこれはまちがいで、むしろこうすることが死後を安楽にする道」とあります。
根拠として
1、「不空羂索真言経」第六羂索成就品に「もし衆生が億劫に具に四重五逆などの罪をつくれば身は壊し命終して阿鼻地獄に落ちる。この亡者がその屍骸や衣服に随って真言を為せば身影は映著き(てりかがやき)たちまちに解脱を得て所苦の身を捨てて直ちに浄土に生ずると」。ここで『真言を為せば』とは屍骸にむかっては真言を唱えて加持し、衣服に向かっては真言を書き写すことをいう。この二つの意を含むがゆえに『真言を為せば』という。
2、「大宝楼閣経」の上に「(陀羅尼を)もしくは読み、もしくは誦し、もしくは受持し、もしくは身上に帯び、もしくは衣中に書けば・・決定して不退転の無上菩提を得るであろう・・」
3、「普遍光明大随求陀羅尼経」巻下には「ある比丘が僧物を取り、己の用としたことにより、重病となり、大苦悩を受け、叫んだ。そのとき一人の婆羅門がそれを聞き憐み、『大随求陀羅尼』を書いて比丘の首にかけさせた。これにより苦悩は病み、命終したが、そのあと、無間地獄に落ちた。しかしこの僧のまわりの地獄の猛火は消え、罪人の苦悩も消えた。獄卒は怪しんで閻魔王に告げた。閻魔は「満足城にいって見よ」といったので、満足城の南のその比丘を葬った所を見ると、比丘の屍の上には『大随求陀羅尼』があり、大光明を放っており、そこに天・竜・夜叉・八部衆が囲繞して恭敬礼拝していた。・・・」
をあげ、結論として、「おもうに以上の三経によれば経衣には随求などの陀羅尼、光明真言などを書くべきである。いかんとなれば真言陀羅尼は不思議な法性の声字なるがゆえに、一字に無量無辺の義理法門を具し、一句に万法一切を含ずるのである。この故に声字がたちまちに神変を現じて利益を施すことは上の件の三経にのべるとおりである。このように深義あるをもって専ら真言陀羅尼を書くべきである。」とあります。
A,一八世紀成立の「真俗佛事編」には
「経典や梵字を棺にいれたり経帷子に書くことは経巻を焼く罪、不浄に触れる罪になるという人がいますがこれはまちがいで、むしろこうすることが死後を安楽にする道」とあります。
根拠として
1、「不空羂索真言経」第六羂索成就品に「もし衆生が億劫に具に四重五逆などの罪をつくれば身は壊し命終して阿鼻地獄に落ちる。この亡者がその屍骸や衣服に随って真言を為せば身影は映著き(てりかがやき)たちまちに解脱を得て所苦の身を捨てて直ちに浄土に生ずると」。ここで『真言を為せば』とは屍骸にむかっては真言を唱えて加持し、衣服に向かっては真言を書き写すことをいう。この二つの意を含むがゆえに『真言を為せば』という。
2、「大宝楼閣経」の上に「(陀羅尼を)もしくは読み、もしくは誦し、もしくは受持し、もしくは身上に帯び、もしくは衣中に書けば・・決定して不退転の無上菩提を得るであろう・・」
3、「普遍光明大随求陀羅尼経」巻下には「ある比丘が僧物を取り、己の用としたことにより、重病となり、大苦悩を受け、叫んだ。そのとき一人の婆羅門がそれを聞き憐み、『大随求陀羅尼』を書いて比丘の首にかけさせた。これにより苦悩は病み、命終したが、そのあと、無間地獄に落ちた。しかしこの僧のまわりの地獄の猛火は消え、罪人の苦悩も消えた。獄卒は怪しんで閻魔王に告げた。閻魔は「満足城にいって見よ」といったので、満足城の南のその比丘を葬った所を見ると、比丘の屍の上には『大随求陀羅尼』があり、大光明を放っており、そこに天・竜・夜叉・八部衆が囲繞して恭敬礼拝していた。・・・」
をあげ、結論として、「おもうに以上の三経によれば経衣には随求などの陀羅尼、光明真言などを書くべきである。いかんとなれば真言陀羅尼は不思議な法性の声字なるがゆえに、一字に無量無辺の義理法門を具し、一句に万法一切を含ずるのである。この故に声字がたちまちに神変を現じて利益を施すことは上の件の三経にのべるとおりである。このように深義あるをもって専ら真言陀羅尼を書くべきである。」とあります。