福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

お百度参りの霊験

2015-09-20 | 頂いた現実の霊験
先日19日福聚講の護国寺定例参拝の折、早めに寺についたので、本堂と一言地蔵様の間を7回往復して拝みました。大師堂も開いておりなんども往復するたびになんともいえずありがたい気持になりました。この日はまた残暑がぶり返しており汗を何度も拭い乍らお参りしました。一言地蔵様と本堂は何度も歩くとかなり疲れます。最初は周りを見る余裕があったのですが、3,4回目からはただただ前を見て歩いて無心に祈るだけになりました。7回目を終えると我れなりにすっきりしました。特に何をお願いするというものではなかったのですが、お参りしたというささやかな達成感のようなものは感じられ有難かったものです。そのおかげかこの日は、講員のかたがたの読経の声が揃って有難いお参りができたものです。

これだけでもお百度参り(「お七度参り」とでもいうべきでしょうが)の有難いおかげはあったのですが、このあと思ってもみなかったお蔭を頂いたのです。
実は最近、93になる継母がまた昔のように非常に攻撃的になり、親子の間が大変ぎくしゃくしてきており、入所しているホームの責任者と対応を話し合っていたところでした。昔の継母にもどった、これから又死ぬまで色々あるだろうと覚悟していたところでした。

ところが今日になり突然「この間は悪かった」と電話で謝ったのです。当方はまた昔のようにぎくしゃくした関係に戻るものと、覚悟していて、「少しの間でも継母が普通の感覚になり、私たちに優しい言葉をかけてくれただけでも、一言地蔵様のおかげだ、感謝しなければ」と家族で話し合っていたところでした。それが今夕電話で自分の態度を突然謝ったのです。口調も非常に穏やかになっていました。一瞬我が耳を疑いましたが、これはやはり先日のお百度参りのお蔭だと気が付いたのです。

お百度参りは本当におかげがあります。これは考えるにお百度を踏むときは身体が段々疲れて来て、雑念を感じるよう余裕がなくなり、我欲もそぎ落とされてお参りできるから結果として願ってもないお蔭を頂けるのではないでしょうか。私事で恥ずかしいのですが、現代人もお百度参りをドンドンするべきと思った次第です。

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